価値を決めるのは何か

 アトリはクガネに帰った後、もう父への弔い以外の理由でエオルゼアへ渡る事はないと覚悟していた。航路が再開されるまでの間は、とにかく生き延びて帰る事を最優先で行動しており、その先の事は何も考えておらず――と言うよりも、父を喪った事で先々の事を決めるほどの心の余裕がなかったのだ。自身の行いが親族から罵られるなど夢にも思わないまま、アトリはひとりで長い船旅を経て、クガネへと舞い戻ったのだった。

 アトリの親戚は初めのうちは父の突然の死を悼み、残された彼女に同情していた。だが、父の亡骸を埋葬する為に、アトリが自身の判断でアルダネス聖櫃堂へ多額の資金を献金した事を知るや否や態度が一変し、異国に父の遺産を横流ししたとこぞって非難するようになった。また、不慮の事故とはいえ、遺骨はおろか形見の品が手帳しかない事で、死を受け容れられず、アトリが嘘を吐いているのではないかと疑う者すらいた。その『嘘』とは、本当は聖櫃堂へ献金などしておらず、一人で父の遺産を横取りしたのではないか、という意味である。

 アトリはこの時、生まれて初めて人に対して深い失望という感情を抱いた。



 こんな事になると初めから分かっていれば、いっそクガネには戻らずエオルゼアで冒険者として一人で生きていた方がまだ良かったかも知れない。エオルゼアにいれば、いつでも父に祈りを捧げに行く事が可能であり、親戚の醜い感情を知る事もなかった。などと半ば自暴自棄になって、ひとりクガネの夜の街を歩いていたアトリに、突然声を掛けた男がいた。

「お嬢さん、こんな夜更けに一人で歩いていたら危険デスよ!」

 寧ろいきなりこんな声の掛け方をしてくる方が余程危険だと、アトリは心の中で呟いた。そもそもこのクガネで生まれ育ったアトリにとって、夜に出歩いてはいけない危険な場所と安全な場所ぐらいの判断は付いている。そして、万が一危険が迫った時に対処出来るよう、護身術も身に付けていた。ゆえにアトリはエオルゼアで一人取り残されても冒険者として生きるという選択肢を取る事が出来、自然と順応出来ていたのだった。
 尤も、不測の事態に動けず父を救えなかった時点で、元々エオルゼアで生きて来た冒険者に比べれば非力であった。それでも、少しの間でもエオルゼアで冒険者稼業をしていた経験は無駄ではなく、例えば今この瞬間も、自分の身を守る事ぐらいなら容易いと思える程、アトリも逞しく成長していた。

「大丈夫です、お構いなく」
「そうは見えませんがネ……」

 男は引き下がらず、アトリの前に回り込んで来た。さすがにおかしいと察し、あまり事を荒立てたくはないと思いつつも、アトリは覚悟を決めた。

「私に何の用ですか? 事と次第によっては赤誠組に身柄を引き渡しますが」
「オォ〜、見かけによらず物騒な子デスネ。と言っても、あなたを傷付けるつもりはないので、赤誠組にしょっ引かれる事もありませんが……」
「では、本当にご用件は何なんでしょうか」

 普段は温厚なアトリであったが、この時ばかりは苛立ちを隠せずにいた。親族に辛く当たられているのもあって、心の余裕がまるでなかったのだ。だが、相手の男は相変わらず軽い調子でアトリの顔を覗き込んだ。

「立ち話も何ですから、アトリさんさえ良ければ、潮風亭あたりでゆっくり話しましょうか」
「あの、あなたは一体……」

 アトリは己の名を紡がれた瞬間、初対面なのに名前を知っているなんておかしい、というよりも、「もしかしてこの方は父の知人なのでは」という考えが脳裏を過った。

「申し遅れました、私はハンコックと申します。東アルデナード商会、クガネ支店の番頭デス。どうぞお見知りおきを」





 アトリは父親以外の人間と潮風亭を訪れた事はなく、さすがに少しばかり緊張していた。
 ここ『潮風亭』は酒場ではあるものの、普通に食事だけを味わう事も出来る。幼い頃は父の船旅を出迎えた後によくここで食事をしていたと思い出し、アトリは寂しさを覚えた。
 さすがにハンコックという男も、初対面のアトリに酒を勧める事はせず、また、彼自身も食事のみに留めていた。完全に信用は出来なくても、少なくとも良からぬ事を企んでいるわけではない、とアトリは漸く安堵した。

「まずは、御父上の事デスが……この度はご愁傷様デス。ただ、アトリさん……あなたが生き延びた事は不幸中の幸いデス」
「そうでしょうか。親族からはとてもそうは思われていませんが」

