盂蘭盆会で得た報酬が想定よりも遥かに高く、後はMDMの出場料を稼ぐ為に、期限までに仕事をこなすのみとなった。正直、仕事を選り好みしても充分L$が稼げるほどに。
 つい前までクビ寸前で絶望的な状況だったというのに、ここまで己たちの立場が好転したのは、紛れもなく己たちの努力や、手助けをしてくれた人々の力もあるが、一番大きかったのは資金不足が解消された事だった。
 盂蘭盆会はドリフェスにおける『N1』に該当し、新人を後押しする為に報酬が高めに設定されていた。それでも想定以上のL$が支払われたのは、このライブで夢破れ、引退するアイドル達が、今まで自分たちが稼いだL$をALKALOIDへ託したからであった。
 彼らの想い、そして願いを無下にしない為にも、己たちは邁進しなければならない。とはいえ、一番のネックが解消され、精神的負担が減った今、ここまで来れば過酷ではない。後は地道に仕事をこなし、L$を稼ぎ、MDMに出場する。目標は至ってシンプルになり、何も迷う事はなかった。
 盂蘭盆会が終わったすぐ後に、Crazy:B直々に『アイドルロワイヤル』なるライブへの参加を提案されても、リスクが高いと判断し断る事が出来る程度には、今の己たちには余裕があった。

 その筈なのに、心が霧に覆われたような感覚にふと陥る事があるのは、決して気のせいではない。突然増えた仕事に疲労を感じているのだと初めは思っていたが、身体を壊す程の量ではなく、寧ろ肉体的には心地良い疲れであった。
 何の弊害もなく、日々穏やかに過ごせている筈なのに、どうして心が晴れないのか。
 その答えに気付いたのは、彼女――花城光莉が担当するラジオを聴いて、違和感を覚えた時だった。



『――明日も明後日もその先も、皆さんにとって良い一日になりますように。花城光莉でした! またね〜』

 今日もALKALOIDの四人で小さな仕事をこなし、星奏館に戻る頃には既に陽が沈んでいた。夕食と入浴を済ませ、いつもと変わらず本日の仕事の振り返りをしていたところ、白鳥藍良が徐に自身のスマートフォンを触り、気付けば花城光莉のラジオ番組がBGMと化していた。決まりの挨拶と共に彼女の番組が終了すると、白鳥藍良の恍惚の溜息が部屋に響いた。

「相変わらず光莉ちゃんの声は癒されるゥ〜。先週は盂蘭盆会の準備で忙しくて聴けなかったから、尚更胸に染み入るよォ」
「藍良さん、そんなに光莉さんが好きだったんですか?」
「ドルオタだからねェ。特に光莉ちゃんみたいにどん底から這い上がった子は、余計肩入れしたくなるっていうか……」
「成程。光莉さんの生き様そのものが魅力になっているのですな」

 確かに彼女の声質は癒されるという感想には頷ける。だが、今日の彼女の語りは明らかに『いつもの彼女』ではなかった。台本に書かれた言葉を一語一句違わずに読み上げ、ファンとのやり取りも個人的な意見は一切交えず、誰でも言える当たり障りのない事のみ紡いでいる。
 無論、玲明学園のやり方としてはそれで間違いはないのだが、本当に彼女はアイドルという職業を楽しめているのか――アイドルとして、根本的な事を忘れてはいないだろうか。誰しも、初めから嫌々アイドルという職業に身を置く者はいない。きっかけは何であれ、ステージ上で輝く偶像に魅せられ、憧れ、自分も彼・彼女たちのようになりたいという意志があってこの世界に身を投じた筈だ。

 実際にアイドルになって、理想と現実は違うのだと落胆する者も多くいるだろう。だが、彼女がそんな思いを抱くのはまだ早い。今年の春に漸く特待生になり、後輩の子たちとユニットを組む事になったというのだから、半年も経っていない今は駆け出しの立ち位置にいる。すべてが始まったばかりだというのに、今の段階でアイドルという職業を『こんなもの』だと思って欲しくはなかった。

「タッツン先輩、どうしたの?」
「ああ、いえ……ちょっと、光莉さんが『らしくない』と思ってしまっただけです。藍良さんが気にならないのでしたら、寧ろそれがアイドルとして正しい姿なのでしょうけど」
「そっかぁ、タッツン先輩はおれとは逆に、オフの光莉ちゃんしか知らないから違和感を覚えたんだねェ」

