「光莉先輩……その、まだ振られたって決まったわけじゃないと思います」
「そうですよ、プライベートな場じゃないから敢えて『妹みたい』って言ったように聞こえました」

 ALKALOIDとの共演を終えて、早々に舞台裏に引っ込むと同時に、仲間たちが次々に小声で耳打ちして来た。けれど、今日ばかりはその気遣いが尚更傷口を抉ってくるように感じてとても辛い。

「気遣ってくれるのは有り難いんだけど、巽さまはお客さまの前で嘘を吐くような人じゃないから……」

 変に明るく振る舞うのも余計痛々しく、かえって余計な気を遣わせてしまうだろうし、素直になる事にした。リーダーとしては頼りないかも知れないけれど、せめて気持ちの切り替えはしっかりしないと。

「それより、この後の予定だけど……後半戦に備えて体力温存の為に前倒しで休憩するか、それとも保険としてもう少し『いいね!』を稼いでおくか……」

 お客さまが押す『いいね!』の数は、私たちアイドルは把握する事が出来ない。けれど、Crazy:Bの一件があって出場するユニットが思っていたより少ない事、相対的に見てそれなりのライブ数をこなしている事、そしてお客さまの反応。これはアイドルという立場になって初めて分かった事だけど、ステージからはお客さまが思っている以上に、皆の顔や仕草がよく見える。端末を操作して『いいね!』を押しているであろう動作も。

 これらを考慮すると、私たちは余程の事がなければ後半戦に出られる。正確なデータが見られるわけではないから、100%確実とは言い切れないけれど。

「『保険として』って事は、光莉先輩には私たちは後半戦に出られる確証があるんですか?」
「絶対じゃないけれど、Crazy:Bの件もあるし、コズプロとしては一組でも多くのユニットを出したいはずです。案外私たちも、最悪ボーダーラインを越えていなかったとしても、数合わせで出られそうな気がしてるんですよね」

 確証ではなく憶測を口にして、ふと気掛かりな事が脳裏をよぎった。
 Crazy:B――というよりHiMERUさんの事だ。昨日の夜は大丈夫そうに見えたけれど、私に連絡するという本人曰く『どうかしていた』行為を取ったあたり、やっぱり心配だ。

「……多数決で決めます。後半戦に確実に出る為に、もっとライブに出たい人」

 仲間たちにそう問い掛けたけれど、誰も挙手しなかった。

「じゃあ、体力温存の為に今のうちから休みたい人」

 言うまでもなく全員挙手だ。
 ちなみに、こういう時にYESかNOかをはっきり決められない子や、周囲に合わせて自分を押し殺す子は、私たちのユニットの中にはいない。仮に少数派の意見の子がいれば、その理由を聞いて、全員が納得できる落としどころが見つかるまで話し合う。まあ、皆の本音が見えるわけではないし、完璧にそう出来ているとは限らないけれど、少なくとも言いたい事はある程度主張し、お互いを尊重し合える関係を、この数ヶ月間でだいぶ構築出来ていると思っている。

「本当にいいの?」
「私たち、というより光莉先輩が少し休んだ方がいいんじゃないかなと……身体というより気持ち的に……」
「……ごめんね。ただ、やっぱり気が変わってライブに出たいと思ったら、その時は遠慮なく言ってね。各自のコンディションを見て、臨機応変に動きましょう」

 これは無理して笑顔を作ってぎこちないパフォーマンスをするんじゃないか、なんて思われていそうだ。そこまでプロ意識に欠けているつもりはないのだけれど、そもそも前夜祭で私が一番緊張していた時点で、この子たちの判断に間違いはない。
 とはいえ、実を言うとそこまで疲れていないし、寧ろ何かしてないと余計落ち込みそうだ。となれば、今出来る事は。ALKALOIDが――巽さまが決めた事に対して、何か手助けをするまでだ。

「皆、私ちょっとCrazy:Bの人達を探して来ます。いくらALKALOIDが後半戦に進出出来ても、肝心の相手がいないんじゃ本末転倒ですし」
「あ、もしかしてHiMERUさんが心配なんですか? 光莉先輩、二兎を追う者は一兎も得ずですよ〜」
「あの人は『そういうの』じゃないって。しつこいようだけど、何かあれば遠慮しないですぐ連絡してね。当たり前の事ですけど、私にとってはCrazy:Bより皆のほうが大事だから」

