夕暮れ怪奇譚 | ナノ




暮れ怪奇譚
 
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 探偵事務所と水音の怪 02

 どうぞ、という声に促され高良たからは意を決して探偵事務所の扉を開けた。
 階下とは対照的な、いかにも事務的で雑多な部屋だ。大きな部屋をパーテーションで仕切り、入ってすぐ右手側は応接室、左手側は作業スペースになっているらしい。壁一面を埋める中身のぎっしり詰まった棚、机の上に開いたまま放置されたノートパソコンやファイルがちらりと見えた。
 一方応接室の方はというとこれもやっぱり中身が詰まった棚にホワイトボードなどが壁際に並び、中央にはテーブルを挟む形で二つのソファが置かれている。そこには雪見ゆきみと自分に会いたいという人だろうか。男性が一人、向き合う形で座っていた。左目が隠れるくらい長い前髪と、鮮やかな緑の瞳が印象的な人だ。
 男性は高良が入ってきたのを確認すると、ひらひら手を振って声をかけてきた。

「こんにちは。つかさくんから話は聞いているよ。今回は災難だったねぇ」

「は、はあ……」

「とりあえずそっち座って。コーヒー飲める?」

「え? ……あんまり得意じゃないです」

「あ、そう? 残念。ここのやつ美味しいのに。ちょっと待っててね」

 一方的に聞くだけ聞いて、男性は机に置いてあった二つのカップを持って仕切りの向こうに消えてしまった。どうやら飲み物を用意しに行ったようで、すぐに階下で嗅いだのと同じコーヒーの香りが漂ってくる。
 ひとまず雪見の隣に腰をおろし、男性が戻るのを待つことにした。飲み物を淹れる音に混じって楽しげな鼻歌が聞こえる。

「悪いな、わざわざこんな場所まで来させて。入りづらかったんじゃないか?」

「正直、だいぶ。男子高校生にはハードルが高いというか、なんというか……」

「あはは、だろうねぇ。この辺に高校生が来るとしたら雑貨目当ての女の子がほとんどだからね」

「あのな、お前が急に会いたいとか言い出すからこんな場所に呼び出す羽目になったんだぞ?」

「それは本当に悪いと思ってるよ」

 仕切りの向こうで当たり前のように会話に参加していた声が、不意に真後ろから聞こえた。振り向くといつの間に戻ったのかトレイを手にした男性が立っており、彼は反論しつつ載せてあった飲み物を机に置いていった。

「でも仕方ないじゃない、内容が内容なんだから。司くんのことは信じているけど、念のため自分の目でも確かめたいと思うのは当然でしょ?」

「それはそうだが、お前の場合余計なことまで言いそうだから会わせたくなかったんだ」

「なんて言いつつ連れて来てくれるあたり律儀だよね。無視してもよかったのに」

「そうするとお前、あとでうるさいだろ」

「うん。よくわかってるね」

 湯気の立つカップが二つに、麦茶のグラスが一つ。それらを各々の前に置くと男性は正面のソファに腰掛け、

「それよりも……ええと、相模さがみくんって言ったっけ」

 と、高良の方へ向き直った。

「司くんに聞いているとは思うけど、今日君を呼んだ理由は秘密を共有するうえで信用できるかどうか、僕自身の目で確かめるためだ。ああ、でも、気を悪くしないでね? 僕は司くんのことを信じているし、彼が大丈夫だって言うなら君のことだって信じるよ。でもね、これからする話は口外されるとちょっと困るからさ。職員を守る立場にいる以上、一度会って話をしておくべきだと思ったんだ。というわけで、一つ聞いてもいい?」

「なんですか?」

「これからする話は誰にも言わない、って約束できる?」

「…………はい?」

 何を聞かれるのかと身構えていただけに拍子抜けだった。それはもう、いつも以上に間抜けな声が漏れるほどに。
 質問の意図が全くわからなかった。この人は秘密を口外しないことを自ら確認するために高良に会いたいと申し出たはずだ。それなのに当の本人に「約束できる?」などと聞いて一体なんの意味がある? 第一、本人の証言では信用も何もないではないか。人間は誰だって、口先ではなんとでも言えるのだから。
 思わず瞬きを繰り返して男性の方を見た。彼はにこにこと人のよさそうな笑みを浮かべるばかりで、余計に困惑するだけだった。

「……ええと、それ、オレに聞く意味あります?」

 結局、素直に疑問をぶつけてしまった。

「『絶対に言わない』って言いながら、友達に話しちゃうかもしれないじゃないですか。面白い話聞いたんだけど、って」

「話しちゃうの?」

「いや、話しませんけど。そういうの嫌いなんです」

 きっぱり言い切ると男性は何度か目を瞬かせ、それからなぜか声を上げて笑い出した。頭をもたげていた困惑がみるみるうちに膨らんで、ついにはあからさまに怪訝な表情が貼り付いたのが自分でもわかる。おかしなことを言ったつもりはないし、笑う要素も特にないと思うのだが。
 黙って見守っていた雪見が「おい、八尋やひろ!」と咎めたことで、彼はようやく笑うのを止めた。よく見ると目の端に薄ら涙まで溜まっているが、何がそんなにおもしろかったのだろう。
 八尋と呼ばれた男性は指先で涙を拭いながら言った。

