すこしの期待と畏怖を込めて

 ローズハウスに辿り着いたアトリとエマネランは、漸くラニエットと感動の対面が叶う――筈だった。否、対面自体は叶ったものの、『感動』している場合ではない状況であった。尤も、それに気付いていないのはエマネランただ一人なのだが。

「麗しの『薔薇の騎士』、ラニエット! 久し振り――」
「はぁ……一体何の用だ? 援軍を要請した覚えはないが」

 エマネランを見るや否やあからさまに面倒そうに溜息を吐いたラニエットであったが、彼の斜め後ろに見覚えのあるフードを被った女がいる事に気が付き、大きく目を見開いた。見覚えも何も、二年前にオルシュファンが助けた異国の少女の為に見繕った服を纏っている。赤の他人の可能性もあるものの、もしや、と思い、ラニエットはエマネランを無視して女の傍へ駆け寄った。
 フードの奥から覗いた顔は、紛れもなく二年前に介抱したアウラ族の少女、アトリに相違なかった。

「アトリ!? エオルゼアに戻って来たのか……! まさかこんなに早く再会出来るとは!」
「あっ、あの、ラニエット様……」

 ラニエットはすぐさまアトリを抱き締めた。コートの腰部分からひょこんと飛び出ている尻尾はアウラ族のそれであり、見間違うわけがなかった。どうして東方の国から再びこの地に舞い戻って来たのか、アトリに聞きたい事は山のようにあるものの、すぐ後ろで横槍を入れる声が聞こえた瞬間、ラニエットは冷静になった。

「あのー……この子を雲海に連れて来たのはこのオレ様なんですけどー……」

 ラニエットは即座に嫌な予感を覚えた。これがオルシュファン等他の者であれば何の心配もなく、終始穏やかな雰囲気で経緯を伺うものの、このフォルタン家の問題児が『連れて来た』という時点で、まさかアトリは強引に連れて来られたのではないかという気がしたのだ。
 恐る恐るアトリを開放し、改めて彼女の顔を見たラニエットの目に映っているのは、感動の再会だというのに不安そうに眉を下げている少女の顔であった。

「アトリ、申し訳ないが事の顛末を説明して貰えないだろうか」
「事の顛末……」

 すると、アトリはちらりとエマネランを見遣った。ラニエットは彼女を非常に礼儀正しい子であったと記憶している。疚しい事がなければ本人の口から簡潔に説明出来る筈であり、まるで伺いを立てるようにエマネランに目配せをするなど、彼の勝手な行動でこのような事態になったと言っているようなものである。
 当のエマネランは、そんなラニエットの推察など知る由もなく、胸を張って堂々と言い放った。

「アトリがどうしてもラニエットに会いたいっていうから、このオレ様が連れて来てやったってわけだ」
「待て。どうして貴公がそこまでする? オルシュファン卿ならいざ知らず」
「どういうわけか、オルシュファンと連んでるフランセルが『宝杖通り』のエレイズに仲介を頼んだりしてたからよ。商人に頼んだってどうにもなんねーだろ! だから、このオレ様が颯爽と連れて来たって事――」

 ラニエットは卒倒しそうになったが、ここで己が倒れては絶対になるまいと正気を保ち、エマネランに向かって怒りをぶつけた。

「貴公は、他国の人間を皇都内に連れ込む事がどれほど問題か分かっているのかッ!!」

 エマネランは暫しの間呆気に取られていたが、咳払いをすれば改めてラニエットに向き直った。

「いや、商人に仲介を頼んだって意味ねーだろ! フランセルを悪く言うわけじゃないが、ラニエットに会う以外の事はしないんだから、パッと行って帰って来てとっとと皇都から出ればそれで問題ないだろ! な、アトリ?」
「えっ!?」

 突然エマネランに話を振られ、アトリは肩を震わせた。エマネランは決して悪気がない事も、根は良い人である事もある程度分かっている。なんとか顔を立てたいものの、今後己が裁きを受ける事でオルシュファン達にも多大なる迷惑が掛かるのではないかと思うと、ここは正直に言うべきだと決意した。

「エマネラン様。恐らくは、私は皇都に戻った際に神聖裁判所に収監されると思います」
「……は? いや、だってアトリ、何も悪い事してないだろ! ラニエットに会う、ただそれだけだぜ?」
「それでも、他国からの門を閉ざしているイシュガルドに、異国……それもエオルゼアではない大陸から来た者が足を踏み入れるのは、決して見逃される事ではないと思うのです」
「いやいやいや、そんな馬鹿な話が……」

 エマネランとしては、『行って帰るだけなんだから問題ない』という認識で、良かれと思って行動していたのだ。とはいえ、オルシュファンやフランセルは、アトリを皇都に入れること自体に問題があると分かっていたからこそ、慎重に事を進めていた。当然、ラニエットは後者の考えの持ち主である。

