花咲く頃に舞い戻る

 第七霊災から二年。エオルゼアは徐々に以前の生活を取り戻しつつあるものの、未だ復興からは程遠い状況であった。どの国も違わず、それはカルテノーの戦いに参加しなかったイシュガルド――クルザスの地に住まう者も同様であり、ドラゴン族との戦いで民は疲弊していた。

 ただ、この現状を打破すべく、外部の冒険者を積極的に迎え入れようと考える者も中には居り、その代表格が四代名家のひとつ『フォルタン家』であった。
 奇しくも、フォルタン家の騎士がある日雪道に倒れる冒険者を救助し、その者がエオルゼアの外から来たと分かるや否や、瞬く間に知れ渡り、更には余所者を快く思わない者によってスパイにでっち上げられ、危うく処刑される寸前まで陥った。
 だが、その冒険者は見事に立ち向かい、遣いの女神殿騎士の心を軟化させる事に成功し、最終的にスパイ容疑は晴れ、このクルザスを去ったのだった。

 あれから二年の時が経ち、もう異国の冒険者の事を思い出す者はいなかった。
 ただ一人を除いては。

「アトリは今、元気で暮らしているのだろうか……」
「隊長、また例の冒険者の事をお考えですか?」

 クルザスの地において、皇都イシュガルドよりも他国のグリダニアの領土に近い、云わば国境の玄関口と言っても過言ではない『キャンプ・ドラゴンヘッド』にて。
 この地を管轄しているフォルタン家の騎士、オルシュファンは、かつて助けた異国の冒険者の少女に想いを馳せていた。そもそも、果たして彼女を少女と称するのが妥当なのか。アトリを見送ってからというもの、年齢はおろかあまりにも彼女の事を知らなかったと改めて気付かされていた。

「何もおかしい事はあるまい。ルキア殿との手に汗握る一戦……今でも鮮明に思い出せる程イイ戦いであったではないか」
「隊長、お言葉ですが……二年も前の話を思い起こして物思いに耽るのは、普通ではないと思いますが」

 部下に窘められる程アトリの事を特別視しているわけではなく、ごく当たり前の感覚だとオルシュファンは捉えていた。だが、二年も経てば人々の記憶からは薄れ、最早顔も思い出せないのが当然であった。ほんの数日しか滞在しておらず、当時の冒険者たちも常にこの地にいるわけではない。エオルゼア内の他国へ移動する者も多く、当時の事を思い出すのはまさにオルシュファンただ一人だけと言っても過言ではなかった。

「普通ではない、か。そう指摘されると、何故私はここまでアトリの事を考えているのか、自分でも不思議に思えるな」
「それは……隊長があの冒険者に恋をしているのではないでしょうか」

 思い掛けない部下の言葉に、オルシュファンは耳を疑った。

「恋……? 私が?」
「いえ、冗談です! ただ、想い出が美化されている、というのはあるのではないでしょうか。何せ二年も経っていますし」

 オルシュファンは決して批判めいた口調で言ったわけではないのだが、部下は慌てて訂正すれば、形容し難い感情について仮定を述べた。共に過ごしたのは限られた時間であり、相手の良い部分だけ、表面的な事しか分からないまま別れを告げたからこそ、美化されている――という意見は一理あるものの、やはり今でも彼女の事を思い出すのはそれだけの理由ではないように思えていた。

「せめて、故郷で元気で暮らしている事が分かれば良いのだが……」

 故郷がクガネというだけではあまりにも情報が少なく、便りを出す事も出来なければ、責務を放ってひんがしの国まで出向いてアトリを探すわけにはいかず、このような私情で遣いを出す事も当然出来ない。オルシュファンが彼女の現在を知る為に行動を起こす事は出来ず、ただ待つ事しか出来なかった。

「まあ、その冒険者も隊長の事を忘れたりはしないでしょうし、案外忘れた頃に顔を出すかもしれませんよ」
「……そうだな、それを期待するしか――」

 オルシュファンが答えようとした瞬間、外側から扉を叩く音が響いた。その先に誰がいるのか、誰も考えようとはしなかった。不審者であればここに来るまでに部下が対処している筈であり、そもそもオルシュファン自身が何者かに危害を加えられるような立場ではない。四大名家の実子であれば、護衛を付けてもなお注意しなければならないが、単なる騎士でしかない己が事件に巻き込まれる事など有り得ない。オルシュファンはそう認識しており、特に警戒せずに扉の向こう側の人物へ声を掛けた。

