夕暮れ怪奇譚 | ナノ




暮れ怪奇譚
 
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 大鏡の悪魔 05

 鈴が自分の願いを聞き届けてしまったのかもしれない。
 覚悟を決めてそれを伝え、高良たからはそっと雪見ゆきみの様子を窺った。反応が怖いのにこうして目を向けてしまうのだから我ながら難儀だと思う。ともあれ、覗き見た雪見ははじめこそ僅かな驚きを浮かべていたが、やがて何事か納得した様子で頷いた。

「なるほど……それなら確かに今の状況にも説明がつく」

 何よりも恐れていた疑いや拒絶とは程遠い反応にほっと安堵の息が漏れた。どれだけ頭で理解していても、過去の経験から来る恐怖心を拭いきるのはなかなかどうして難しい。
 先ほどとは別の申し訳なさで再び視線が下がりそうになるのを堪え、高良は言った。

「自分で言っておいてなんですけど、本当にあり得る話なんですか?」

「ああ。実際に巻き込まれたのははじめてだが、話自体は何度か聞いたことがある。人の思いに反応して現象を起こすという点で見るなら、呪いの藁人形あたりが結構似てるんじゃないか?」

「言われてみると似てる気はしますけど! 嫌すぎるんで勘弁してください!」

 いくらオカルト関係の話題を避けて来た高良でもそれくらいは知っている。丑の刻参り、と言っただろうか。相手を呪うための方法だったはずだ。
 釘の刺さった不気味な人形の姿が思い浮かんで盛大に首を振った。雪見に悪気がないのはわかっているが、お守りとして持っていたはずの鈴が途端に呪いのアイテムに見えてくるのだから本当に勘弁して欲しい。
 溜め息をつくことでどうにか気持ちを切り替えて、高良は気になっていたことを尋ねた。

「結局、鈴を鳴らす方法ってあるんですか?」

「ああ、それなんだが、相模さがみの願いでこの空間が成立しているなら答えは最初から出ていた。考えるまでもなかったんだよ」

「え?」

「〈大鏡の悪魔〉を処理したらいい。それで鈴が俺たちを閉じ込めておく理由はなくなる」

 雪見から告げられたのはひどく単純な答えだった。
 でも、落ち着いて考えてみたら当たり前の話だ。鈴が二人を閉じ込めたのは〈大鏡の悪魔〉を処理させるためであって、それはつまり〈大鏡の悪魔〉さえ処理できれば二人に用はないということだ。果たして用済みになったところで帰してもらえるのか疑問ではあるが、雪見が言及しないなら気にしなくていいのだろう。

「問題はどうやって処理するか、だ。……相模」

 呼びかけて、雪見が真剣な目を向けてくる。それだけで空気が張り詰めた気がして知らず居住まいを正していた。
 一体何を言われるのだろう。目を逸らせないまま、ただじっと次の言葉を待つ。何を言われても受け入れられる心積もりではいるが、やはりここでも顔を覗かせる恐怖心は振り払いきれないようだ。着々と不安が募っていくのが自分でもよくわかる。
 数分にも感じられる数秒の後、雪見はようやく口を開いた。

「お前はどうしたい? 俺の本音を言えば、相模には全て終わるまでおとなしく待っていて欲しいと思う。だが、手伝いたいという意思を蔑ろにしたくもない。だからお前が決めてくれ。手伝うのか、待っているのか」

「…………」

「どちらを選んでも俺は何も言わない。相模の意思を尊重しよう」

 雪見らしい言葉だと思った。自分の意見を押し付けることも無理強いもしない。あくまで高良に選択の余地を与えてくれる。だから、もう一度考えてみる。自分はどうしたいのか。
 答えは変わらなかった。

「手伝います」

 空色を見つめ、きっぱりと言い放つ。
 今でもあの時の光景を思い出すだけで恐ろしくて堪らないし、自分に何ができるのか――いや、そもそも何もできないのかもしれないけれど。この状況の一因を作っておいて、ただ待っているなんてできなかった。手伝いたいと願った以上、最後まで責任を持つべきだ。

「……そうか」

 少しの間を置いて雪見が頷く。そして真剣な顔をしたまま、いやに突飛な質問を投げかけた。

「手伝ってくれるなら一つ策がある。……相模、体力はある方か?」

「へ? まあ、平均くらいはあると思いますけど」

「十分だ。なら――」

 困惑を隠せないでいる高良の様子など気にも留めず、一度言葉を切った雪見はおよそ教師らしくない頼みを口にした。

「少し、校内を走って来てもらえないか?」

***

 息を殺して廊下の陰から踊り場を窺うと山羊の頭を乗せた人間が佇んでいた。言うまでもない、〈大鏡の悪魔〉である。怪しい光を湛える赤い目は獲物を待っているようで、壁に触れていた手が自然と強張った。

「大丈夫か?」

 少し高い位置から気遣う声が降ってくる。見上げて小さく頷くと、雪見はなぜか困った風に眉を下げていた。大丈夫と伝えるつもりが、どうやら不安を訴える表情が貼り付いていたらしい。

「心配しなくても、あいつの動きは人間と大して変わらない」

 安心させようとしているのか、ぽん、と背中を叩いて雪見が言う。

「立ち止まらなければ追いつかれることはないし、直接危害を加えられることもない。無理だと思ったらどこかの教室でやり過ごして、見つからないように俺のところに戻って来たらいいから」

 そうだ。立ち止まらない限り危険はない。余計なことは考えず、ただ頼まれた通りに走り続けたらいい。そのために自分はここにいるのだから。
 雪見の提案した策はいたってシンプルだった。高良が〈大鏡の悪魔〉を引き連れて指定された場所まで走り、待ち伏せた雪見がそれを叩くだけ。もはや策と言っていいのかさえ微妙な、けれど今の二人が取るには最善の方法だろう。