 半ば自暴自棄になっていたアトリは、明らかに落ち着いた受け答えが出来ずにいた。今更誰かに対して取り繕う気にもなれず、逆に父を介して己を知っている相手になら、少しくらい本音をぶつけたって良いだろうと開き直る始末であった。

「何やら大変なご様子デスが……もし私で良ければ話を聞きましょうか」
「その前に、ハンコック様。あなたは父とはどのような関係だったのでしょうか? それが分からない限り、私としてもどこまで打ち明ければ良いか……」

 真っ暗な外よりは遥かに明るい店内で、アトリは改めてハンコックをまじまじと見遣った。彼のイントネーションから、ひんがしの国ではなく異国から来た者であり、この地に根付いて商売をしているという事は理解出来た。サングラスを掛けていてその素顔を把握する事は出来ず、怪しいまではいかないものの、失礼ながら胡散臭さを感じてしまうのもまた事実であった。

「おっと、まずはそこからデスネ。私が番頭を勤めている東アルデナード商会は、ウルダハの大富豪『百億ギルの男』ことロロリト様が会長を務めています」
「ウルダハ……という事は……」
「恐らくアトリさんの推察通りだと思います。我がアルデナード商会はあなたの御父上とも取引をしていました。私どもとしても実に残念でなりません」

 相手の素性が分かり、アトリは漸く腑に落ちたものの、新たな疑問が生まれていた。いくら取引先の人間の一人娘とはいえ、用もないのに接触する理由などない。

「お気遣い痛み入ります。それで……本題は何なのでしょうか」
「アトリさん。あなたに是非、我がアルデナード商会で働いて頂きたいのデス」
「……は?」

 アトリは耳を疑った。いくら取引先とはいえ、商人としての経験がない小娘を雇う意図が分からないからだ。そこまで懇意にしているなら、アトリもそのロロリトという男の存在は父から聞かされている筈だが、初めて聞く名前であった。ウルダハの人間、あるいは商人であれば、ロロリトの存在を知らない者はいないとしても、父に同伴するまでこのクガネから出た事のなかったアトリが知らないのは無理もない話である。

「あ、あのう……私、商人としての経験などまるでないのですが……」
「これから我が商会で、経験を積んでいくのデス。知識も御父上からの教育だけでは不安という事であれば、いくらでもサポートします」
「……どうしてそこまでしてくださるんですか?」

 さすがに話が上手過ぎて不安になり、アトリは恐る恐る訊ねた。だが、ハンコックは一切動揺する素振りすら見せなかった。

「あなたが御父上を喪った後、暫くの間エオルゼアで冒険者稼業をしていたと、我々の耳にも届いているのデス。このような御時勢ゆえに、我々も用心棒を雇ったりはしているのデスが……商会の人間で戦える者を雇う方が、コストパフォーマンスもいいですからネ」

 つまり、決してアトリにとって『上手過ぎる話』ではなく、商会にとってもメリットがあるという事だ。正直、同情で面倒を見られるよりは、こうして損得勘定で話を切り出される方が信用出来るとアトリは感じていた。親族からの信用を完全に失った今、赤の他人から自分自身の能力を評価して貰える事が、アトリにとっては嬉しかったのだ。

「……分かりました。ハンコック様、是非私をアルデナード商会で働かせてください」
「良いんですか!? そんなにあっさり決めてしまっても」
「そのつもりで声を掛けたのではないですか? 私、親族から『アルダネス聖櫃堂に献金したなんて嘘で、遺産を隠し持っている』なんて疑われて……こんな事になるなら、いっそエオルゼアにずっと居れば良かったと思っていた位なんです」
「オォ〜……『金の切れ目が縁の切れ目』と言うんでしょうか、こういう時……」

 アトリには遺産相続という事自体がまるで頭になく、父のお金は父の為に使うべきだと思っていた。父の遺骨すらないのも、ウルダハは宗教上の理由で火葬ではなく土葬を行っているからであり、持ち帰りたくても不可能だったのだ。更に献金額によっては魔物のうろつく場所に葬られるというのだから、多額の資金を献金するのは致し方なかった、と自身に言い聞かせており、誰に非難されても「ではどうするのが正解だったのか」と訊ねたいくらいであった。

 ただ、こうして来慣れた場所で久々に故郷の料理をゆっくりと味わって、少しずつアトリの気持ちも落ち着きつつあった。己が今後どう生きていけば良いのか、まるで見通しの立たない未来が漸く動き始めた事で、僅かでも安心感を覚えたというのも大きな理由であった。
 それが例え自分自身で掴み取った道ではなく、誰かから与えられた道であっても、少なくとも現状を変える事が出来るだけでも、今のアトリにとっては有り難い事であった。

