透明なしるべ

「勿論覚えているよ、オルシュファンがよく君の話をしていたからね」

 アートボルグ砦群にて。アトリとオルシュファンを暖かく出迎え、室内へと迎え入れてくれたフランセルに、己の事を覚えているかと何気なく訊ねたアトリは早速驚愕する事となった。

「フランセル、さすがに大袈裟ではないか?」
「いや、君が思っているよりずっと話題にしていたと思うよ。アトリが元気にしているかどうか、それにアウラの生態やクガネについて一緒に文献を探したり……」

 上機嫌で話すフランセルと相反するように、オルシュファンはどこか気恥ずかしい様子をアトリから目を逸らした。尤も、当のアトリにしてみれば喜ばしい事この上ないのだが。

「オルシュファン様……! そんなに私の事――いえ、私の種族や国に興味を持って頂けるなんて、光栄です」
「うむ……まあ、そういう事だ。ただ、決して物珍しさで興味を抱いているわけではないぞ? アトリ、お前が素質のあるイイ冒険者であったからこそだ」

 アトリの純粋な言葉に、オルシュファンも気恥ずかしさは消えたのか、改めて目を合わせてそう答えた。恋愛感情など一切ないと分かってはいつつも、アトリは自分の存在を認めて貰えた事が嬉しくて仕方がなかった。

「ふふっ、そういう事にしておこうか」

 微笑を零しながらぽつりと呟いたフランセルの声は、二人には届いていなかった。





 オルシュファンの用事が終わるまでの間、アトリは一度外に出て、改めて広大な雪の大地を見回した。
 第七霊災から二年の時が経っても、エオルゼアの復興はまだ先のようにアトリは感じていた。この寒冷な土地が、尚更そう思わせるのかも知れないが。
 一面の真っ白な雪原。まるで砂糖菓子のように木にかかる粉雪。歴史を感じさせる石造りの建造物。どれも美しい景色ではあるが、この寒さは人が生きて行くには厳しい環境だ。

 勿論、復興が全く進んでいないわけではない。例えば、転送魔法を利用する事で長距離移動が可能なエーテライト網は、霊災で破壊されたものの、少しずつ再建に向かって進んでいる。
 いずれこのクルザスの地もエーテライトが復旧すれば、エオルゼア内だけでなくクガネとの行き来も快適になる。オルシュファン達がエオルゼアの外の世界に行く事は出来なくても、アトリは比較的自由に動き回れる身である。
 二年前はオルシュファンと二度と会えないかも知れない、と思っていた事を考えれば、こうして再会出来た今、『出来ない』と決めつけるのは良くない。例え時間はかかるとしても、エオルゼアの復興は不可能ではない。アトリはそう前向きに考え直した。

 尤も、イシュガルドという国が閉鎖的であるが故に、他の三国よりも復興が遅れているのは事実ではあるのだが。





 アインハルト家の騎兵に呼ばれたアトリは、フランセルの待つ室内へと戻った。どうやらオルシュファンの用事も終わったようで、暖かな部屋で談笑している二人の姿がアトリの目に入る。
 例え過酷な環境でも、人は培った技術で生きる事が出来る。そんな当たり前の事を改めて実感し、アトリはこの国の事を、この地に住まう人々の事をもっと知りたいと思った。

「お帰りなさい、アトリ。ここに居ても良かったのに、気を遣わせてしまって申し訳ない」
「いえ、二年ぶりにここを訪れましたし、辺りをゆっくり見たいと思っていたので……前は訳が分からないまま必死で冒険者稼業をしていましたし、心に余裕がなかったものですから」
「じゃあ、今は冒険者稼業もすっかり慣れて、余裕も出来たのかい?」

 フランセルの問いに、アトリは素直に頷いて良いものか悩んでしまった。イシュガルドでは謙虚を美徳とするのか、または己に自信を持ち、自己主張するべきなのか。返答に悩んでいると、代わりにオルシュファンが助け舟を出した。

