季節は初夏――世間は夏休みを前に浮足立ち、まだ本格的な夏が到来しているわけでもないというのに、陽射しの熱さに眩暈を覚える日々を送っていたある日の事。教会に出向く理由を作るためにケーキを買って、住み慣れた寮とは別方向へ歩を進めた。我ながらストーカーじみていると自覚しつつも改める気がないのは、こうでもしないとあの人に会えないからだ。

 巽さまが長期にわたる入院から退院されてから数ヶ月経ったけれど、未だ休学中の身であり、玲明学園への復学は叶っていない。





「いつもありがとうございます、光莉さん」
「いえ、元々頂き物ですので。私たちだけでは食べ切れそうにないので、手つかずのものをお持ちしただけです。是非皆さんで召し上がってください」

 私は神を信じているわけでもないから、好きな人にも平然と嘘を吐いても罪悪感を覚える事もない。巽さまが確実に教会にいるであろう時間帯を狙って、教会に住まう子どもたちへと手土産を持参して、わざわざ遠く離れた本来来る必要のない場所を訪れるなど、正気の沙汰ではないという自覚はある。

「光莉さんのユニットの子たちは随分と少食なんですな」
「……まあ、一応アイドルなので。体重管理もありますし」
「食物を粗末にするなど嘆かわしい事ですが……無駄にしないよう、こうして余り物を授けに遠路遥々お越し頂けるとは、光莉さんにも神の教えが伝わっているようで何よりです」

 私が嘘を吐いているなど気付く由もない巽さまは屈託のない笑みを浮かべていて、さすがに私もほんの僅かながら罪悪感を覚えてつい、視線を逸らしてしまった。

「勧誘しているわけではないのですが、俺の発言が光莉さんの気に障ってしまったとしたら、申し訳ありません」
「いえ、巽さまの言葉が気に障るなど、そんな事は有り得ません」

 ごく自然に、当たり前の事を言った筈が、寧ろ私の発言に巽さまは機嫌を損ねてしまったらしい。巽さまは一瞬目を伏せれば、少し悲しそうな笑みで私を見据えた。

「そんな他人行儀な呼び方ではなく、出来れば昔のように接して欲しいですな」
「何も変わっていないつもりですが……」
「今もなお、俺を神か何かだとお思いですかな。俺はもう、ただのしがない牧師でしかありません」

 そう言って自嘲するように眉を下げる巽さまに、そんな事はない、と言い掛けたけれど、巽さまが求めている返答は違うだろう。昔のように接して欲しい――それはきっと、玲明に入る前の、幼い頃のようにという意味だ。

「……巽――」

 けれど、もうあの時とは立場が違う。巽さまも、そして私も。

「――先輩」

 巽さまが求めていた言葉とは違うであろう事は分かっている。案の定、巽さまは肩を竦めて苦笑を零してみせた。

「光莉さんにとっては二年前も昔ですか?」
「意地悪な事を言わないでください。互いにアイドルという職業に身を置く以上、公私の区別は必要です」
「この教会でも、そうしなければなりませんか?」
「はい。昔のように『巽くん』などと呼ぼうものなら、いつ外でうっかり言ってしまうか……」
「おや、外で俺の話をしているのですかな?」

 鋭い指摘に、私はつい口元を手で覆って、巽さまの視線から逃げるように目を逸らした。
 巽さまが長期入院で学園を不在にしていた一年、玲明学園は大きく変わったとはいえ、未だ巽さまを慕う生徒はいる。同じクラスの漣ジュンが最たる例だ。ちなみに彼は巴日和さまと『Eve』なるユニットを組み、秀越学園の生徒とも手を組み『Eden』としてアイドル界に旋風を巻き起こし続けている。
 尤も、巽さまは外界とは隔てられた環境で過ごされていた為、彼らのこれまでの輝かしい活躍をリアルタイムで目にする事が出来なかったのだけれど。

「巽さま――いえ、巽先輩は……随分とご自身を過小評価されているようですけれど、今でも先輩の事を慕っている生徒は多いんですよ。そういう生徒と顔を合わせれば、自然と先輩の話にもなります」
「もう俺はそんな存在ではないのですがね。光莉さんこそ、俺の事を過大評価し過ぎですな」
「では、先輩を慕っている生徒全員に聞いてみると良いですよ。皆、私と同じ事を言うでしょうから。その為にも……」