「エマネラン卿……失礼を承知で申し上げるが、貴公はもう少しこの国の情勢を勉強した方が良い」
「ラニエット、オレの為に敢えて厳しい言葉を掛けてくれるなんて……」
「まるで分かっていないな、この男は……」

 盛大な溜息を吐くラニエットに、アトリはエマネランをフォローしようと声を掛けた。

「ラニエット様。エマネラン様は私の事を何も知らなかったので、無理もありません……抵抗しなかった私に責があります」
「いや、アトリが気に病む事ではないぞ。この男も一応フォルタン家の人間だ。正当防衛でも貴族に危害を加えたとなると、それはそれで大問題になりかねん」
「庇ってくださって、ありがとうございます。ただ、エマネラン様は私が二年前にスパイ容疑で連行されかけた事もご存知ではないでしょうし……」

 アトリの言葉に、エマネランは一気に顔を青褪めさせた。当然、寝耳に水の話だからである。

「ええええ!? おい、アトリ……オマエ、スパイだったのか!?」
「『容疑』だと言っているだろう。エマネラン卿、話がややこしくなるから黙っていてくれないか」

 呆れ果てるラニエットに、エマネランは「はい」と即答して直立不動で口を閉ざした。ただ、アトリとしてはエマネランが混乱するのも無理はないと思い、念の為経緯を説明する事にした。飛空艇では、あくまで第七霊災で父親を亡くし天涯孤独の身となった事、オルシュファンに助けられた事、そして故郷に帰った後冒険者兼商人となり、仕事でエオルゼアを再度訪れた事だけを告げていたのだ。

「エマネラン様。スパイ容疑といっても事実無根です。どうやら、私が異国の者というだけで、蒼天騎士団がそう疑ったようで……最終的に、神殿騎士団のルキア様が私の身の潔白を証明してくださった事で、容疑は晴れました」
「ルキアって、神殿騎士団の副官だよな? じゃあ今回もし収監されそうになっても、また助けてくれるだろ!」

 能天気なエマネランの言葉に、ラニエットはうんざりした様子で苦言を呈する。

「それとこれとは話が違う。スパイ容疑は冤罪だが、今回は皇都へ足を踏み入れている時点で言い訳のしようがない。当然、アトリが悪くない事は重々承知しているが、裁判所がどう判断するか……」

 例えエマネランが善意でアトリを皇都へ連れ込み、アトリ自身もラニエットに会う以外の事をしていないとしても、神聖裁判所がそれを罪だと判断すれば、アトリは罪人という扱いになる。尤も、本当に『ラニエットに会う』以外の事は何もしていない以上、すぐに釈放される可能性は高いものの、ここで蒼天騎士団に首を突っ込まれたら終わりと言って良い。さすがに神殿騎士団とて庇いようがないだろう。

「一先ず、此度の件はフォルタン家へ連絡を入れよう。アトリ、この件はオルシュファン卿は把握しているか?」
「はい」
「良かった。ここはオルシュファン卿に頼るしかないが……大丈夫だ、我が弟と共にきっと解決へと導いてくれる筈だ」

 ラニエットはアトリをこれ以上不安にさせてはならないと、根拠のない気休めの言葉を口にしたのだが、アトリとて気遣われていると理解していた。
 なるようにしかならないと吹っ切る事が出来れば良かったものの、アトリは先程自分で口にしたように、エマネランを傷付けないように振りほどき、皇都の外へ脱出する事が出来たのではないかと、後悔の念に駆られていた。エマネランは何も知らなかった以上、こうなった原因は自分自身にあるのだと。





 アトリ達はキャンプ・クラウドトップまで戻り、皇都行きの飛空艇に飛び乗った。
 ラニエットも見送りに来ていた。アトリとエマネランを二人きりにさせたらろくな事にならない、との判断ゆえである。

「ラニエット様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。私がお会いしたいと思ったばかりに、こんな事に……」
「私に迷惑は掛かっていないぞ。寧ろ、アトリが元気に暮らしていると分かっただけでなく、商人となりこうしてエオルゼアに戻って来てくれた事が嬉しくて堪らないくらいだ。色々と落ち着き、正式に皇都への立ち入りが許可されれば、その際は是非ゆっくりしていって欲しい」
「はい……! 本当にありがとうございます!」

 果たして正式に立ち入る事が可能になるのかはさておき、アトリはラニエットの気遣いに心から感謝し、精一杯の笑みを浮かべた。この美しい景色もしっかり堪能する余裕もなかっただけに、もし本当にまたここを訪れる事が出来れば、ラニエットの言葉通りゆっくり過ごしてみたいと素直に感じていた。

