夕暮れ怪奇譚 | ナノ




暮れ怪奇譚
 
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 探偵事務所と水音の怪 01

 たった一本の道を隔てるだけで世界の見え方は大きく変わる。
 例えばそう、天ヶ咲あまがさき駅東口方面に伸びる大通り。ここは主に衣料品や雑貨、飲食に特化したチェーン店が多く立ち並ぶ商店街になっているのだが、そこから一本折れると周囲の雰囲気はがらりと変化する。
 手狭な道には外観からディスプレイに至るまで拘りを感じる個人経営の店が軒を連ね、先ほどまで散見された客引きやチラシを配る人々の姿はどこにもない。行き交う人々の年齢層も高め――正確には同年代や年下が目に見えて少ない――で、賑やかな大通りに比べるとだいぶ落ち着いた印象だ。少なくとも自分のような男子高校生が足を踏み入れるには些か勇気がいる。
 場違いなところに来てしまった気がする。
 なんとも言えない居心地の悪さを覚え、高良たからは手元のメモに視線を落とした。これがなかったら間違いなく、この通りには来なかっただろう。

 事の発端は数日前。〈大鏡の悪魔〉に関する騒動がひと段落した放課後のことだ。
 話があるという雪見ゆきみに呼び出され、高良は校舎の片隅にある空き教室を訪れていた。普段通う教室からは少し離れていることもあって周囲に人影はなく、昼間の校内にしてはやけに静かな場所である。
 掃除されているのか特に埃っぽいこともなかったため二人して適当な椅子に腰掛けて、どちらからともなく切り出した。

「すまないな、急に呼び出したりして」

「気にしないでください。別に用事もなかったですし。それで、話って?」

「あの時できなかった説明がようやくできそうだから、予定を聞いておこうと思ったんだが……」

「……? 時間がかかる、とかですか?」

「それもある」

 と、頷きはするが雪見にしては珍しく歯切れが悪い。言葉を選んでいるというより単純に言いたくない、といった様子だ。それとも「話がある」と呼び出しているのだから本当に言うべきか迷っている、と表現した方が正しいだろうか。
 なかなか口を開こうとしない雪見だったが覚悟を決めたのか、はたまた諦めたのか。ややあって躊躇いがちに用件を告げた。

「……実は、相模さがみに会いたがっているやつがいるんだ」

 予想もしなかった答えに「え?」と間抜けな声が漏れた。
 会いたがっている人がいると言われても理由に検討がつかなかった。何かあるとすれば間違いなく〈大鏡の悪魔〉関連だろうが、特別まずいことをした覚えはない。それともやはり雪見を巻き込んだこと自体に問題があったのか。
 などと考えていると思い切り顔に出ていたようで、雪見は「ああ、いや、相模に問題があるわけじゃないんだ」と首を振った。

「俺の友人なんだが、相模に事情を話すなら……その前に、どんな相手なのか一度会って話をしてみたいそうだ。嫌なら断ってくれて構わない。それで話すのを止める、ということはしないから」

 今度は言葉を選んでくれたようだが要は事情を話しても言いふらしたりしないか、信用できるかどうかを自分の目で確かめたい、ということなのだろう。
 当然の話だ。やれ化け物だ不可解な現象だと不用意に口にされたくないであろう内容を話すのに、信用ならない相手に教えようと思うはずもない。高良はゆっくり頷いた。

「いえ、大丈夫です。会いますよ」

「……そうか。悪いな、手間をかけさせて。俺も同席するから会わせたらそのまま説明することになると思う。できれば連休中に片付けたいんだが、いつなら都合がいい?」

「まだ予定決まってないんで先に入れちゃってくれると助かります」

「なら次の土曜日の昼、ここに来てくれないか?」

 そう言って雪見は一枚のメモを差し出した。受け取ってみるとそれはどこかの地図で、おそらく店名だろう。『青い鳥』という名前と電話番号がなんとも彼らしいきっちりした文字で書かれている。

「もし場所がわからなかったらその番号に電話してくれ。迎えに行く」

 もう一度地図に視線を落とす。
『青い鳥』は大通りから枝分かれする道に建っているらしく、見覚えのある店名が目印代わりに何ヶ所か書き込まれている。配置的にちょうど通学路の途中のようだ。大通りからも大して離れていないため迷うことはないだろう。
「たぶん大丈夫だと思います」と、頷きメモをポケットの中へ。今日は予定を決めるだけで切り上げるつもりだったのか雪見が立ち上がる気配を感じ取って、高良は慌てて腕を掴んだ。

「先生、待って! 一つ聞きたいことがあるんですけど」

「なんだ?」

「……なんでそんなにオレのことを気にかけてくれるんですか?」

 ずっと気になっていたのだ。いくら目の前で教え子が巻き込まれ、言い訳も効かないほどの事態を目撃されたとしても。あれらは本来秘匿されるべきものであって、友人の意見を無視してまで――ましてや高良本人が望むなら詮索しないとまで言っている中わざわざ話す必要はないはずだ。それが雪見の性分だ、と言われては引き下がるしかないが、果たしてそれだけの理由で話すことなのだろうか?