「アトリは謙虚ゆえに頷けないだろうが……私が見る限り、想像していた以上にイイ冒険者に育っている。手合わせした部下もアトリを褒めていたが、あれは決して世辞ではない。私が保証しよう」
「そ、そうでしょうか……」
「クガネに帰った後も鍛錬を積んでいたのだろう? 東アルデナード商会も、決して同情だけでお前を引き抜き、育てる事はしない筈だ」

 オルシュファンがそう言った瞬間、フランセルが意外そうに目を見開いた。

「商会? アトリ、エオルゼアで商人の仕事もしているのかい?」
「はい。クガネにも支部があり、そこでスカウトされたんです。今回は仕事の一環でエオルゼアに来まして、暫く滞在する予定です」
「東アルデナード商会か……」

 フランセルは顎に手を当てて暫し考え込んでいた。その意図が分からず、アトリはオルシュファンへ顔を向けた。

「ああ、用事のついでと言っては何だが、お前がラニエット殿に会えないか相談していたのだ。……考えてみれば、イシュガルドの商人と繋がりを持つ事が出来れば、堂々と皇都を訪れる事が出来るのではないか?」

 フランセルが何を考えているのか、オルシュファンは見当が付いたらしい。だが、フランセルは悩ましい表情で首を横に振った。

「そう上手くはいくとは思わない方がいいと思う。東アルデナード商会は、確かウルダハを拠点としていたね」
「……門戸を閉ざしている以上、他国の商会の息がかかった者は受け入れ難い、か」
「アトリがどこの商会にも属していなければ、まだ可能性はあったかも知れないけれど……ただ、それもひんがしの国から来た事を隠し通せれば、の話だ。どちらにしても難しいと思うよ」

 結局振り出しに戻ってしまった。とはいえ、アトリは二人がここまで己の事を考えてくれていたとは思っておらず、その気持ちだけで十分だと胸が熱くなった。ラニエットも雲海からこちらに来る事もあるだろうし、気長に待てば再会は出来る。何も今急いで動く必要はない。そう思っていたのだが。

「だが、可能性がゼロでなければ、行動する価値はあるのではないか?」

 突如飛び出たオルシュファンの言葉に、アトリだけでなくフランセルも耳を疑った。

「オルシュファン、一体何を考えているんだ? まさか、身分を偽らせてアトリを皇都に入れようと……!?」
「待て、そうは言っていないだろう。さすがに虚偽を行えば罪になる。それこそ神聖裁判所に連行され兼ねん」
「そ、それは御遠慮願いたいです……」

 折角商人かつ冒険者として堂々とエオルゼアを訪れる事が叶ったというのに、処刑されるなど堪ったものではない。アトリは真っ青になって弱々しく首を振り、フランセルも訝し気な表情を浮かべている。だが、オルシュファンには真っ当な考えがあった。

「『宝杖通り』のエレイズ殿にアトリを紹介出来ないだろうか。皇都の外であれば罪には問われんだろう」

 アトリには未だ理解出来ない内容であったが、フランセルは成程、と相槌を打った。だがその提案に同意するわけではないようだ。

「対面するだけなら出来るけれど……彼女にアトリを紹介したところで、皇都の中に入れるようになるとは思えないな」
「何も今すぐにアトリをローズハウスに行かせるという訳ではない。あくまで切っ掛けを作るのだ。時間を掛けて交流すれば、いずれアトリが正式に皇都で商売をする許可を得られるかも知れん」
「……国が変わらない限り、やっぱり難しいとは思うけど……アトリはどう思うかい?」

 二人の遣り取りで、アトリは大まかに内容を理解した。どうやら皇都ではエレイズという女性が商売を取り仕切っているようだ。彼女の信頼を得る事が出来れば、商人として皇都に足を踏み入れる事が叶うかも知れない、とオルシュファンは言いたいのだろう。だが、フランセルの言うように、国自体が鎖国状態である以上、不可能に近い。
 ただ、可能性はゼロではない。エレイズと顔見知りになる事で、何か切っ掛けがあった際に上手く事が運ぶかも知れない。オルシュファンはそう言いたいのだ。

「いつになるかはさておき、皇都が特例で他国の者を受け容れる体制になった時、堂々と訪れる事が出来るように繋がりを持っておく……という事であれば、確かに行動する価値はあるかも知れません」