「なあアトリ、ラニエットって本当に最高だよな〜……はぁ、絶対にオレの嫁さんになって欲しいぜ」
「結婚まで考えていらっしゃるのですか?」
「勿論。オルシュファンだってオマエに対してそう思ってる筈だぜ」
「それはないと思いますが……」
「そう暗くなるなって! いや、この後裁判所に連行されるかも知れないから、恐いのは分かるがよ……ラニエットも言ってただろ、オルシュファンとフランセルが絶対なんとかしてくれるって!」

 正直、アトリとしては自身が裁判所に連行される事よりも、オルシュファンとフランセルに現在進行形で迷惑を掛けている事が申し訳なくて仕方がなかった。二人とも自分たちには何の得もない事を、善意で動いてくれていたというのに、お礼どころか恩を仇で返してしまっている。最早二人に合わせる顔がなく、結婚だ恋愛だと考えている状況ではなかった。





 飛空艇が皇都イシュガルドへ到着した頃には、既に夜の帳が下りていた。外へ出たアトリは、夜の凍てつく外気に身体を震わせた。キャンプ・ドラゴンヘッドに滞在していた際はそこまで気にならなかったのは、イシュガルドより南に位置している関係と考えるのが正確ではあるが、アトリはそうは思わなかった。
 キャンプ・ドラゴンヘッドは他国の冒険者が集い、異国の者である己も受け容れてくれる『あたたかさ』があった。だが、この皇都イシュガルドでは、そもそも己がここにいる事自体が間違っているのだ。アトリが冷たさを感じるのは、外気というよりもその土地の雰囲気――感覚的なものであった。

「さてと、じゃあ早速オルシュファンの元に向かうか」
「エマネラン様、オルシュファン様が今どこにいるか分かるのですか?」
「ラニエットが連絡するって言ってただろ。フォルタン家に連絡が行けば、きっとオルシュファンの耳にも入って今頃オマエを待ちわびているんじゃ……ほら、いたぜ!」

 イシュガルド・ランディングを出た先にいたのは、オルシュファンとフランセル、見知らぬ女性、それに――。

「ほらアトリ、オルシュファンに抱き付いて来いって!」
「ですから、私たちはそういう関係では……」

 アトリを肘で突いて茶化すエマネランであったが、二人の元に向かって歩いて来る男の存在に気付いていなかった。
 先にアトリが気付き、見知らぬ男性の姿を視界に捉えた。その身形から貴族である事は察するに容易く、また、距離が近付くにつれ父親と同年代と思わしき顔付きであると分かり、アトリはもしや、と身構えた。自分の直感が正しければ、この方は――。

「アトリ、どうした? って、親父! いいところに――」
「この大馬鹿者が! 何という事を仕出かしたのだ!」

 刹那、乾いた音が夜の皇都に響く。エマネランに『親父』と呼ばれた男が、彼の頬を思い切り叩いたのだ。

「異国の冒険者を許可なく皇都に連れ込むだけでなく、アバラシア雲海まで連れ回すとは……エマネラン、一体何を考えておるのだ!」
「痛ぇ……なんで殴られなきゃなんねえんだよ! オレはただ、アトリがラニエットに会いたいっていう願いを叶えてやっただけだ! 他国とも手を取り合うべきだって、親父もいつも言ってるだろ!」
「何事も順序というものがある! どうしてもこの娘を皇都に立ち入らせたいのであれば、正式な許可証が必要となろう。それを強引に連れ込むなど……!」

 エマネランに正論をぶつけるこの男こそ、エドモン・ド・フォルタン伯爵――フォルタン家の当主であった。
 アトリはどうしたら良いか分からず、オルシュファンとフランセルの方へ顔を向けると、二人は頷き合って彼女の元へと駆け寄った。その後ろで、見覚えのない女性も緩慢な足取りで歩を進める。
 オルシュファンはアトリの元へ駆けつけるや否や、ばつの悪そうな表情で目を伏せた。

「アトリ、本当に申し訳ない事をした。私が冷静に判断出来ていれば……」
「いえ、オルシュファン様は悪くありません! 私がエマネラン様を振り払っていれば、こんな大事にはならずに済んだと反省しています」

 アトリはオルシュファンの顔を見た瞬間、心の底から安堵した。ほんの数時間離れていただけだというのに、もう何ヶ月も会っていないかのような錯覚を覚えるほど、この時のアトリは精神的に疲弊していた。
 そんな二人の様子を、フランセルと、そしてアトリにとって見知らぬ女性は温かく見守っていた。その女性――エレイズが己の窮地を救う事になるとアトリが知るのは、もう少し先の話である。

2021/09/18

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