大前提として、現在のアイドル業界はユニットでの活動が原則だ。過去はソロで活躍していたアイドルも多かったけれど、残念ながら今はそういう仕組みではなくなってしまっている。ユニットとしてのアイドル活動は全てL$という、云わば仮想通貨で対価を得る。ESによって管理され、全てが数値化されるこのシステムが良いか悪いかは別として、私たちは皆上手く順応して生きている。

『私たち』――私も例外なく、玲明学園でユニットを組み、アイドルとして生きている。どういう経緯で結成されたか等関係なく、ユニットは一蓮托生である。家族のように寄り添うか、ビジネスライクに接するか、どちらが最良かは個々の相性によるから明確な答えはない。ただひとつ確実なのは、それぞれの実力がどうであれ、協力関係を結ぶ以上、上手くやっていくに越した事はない。

 幸い、今の私は非常に恵まれている。
 巽さまが大怪我をされて長期入院する事となり、自暴自棄になっていた私に日和さまが手を差し伸べてくれて、かつては私と同じ立場だった漣が何かと励ましてくれて――色々あって、今では可愛い後輩たちと共にユニットのリーダーとして、コズプロの庇護のもとそれなりに仕事を貰っている。
 玲明学園に入学してからというもの、本当に色々な苦難があり過ぎたけれど、最終学年の今になって、多忙に追われながらも心は穏やかに過ごせているのだから、人生とは不思議なものだ。

 きっと、巽さまが退院されて、再びアイドルの世界に戻って来ることが出来たから、私もこんなに日々を穏やかに過ごせているのかも知れない。考えてみれば、日和さまも漣も、巽さまの存在がなければ私に気に留めることもなかったと言い切れる。やっぱり、巽さまは私にとって神様のような存在だと言い切れる。

「――先輩! 光莉先輩〜!」

 ふと我に返ると、可愛い後輩たち――ユニットのメンバーが私の顔を覗き込んでいた。

「ごめん、ぼうっとしてた」
「先輩、どうせまた『巽さま』の事考えてたんじゃないですか?」
「……私、そこまで色惚けしてませんけど」

 完全に図星なのだけれど、曲がりなりにもユニット最年長としては、ある程度威厳を持ち合わせていなくてはならない。昔と違って今の玲明学園は、上下関係もだいぶなくなったけれど、先輩としての威厳――というより、やっぱり後輩にとって模範となる先輩でありたい。憧れの異性に現を抜かして呆けた顔をしている先輩になど、誰がついて行きたいと思うだろうか。

「でも『巽さま』ってどんな人なんだろう。早く復学して欲しいですね〜、先輩!」
「巽さまは見世物じゃないからね」
「そういう意味で言ったんじゃないですよ〜。光莉先輩だってその『巽さま』と一緒に早く学園生活を送りたいだろうなって」

 ……もう少し厳しく接した方が、将来的にこの子たちの為になるんじゃないかとすら思えてくる。それぐらい、私は後輩たちに舐められているという自覚がある。
 尤も、昔のような異様とも言える上限関係の厳しさをこの子たちに押し付けるなど以ての外だし、私みたいな頼りない先輩が存在するのも、多様性という観点でアリなのかも知れないけれど。

「私たち、本当に光莉先輩には心から幸せになって欲しいんですよ」
「何? 突然」
「健気に一年以上も教会に通って、いくら下心があるとはいえ、教会の子どもたちにケーキを持参したり、時には光莉先輩が失敗に失敗を重ねて形になった手作りのお菓子をあげて餌付けしたり……」
「ねえ、一言どころか二言三言多くない?」

 さすがにそろそろ本気で怒ろうかと思ったけれど、今私たちが歩いているのは公共の場――ESから少し離れた場所にあるセゾンアヴェニューだ。私がユニットメンバーを叱り付けている場面をファンに見られでもしたら、これまで築き上げて来た『花城光莉』のアイドル像はいとも簡単に崩れ、価値を失ってしまう。
 当然、この子たちは私を陥れようと目論んでいる程根性がねじ曲がっているとは思っていないけれど。

 それに私がこうして『弄られキャラ』にならざるを得なくなっているのは、コズプロの方針で設定された私のアイドル像に起因している。仕事で演じている花城光莉と、ほんとうの私は全く違うのだけれど、ユニットメンバーは可愛い後輩であると同時に仕事仲間だ。仕事で演じている私の姿を引きずって、プライベートでもこういう接し方になるのは分からなくもない。と言っても、何事にも限度がある。