 MDM前日の夜に穴を空けるような身勝手なリーダーが言えた事じゃないけれど、これは紛れもなく本音だ。正直、皆は私を甘やかし過ぎだと感じるぐらいだし、叱咤されても仕方ないと思っているのに。だからこそ、穴埋めと言ってはなんだけど、出来る事は何でもしたい。

 今はとりあえず時間が許す限り、Crazy:Bのメンバーを探してみよう。埒が明かなくなったら、その時はもう仕方ないときっぱり諦める。そう決めて、私はあてもなく走り出した。



「これで良かったのかな? 朝方、P機関の人から『ALKALOIDに協力して欲しい。光莉さんが頑なに断っても、それは本心じゃない』なんて連絡が来たけどさ、これってALKALOIDと共演しろって事かと後で腑に落ちたけど……」
「結果的に光莉先輩があんな形で振られちゃうなら、共演しない方が良かったかもね」
「『妹』なんて、一番残酷な答えかも。でも、まさか巽さまがステージであんなに先輩の事を話すなんてね。びっくりしちゃった」
「……思い返すと、光莉先輩の身の潔白を証明する為にあそこまで喋ったように思えなくもないよね。コズプロの上層部にもちくりと言ってたし」
「やっぱりさあ、嘘って言ったらちょっと違うけど、光莉先輩の事が好きだから敢えて『妹』って言ったんじゃない? 本当はそうじゃないけど、先輩のアイドル生命を守る為に……」

 私がいなくなった後、仲間たちが話していた事の顛末は、全てが終わった後に知る事になるのだった。





 あてもないまま探し始めたのは良いものの、HiMERUさんが今どこで何をしているのか、全く見当が付かなかった。それ以前に、一彩くんの演説がCrazy:B全員に届いていない可能性だってある。それどころか、皆この会場にいないかも知れない。

 とりあえず、コズプロの関係者席に行けば、少なくともHiMERUさんだけはいるかも知れない。いくら『ソロでやっていく』と言っても、本心はまだCrazy:Bに心残りがあるのではないか――だからこそ、昨日私に連絡をくれたのだろう。本当に迷いがなければ、誰かに話を聞いて貰おうとは思わないからだ。



「HiMERUさん!」

 関係者席に向かう途中、見覚えのあるスカイブルーの髪が目に入って、私は迷わず駆け寄った。てっきり私服で来ていると思ったのだけれど、意外にも身に纏っているのはユニット衣装だった。

「――花城。ライブに出なくても良いのですか?」
「そこそこ『いいね!』も稼げたと思うので、後半戦に備えて前倒しで休憩を取ってます。HiMERUさんは……」
「見ての通り、暇を持て余しています。HiMERUは元々ソロアイドルですから、ひとりでステージに立つのは問題ないのですが……ALKALOIDの演説も虚しく、誰も共演を依頼しては来ませんね」

 彼はそう言って軽く溜め息を吐いた。いくらALKALOIDが『Crazy:Bに決闘を申し込む』という大義名分で後半戦に招きたいと言っても、『ALKALOIDには協力するけれど、Crazy:Bには関わりたくない』というユニットが圧倒的に多いのだろう。それだけ、天城燐音がこれまでやらかして来た罪は重いという事だ。

「肯定的に考えれば、ALKALOIDが後半戦に進めば、自動的にCrazy:Bも招待という形で出られますしね。共演といっても『いいね!』の数を競うようなものですし、HiMERUさん一人に共演を持ちかけるのはフェアじゃないと思って、皆控えているのかも知れません」
「花城、気遣いは不要です。例え天城が『他のCrazy:Bのメンバーは悪くない』と言っても、誰もCrazy:Bには関わりたくないのでしょう」
「うーん……何もしないで後半戦に出るのもあまり納得出来ないでしょうし、私のユニットと共演しますか?」

 仲間たちを巻き込みたくないと思ってはいるものの、HiMERUさん一人に背負わせるのは見ていられなかった。駄目元で皆に相談してみて、誰か一人でも嫌だと言ったら諦めるまでだ。皆、HiMERUというソロアイドルを助ける理由もなければ、Crazy:Bには関わりたくないと思うのが当たり前だし。ALKALOIDとの共演が叶ったのは、あくまで私が巽さまに片想いしているという前提があっての事だ。