 逸らしていた目を、再び巽さまへと向ける。ただ単に想い人の顔を見に来たわけではない。ここは教会なのだから、本来為すべき事を行うまでだ。

「先輩が早く復学できるよう、お祈りしますね。勿論、お体を労るのが第一ですけど」

 そう告げて、私は祭壇へと歩を進めれば、形だけの祈りを捧げた。神などいないと豪語している女がこんな事をしても、何の意味もなく、仮に神がいたとしたら尚更願いを聞き入れようとは思わないだろう。
 祭壇へ背を向けると、ちょうど巽さまと目が合った。ちょうど、と言うのは語弊があるだろう。きっと巽さまは、私の祈りを見守ってくださっていたのだから。

「俺のためにわざわざ祈ってくださったんですね。ありがとうございます、光莉さん」
「……先輩は玲明学園に必要な存在ですから」

 正直言って学園の事などどうでも良く、ただ単に私が巽さまに早く元気になって頂きたいだけなのだけれど、それを口にするのはどうにも気が引けた。

「ふふ、そういう事にしておきましょうか。光莉さんのお陰で俺の道筋も明るく照らされるかも知れませんしな」
「快癒さえすれば問題ないと思いますよ。コズプロを追放されたとはいえ、先輩を拾ったスタプロの方が今は力があるように見受けられますし」
「そうなんですか? 入院生活が長すぎて、力関係が未だよく分からないもので」
「無理もないですよ、本当に様々なシステムが変わりましたし。その辺りも先輩が本格的に復帰すれば、事務所のフォローがあるかと思います」

 この説明に限っては、私は巽さまに嘘は言っていない。事実、玲明学園の生徒が強制的に所属するコズミック・プロダクション――通称コズプロよりも、今は夢ノ咲学院の元生徒会長、天祥院英智が経営するスターメイカー・プロダクション――通称スタプロの方が勢いがある。

 それに、今はアイドルが飽和しており、どの事務所も大規模なリストラを行っているけれど、スタプロは一番良心的であると専らの噂だ。理不尽な形でコズプロを追放されたものの、玲明学園でのアイドルとしての実績に申し分のない巽さまであれば、天祥院英智とやらも無下には扱わないだろう。嫌らしい言い方をすれば、スタプロあるいは天祥院英智にとって、巽さまに何らかの利用価値があるからこそ拾ったのだろうし。

「光莉さんは随分と詳しいのですな。もしかして、俺がいない間に大人気アイドルになられたのでしょうか?」
「あのう、別に大人気にならなくてもこれくらい常識です」
「そうなのですか……今の時代に適応するまで相当難儀しそうですな。ですが、光莉さんの言葉を信じるなら、俺は近いうちにアイドルとして復帰出来るかもしれませんな」
「……もしかして、既にスタプロから復帰の話が?」

 別に私が祈る必要などなかったではないか、と恥ずかしさのあまり顔が熱くなって今すぐにでもこの場から立ち去りたいと思ったけれど、巽さまは至って穏やかに頷いてみせた。

「具体的な話は不明ですが、急に手紙で呼び出されましてな。『通告を無視すれば然るべき処分をする』と記載が……」
「それって脅しじゃないですか」

 スタプロはコズプロと違って良心的な事務所ではなかったのか。早くも噂は当てにならないと思わざるを得なくなり、巽さまに嘘を言ってしまったと軽く眩暈がしたけれど、私の様子がおかしい事に巽さまはすぐに気が付いたのか、すぐ傍まで歩み寄れば逆に気遣うように私の手を取った。

「大丈夫です。解雇であればわざわざ呼び出しなどせず、手紙一通で済む話ですから」
「……確かに最悪の事態ではなさそうですが、それにしても物騒ではないですか」
「光莉さんの想像される『物騒』な事が起こったとしても、全て神の試練ですから乗り越えてみせますので、どうかご安心を」
「…………」

 一年以上も入院し、漸く退院されて未だ療養中の身である巽さまを、更に神は苦しめるというのか。やっぱり神なんて当てにならない。





 玲明学園の寮に戻る頃にはすっかり日も暮れていた。門限を過ぎてはいないし、外出理由として実家に顔を出すと予め告げているので、多少遅くなったところでお咎めは軽くで済む。
 言い訳を考えながら女子寮への道程を歩いていると、私の背中にふと、聴き慣れた声が投げ掛けられた。