「入れ。キャンプ・ドラゴンヘッドは来訪者を拒まない」

 そう告げると、ゆっくりと扉が開かれた。扉から覗く角に、オルシュファンは見覚えがあった。そして一人の冒険者が足を踏み入れ、深々と頭を下げる。暫しの間を置いたのち、顔を上げたその者は、まさに今話題にしていた異国の少女、アトリに違いなかった。

「東アルデナード商会の、アトリと申します。二年前、オルシュファン様に助けて頂き――」
「アトリ!!」

 アトリの言葉を遮って、オルシュファンはすぐさま彼女の元へ駆け寄って、その身体を思い切り抱き締めた。

「ひえっ」
「元気そうで何よりだ……! その凛々しい顔付き、アウラ族の美しい角と尻尾……二年前と変わっていないな」
「あ、あの……」

 オルシュファンは一先ず拘束を解けば、今度は腰を屈めてアトリの顔を至近距離で見遣った。

「いや、前よりも美しくなった。この二年間で、お前も随分と成長したのだな」

 アトリが頬を真っ赤に染めている事など気にも留めず、オルシュファンははっきりとそう言ってみせた。部下から見れば、そこまで言っておいて恋愛感情などないと思っているのなら、朴念仁にも程がある――顔を赤く染める冒険者へと憐みの目を向けたのだった。





 アトリが訪れたのは日中であり、夜はグリダニアへ向かう予定であったが、オルシュファンは有無を言わさず夕食へと招いた。アトリも二つ返事で承諾し、二年前に滞在した際の癖が残っているのか、食事の支度の手伝いまでして、そのまま夜を迎えてしまった。

「アトリ、今夜はここに泊まるのだろう? 長旅で疲れただろう、一晩だけと言わず何日でも――いや、そもそもお前はいつエオルゼアに?」

 二年ぶりという事もあり、オルシュファンが質問攻めにするのは無理もない話であった。聞き間違いでなければ、アトリは『東アルデナード商会』と名乗っており、だとしたら仕事でエオルゼアを訪れたのか。初めはそう思ったものの、この組織はウルダハの砂蠍衆の者が会長を務めている。そうなると、アトリは故郷を出てウルダハで居を構えているのか。などと、オルシュファンの疑問は尽きぬ一方であった。

「ええと、何から説明すれば良いか……」
「なに、時間はいくらでもある。お前の話したい順序で構わない。無論、言えない事を無理に聞くつもりはないが」
「いえ、真っ当なお仕事なので大丈夫ですよ」

 アトリは真っ先に、東アルデナード商会の名誉を傷付けてはならないとそう発言したが、そもそもオルシュファンはその点を疑ってはいないであろう事に気付き、何を口走っているのかと恥ずかしさを覚えてしまった。尤も、とてつもない大金の動く組織であり、黒い噂は山のようにある。とはいえ、アトリはまだ商人としても冒険者としても技量不足であり、人の道を踏み外すような仕事は任せられない、というのが実のところであった。
 ただ、アトリの発言をオルシュファンはおかしいとは思わなかった。

「どういう経緯かはさておき……イイ仕事に巡り会い、商人としての一歩を踏み出したのだな」
「はい。家業は元々父一人ではなく、親族で行っていたので……クガネに帰った当初は色々ありましたが……」

 この『色々あった』を詳しく説明すれば、折角の食事の場だというのに空気が悪くなってしまうだろう。そうアトリは判断し、軽く咳払いして次の話へ進む事とした。

「そんな時、東アルデナード商会の方が声を掛けてくださって……ええと、クガネにも支店があるんです」
「貿易港とはいえ、ウルダハも抜かりないな」
「ふふっ。帝国の大使館もありますし、イシュガルドが徹底して門を閉ざしている事を考えると、弛んでいるとは思いますが……でも、いわゆる不可侵条約を結ぶ事で平和が保たれているといったところです。今のところは」

 クガネには自警団がいるとはいえ、いつ海の向こうにあるドマのように帝国に支配され、奴隷のような扱いを受けるか分からない以上、平和が未来永劫続くとは言い難い。
 とはいえ、異国の商会がクガネに支店を作った事で、結果的にアトリはこうしてエオルゼアを再び訪れる事が叶ったのだから、悪い事ばかりではない。