「花城はともかく、他のメンバーは承諾するのですか? 花城もこれ以上勝手な行動を取れば、脅しではなく今度こそ本当に解雇されてしまうと思いますが」
「……もう、覚悟は決めてます。今更問題行動が増えたところで、私の処分は変わらないでしょうし。後輩たちは私が振り回したって事にすれば、経歴に傷は付きませんし」

 ごく当たり前の事を言ったつもりだったのだけれど、彼は一瞬目を見開いた後、どこか軽蔑するような鋭い眼差しを私に向けながら、大きな溜息を吐いた。

「――花城。自分が勝手な事を言っていると分かっているのですか?」
「え?」
「花城が言っている事は、天城の昨日の行動と同じです。自分だけが悪者になれば、残された者は無傷で済むとでも? 今のHiMERUを見ても、まだそう思いますか?」
「ええ? だって、全然状況が違うじゃないですか」
「似たようなものです。例え身勝手な理由であっても、リーダーが脱退する時点でユニットの名に傷が付きます。花城の場合、劣等生から這い上がった存在ゆえに、特待生のメンバーから嫌がらせを受けて脱退したのではないか等……いくら事務所が説明しようと、好き勝手に憶測を立てる輩は必ず現れます」

 ……私は、何も見えていなかった。嘘だろうと何だろうと、大衆が信じそうな理由を事務所が作り上げ、説明すれば、仲間たちに迷惑は掛からないと思っていた。そんなわけがないというのに。

 例えたった数ヶ月でも、私たちは私たちなりのユニットを地道に作り上げて来た。私はともかく、仲間たちはまだまだ成長出来るし、これから先も輝かしい未来が待っているはずだ。それが、私の身勝手な振る舞いによって、ありもしないトラブルをでっち上げられて、皆の人生が滅茶苦茶になってしまうかもしれない。彼に言われるまで、そんな簡単な事にすら気付かなかった。

「HiMERUさん、私……」
「ALKALOIDとの共演は辛うじて目を瞑るとしても、Crazy:Bとの共演は許されないでしょうね。ましてや巽にステージ上で事務所批判までされたのですから、上層部としてはこれ以上花城に想定外の行動を取られては困る筈です」
「事務所批判って……き、聞いてたんですか!?」
「巽の顔など見たくもありませんが、あいにく暇を持て余している状況ですので。端末を見れば嫌でもライブの情報が入って来るのです」

 私が巽さまに振られた事は彼にとってはどうでもいいとして、私がラジオで炎上しかけた時に事務所が嘘を吐いて鎮火させるよう誘導した事や、男女関係でも何でもない巽さまと会わせないようにした事を、あんな形で公にされたら、上層部としては当然堪ったものじゃない。

「ど、どうしよう……私、また副所長に迷惑を……」
「花城が仲間を見捨てず仕事も放棄せず、アイドルを続けたいというのであれば、HiMERUからも副所長に進言してみます。尤も、今の花城は玲明にとって必要な存在ですから、HiMERUが言わずとも易々と解雇はしないと思いますが」

 暇で仕方ないのは分かるけれど、本当に、どうしてここまで私の事を考えて、厳しい事もはっきり言ってくれるのか不思議で仕方ない。私の存在なんて、彼にしてみたら道端の石ころのようなものだと思うのに。彼も巽さまと同じく一度は地に落ちたとはいえ、私に必要以上に構ったところで、それこそ何のメリットもない筈だ。

「あの……HiMERUさん。前から思っていたんですけど、どうしてそこまで私の事を――」

 言い掛けた瞬間、人の気配を感じてすぐに口を噤んで、彼から距離を置いた。別に疚しい事は何もしていないし、単に関係者が通り掛かっただけなら気に留めないのだけれど、只者ではないと自然に溢れているオーラで分かるからだ。私たちと同じアイドル――それも、かなりの実力者だと。

「Crazy:Bに共演を申し込もうと馳せ参じはしたが、逢引の最中であれば改めた方が良いかのう」
「ああ!? 何言ってんだ、こないだの雪辱を晴らすチャンスじゃねえか! っていうかテメェ、MDM真っ只中に何してんだ!?」

