シルフは彷徨う雪の上

 何故オルシュファンがフランセルに無理を言ってまで、己をラニエットへ会わせようとしているのか、アトリは不思議に思っていた。勿論、己を気遣ってくれている事は充分理解している。ただ、他国の者が皇都に立ち入れない以上は、飛空艇を使わなければ行けない場所に駐留しているラニエットに会いに行く事は不可能である。ただ、ラニエットもフランセルの元に顔を出す事はあるだろうし、二度と会えないわけではない以上、アトリも仕方なく諦めるつもりでいた。それだけに、『今後の為』という建前で皇都の商人とコネクションを作る事を提案されたのは、些か急すぎるのではないかとアトリは疑問を抱いていた。

 その疑問を直接オルシュファンにぶつければ良いだけの話なのだが、下手な事を言ってまた彼を傷付けてしまうのではないかと、アトリは躊躇い何も聞けずにいた。二年ぶりに顔を出した己を快く受け入れてくれた相手に、その恩を仇で返す事はしたくない。そう結論付けていたが、要するにアトリはオルシュファンと心から向き合おうとせず、居心地の良い今の関係に逃げていたのだ。



 だが、ひとまずこの時のアトリの疑問は、夕食の場にて解消される事となった。

「やや性急だったかも知れないが……アトリもいつまでもここに滞在出来るわけではない。それにラニエット殿がクルザスに戻られたタイミングで、お前もそう簡単に来訪する事も出来ないのではないかと思ってな」

 オルシュファンはアトリの困惑を見抜いていたのか、先に話を切り出した。

「確かに……気長に考えていましたが、何年後、という単位になりそうですね」
「ならば、いっその事お前が皇都に足を踏み入れても構わないという特例を作った方が早いと思ってな」
「エレイズ様と繋がりを持つ事で、特例で一時的に出入り出来る可能性があるのでしょうか……?」
「無論、それが叶うかは断定出来んが……だが、宝杖通りでは他国からの輸入品も扱っている。接点が出来れば商売を理由に、合法的に皇都に滞在できる可能性も無きにしも非ずだ」

 アトリとしてはラニエットに会いに行く以外の理由で皇都を訪れる理由はないのだが、接点を持つ事は悪い事ではない。寧ろアルデナード商会の発展を思えば、良い方向に転ぶかも知れない。徐々にアトリの心も前向きになりつつあるものの、フランセルに仲介して貰うのは申し訳なくも思っていた。

「なんだか、私がラニエット様にご挨拶したいと言ったばかりに、大事になってしまい申し訳ありません」
「お前が謝る事ではない。そもそもイシュガルドが門戸を閉ざしてさえいなければ……アトリ、お前は今頃アバラシア雲海に着いて、ラニエット殿と対面出来ていたのだぞ?」
「それは……国の事情で仕方のない事ですし」
「『国の事情』か……それゆえに他国との協力も出来ず、復興も先延ばしになっているというのに」

 オルシュファンは溜息を吐けば、食事の場を暗くしてはならないと軽く咳払いをして、口角を上げてアトリへと顔を向けた。

「だが、我がフォルタン家は外部の者を受け容れるべきだと考えている。そのお陰で、このキャンプ・ドラゴンヘッドもエーテライト復旧の見通しが立ちそうでな」
「本当ですか!?」
「漸く笑顔を見せたな。お前は笑っている方がイイぞ」

 笑みを零しながらオルシュファンにそんな事を言われ、アトリは一体どれだけ自分は辛気臭い顔をしていたのかと苦笑してしまった。
 クルザスの地において、このキャンプ・ドラゴンヘッドだけが唯一他国の冒険者たちを受け容れている。だからこそ、その繋がりで復興も進んでいる――オルシュファンが己をイシュガルドの人と会わせたいというのも、少しでも内部から国を変えていきたいという想いから来ているのだと、アトリは漸く理解した。

「復興の兆しが見えていると分かって、私も嬉しいです。エーテライトが復旧すれば、過去にドラゴンヘッドを拠点にしていた他国の冒険者の方々も、再訪し易くなりますし、更に発展するかと思います」
「その『他国の冒険者』には、当然お前も含まれていると私は思っているが……」
「は、はい! 勿論です」

 社交辞令ではなく、本当にいつ来ても良いと言われているように感じて、アトリは頬を赤らめた。『冒険者』として迎え入れるのであって、それ以上の意図はないと分かってはいても、嬉しい事に変わりはないのだ。