「ごめんごめん。これ聞いたら絶対困らせるとは思ったんだけど、君、ずいぶん素直だからさ。どんな反応するのか見てみたくて」

「……っ、困らせるのわかってて聞かないでください!」

「だからごめんって。でも、お陰で君なら大丈夫だって確信が持てたよ」

「この流れで言われても複雑なんですけど」

 探偵事務所を訪れて数十分、未だ本題に触れてもいないのにどうしてこんなに疲れているのだろう。
 高良がこっそり吐き出した溜め息と、雪見の隠す気もない溜め息が同時に空気へ溶け出した。

◇◇◇

「先に断っておくが、これからする話はあくまで”俺たちはそう解釈している”というだけで、真実かどうかはわからない話だ。どこまで信じるかは相模に任せる」

 コーヒーで喉を潤した雪見はそう前置きし、ようやく本題を語り出した。八尋に一通り小言を浴びせ、あれからさらに十数分ほど過ぎた頃である。

「相模はこんな話を聞いたことはあるか? 噂される怪談や都市伝説は赤い目をした化け物が引き起こしている、という話だ」

「有名なやつですよね。何回か聞いたことがあります。それがどうかしたんですか?」

「――その話は真実だ。怪談、都市伝説、伝承。人々の間で語られる話はやがて実体を持ち、現実に影響を及ぼすようになる。具体的には語られる話と同じ現象、あるいは行動を取り始めるんだ。俺たちはそのまま〈怪異〉と呼んでいるが、”赤い目”はやつらに共通する外見的特徴だ」

「……そっか。〈大鏡の悪魔〉を見たのが二回とも夕方の西階段だったのは、そういうことだったんですね」

 案の定と言うべきか雪見の話は非現実的なものだったが、不思議と納得のいく説明でもあった。何年も前、それこそ幼い頃から怪異の存在を知り、まさに噂通りの状況下で〈大鏡の悪魔〉に遭遇したという事実が大きいのだろう。雪見のことを信じ切っている、というのももちろんあるのだが。
 自分でも驚くほどすんなり受け入れて、そういえば、と高良は手を挙げた。

「〈大鏡の悪魔〉……っていうか、〈怪異〉って誰にでも見えるものなんですか? あの時のこと、まだちょっと気になってて」

「ああ、あの生徒のことか。見えるかどうかは個体差が大きいんだが、彼に関してはほぼ見えていなかったと思う。自分の影を見間違えたか、目を擦れば消えてしまう幻くらいが精々だろう。そもそも〈怪異〉というのは語られる期間が長いほど目に映りやすくなり、現実に与える影響も強くなるんだ。〈大鏡の悪魔〉が姿を見せたのはごく最近のはずだから、そういう意味でも見えていた可能性は低い。生まれながらに見る素質を持っていただとか前にも〈怪異〉関連の事件に巻き込まれたことがあるというなら話は別だが、まあ、反応からしてそれもないだろう」

「ちょっと待ってください! あの人には見えてなさそうなのはわかりましたけど、それって学校の七不思議とか有名な都市伝説は誰でも本物を見ちゃう可能性がある、ってことじゃ……」

「理論上はそうだな。でも実際は違う」

「大事になる前に僕たちが対処しているからね」

 その話題は自分の領分だとでも言うように、八尋が説明を引き継ぐ形で口を挟んだ。「え?」と視線を向けると彼は満足げに続けた。

「外に看板があったでしょ? あの通りうちは怪事件を中心に請け負う事務所なんだけど、あれは〈怪異〉絡みの事件を効率よく収拾するために掲げているんだ。不特定多数の人に〈怪異〉を見られたら大騒ぎになっちゃうから、そうなる前に僕たちで処理しようと思って。アレがどれだけの人を傷付けるか、痛いほど知っているからね」

 ぞわり、と寒気が走った。
 この部屋に来てから終始笑みを浮かべていた八尋がほんの一瞬――最後の一言を発した時だけ底冷えするような、憎悪を宿した暗い目をして見えたのだ。瞬きする間に消えてこそいたがこれまでのギャップも相まって、それは酷く恐ろしいものに感じられた。

「どうかした?」

 変わらない様子で八尋が尋ねてくる。
 高良は慌てて首を振って話を逸らした。

「あ……いえ、なんでも。それよりも処理するってもしかして、先生みたいな人が他にもいるんですか?」

「そうだよ。僕は基本見えるだけだけど、司くん以外にバイト含め三人……と、気が向いた時に出入りする人が何人か、ってところかな。ああいう能力も〈怪異〉に巻き込まれた影響の一つみたいだから、僕らが知らないだけでもっとたくさんいるはずだよ。それに君だって――」

 気付いていないだけで、何か力を持っているかもよ?
 八尋の声に被さって扉を叩く音が響いた。


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