 ロック調の黒いユニット衣装を纏った四人組。老舗の芸能事務所『RHYTHM LINK』のユニット、UNDEAD――奇しくもCrazy:Bが喧嘩を売った相手だ。
 リーダーの朔間零と大神晃牙は、何やら私たちの関係を勘違いしているみたいだ。勝手に誤解されて嘘をばら撒かれたら困るし、否定しておかないと。

「あの、私とHiMERUさんは単なる同じ事務所なだけです。っていうか『逢引』って……こんな所でまで妙な言い回ししなくても良いと思いますが」
「はて、吾輩は別にキャラ作りをしているつもりではないんじゃがのう」
「はあ……」

 こうして間近で見ると、やっぱりこの朔間零という人は、ただそこにいるだけで人を魅了するようなカリスマ性を持っている。今みたいにお惚けな態度を取られると、外見に反しておじいちゃんみたいに見えて若干混乱し掛けるけど。

「――共演ですか。HiMERUは特に問題ないのです」

 彼が脱線した話を一気に戻して、我に返った。余計な事を考えている場合じゃない。いくら他のユニットとの共演が叶うといっても、一対四じゃあまりにも分が悪すぎる。誰彼構わず共演出来れば良いわけじゃない。過去の因縁があるとなれば、観客は皆UNDEADを支持するし、Crazy:Bがいいねを貰える可能性はゼロに等しい。それなら、共演する意味などまるでない。

「ただよ、女の子にこんな泣きそうな顔されたら、なんか俺たちが弱い者いじめしてるみたいじゃねーか……」

 ふと、大神晃牙と視線が合って、そんな事を言われてしまった。いや、HiMERUさんの事を心配しているだけで、泣きそうになっているつもりはないのだけれど。

「花城。心配しなくても、HiMERUはこんなところで終わるアイドルではないのです。それより、仲間たちの元に戻った方が良いのでは? 大丈夫だと高を括っていたら、『いいね!』が足りず後半戦に進めないかも知れません」
「……そうします。これまで、HiMERUさんの言う事に間違いはありませんでしたし」

 このまま行かせたくないと思うものの、敢えてこうして私を突き放すのは、この先のステージを見られたくないという気持ちがあるのかも知れない――そう思って、私は素直に彼の言葉に従う事にした。

 仲間たちの元へ戻る前に、ステージへ向かう五人の背中を最後まで見送ろうと見ていたら、私の視線に気付いたのか、羽風薫と乙狩アドニスが振り返ってこちらへと駆け寄って来た。

「君、コズプロのアイドルだよね?」
「は、はい……」
「他のCrazy:Bのメンバーがいたら、ステージまで連れて来てくれないかな? いや、晃牙くんが『弱い者いじめみたいだ』って言ってたけど、確かに四対一だとフェアじゃないしさ」

 まさかそんな事を言われると思わなくて、即座に頷けずにいた私に、乙狩アドニスが屈んで私に視線を合わせて、力強く言った。まるで背中を押すように。

「UNDEADは弱き者を挫いたりはしない。どうか、俺たちを信じて欲しい」

 よその事務所、それも初対面のユニットにそんな事を言われても、当然信じられるわけがないのだけれど、疑って突っかかったところで何の解決にもならない。それに、大神晃牙と羽風薫の言葉を本心だと受け取るなら、四人掛かりで彼ひとりを追い詰めたところで、確かに復讐や反撃というより『Crazy:Bと同じ事をしているではないか』と思われてしまうかも知れない。このままだとUNDEADにとってもあまり良い結果にならないのなら、双方の利害が一致する事になる。

「分かりました。間に合わないかもしれませんが、出来る限りの事はします」

 もうあれこれ考えている暇はない。私は二人に背を向けて走り出した。仲間たちの元へ戻る前に、最後に与えられたミッションをこなす。Crazy:Bを再び集結させる――それがALKALOIDの、巽さまの願いでもある。振られようと何だろうと、私にとってはずっと憧れの人で、大好きな人である事に変わりはないのだから。

2021/02/07

Gleichwie der Regen
und Schnee vom Himmel fällt

天より雨と雪の降るごとく
[ 28/31 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -