在りし日の思慮

 オルシュファンに勧められるがまま、キャンプ・ドラゴンヘッドに滞在する事になったアトリは、二年前に世話になった人々への礼を直接伝えたいと考えていた。ただ、当時ここを拠点としていた冒険者は今はほぼ残っておらず、現在もこのクルザスの地にいるであろう者は、この国の住人であるフランセル、ラニエット、ルキアの三人に絞られた。尤も、相手がアトリの事を覚えているとは限らないのだが。



「さすが隊長の御眼鏡に適うだけの事はある……駆け出しの冒険者と聞いていたが、ここまで善戦するとは」
「『駆け出し』だったのは二年も前の話ですから、その間に私も鍛錬を積んだのです」

 ひとまず、アトリはオルシュファンの部下の騎兵たちと一線を交える事にした。昨日はつい癖でアルデナード商会と名乗ってしまったものの、アトリは商人としてここに来たのではなく、過去オルシュファンに助けられた冒険者として来訪したのだ。それを理解して貰うには、実力行使が一番てっとり早いと思ったのだ。

 幸い、騎兵たちはアトリの実力をすぐに見抜いた。上司の客人への接待という認識で剣を取ったものの、油断しようものならすぐにこの娘に返り討ちにされてしまうだろう――誇張ではなく素直にそう感じた騎兵は、アトリに怪我を負わせない程度に力を出そうと決めた。瞬間――。

「アトリ! 早くも我が部下たちと手合わせを始めていたとは……!」

 オルシュファンが駆け付け、騎兵は動きを止めて刃を下ろした。勝手な事をするな、と怒っているわけではなく、逆にどこか嬉しそうな様子に、アトリは失礼を働いたわけではないと安堵した。ただ、手合わせは一時中断となった。

「どうした? 私の事は気にせず続けてくれ! 私は見てみたいのだ、二年の時を経て力強く成長したアトリを……!」
「では、隊長がアトリ殿と手合わせしたら良いのではないでしょうか」

 部下の冷静な返しに、オルシュファンは一瞬押し黙った。
 今、部下と手合わせをしているのはアトリ自身の意思でそうしたのだと分かる。ただ、ここで自分が代わりに手合わせを願えば、無理にアトリを付き合わせる事になるのではないかと思ったのだ。
 だが、その心配は杞憂に終わった。

「オルシュファン様、私は構いません。ご満足いただける強さではないと思いますが、それでも良ければ、是非――」
「本当か!? この日をどんなに待ちわびた事か……!」

 気付けば騎兵たちは別室へ移動しており、いつの間にか二人きりとなっていた。オルシュファンを気遣っての行動であった。そんな部下たちの気遣いなど知る由もなく、オルシュファンはアトリへと歩み寄る。

「では、今すぐにでも、と言いたいところだが……アトリ、お前には他に為すべき事があるのだろう?」
「他に……」
「義理堅いお前の事だ。初めの頃に面倒を見ていたフランセルにも会いたいのではないか?」

 確かに、とアトリは頷いた。オルシュファンとの手合わせも、フランセル達に会いに行くのも、どちらもいつでも出来る事ではあるが、世話になった人たちへの礼は早いに越した事はない。

「はい! もしフランセル様とラニエット様の都合が良ければ、是非……」
「……ラニエット殿もか。あいにく彼女は今、ローズハウスを拠点としていてな」
「ローズハウス?」

『薔薇の家』とは素敵な名称だ、などとアトリは呑気に思っていたものの、正反対にオルシュファンは困ったように眉間に皺を寄せた。

「ローズハウスはここより遥か東『アバラシア雲海』にある、アインハルト家が管轄する防衛基地だ」
「防衛基地……私のような余所者が気軽に行ける場所ではないという事ですね」
「いや、防衛と言っても今はドラゴン族も大人しく、その点は問題ないのだが……」

 オルシュファンは珍しく歯切れが悪そうに言葉を詰まらせた。ラニエット側が特に問題ないのであれば、外因的な理由で行くのは好ましくないという事なのだろうか、とアトリは考えた。それに、雲海という事は相当高い位置にあるのだろう。ひんがしの国にも大天山という最高峰の山があり、そのような場所なのだろうとアトリは『陸路』で行けるものだと思い込んでいた。
 だが、オルシュファンは意を決するようにアトリを改めて見遣り、言葉を続けた。

