仲間たちに背中を押されて、ALKALOIDと共演する事に決めたけれど、これが事務所が望む行動ではない事は理解している。ALKALOIDのメンバーの一人と二度と会わないように、と上から釘を刺されているのだから、いくらMDMでも自ら接触しに行くなんて、どう考えても庇いようのない違反行為だ。
 事務所にとって、命令に従えないアイドルを雇い続ける意味はない。つまり、ALKALOIDと共演する事で私は解雇されるという事だ。
 七種副所長でも、これ以上私の事を庇う事は出来ないだろうし、それにこれ以上迷惑を掛けたくない。いっそこの共演を終えた後、自分から退所届を出した方が良い。

 アイドルを辞めて、一般人に戻る。彼を異性として好きになってしまい、その気持ちを自分ひとりの胸の内に秘める事が出来なくなった以上、そうするのが正解なのだと思う。
 玲明学園に入学して二年間、苦しい日々を送って、漸くアイドルとしてステージに立つ事が出来るようになったけれど、結局のところ最終学年までに特待生になれなかった時点で、私はアイドルの器ではなかったのだ。

 まだ半年にも満たないけれど、アイドルとして生きたこの数ヶ月間は、間違いなくこれまでの人生で一番充実していて、幸せな時間だった。
 名残惜しいけれど、これが神様が決めた運命だと思って受け入れよう。なんて、散々神様なんて信じないと思っていたのに、こういう時だけ素直に神の存在を信じてしまうのだった。





 ALKALOIDはちょうど他のユニットとライブをしていた。ステージの近くで待機して、終わるタイミングを見計らって声を掛ける事にした。
 彼らに協力する事は、イコールCrazy:Bを助ける事になる。それゆえに共演し難いと思っていたのだけれど、意外にも共演するユニットは多いように見えた。きっとCrazy:Bについては助けるというより、後でしっかり罪を償えという気持ちで、そして純粋にALKALOIDに頑張って貰いたいという想いで協力しているのだろう。

 歌が終わり、相手のユニットがステージから降りる。ここまで来て逃げるなんて有り得ない。覚悟を決めて、一歩踏み出した瞬間。

「光莉さん!! 来てくれたんだね!?」
「ひっ!!」

 天城一彩の呼声が、マイクを通して辺り一帯に響き渡る。当然、観客もざわつき始めて、思わず足がふらついてしまった。
 ごく普通に共演だけを済ませる事で、もう一度巽さまとお話がしたいという事を『何も言わずに』アピール出来ると考えていた。私が解雇されるのは仕方ないとして、観客に巽さまと私の関係が知られてしまう事だけは避けたい――それは当然ALKALOID側としてもそうだと思っていた。思い込んでいた。
『来てくれた』なんて言われたら、明らかに単なる協力者ではないと皆に知られてしまうのに。

 明らかに混乱している私を支えるように、仲間のひとりが私の手を取った。

「ここまで来たらもうステージに立つしかないですよ。覚悟決めましょう、光莉先輩!」
「……勿論。まあ、向こうから声を掛けられるとは思わなかったけど……」

 冷静に考えれば、巽さまと私は同じ玲明学園の生徒で、先輩後輩の関係だ。だからALKALOIDのメンバーが私の事を知っていても、何もおかしい事はない。狼狽える事でただならぬ関係だと誤解されてしまうかも知れないし、堂々としていないと。そう、何も疚しい関係ではなく、疚しい感情を抱いているのは私だけなのだから。

 仲間たちと共に、ステージへと歩を進める。ひとりの子はずっと私の手を握ってくれていた。自分が情けない。けれど、この子たちと一緒にアイドルとして生きる事が出来て、本当に良かった。悔いがないと言ったら嘘になるし、もう少しアイドル活動をしていたかったけれど、せめて今日というアイドル最後の日が良い想い出になるよう、精一杯のパフォーマンスを魅せよう。

 ステージに立ち、ALKALOIDの四人と対峙する。朝日が上る前に会った事が現実ではなく、夢だったと錯覚しそうになるけれど、そうやって現実逃避して逃げている場合じゃない。
 私だってこれでもユニットのリーダーなのだから、お客さまの前ではしっかりしないと。