 彼は訝しげに思うでもなく、真剣な面持ちで暫し考え込めば、突然閃いたように目を大きく見開いた。

「そういえば、タッツン先輩ってまだ光莉ちゃんと和解してないよね? いや、和解っていうのもおかしいけど……」
「いえ、その認識で正しいかと。もし光莉さんとばったり出くわしたとしても、以前と変わらず普通に接して貰える自信は正直ありません」
「ええ〜、タッツン先輩もそんなに弱気になる事があるんだァ」
「俺も皆さんと同じ、神の下に生まれた人間ですからな」

 てっきり、彼女と己のわだかまりが解けておらず、だからこそ彼女も今日のラジオ番組がどこか心がこもっていない、淡々と読み上げるだけの内容になっていた――白鳥藍良はそう言いたいのだと思い込んでいた。
 だが、彼から出て来た言葉は逆であった。

「きっとさァ、タッツン先輩は光莉ちゃんとぎくしゃくしてるから、今日のラジオが何か違う、って感じたんじゃないかな?」
「……俺が?」
「いや! 別に先輩が悪いって言ってるんじゃなくて!」
「それは分かってますよ、藍良さん」
「ううっ、ごめんねェ……でも、おれは今日の光莉ちゃんはとっても上手に喋れてると思ったよ。逆にこないだ『タッツン先輩に謝りたい』って言った事の方がびっくりした位だし。まあ、誰にとは言ってないけど」

 逆に、とはどういう事なのか。ファンの悩み相談に自身の体験も交えて答えるのは、何も悪い事ではない。寧ろ人間味が増し、花城光莉というアイドルは作られた存在ではなく、紛れもなくこの世界に生きる一人の少女なのだとファンも感じるだろう。
 疑問を抱いているのが顔に出ていたらしく、彼は眉を下げて困った素振りで教えてくれた。

「一応さ、アイドルって建前上は恋愛しちゃいけない、みたいな風潮があるでしょ? こないだの言い方だと、その喧嘩して謝りたい相手って、本当に友達かどうか分からないよね。『まさか彼氏なんじゃ……』って疑心暗鬼になるファンがいてもおかしくないよォ」
「さすがに恋人の話を公の場で口にする程、光莉さんは頭の回らない子ではないですよ」
「それは、タッツン先輩がほんとうの光莉ちゃんをよく分かってるから。ファンの皆はそうは思ってないんだよ。キャラとしては、ユニットで最年長だけどちょっとおバカな子、みたいな感じで売り出してるし」

 だが、さすがに先日のラジオの内容だけで、相手が異性だと思い込むファンはいないのではないだろうか。彼女を庇うのではなく、純粋にそう思ったのだが、彼とて確証がないまま言っているわけではない。この子もアイドルとしてのキャリアはまだないものの、その知識は多岐に渡り、聡い子である事はまだ僅かな付き合いでも理解している。

「……別に言う事じゃないと思って黙ってたけど……実は光莉ちゃん、このラジオが始まったばかりの頃にちょっと炎上しかけた事があったんだ」
「それはまた物騒な話ですな。最初こそ、失敗のないように台本通りに演じさせるはずですが……光莉さんが事務所の言いつけを破ったのでしょうか」
「そこまでは分からないけど……アイドルになったのは憧れの人がいるからとか何とかで、それが男なんじゃないか、男目当てでアイドルになったんじゃないか、なんて言う人がいて、ちょっと大変だったみだいだよォ。次の回で『女の人です』って釈明してたけど……」

 彼はこの先が言い難いのか、己から視線を逸らした。今の言葉、およびその動作でさすがに何を言いたいのか察するのは容易だった。

「……つまり、藍良さんはその『憧れの人』が俺だと思われているのですかな?」
「うっ……うん、そうだよォ。人違いかも知れないけど、きっとタッツン先輩の事じゃないかなァ」

 ほんの些細な発言で恋人がいると勘違いされ、非難されるのでは、事務所が用意した無難な台本を読み上げ、当たり障りのないアイドル像を演じるのも無理のない話だ。なんとも窮屈な話ではあるが、過去に炎上し掛けても彼女が手に入れた地位を失わずに済んでいるのは、事務所がしっかり守ってくれている証拠でもある。