「アバラシア雲海に行くには、皇都イシュガルドから飛空艇を使わなければならない。あいにく、皇都以外にランディングは設けていなくてな」

 その説明だけで、アトリは全てを理解した。皇都イシュガルドは門戸を閉ざしており、己のような異邦人はそもそも立ち入る事すら出来ない。オルシュファンが言い難そうにしていたのも無理もない話である。

「陸路では行けず空路一択だなんて、ラニエット様は随分と遠い場所にいらっしゃるのですね」
「遠い……まあ、それはそうなのだが。なにせアバラシア雲海は浮島だからな。端から空路以外の手段がないのだ」
「浮島……!? まさか、大陸が空に浮いているのですか!?」

 アトリは落ち込むどころか目を見開いて、驚きを隠せない様子でオルシュファンへと詰め寄った。クガネで暮らしていた時に様々な書物と触れ合い、西方に浮島が存在する事は知っていたものの、地理や地名までは把握していなかった。エオルゼア同盟の三国でも、浮島があると聞いた事はなかった。正直アトリは、クルザスの地に来てから初めて、心の底から胸が躍ったと言っても過言ではなかった。

「その驚き様……東方には浮島は存在しないという事か。折角お前がこの国に関心を抱いてくれたというのに、連れて行く事が出来ず申し訳ない限りだが……」
「いえ、いつかイシュガルドの門戸が開かれる時を楽しみにしております」
「この国が、お前の期待に応えられるよう変わっていくと良いのだが。我がフォルタン家だけではなく、他の貴族ももう少し寛容になって貰えると良いのだがな」

 オルシュファンは深いため息を吐けば、軽く咳払いをしてアトリへ笑みを向けた。

「さて、そんな話はさておき。少なくともフランセルには確実に会えるぞ。私もちょうどアートボルグ砦群へ行く用事があってな、共に向かおうではないか」
「はい、喜んで!」

 まさかオルシュファンも同行するとは思わず、アトリも心からの笑顔を浮かべた。気を遣われて無理に時間を割いて付き合わせるとなるとさすがに申し訳なさを覚えるものの、彼も用事があるなら何も問題はない。手合わせはまたの機会として、アトリはオルシュファンと共にフランセルの元へ向かう事にした。





「アトリ、寒くはないか?」
「大丈夫です、以前ラニエット様から頂いた服を着ていますので」
「グリダニアあたりで調達した服ではなかったのか。さすが、ラニエット殿は気配りが上手いな」

 アートボルグ砦群までの道中、アトリは初めてクルザスに来た時の事を思い返していた。初対面の得体の知れない異邦人を介抱し、服まで提供するなど、どうしてそこまで優しくしてくれたのだろう。ふとそんな疑問が沸いたが、きっと己を助けたのがオルシュファンだからこそ、己を信用してくれたのだろうと気付いた。勿論フランセルとラニエットが心根の優しい姉弟である事は理解しているが、恐らくオルシュファンと信頼関係にあるからこそ、一時的に匿ってくれていたのだ。『匿う』と言うと些か物騒ではあるが、その後スパイ容疑を掛けられた事を思えば、そう称するのは間違ってはいない。
 ふと、スパイ容疑で処刑されそうになった事を思い出し、アトリは改めてオルシュファンたちに救われて良かったと心から安堵した。

「どうした、アトリ。急に顔色が悪くなったように見えるが」
「いえ、二年前の事を色々と思い出して……もしかしたら処刑されていたかも知れないと思うと、一瞬恐くなってしまっただけです。ただ、我ながら悪運が強いというか……まさかあの時、ドラゴンヘッドの皆様が応援してくださるとは思わなかったです」

 あの騒ぎが起こったのは、アトリがオルシュファンの元に行って早々であり、皆異国の冒険者の事など何も知らない筈であった。
 当時のアトリは無我夢中で、どうにかしてルキアが考え直してくれるようただただ必死で、周囲のやり取りに気を回す余裕もなかった。ゆえに、オルシュファンとルキアの間で交わされた会話も当然知らないのだから無理もない。