「商会の方は、私がエオルゼアで冒険者稼業に足を踏み入れて、更にクルザスから生きて帰って来た事を聞きつけて、興味を持ってくださったんです。そして、親族で話し合った結果……東アルデナード商会のお世話になる事に決めました」
「……引き抜き行為のように思えるが、よく反対されなかったな? いや、考えあっての事だとは思うが……」
「大金を詰まれて承諾したようです。私にそんな価値があるとは思えませんが……」

 というよりも、厄介払いで家業から追い出されたようにアトリは感じていたが、それをオルシュファンの前で言う事は躊躇われた。常に前向きな彼の前で己の不遇を嘆こうとは思えず、何よりも自分自身のプライドが許さなかった。『価値があるとは思えない』と口にした時点で矛盾しているのだが、大金に見合った成果を出さなければ商会を追い出されるのではないか、とも感じており、それを実行できる自信は今の時点では持てずにいた。

「商会側とて無能ではあるまい。アトリ、お前に価値を見出したからこそ引き抜いたのだとしか思えんがな」
「そうは言っても、商人としても冒険者としても経験の少ない私が、大金に見合う価値などあるのでしょうか」
「今のお前ではなく、その先を見据えているのだろう。例えば、お前はこうして私と接触する事が可能であり、云わばイシュガルドとの繋がりを持っているとも言える」
「あの! 私、そんなつもりでここに来たのではありません」

 決してオルシュファンは悪気があって言っているわけではないと理解はしていつつも、アトリは声を上げずにはいられなかった。
 確かに、いずれイシュガルドとも取引をする為に己を引き抜いたと考えれば納得できる。とはいえ、東アルデナード商会はエオルゼアに拠点を置いているのだから、アトリ以上にこの地の情勢を知っている。たかだか冒険者風情の自分が役に立つとは考え難かった。
 それに、アトリがオルシュファンに会いに来たのは仕事の為ではなく、個人的な理由であった。

「確かに仕事の一環で、再びエオルゼアの地を訪れる事が叶いました。ですが、クルザスまで足を運んだのは……私はただ、オルシュファン様にどうしても会いたくて来たのです」

 真っ直ぐな瞳ではっきりとそう言い切るアトリに、オルシュファンは少しばかり驚いたが、真面目過ぎると言っても過言ではない彼女の様子に笑みを零した。

「いや、決してお前が仕事でここに来たわけではないと分かっているぞ。商会の名を出したのは、身元を明らかにするに越した事はないと解釈しているが」
「あっ……私、誤解を与える事を言ってしまっていましたね」
「二年前のような事がもう二度と起こらないとは言い切れん、お前の判断は正しいぞ。それより、私の言いたい事だが……」

 オルシュファンは、商会がアトリを利用していると決め付けるのは尚早だと考えていた。大前提としてこのキャンプ・ドラゴンヘッドは他国の者を受け容れており、それは彼ひとりの意志ではなく、フォルタン家としての考えでもあった。

「私は……いや、我がフォルタン家は、門を閉ざすのではなく他国とも協力すべきだと考えている。四大名家の中には排他的な者もいる以上、すぐに現状を変えられるわけではないが……長い目で見れば、いつか門戸が開かれた際、東アルデナード商会の使者であるお前の力が必要になる時が来るだろう」

 果たしてそれが何年後になるかは定かではなくとも、このままドラゴン族との戦いで兵が命を落とし、貧困で民が疲弊する状況はいつか変えなければならない。いつかはこの国も変わる時が来る。オルシュファンはそう信じていた。

「これで納得出来ただろうか? 価値がないなんて言わせんぞ。お前は冒険者としてもイイものを持っているからな」
「あ、ありがとうございます。冒険者稼業も並行して続けているので、これからも邁進するつもりです」
「その意気だ。……というか、冒険者を辞めていないのであれば、時間のある時に是非手合わせを願いたいのだが」
「えっ!? わ、私がですか!?」
「ルキア殿と違い手加減なしにするかどうかは、お前の希望に合わせよう」

 これは思っていたより長い滞在になるかも知れない、とアトリは複雑な感情を抱いていた。
 アトリは仕事の一環でクガネから遥々エオルゼアに来たのは事実であるが、それとは別に商会から休暇を取るよう言われてもいた。ただ、休暇とは名ばかりで、エオルゼアをより深く知り、冒険者としても切磋するように、との言付であった。
 オルシュファンの言葉に甘えてしまったら、本当にずっとここにいてしまいそうだ。自制しなければならないのは勿論ではあるものの、当たり前のように彼が己を受け容れてくれた事が、アトリは嬉しくて仕方がなかった。

2021/06/26

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