「そういえば、クガネにもエーテライトはあるのか?」
「はい、エオルゼアとは少々造形は違いますが――」

 例え他国の者を受け容れる場がキャンプ・ドラゴンヘッドだけだとしても、いち早く復興すれば、皇都も変わっていくかも知れない。ならば、今回エレイズの接触が叶わなくとも、そこまで悲観する事ではない。その際はフランセルに、己の為に動いてくれた事に礼を伝えようとアトリは決めたのだった。きっと、この積み重ねは無駄な行為ではない筈だと。



 これらの心配が杞憂に終わり、吉報が届いたのは、早くも翌日の事であった。

「オルシュファン、アトリ! エレイズ女史が会ってくれるそうだ!」

 息を切らしてオルシュファンの元へ駆け付けたフランセルに、二人は驚きのあまり目を見開いた。

「本当か!? 流石だ、フランセル!」
「アトリの素性を伝えたところ興味を持ってくれてね。特に東アルデナード商会とは対立していないようでほっとしたよ」
「そうか、その点は気に掛ける必要はなかったか」

 どうやら瞬く間に話が纏まったらしい。てっきり断られると思っていただけに呆然とするアトリをよそに、オルシュファンとフランセルは話を進めていく。

「――という訳だ。早速向かおう、アトリ」
「は、はい! ……ええと、どちらへ……」

 まるで話が頭に入っていなかったアトリが遠慮がちに訊ねると、オルシュファンは心配するなと言わんばかりに笑みを浮かべてみせた。

「『大審門』――皇都イシュガルドの正門だ。そこでエレイズ女史と落ち合う段取りになっている。今回は単なる顔合わせだ、難しい事は考えなくていい」
「分かりました、粗相のないよう気を付けます」
「そんなに緊張しなくても大丈夫、いつも通りのアトリで問題ないよ」

 オルシュファンもフランセルもそう言ってはいるものの、アトリは無礼を働かないよう注意しなければ、と気を引き締めた。フランセルはアインハルト家の貴族であり、オルシュファンもキャンプ・ドラゴンヘッドを任される程の騎士である。二人が礼儀作法を身に付けているのは当然であり、対するアトリは異国の者である。果たしてこの貴族社会の国で無礼を働いてしまわないか、不安になるのは当然の事であった。
 かくして、三人は大審門へと向かう事になった。





 キャンプ・ドラゴンヘッドから皇都イシュガルドまで、そう遠くないというのに、一歩一歩近づくたびに一層寒さが増すような感覚をアトリは覚えていた。見知らぬ地へ歩を進めるからこそそう錯覚するのだろうか。アトリは過去にラニエットから貰ったフードを被り直した。

「その服、活用出来ているようで嬉しいよ」
「はい、本当に。クガネに帰った後も大切に保管していて良かったです」
「まあ、頻繁にクルザスに来るならば、いずれ新調した方が良いかも知れんな。その時はどんなデザインが良いか、ラニエット殿と相談して決めるのもイイと思うぞ」

 オルシュファンから夢のある話をされて、アトリの頬は自然と綻んだ。今は不可能でも、いつかラニエットと共に、商店が並ぶ場所を一緒に歩けるようになる時が来るかも知れない。それが皇都で叶うか、またはクルザスの街になるかは別として、遠い未来に想いを馳せるのも悪くはないと、アトリの心は弾んでいた。

 暫くして、アトリの視界に荘厳な門が現れた。これはこのクルザス全般に言えることであるが、歴史を感じさせる石造りの建造物で構成されており、恐らくこの大審門も皇都イシュガルドを代表する建造物の一部なのだろう、と想像するのは容易かった。
 大審門の前では数多もの神殿騎士が警備にあたっており、アトリのような余所者は絶対に立ち入る事が出来ない状態であった。

「じゃあ、アトリはここで待っててくれ。僕がエレイズ女史を連れて来るから。念の為、オルシュファンはアトリの護衛を」
「護衛?」

 フランセルの言葉にアトリは戸惑いを露わにしたが、オルシュファンは当然ながらその意図を分かっている様子であった。

「イシュガルドの者ではないお前が一人でこの場にいては、不審者扱いでそれこそまた裁判所に連行されかねんからな」
「そっ、それは嫌です……!」
「そういう事だ。肩身の狭い思いをさせてしまうが、少しの間我慢してくれ」

 アトリはこくりと頷き、ふとこのフードが己の種族の証である角を隠している事に気が付いた。ラニエットは当時そこまで気を回していたわけではないと思うものの、結果的に特徴を隠せている事で、今すぐこの場で神殿騎士に連行される事はないだろう。尤も、疑わしき行動を取ればそれで終わりではあるが。
 ――否、疑わしき行動を取らずとも、見慣れない姿がただそこにいるだけで、神殿騎士の目を引くには十分であった。