 アトリはフランセルの問いにそう答えたが、はっきり言って明確な回答とは言えないものであった。決定権はアトリにあるものの、二人それぞれの言い分に納得出来るだけに、決めようがないのが事実であった。フランセルの『国が変わらない限り』というのは、正直何年先になるか分からない。最悪十数年、何十年後という事も有り得るのだ。

「私も相当無理な事を言っているのは自覚しているが……どちらにせよ、エレイズ殿と繋がりを持っておいて、損をする事はないだろう。お前が潔白なのは、何より二年前に神殿騎士側が把握しているからな」
「……そうですね。ただ、皆様に迷惑が掛からなければ良いのですが……お二人にも、そしてエレイズ様という方にも」

 確かに、ルキアが己の事を覚えてくれているのであれば、何か良からぬ事があっても身の潔白を証明してくれるかも知れない、とアトリも一度はそう考えた。だが、絶対に大丈夫だとは言い切れないのもまた事実である。



 一先ずこの話はここで一旦終わりとなり、アトリはフランセルに以前介抱してくれた事について改めて礼を述べた。

「その節は、本当に有り難うございました。それに、フランセル様がオルシュファン様の事を信頼出来る方だと仰ってくださったお陰で、こうした縁も生まれましたし……ただ、私が甘えすぎてオルシュファン様にはご迷惑をお掛けしてしまっていますが――」
「甘える? お前が? ……寧ろ、もっと甘えても良いのだぞ?」

 アトリとフランセルに割って入るようにオルシュファンが真面目な表情でそんな事を言ってのけて、アトリは一気に頬を紅潮させた。甘えるというより『頼っていい』というニュアンスで言っているのだと分かってはいつつも、アトリは言葉に表す事が出来ない妙な感情に襲われていた。

「アトリ、僕もオルシュファンと同じ気持ちでいるよ。今後も、遠慮せずここに訪ねて欲しい。冷たい態度を取る人も中にはいるけれど、その時は僕の名前を出して貰って構わないから」
「ありがとうございます……! そうですね、ラニエット様が息抜きにここに来る事もあるかも知れませんし」
「うん。それに僕もアトリと二人で話したい事もあるし」

 さらりと告げたフランセルの言葉に、アトリより先にオルシュファンが反応した。

「フランセル、今のはどういう意味だ?」
「いや、もしかしたらオルシュファンには言えないけれど、僕には言える事もあるかも知れないと思って」
「…………そんな事があるのか? アトリ」

 突然オルシュファンに覗き込まれて、アトリは更に顔を赤くした。思わずフランセルへ目を向けると、当の本人はまるで見守るように暖かな笑みを浮かべている。
 もしかして、己がオルシュファンに抱いている感情を見抜いているのか。そう考えれば『オルシュファンには言えない事』という言葉にも納得がいく。アトリは気恥ずかしさでその場に倒れ込みそうになったが、必死に平常心を取り繕おうとした。
 気付いていないふりをすればいい。私はフランセルがどういう意図でそんな事を言ったのか分からない。そういう事にしておこう。時には自分の心を欺く行為も必要なのだ。アトリは心の中でそう言い聞かせた。

「アトリ?」
「はっ、あの……よく分かりません……」
「うむ、だろうな。……フランセル、アトリを揶揄うなどらしくないぞ」

 アトリの答えを素直に受け取り、オルシュファンはフランセルに向かって大真面目にそう告げた。対するフランセルは苦笑を浮かべ、ごめん、と軽く謝罪の意を告げれば、その後思いも寄らない事を口にした。

「取り敢えずエレイズ氏の件は僕の方で預かっておく。対面が叶いそうであればすぐに連絡するよ」
「本当か? それは助かる。いや、本来は言い出した私が赴くべきなのだが……」
「構わないよ。アトリを揶揄ったお詫びという事で」

 フランセルの気が何故変わったのか不思議ではあるものの、アトリは一先ずその厚意を受け取る事にした。その違和感に早い段階で気付いていれば、後々受ける傷は浅く済んだかも知れない事を、この時のアトリはまだ知る由もないのだった。

2021/08/21

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