「あれ、花城さん。夜遊びは駄目っすよ〜?」

 振り返ると、そこには同じクラスの漣ジュンが口角を上げて、こちらに向かって片手を振っていた。

「漣、いつどこで誰が聞いてるか分からないのに、誤解されるような事言わないで。大体私は巽さまに会いに行っていたんです。夜遊びなどと低俗な言葉で表現しないでくれます?」
「って、いやいや。男に会いに行く方がヤバイんじゃないですかねぇ」
「教会に祈りを捧げに行っただけです」
「ははっ、物は言いようですねぇ」

 別に長話をする気はないのだけれど、気付けば漣は私の傍まで駆け寄っていた。漣が私と話したい、というよりも話を聞きたいのだろう。この話の流れであれば聞きたい事はひとつだ。

「風早先輩、まだ復帰は厳しそうですかね」
「スタプロから招集命令があり、明日ESビルに向かわれるそうです。復帰の話なら良いのですが……少々嫌な予感がします。さすがに解雇はないかと思いますが」
「いくらなんでも解雇はないでしょうよ。まあ、オレたちは風早先輩の復帰を心待ちにしていましょうよ」

 私が落ち込んでいるように見えたのか、漣は遠慮もなく私の背中をばしばしと叩いて来て、痛くはないけれど少しは遠慮をしろと思ってしまった。日和さまもさぞ漣に手を焼いている事だろう。ステージでのパフォーマンスは群を抜いているからこそ、日和さまも漣と共にユニット活動を続けているとはいえ……。

「なんすか、その顔は」
「元からこういう顔ですが」
「ったく、相変わらずステージの外では可愛げのかけらもないですねぇ。花城さんのファンに見せてやりたいっすよ」
「私だって好きでキャラ作りしてるわけでは……素で振る舞えたらどんなに楽か」
「花城さんの場合、素を見せたら降格っすよ。上の言う事は素直に聞きましょうねぇ」

 目を細めて意地悪な笑みを浮かべる漣に、内心腹を立てつつも、言っている事は正論なので何も反論出来なかった。この玲明学園では、アイドルは全てお膳立てされた環境で言われた通りの振る舞いをし、偶像を演じる。漣ぐらい圧倒的な結果を出せばある程度の権限はあるけれど、ただの生徒はそうもいかない。逆らって結果を出せなければ降格、そしてこの学園を去らずを得なくなるのが定説だ。

「とりあえず、風早先輩もやっと前進できそうなんすね」
「ただ、まだ足を庇っている様子で、私もそんなに長居はしなかったけれど……」
「そこは神に祈りましょうよ。花城さんが熱心に教会に通ったお陰で先輩も退院出来たって事で」
「本当に神が存在すれば、巽さまはそもそもあんな目に遭う事もなかったと思いますが」
「風早先輩なら、死後天国に召される為の試練とか言いそうっすけどね」

 漣も巽さまの事をよく知っているからこそ、その認識は正しいのだと分かる。分かっているのだけれど、世の理不尽さに腹を立てずにはいられないのだ。

「本当に天国が存在するかも分からないのに、現世で幸せに生きられなくてどうするんですか」
「今の発言、風早先輩が聞いたら、花城さん間違いなく嫌われますよぉ〜?」
「……絶対に巽さまに言わないでよ。絶対!」
「あ〜、はいはい」

 漣は散々私を揶揄った末、満足そうに笑みを浮かべてまた片手をひらひらと振ってこの場を後にした。なんだかどっと疲れてしまった。今となっては巽さまの話を共有出来る生徒は限られているし、漣とこういう話が出来るのは有り難い反面、絶対に私を弄って来るから疲労感も半端ない。

 ただ、落ち込んでいた気持ちは少し上向いた気がする。漣の言う通り、私に出来る事は神に祈るぐらいだ。きっと巽さまならば何があっても乗り越えられるとは思うけれど、未だお身体が万全ではない事だけが気掛かりだった。
 翌日、巽さまを含むスタプロの所属アイドルが呼び出された理由は、解雇されたくなければ、新ユニット『ALKALOID』で結果を出すよう命じられたからであると、私が知るのはまだ少し先の話だ。

2020/04/17

Schlage doch,
gewünschte Stunde

いざ来たれ、待ち望みたる時よ
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