「いきなりすみません、私たちもALKALOIDと共演させて頂きたいと――」
「光莉さん」

 他人行儀な私の言葉を遮るように名前を呼んだのは、巽さまだった。
 どこか安心したような優しい笑顔。これまでと何も変わらない態度。私とはもう関わりたくないと思っていても仕方がない位なのに、まるで明け方の出来事なんてなかったと錯覚するほど、あたたかな眼差しを私に向けていた。
 これ以上好きになってはいけないのに、自然と顔が熱くなる。

「リスクを冒してまで俺たちに協力してくれるとは……本当に有り難い事です。光莉さんのその勇気と優しさを、神は見てくださっています」
「後輩として当然の事をするまでです、巽『先輩』」
「ふふっ、本当に逞しくなられましたな。子どもの頃から君を見ているからか、なんだか感慨深いです」

 その言葉に、つい数秒前まで熱くなっていた顔が一気に冷たくなった気がした。血の気が引くとはまさにこの事だ。『子どもの頃から』なんて、単なる学園内だけの繋がりではないと証明してしまったようなものだ。
 呆然とする私に、彼は何の迷いもないような真っ直ぐな瞳で私を捉え、「大丈夫」とでも言いたげに微笑んでみせた。
 そして今度は客席に顔を向けて、口を開いた。

「皆さん、ここからは個人的な話で申し訳ないのですが……少しばかりお付き合いください。今こうして共演を申し出てくれた花城光莉さんと、俺の関係について。良い機会ですから説明させて頂きたいと思います」

 気を失うかと思った。寧ろこのまま失神して全てを知らない事に出来たらどんなに良いか。正直、仲間がずっと手を繋いでくれているお陰で正気を保てているほどだ。
 そんな私の混乱を知ってか知らずか、巽さまは淡々と言葉を続ける。

「光莉さんと俺は幼馴染……と言うと、厳密には出会うのが遅かったので語弊があるかも知れませんが。子どもの頃からの付き合いで、また、玲明学園の先輩後輩の関係でもあります。尤も、俺は大怪我をして長い入院生活を送る事になり、休学している間に同級生になってしまいましたが」

 一体何を言っているのか。いや、今のところ事実を告げているに過ぎないけれど、それを今説明する必要がどこにあるのか。

「この場に光莉さんのファンの方がいましたら、是非彼女の名誉の為にも拡散して頂きたいのですが――」
「あの! 待ってください!」

 さすがに『拡散』なんて言葉を出されたら、遮らないわけにはいかなかった。これから話す内容が何であれ、そもそも私と巽さまが単なる知り合いより深い仲だと知られる時点で、様々な憶測を呼んで最悪炎上しかねないからだ。
 思わず仲間の手を振りほどいて、彼の傍へ駆け寄ってそれ以上喋らせないよう声を荒げようとしたけれど、まるで子供をあやすように私の髪を撫でて来た。

「なっ……!」
「光莉さんが今年の春にラジオで告げた『憧れの人』というのは、恥ずかしながら俺の事なんです」

 彼は観客をまっすぐに見据えて、あっさりと言ってのけた。
 事務所に散々怒られて、『憬れの人』は同性という事にしろと命令されて、仕方なしに次の回でそう訂正して事なきを得た――ちょっとしたボヤ騒ぎが、まさかその憧れの人張本人によって掘り返されるなんて。

「ち、違っ……そ、それは……」
「『男目当てでアイドルになったのか』とかなんとか言われて炎上して、次の回で相手は同性だと説明したそうですが……『そういう事にしなさい』と事務所に言われたんですよね、光莉さん?」

 今度は私の方へ顔を向けて、満面の笑みを浮かべてみせる。どこか意地悪そうに見えて、最早私が混乱しているのを楽しんでいるようにすら感じる。馬鹿みたいに口を開けて呆然としている私を、巽さまはどう思っているのか。少なくとも恋愛対象には見えないだろう。
 何も言えない私に、彼は返事を待たずに再び観客へ顔を向ける。

「彼女はとても正直で、事務所の言いつけを守る真面目な子です。ファンの方々に嘘を吐くのは不本意だったとは思いますが、炎上を鎮火させるにはそうするしかなかったのでしょう。そうして着実に、可愛らしい仲間たちとアイドル活動をしているわけですが……」