「ハンコック様、申し訳ありません。初対面なのに親族の内情なんて話してしまって……」
「いえいえ! 好都合――と言うと失礼デスガ、エオルゼアへの長期滞在も可能となれば、我々としても願ったり叶ったりデス。是非アトリさんには、商会の人間として仕事を学びながら、冒険者としても鍛錬を積んで頂ければと」

 かくして、話はあっという間に進み――懸念していた親族からの反対も、商会が大金を渡した事で阻止する事に成功し、アトリは無事アルデナード商会の庇護のもと、商人として、そして冒険者として生きていく事になったのだった。





 アトリがアルデナード商会で働くようになって、一年弱経ったある日。ハンコックは思い掛けない事を口にした。

「アトリさん、そろそろエオルゼアに行きたいとは思いませんか?」
「え? そうですね、機会があれば……」
「実はロロリト様の姪御さんが、ひんがしの国に興味を持っておられまして。そこでクガネで育ったアトリさんに白羽の矢が立ったんデス」

 アトリは未だロロリトと対面した事はなかったが、ハンコックは元々ウルダハの人間であり、会長には非常に世話になったと聞いていた。このクガネで番頭が出来ているのも、すべてはロロリトの教育の賜物なのだという。
 無知だったアトリも、商会で働くようになって一年も経てば、拠点はクガネであってもエオルゼアの様々な情報が耳に入り、ある程度の力関係を把握しつつあった。とはいえ、実際にその地に滞在して肌で感じなければ分からない事もあり、エオルゼアへの派遣は願ってもない事であった。
 ただ、会長の姪となると、粗相は許されない。それ以前にアトリはロロリトに会った事すらないのだから尚更だ。

「ハンコック様。是非にと言いたいところですが……ロロリト様の姪御さんにお会いする為だけに、私をエオルゼアへ?」
「勿論、メインは商人として働いて頂き、現地で商会の人間から色々教わって頂ければと。冒険者稼業もし易いデスし……ただ、くれぐれも帝国の人間と衝突はしないよう」
「その点は重々承知しております。折角ひんがしの国がガレマール帝国と不可侵条約を結んでいるのに、私一人の行いでそれが破棄されるなど、絶対にあってはならない事ですから」

 隣国のドマなど、帝国に支配されている国の事を思うと心苦しくはあるものの、ひんがしの国は平和を保てている以上、如何にして現状を維持出来るかに掛かっている。エオルゼアは自由だが、それゆえに己の行動すべてに責任が伴う。クガネで生きる以上に、自己判断での身勝手な行為は許されない。
 アトリは改めて肝に銘じて、再びエオルゼアへと経ったのだった。

 エオルゼアにおける国家間の関係がある程度分かった事で、何故イシュガルドが鎖国体制を取るのか、アトリもより一層理解が深まっていた。平和を維持する以前に、イシュガルドはドラゴン族との戦いを千年もの間続けている。三国と協力して帝国に反旗を翻す余裕など一切ないのだ。
 もっと知らなければならない。世界の事を。
 かつて己を助けてくれた想い人にいつか恩を返す為にも、様々な事を知り、成長しなくては。そう決意したアトリの心に不安など微塵もなかった。


◇◇◇


「――という訳で、商会としても私がエオルゼアに長期滞在している方が、色々と都合が良いみたいで。折角エオルゼアに来たのだからと、仕事が一段落したタイミングでやっとクルザスに来る事が出来ました」

 そして時は流れ、キャンプ・ドラゴンヘッドの一室にて。親族とのいざこざは伏せつつ、商会に拾われた経緯をオルシュファンへ説明し、アトリは一息吐いた。

「会長の姪御さん……リリジュ様が私の国に興味を持ってくださらなければ、こうしてエオルゼアに来る事もなかったかも知れません」
「ふむ、お前との再会が叶ったのも、そのリリジュ殿のお陰といったところだな」

 ロロリトの姪、リリジュはアトリをいたく気に入り、互いに時間が合えばよく話す関係となっていた。リリジュがいなければ、アトリのエオルゼアへの派遣は何年も先か、あるいは帝国との情勢によっては話が流れていた可能性も有り得る。アトリはオルシュファンの言葉に深く頷いた。

「リリジュ様と同じように、私ももっとエオルゼアの事を知りたいと思っています。勿論、このクルザス――そして、イシュガルドの事も」
「ならば、私も時間が許す限り付き合おう! この二年間、お前との再会をずっと願っていたのだからな。出来る事なら何でもさせてくれ」
「あ、ありがとうございます……!」

 さらりと凄い事を言われたような気がしつつも、アトリは礼を述べる事しか出来なかった。『再会をずっと願っていた』など、それが本当であればどんなに喜ばしい事か。アトリは二年ぶりに再会した想い人の暖かさに、改めて慕情を抱いたのだった。

2021/07/10

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