「迷惑だとか、そういうんじゃないんです。今までそうやって気にかけてもらうことなんてなかったから……むしろ嬉しいくらいで。でも、だからこそ気になるというか……」

 言わなくていいことまで口走っている気がして、恥ずかしさからどんどん声が小さくなる。最後の方なんて聞き取れるか怪しいものだったが、所詮は狭い教室内。人通りもほとんどない静かなこの空間ではきっちり聞かれていることだろう。
 できることなら今すぐ逃げ出したい高良に、雪見は追い討ちをかけるように言った。

「お節介なんじゃないか、とは思ったんだが……相模も以前から怪異を見ていたんだろう? 俺もずいぶん長い間、一人で色々な事実を隠し続けてきた。だからお前がそれを隠そうとする理由も、隠し続ける辛さも多少ならわかってやれる。気兼ねなく……は無理かもしれないが、せめて隠し事をしなくて済む、そういう話をしても許される相手になりたかったんだ」

「……! でも、そんな……隠し事をしなくていい相手になるだけなら、そこまで話す必要ないんじゃ」

「言っただろう? 事情を話したいのは単なる俺のわがままだ。……肝心の怪異について隠したままで、理解者を名乗りたくなかったんだよ」

 今になって思い返してみても、まっすぐすぎる雪見の言葉は心臓に悪いと思う。少し恥ずかしそうに笑うのだからなおさらだ。
 でも。高良と真正面から向き合い親身になって接してくれる様は。祖母が亡くなって以来ずっと一人だった高良を助けようとしてくれている事実は、何よりも嬉しかった。
 もしかすると、ここになら自分の居場所があるのかもしれない。
 そんな淡い期待を抱かせただけで雪見の思惑は大成功だ。もっとも、それでこの居心地の悪さが消えるわけでもないのだが。

***

 ある童話に出てくる幸福の象徴から取ったであろう名前のその店は、白と茶を基調にした二階建ての喫茶店だった。周囲には日の光を浴びて煌めく緑の植木鉢が並び、店先には腰くらいの高さがある立て看板が置かれている。覗いてみると表面は黒板になっているようで、『本日のメニュー』として数種類のケーキやタルトの名前と青い鳥のイラストが描かれていた。
 どうやらここが雪見に指定された場所で間違いなさそうだ。
 高良はゆっくりと『OPEN』の札がぶら下がる扉を開けた。ちりん、という涼しい音と共にコーヒーの香りが漂ってきて、それに誘われるよう店内に足を踏み入れた。
 柔らかい照明で満たされた、落ち着いた雰囲気の店である。家具は木目調で統一され、ゆったりと確保された客席では本の世界に潜ったりパソコンと向かい合ったり、利用者たちが各々の時間を過ごしている。しかし、いくら店内を見回しても目当ての人物の姿だけは見当たらなかった。

「いらっしゃいませ。……ああ、もしかして君が雪見先生の言ってた子?」

 カウンターの向こうでコーヒーを淹れていた店員が声をかけてくる。肩の辺りまでありそうな髪を後ろで一括りにした中性的な人だ。声の感じからして男性だとは思うのだが、顔立ちが女性的でいまいち性別が判然としなかった。

「なんて言われたのかわかんないですけど、たぶんそうです。あの、先生は?」

「先生なら二階で待ってるよ。そこ、奥に階段があるんだけど、上ってすぐの部屋。『朝比奈あさひな探偵事務所』って書いてあるから見ればわかると思う」

「ありがとうございます……って、探偵事務所?」

 店員の口から飛び出した耳慣れない単語に思わずきょとんと聞き返してしまった。探偵事務所なんて漫画や小説の中にしか存在しない、あっても自分とは縁遠いものだとばかり思っていたが、まさかこんな形で関わることになろうとは。雪見の生きる世界は本当によく出来たフィクションのようだ。
 首を傾げる高良に店員は一瞬不思議そうな顔をするが、すぐに何か思い当たったのか納得の声を上げた。

「……ん? ああ、何も聞いてないのか。探偵事務所って言っても、たぶん君が思ってるより相当イロモノだよ。あそこは」

「ええ……」

「メインで取り扱ってる事件がちょっと、ね。詳しくは上で本人に聞いて。先生が何も話してないのに俺が勝手に話すわけにもいかないからさ」

「それはそうですけど」

「まあ、捕って食われることはないから。いってらっしゃい」

 そう言って、店員はにこやかに高良を送り出した。どうやらこれ以上探偵事務所について話すつもりはないらしい。
 色々突っ込みたくはあったが時間が差し迫っていたこともあり、軽く頭を下げて店の奥へ向かった。
 二階へ続く階段はすぐに見つかった。人とすれ違うのもやっとの狭い階段だ。
 一つ深呼吸をしてから足を踏み出す。先ほどの会話もあり足取りはほんの少し重たかったが、たかが一階分の移動だ。あっという間に廊下まで辿り着き、それは目に飛び込んできた。

 当事務所は怪奇事件専門です。幽霊、怪物、常識では説明できない相談大歓迎! ご用の方は右の扉からお入りください
 朝比奈探偵事務所

 そんな文言が踊る立て看板である。
 これを見た瞬間、店員が探偵事務所を「イロモノ」だと称した理由がわかった気がした。怪奇事件専門、しかも幽霊や怪物の単語を当たり前に出して依頼を募集するなんて、さすがに変わっているとしか言いようがない。

(本当にここでいい、んだよね……?)

 看板から溢れ出る胡散臭さに戸惑いつつ、高良は扉を叩いた。


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