「オルシュファン卿、お連れの方は……」

 警備の神殿騎士から唐突に声を掛けられたものの、オルシュファンは一切動揺する事なく淡々と答えた。

「私の客人だ。宝杖通りのエレイズ女史に用があってな」
「では、早速皇都の中へ……」
「いや……ここは下手に隠さない方が良いか。彼女はイシュガルドの者ではない。東アルデナード商会の遣いとして、エレイズ女史と顔合わせをする為にここに来たのだ」
「異国の商人ですか。成程、それであればこの大審門で暫しお待ちください」

 どうやら、嘘を吐かずに納得して貰う事に成功したらしい。アトリがこの門の奥へ進む事は許されないものの、ここにいる事自体に問題はないようだ。ただ、オルシュファンが同伴していなければ、門の外へ追い返されるか最悪連行された恐れもある。アトリはほっと胸を撫で下ろし、付き添ってくれているオルシュファンに礼を言おうとした、瞬間。

「オルシュファン! その子が噂のアウラ族か!?」

 アトリにとって聞き覚えのない軽い声が耳をつく。声のした方へ顔を向けると、そこには黒髪のエレゼン族の男がいた。オルシュファンの知り合いだろうか。

「エマネラン……まさかこんなタイミングで……」
「そう警戒するなって、オレは手助けに来たんだからよ」
「手助け? フランセルから話でも聞いたのか?」

 エマネランと呼ばれた男は、馴れ馴れしくオルシュファンの肩を小突いたが、対するオルシュファンはどこか複雑そうに眉間に皺を寄せていた。フランセルに対する態度とは全く異なる事から、恐らく友人とは違う関係なのだろう、とアトリは二人の遣り取りを眺めていたが、次いで飛び出た言葉で、ぼうっとしている余裕などなくなってしまった。

「この子、ラニエットに会いたいんだろ? 昨日、アインハルト家の四男坊がそれで宝杖通りを駆け回ってたって専らの噂だぜ」
「……エマネランの耳に入るとは、もう少し慎重に事を進めるべきだったか」

 オルシュファンの言葉などまるで耳に入っていないのか、エマネランは終始上機嫌で、今度はアトリに矛先を向けた。突然アトリの側に歩み寄れば、強引に手を掴んだ。

「あっ、あの」
「ちょうどオレもラニエットに会いたいと思っていたところなんだよ。これで大義名分が出来たってもんだ」
「ええと、その前にこれからエレイズ様とお会いする約束が」
「ラニエットに会う為に裏工作でもしようとしてるんだろ? そんなまどろっこしい事なんかしなくても、オレ様が直接ローズハウスに連れて行ってやるぜ!」
「ええ? 待っ――」

 有無を言わさず、エマネランはアトリの手を引いて走り出した。一体どういう事なのか理解できず、アトリはオルシュファンへ顔を向けて、その名を叫んだ。

「オルシュファン様! 私、どうすれば……」
「まずい、許可なく門を通過されたらそれこそ問題だ……!」

 オルシュファンもアトリと同様呆然としていたものの、すぐに正気を取り戻しエマネランの後を追い掛けた。門を通過され、警備にあたっていた神殿騎士たちの一部も何事かとオルシュファンの後を追い掛ける。
 これはもしかして、非常にまずい事になったのでは。アトリは顔面蒼白と化したが、このエマネランという男は一体何を考えているのか、猛スピードで皇都内を駆けて行く。そして辿り着いた先は、イシュガルド・ランディング――間もなく飛空艇が飛び立とうとしているところであった。

「待った! アバラシア雲海行き、二名搭乗させて貰うぜ!」

 追手が迫る中、エマネランはたどたどしい手付きで搭乗手続きを済ませれば、アトリに声を掛けた。

「そういやオマエ、名前は?」
「アトリです」

 ここで黙っていれば搭乗出来ず、じきにオルシュファンが助けてくれる筈であったと、冷静に考えれば分かる筈なのだが、この時ばかりはアトリもまともに頭が働いておらず、馬鹿正直に名前を口にしてしまっていた。

「よし、これで手続き完了! 行くぞアトリ、麗しの『薔薇の騎士』ラニエットの元へ!」
「え、ええと……」

 エマネランはアトリを連れて強引に飛空艇へと飛び乗った。新たな乗客ふたりを招き入れた飛空艇は、起動音を立て、瞬く間に空へと飛び立った。徐々に遠くなる皇都イシュガルドを見下ろしながら、アトリはとんでもない事になってしまったと唖然としていた。まさか皇都にこんな形で強引に侵入し、あまつさえアバラシア雲海まで旅立ってしまうなど、この先の事を考えるだけで卒倒しかねない状態であった。

2021/09/05

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