 少しばかり間を置いて、今度は声のトーンを下げて言葉を紡ぐ。

「何故こんな話をしたかというと、どうやら彼女の事務所が、俺と二度と会わないよう光莉さんに命じたそうなのです。スキャンダル防止の為でしょうけれど、俺と光莉さんは兄と妹のような関係で、決して恋愛関係ではないと言うのに……光莉さんをアイドルとして大切に育てていく為とはいえ、俺としては実に嘆かわしい事です」

 彼の言っている事は全て正しい。嘘など何も吐いていない。粗探ししようとしたって無駄だ。だって、本当にその通りで、私と巽さまは、巽先輩は、巽くんは……恋愛関係にはないどころか、彼は私の事を『妹のよう』だと思っているのだから。
 妹。そう考えれば、これまでの距離感について全ての説明が付く。兄の事を『巽さま』なんて呼ぶ妹はごく普通の家庭であれば有り得ないし、離れて暮らす妹とばったり会えば話すのは当たり前で、家に呼んで夕食を共にするのも当たり前で、兄と妹の関係だというのに事務所に二度と会うなと命じられるのはおかしな話で、兄と妹の関係だというのにP機関のあんずさんの力を借りて太陽が昇る前に人目を忍ばないと会えないのもおかしな話で……妹なのだから人前で髪を撫でるのは当たり前――じゃない。

「――巽くん、ちょっといい?」
「はい、なんでしょうか」
「この歳になって髪を撫でるのは、お兄ちゃんのやる事じゃないと思いますけど!?」
「そうでしょうか?」
「そうですっ! そういう事をするから、事務所にも誤解されちゃうんです!」

 最早何故自分が怒っているのか説明が付かない。巽くんは何もおかしな事は言っていない。すべて事実で、誰も否定しようがない事実で、私の事を恋愛対象だなんて一度たりとも思った事がなく、単なる妹だと思ってずっと接して来ていて……私ひとりがずっと恋愛感情を抱いて一方的に想い続けて……。

 要するに、公衆の面前できっぱりと振られたという事だ。

「せっかく巽くんがアイドルとして再起し掛けてるのに、変に期待を持たせてやっぱり解雇します、なんて事になったら腹が立つから! そう思って少しでも協力出来ればと共演依頼に来たのに、勝手に余計な事言って……!」
「余計な事、ですか?」
「炎上の事! なんでそんな事まで知ってるんですか!? 退院してから今まで、私のラジオの話なんて一切言ってなかったじゃないですか!」
「藍良さんが詳しく教えてくれましてな。『あーかいぶ』とやらで全て拝聴させて頂きました」

 観客から私へと顔を向けた彼の表情は、実に活き活きとしている。好きな子をからかう男子のような――そんな訳がない。だって、彼は私の事を妹だと思っているのだから。

「俺と会うなと事務所から言われているのに、こうして協力してくれて、本当に嬉しいんですよ。俺がわざわざこんな事を言ったのは、光莉さんが、ファンの皆さんが思っているよりずっと、情に厚く優しい子であると分かって頂きたかったのもあるんです」

 何もかも正しい彼に対して、私が声を荒げるのは完全に八つ当たりだと分かっている。でも、今日だけは花城光莉という偶像のイメージが若干おかしくなるのを許して欲しい。どうせ振られたんだし、最早退所届を出す必要もなくなった。これで事務所がまだ私たちの関係を疑うのなら、勝手にすればいいけれど、最早進展する可能性はゼロになったのだから無意味な行為だ。

「もう……勝手な事しないで! 巽『お兄ちゃん』!!」

 かつて恋焦がれていた人に対して新たな呼称が誕生した瞬間。少し離れた場所でずっと様子を伺っていたALKALOIDのメンバーはというと、天城一彩くんは満面の笑顔でこちらを見ていて、白鳥藍良くんは完全に呆れ果てている表情で、礼瀬マヨイさんは何故か顔を背けて悶絶していた。
 そして『お兄ちゃん』は、少し意地悪そうに微笑んでいた。まるで「今朝の告白の仕返しだ」とでも言いたげに。