「これ以上私をからかったら、今日の女子会は中止して事務所で打ち合わせに予定変更します」
「え〜っ、酷いです光莉先輩! 今日はメンバー全員オフだから、一日遊び倒そうって話だったのに……」
「遊びたかったらこれ以上先輩弄りは控えるように」

 本気で後輩たちの自由を奪うわけではないし、私も正直楽しみにしていたから、半分冗談ではあるのだけれど、たまには毅然とした態度を取らないと。一先ず弄りは落ち着いたようなので、目的地のカフェへと歩を進めた――瞬間。

「光莉先輩? 急に立ち止まって……どうしたんですか?」

 後ろを歩いていた後輩たちは、私が突然足を止めた事でそのまま前へ進み、そこで私の異変に気付いて振り向く。彼女たちは不思議そうに私を捉えると、皆一斉に私の視線の先へと顔を向ける。
 ここより少しばかり離れた先にいるのは、見慣れない男子が複数人。
 その中に、遠目でも見間違うわけがない――巽さまがいたのだから、足が止まるのは無理もなかった。

「知り合いですか? ……あ、もしかして!」
「あの中に『巽さま』がいるんですか!?」
「えっ、どれ!?」

 後輩たちが一気に色めき立ち、私は漸く我に返った。

「こらっ! 人に対して『どれ』とか言わないの!」
「あ、光莉先輩帰って来た」
「元からここにいますっ!」

 とにかくここから離れなくては。
 別に疚しい事など何もないし、普通に挨拶だけして目的地に向かえば良いだけの話だというのに、今の私は完全に平常心を失っていた。
 この場にいるのが私ひとりならともかく、まさについ先程まで巽さまの事で散々人を弄って来た後輩たちが一緒にいる。この後の女子会での会話が十割巽さまの話になる事は想像に容易い。
 巽さまは当然悪くないし、この子たちも悪くない。単に私が恥ずかしいだけなのだ。

「えっ、光莉先輩どこ行くんですか?」
「ルートを変更します」
「なんで声掛けないんですか? わざと避けるなんてますますストーカーじみてるじゃないですか」

 背を向けて来た道を戻ろうとする私の背中に不名誉な言葉がぶつけられ、さすがにこれは反論しなくてはと泣く泣く振り返って後輩を見据えた。

「人を犯罪者呼ばわりしないで貰えます!?」
「ああ、やっぱり光莉さんでしたか」
「ひっ!」

 後輩を怒鳴りつけた瞬間、すぐそばで想い人の声がして、つい引き攣ったような声を出してしまった。空耳であればどんなに良いかと思ったけれど、あいにくそこまで呆けてはいない。声のした方へ顔を向けると、そこには爽やかな笑みを湛えた巽さまの姿があった。

「ご無沙汰してます。こんな場所で光莉さんに会えるとは、これもまた神のお導きかも知れませんな」
「は、はい……そうですね……」

 巽さまは練習着を身に纏っていて、その慈悲深い笑みは普段と変わらないものの、ほんの少しだけ雰囲気が変わって見えた。アイドルへ戻る為の道を着実に進んでいるゆえだろうか、教会でのどこか浮世離れした姿ではなく、良い意味で人間味があるというか、活力に満ちているように感じた。
 いや、見惚れている場合ではない。最早確認するまでもなく分かる――今この瞬間、私の後ろで後輩たちが巽さまを凝視しているに違いない。

「後ろの方たちは、光莉さんのご友人でしょうか?」
「あ、ええと、友人というか……同じユニットのメンバーです」

 私が後輩たちに顔を向けると、皆愛想の良い笑みを浮かべて、巽さまに向かって頭を下げた。玲明学園は昔に比べて厳しくなくなったとはいえ、目上の人間に対して礼儀正しく接するのは基本中の基本だ。舐められっぱなしの私が特例というか異質なだけで。

「そういえば、自己紹介がまだでしたな。俺は――」
「知ってますよ、『巽さま』!」
「光莉先輩から散々聞かされてますよ〜」

 案の定後輩たちは私を茶化すように言い出して、こうなるから鉢合わせになりたくなかったのだと軽く溜め息を吐いた。巽さまも困惑してるんじゃないかと、何気なく顔色を伺った瞬間――私は思わず息を呑んだ。
 巽さまが私に向かって非難めいた視線を向けているからだ。

「ええと、巽……先輩。もしかして気を悪くされましたでしょうか」
「光莉さん。この子たちに一体何を吹き込んでるんですか?」
「はい?」

 何を吹き込む、だなんて。後輩たちに喋っている事なんて、巽さまの快復を祈るために教会に足を運び続けていた事と、巽さまが教会の牧師である事と、不慮の事故で大怪我を負い休学される前は、巴日和さまと頂点を競うほどの存在であった事。すべて事実だ。
 一体何が巽さまの気に障るのか。よく分からないまま呆然としていると、私を助けようとしたのか、後輩が私の前に出て、巽さまに向かって挙手して明るく答えてみせた。

「『巽さま』は神様みたいな人だって聞いてますよ。休学される前は本当に凄かったんだって」

 その言い方ではまるで過去形で、今は別に凄くないと言っているようではないか。私は訂正すべく後輩に顔を向けた。

「巽さまが凄いのは休学される『前は』じゃなくて、『今も』だし『これからも』だからね。ブランクさえ取り戻せば――」
「光莉さん」

 明らかにいつもとは違う、穏やかながらも静かな怒りの籠った声に、私は恐る恐る巽さまへ顔を向けた。別に悪い事なんて一言も言っていない。私の発言の何が怒りを買ってしまったのか。多分、後輩たちは悪くない。これは私だけに向けられた怒りだ。

「いい加減、過去の亡霊に縋り続けるのは止めてください」
「亡霊……?」
「今の俺は何もかもを失った徒人に過ぎません。そんな俺を未だ神だと吹聴するなど……」

 私は最初、巽さまは怒っているのだと思っていた。けれど、それは少し違った。巽さまの細められた双眸はどこか儚げで、心ここに在らずといった様子で、この感情を形容するのに一番近い言葉は――『失望』だ。

「……光莉さん、もし君が俺をまだ友だと思ってくれているのなら、もうそのような事は止めて貰えませんか? 敢えて俺を苦しめる為にやっているのなら、受け容れるしかありませんが」

 巽さまが一体何を言っているのか瞬時に理解できず、何も言い返せなかった。そもそも言い返すどころか、私には何かを言う権利すらない。理由が何であれ、私が巽さまを傷付けた事に変わりはない。
 これは、緩やかな拒絶だ。
 私は巽さまに嫌われてしまった。一体何が原因なのか分からないけれど、分かったところで何の解決にもならない。謝って済むような単純な問題なら、巽さまはこんな言い回しはしないからだ。

 一体どのくらい時間が経ったのだろうか。我に返った時にはもう巽さまの姿はなくて、後輩たちが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「光莉先輩、大丈夫ですか……?」
「すみません……私たち、何か地雷踏んじゃったみたいですね……」
「ていうか、光莉先輩は何も悪くないですよ! なんでいきなりあんな事言われなきゃいけないんですか!?」

 私を庇うように皆それぞれに何か言っていたけれど、申し訳ない事に今の私には皆の言葉を受け止める余裕すらない。

「……みんな、ごめんね」

 後輩の前で弱音を見せる先輩など失格だ。ユニットのリーダーとしても、玲明学園の上級生としても。

「大変申し訳ないんだけど、今日の私はもう使い物にならないから……私抜きで女子会、楽しんで」
「ええ〜!? 嫌ですっ、先輩が帰るなら私たちも一緒に帰りますよ」
「……ごめん、一人になりたいの」

 なんとか笑顔を作ろうとしたけれど、頬が引き攣って余計ひどい顔になりそうだったから、無理はしないでおいた。その結果どんな表情を後輩たちに見せているか、自分で自分の顔を確認する術がない以上分からないけれど、少なくとも先輩が後輩に見せる表情ではない事は確実だ。
 これ以上みっともない姿を見せる前に、ここから離れよう。このまま一緒にいても気を遣わせるだけだから、別行動を取るのが一番だ。

「約束破って本当にごめんね。一晩寝たら元に戻るから」
「不慮の事態だからしょうがないですよ。無理しないでくださいね、先輩」
「大体謝りすぎですよ〜、次皆で遊ぶ時に先輩が奢ってくれたら解決ですから」

 了解、と告げて私は後輩たちに背を向けて歩き始めた。後ろで「冗談ですよ!? 本当に奢んなくていいですから!」なんて声が聞こえたけれど、私の不甲斐なさがL$で解決するなら安いものだ。
 この時の私は本当に頭が働いていなかった。こんな状況で後輩たちと別行動を取った事がきっかけで後々大ごとになってしまうなど、当然分かるわけもなく、行く当てもないまま喧騒の中に身を委ねたのだった。

2020/06/04

Meine Seufzer,
meine Tränen

わが溜め息、わが涙は
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