「悪運ではなく幸運と呼ぶべきだぞ。それに、運が味方したのは事実ではあるが、冒険者たちがお前に味方したのには理由がある」
「やっぱり、何かあったんですね。私の知らないところで……」
「どうやら室内での私とアトリ、そしてルキア殿とのやり取りを、部下が立ち聞きしていたらしくてな。その話が我が騎兵から冒険者たちへと瞬く間に広まり……結果、証拠がないにも関わらず処刑されようとしているお前を支持したというわけだ」

 アトリは漸く腑に落ちた。運が良かったのは勿論その通りではあるものの、オルシュファンが部下の騎兵だけでなく、冒険者たちからも信頼を得ていたからこそ、皆が己を支持してくれたのだろう。神殿騎士に逆らうのは並大抵の事ではないらしく、ルキアが人格者でなければアトリだけでなく、キャンプ・ドラゴンヘッドの責任者であるオルシュファンも罪に問われていたに違いない。あの場にいた全員が善良であり、ルキアが無実の者を処刑する事を不本意だと内心思っていたからこそ、アトリは救われたようなものである。

「……ルキア様はあの後大丈夫だったのでしょうか。任務を放棄したとも捉えかねないと思うのですが」
「安心するとイイ、特にルキア殿の立場が悪くなったという話は一切聞いていないぞ。尤も、彼女は神殿騎士団の総長、アイメリク卿の副官だ。周囲も下手な事は言えないだろうな」
「そんな立場の方が、一体誰の命令で私を処刑しようとしたのでしょうか……」

 アトリも二年前、嫌疑が晴れた後一時的に冒険者として滞在していた際に、他の冒険者からこの地における基本的な事は教わっていた。
 神殿騎士団とは、皇都イシュガルドの云わば国軍である。ならば、ルキアに命令したのは総長、あるいはその上の――イシュガルド教皇庁という事になる。やはり、ルキアは己を神聖裁判所へ連行しなかった事で色々とあったのではないか、とアトリは考えていた。

「お前をスパイだと決め付け、処刑を命令したのは……恐らく『蒼天騎士団』の者だろう」
「蒼天騎士団? 神聖騎士団のほかにも組織があるのですね」

 オルシュファンは念の為、周囲に人がいないか入念に見回した後、アトリの耳元に顔を近づけた。

「蒼天騎士団は、教皇庁ではなくイシュガルド教皇直属の騎士団だ。教皇がお前個人を認識しているとは到底思えん。だとしたら、恐らく疑わしき余所者は神聖裁判所に連行、などといった大雑把な指示でもあったのだろう」
「神聖騎士団の更に上に、そんな強制力を持った組織があったなんて……」
「これはあまり大きな声では言えないのだが……神聖騎士団と蒼天騎士団は何かと対立していてな」
「で、では……やはりルキア様は、私を庇った事で何かと苦労されたのでは……」

 例え今は問題ないとしても、形見の手帳が手元に戻るまでの間にひと悶着あったのではないかとアトリは思わざるを得なかった。無実の罪で被害を被ったのはこちらではあるものの、ルキアも不本意な命令に従わざるを得ない状況であったと考えれば、再会が叶うなら謝りたいほどであった。

「気にしすぎだ。お前の父君の形見の品という何よりの証拠があったではないか。取引履歴が書かれていなければ、些か分が悪かったかも知れないが……云わば御父上がお前を護ってくれたのだろうな」

 アトリはオルシュファンの言葉を素直に受け取り、静かに頷いた。過去に彼の出自に触れかけて気まずい雰囲気になった事を、この時はまだ思い出しておらず、のちに後悔する事となるのだが。

「逆に証拠がなければ、さすがにルキア殿もお前を連行せざるを得なかったとは思うが。一戦交えたのは、我々にとっての時間稼ぎでしかなかったからな」
「そう考えると、あの時フランセル様が駆け付けてくださらなかったら……」
「そういう事だ」

 本当に、多くの人に助けられて今の自分は生きている。アトリは改めて、この命を無下にせず、逞しく生きて行こうと決意を新たにしたのだった。
 クルザスの地は二年前と変わらぬ一面の雪景色で、肌を刺すような冷たい外気も、当時味わった感覚と同じであった。ただ、アトリがこの凍てつくような寒さを辛いと思わないのは、ラニエットから貰った服の効果だけではない。想い焦がれた相手が傍にいる、それだけでアトリの心は満たされていた。

2021/07/22

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