「いけそうか?」

「……はい。絶対に先生のところまで連れて行きます」

「じゃあ、手筈通りに。くれぐれも無茶だけはするなよ」

 そう言って廊下の奥へ消えていく背中を見送って、改めて前方へ視線を向けた。〈大鏡の悪魔〉は変わらず踊り場に佇み、獲物が――高良が通りかかるのを待っている。
 目を閉じて大きく息を吐き出した。一人になった途端恐怖が波のように押し寄せて今にも動けなくなりそうだ。でも、それじゃあ駄目だと両の頬を叩いて気合いを入れる。ぱちん、と響く乾いた音で覚悟を決めて、一歩、廊下の陰から足を踏み出した。

「…………っ」

 瞬間、痛いほどの殺意が突き刺さった。原因が何かなんて考えるまでもないだろう。
 ゆっくり顔を上げると赤い三日月と目が合った。

(……笑ってる?)

 ぞわりと冷たいものが背筋を走る。あれは、〈大鏡の悪魔〉は笑っているのだ。赤い目を三日月に歪めて、確かに高良の方を見ながら。
 反射的に床を蹴っていた。逃げなければ。走らなければ。
 一目散に廊下を駆け抜ける。目が合ったら動けなくなってしまいそうで後ろを振り返ることはできなかった。その代わり、自身に向けられる殺意と得体の知れないナニカの気配が〈大鏡の悪魔〉が追いかけて来ていることを教えてくれていた。

 化け物の存在を肌で感じながら廊下をひた走った。規則的に並ぶドアと窓が延々と流れていく様は、廊下が永遠に続くのではないかと錯覚させる。校内の構造自体は変わっていないことを雪見と確認したはずなのに。
 少し行った左手側に別棟へ続く渡り廊下が見えた。足を緩めることなく、そこを通って別棟に駆け込んだ。
 手狭なホールである。目の前には『図書室』のプレートが掛かったドアがあり、隅にはいくつものダンボール箱が積まれている。それらを横目に、高良は右手の階段へ向かった。
 階段の下。多目的室と名付けられたスペースこそが雪見との合流場所だった。もし一発で仕留められなくてもある程度の広さが確保されており、開く出入り口が一箇所しかないこの場所は待ち伏せるのに最適だったのだ。

(あと少し……っ)

 ここまで来るとさすがに息が上がってきたが今立ち止まったら今度こそ自分は〈大鏡の悪魔〉に襲われるだろうし、計画も台無しになってしまう。それだけは絶対に駄目だと言い聞かせ、必死に足を動かし続けた。
 狭い踊り場をいっぱいに使って向きを変え、ラストスパートとばかりに速度を上げる。あと少し。あと少しで全てが終わる。

「相模! 危ないから俺の後ろに!」

 最後の数段を飛び降りた高良に雪見が叫ぶ。
 言葉のままに高良が教室の隅に倒れ込んだのと〈大鏡の悪魔〉が階段から姿を見せたのはほとんど同時だった。

 雪見はあの時と同じ小瓶を指先に何本か挟み、〈大鏡の悪魔〉目掛けて水を振り撒いた。それは吸い寄せられるように化け物へ向かい、角から足元までを綺麗に濡らす。
 ――次の瞬間。鋭い爪を光らせ雪見に飛び掛ろうとした化け物がぴたりと動きを止めた。パキ、という音に視線を下げると水に濡れた足元が徐々に凍り始めている。
 それが決着の合図だった。
 結晶は見る間に〈大鏡の悪魔〉を侵食していき、やがて全身を薄氷で覆い尽くす。さながら氷の彫像と化したそれは未だ殺意の炎を灯しているがそんなもので氷が溶けるわけもなく。ただ薄氷の向こうから雪見を睨みつけるばかりである。

「これで帰れるはずだ」

 雪見がそっと彫像に触れる。すると触れた箇所から表面に無数の亀裂が走り、まるで内側から爆破されたかのように彫像は粉々に砕け散った。あるいは一緒に砕かれた〈大鏡の悪魔〉の断末魔にも聞こえる大きな音を伴って。
 聞いていられなくなって思わず耳を塞いだ。実際は結晶が割れる音のはずなのに、どうしてこんなにも痛々しく聞こえるのだろう。やはり〈大鏡の悪魔〉ごと砕けたことを認識してしまったせいだろうか。あれが声らしきものを発した覚えなんてないのにおかしな話だ。

「……あれ。先生、それなんですか?」

 しばらくして彫像が完全に崩れ去ると、雪見は結晶の中に紛れる小さな赤い玉を拾い上げた。未だ色の戻らない世界で強烈な色を宿すそれは妙な存在感を放って見える。そういえば〈大鏡の悪魔〉の目が同じ色味をしていた気もするが、何か関係あるのだろうか。まさか目だけが残るわけでもあるまい。
 などと高良は想像を巡らせてみるが、しかし雪見は真面目な顔であっさりと言い切った。

「俺にもよくわからない」

「えっ」

「あの化け物が消滅すると必ず落ちているんだが、それ以上のことは何もわからないんだ。それより鈴は鳴りそうか?」

 そういえばそうだった。本題を思い出し、高良は近くに置いてあった鞄――雪見が運んでおいてくれたのだ――に手を伸ばした。その時だ。
 ――ちりん。
 鈴があの涼やかな音を立てた。手が触れたわけでも、ましてや風が吹いたわけでもないのに。

「……鳴った」

 どちらからともなく呟いて、瞬き一回。
 それが二人の世界が色を取り戻すのにかかった時間だった。


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