 散々なMC(と称するのもどうかと思うけれど)を経て、共演ライブは無事に成功した。誰にも向けようのない怒りがパフォーマンスに良い意味で影響したのか、いつもより良く声も出て、いつもより身体のキレも良く、もう笑うしかないという心境になっていて、多分最高の笑顔をしていたと思う。

「リーダーとしてお礼を言わせて貰うよ。協力してくれてありがとう、光莉さん」
「というか、私の独断ではなく、背中を押してくれたのはこの子たちなので……お礼はこの子たちに言ってください。頼りないリーダーをずっと支えてくれている、最高の仲間なので」

 一彩くんの言葉に、私は後ろにいる仲間たちに顔を向けながら返した。その時、仲間たちの視線がまるでALKALOIDのメンバーと目配せしているように見えて、再び彼らへ顔を向けたけれど、満足そうに笑みを浮かべているだけで、それ以上の事は何も分からなかった。
 気のせいだと思い直して、私は改めて口を開いた。

「巽お兄ちゃん、早く玲明に戻って来てくださいね。でも、もう二度と怪我だけはしないように」
「はい、近いうちに学園でお会いしましょう。まあ、俺も実家にちょくちょく顔は出しますので、以前と同じように教会に来てくださっても構いませんが」
「だから、そういう事を言うから誤解されるんですって!」

 私が信徒でもないのに教会に足を運んでいる時点で、下心があると思われても仕方ないというのに。まあ、兄と妹の関係だし別に構わないのか。いくら周囲が私たちの関係を探ったところで、彼が言った事が紛れもない事実なのだし。
 なんだか、本当に個人的な感情に振り回されたまま共演が終わってしまったけれど、そもそもの目的としてこれだけは言っておかないと。

「一彩くん。お兄さんの事だけど……私、前に『本当に楽しいと思ってアイドルをやっているのか』『自分が楽しんでいないのに、お客さまを楽しませる事が出来るのか』ってお説教された事があるんです」
「兄さんが……そんな事を?」

 驚く一彩くんに、私は迷わず頷いた。確かにCrazy:Bは多くのユニットを傷付け、お客さまにも恐怖を与えてしまった。どんな理由であれ、これからしっかり償っていかなければならないだろう。
 でも、そんな恐ろしい面だけではないのだと、敢えてお客さまの前で説明する事は、決して悪い事ではないと思う。

「当然、多くの人を傷付けた事は償わなければならないと考えていますが……天城燐音さんも、彼なりにアイドルという職業を愛していたのだと思います」

 多分、その天城燐音はここではない遠く離れた場所にいるのかも知れないけれど、自分の考えを口にしたところで、誰にも迷惑は掛けないから、言う意味はなくても損はしない。
 私は再び客席へ顔を向けて、そこにはいない相手へ言葉を紡いだ。

「天城燐音さんに、今ならはっきり言えます。私、アイドルをやっていて本当に楽しいです。今日、改めて心からそう思いました。そう思えたのは、客席の皆さんがあたたかく見守ってくださったお陰です。みっともないところも見せてしまいましたが……ALKALOIDや私たちだけではなく、ESのアイドルの事を……これからも応援して頂けると嬉しいです」

 そう言って頭を下げ、仲間たちも続いて頭を下げる。あんな兄妹喧嘩(私がひとり怒っていただけだけれど)を目の当たりにしても、お客さまは混乱する事なく見守ってくれていて、今もたくさんの拍手が鳴り響いていた。

 失恋してしまったけれど、意外と喪失感はなかった。そう思えるのは、このライブが最高に楽しかったからだ。まあ、事務所からは後でこっぴどく叱られると思うし、七種副所長も頭を抱えるとは思うけれど……今度こそ本当に解雇となれば、それはそれで仕方ない。その時はきっぱりアイドルの道を諦めて、今度は後方で後輩たちを支えて行こう。

 もしかしたら今日がアイドルとして生きる最後の日になるかも知れない。もしそうなったとしても、悔いはない。憧れだった、心から大好きだった人と、漸く同じステージに立つ事が出来たのだから。

2021/01/30

Erschallet, ihr Lieder,
erklinget, ihr Saiten!

鳴り響け、汝らの歌声
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