「藍良さんの言いたい事が掴めた……というか、全面的に正しいでしょうな。今日の光莉さんは普段通りであり、それに違和感を覚えるのは俺自身の心に起因していると……」
「いや、おれカウンセラーじゃないし違うかも知れないけど! うう、もしかしてタッツン先輩を困らせちゃったかなァ」
「いえいえ。今後光莉さんとの関係を修復するにあたり、俺が知らない事は是非教えて頂きたいです。ありがとうございます、藍良さん」

 そう話を切り上げたは良いものの、この日から自然と彼女に思いを馳せる日々が始まったのだった。
 ALKALOIDの一員として、アイドル活動は順調で、これ以上何かを望む事など烏滸がましいとさえ思うのに。
 仕事に追われる日々の中、どこかでばったり彼女に会えないかと、無意識に彼女の姿を探していた。これまでは偶然出くわす事が度々あったのに、あの一件以降どうしてここまで会えないのだろうか。彼女が己を避けているのかとも思ったが、そうなると以前のラジオでの発言に矛盾が生じる。
 ならば、これは神の思し召しなのだろう。今は彼女には会わず、ALKALOIDの活動に専念しろという事だ。
 個人的な感情で心が乱されるなど、信仰が足りない証拠である。為すべき事を地道に行っていれば、己と道は開けるのだ。今はまだその時ではない。そう言い聞かせていた。





「巽先輩、藍良から聞いたよ。光莉さんに直接会いに行ったらどうだろうか」
「こらーっ!! ヒロくんっ!!」

 仕事を終え、星奏館へ向かっている道中、天城一彩が突拍子もなくそんな事を言ってきて、己が反応するよりも先に白鳥藍良が声を荒げた。

「どうして前フリもなくはっきり言うかなァ!? 少しは空気読んでよねェ!!」
「巽先輩が最近元気がない、と話を振ってきたのは藍良の方だよね。僕は間違った事を言っただろうか」
「あ〜もう! 今は言うタイミングじゃないのッ!! ヒロくんなんかに言わなきゃ良かったよォ」

 ひとしきり天城一彩の背中をぽかぽかと叩いた後、白鳥藍良は気まずそうに目を逸らしながら、己に駆け寄れば袖を引っ張った。

「タッツン先輩、ごめんねェ。ただ、おれが余計な事を言ったせいで、光莉ちゃんの事を気にしてるんじゃないかなって……」
「……元気がないように見えましたかな?」
「う、うう……」
「藍良さんの事を責めているわけではありません。寧ろ、皆さんにご心配をお掛けして申し訳ありません」

 まさか仲間たちに悟られるほど、己の胸中が顔に出ていたとは思いもしなかった。すべて神に任せるしかなく、今はただひたすら待ち続ける時なのだと分かってはいつつも、何故か彼女の事が気に掛かるのだ。
 これまで、長い間会えない時などいくらでもあった。長期入院から退院した後も、一週間や二週間会えない事など当たり前にあったというのに、今はどうして気が晴れないのか。道に迷っているわけでもなく、忙しさに相殺され悩む暇もないというのに。

「あ、あのう……私も一彩さんの意見に賛成です……やはり光莉さんと直接お話すれば、巽さんも気が楽になるんじゃないでしょうか」

 疲れが溜まっているのか、普段は仕事帰りは口数が少ない礼瀬マヨイが、恐る恐る口を開いた。無論、それが出来ればここまで引きずる事もないのだが。

「ええ……いずれ玲明に赴いて、光莉さんに会うまで帰らない、などという強硬手段も取れば会えなくもないですが。果たしてそれを光莉さんが望むのかと考えると、実に悩ましいところですな」
「星奏館から玲明学園までは距離もありますし、今のスケジュールだと難しいですね……タイミングが合えばESビルで会って話す程度は出来そうですけれど……」
「それが、不思議と会う機会がないんですよね。神が我々に『今は会うべきではない』と、敢えてそうしているのかも知れませんな。今はALKALOIDの活動に集中しろという事なのでしょう、きっと」

 進展も解決も、何もしていないのだが、仲間たちと話せただけでも幾分か楽になった気がした。やはり、人はひとりでは生きていけない。互いに支え合う仲間がいるからこそ、困難を乗り越え、前に進む事が出来るのだ。この出逢いを大切に、前向きに着実に歩んでいけば、いずれ彼女と話せる時が来るだろう。
 己の中でひとまずそう落としどころを見出したものの、この後、礼瀬マヨイが独断で彼女に接触する事など、この時はまだ知る由もないのだった。

2020/11/08

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