ばーさす太郎太刀 その2
畳の蒸された匂いがする。
独特のその匂いが一段と濃いように感じるこの昼間の筈なのにどこか薄暗い部屋の中。私は彼の目の前にいた。
目を薄っすらと開ける動作すら何か清廉さを感じる彼に、私は息を飲む。
「ーーお待ちしておりました」
鼓膜に響く、低めの澄んだ声。
声は声が出ないと聞いていた私を驚かせるには充分な材料であった。彼は座りながら私を見上げる。その瞳はやっと、初めて私を写した。
蒲公英みたいな綺麗な目の色、目尻の紅はそれをいっそう綺麗に見せたけど、小夜さんを見る時には悲しげに揺れているのが少し気になっていたその瞳。
今でもその漠然とした寂しさは拭えないけど、私はそれを変えるために今日此処に来た。
正直、相変わらず膝は笑う。
手も震えるし、こうして立っているのですら強がりでしかない。
「太郎太刀さん、喉は痛くないですか?
久し振りに声を出すみたいなので、あまりご無理はしないでくださいね」
それでも笑う。
強がり上等だ。
弱い私は少しでも虚勢を張らないといけない。それが許されると私は思う。
太郎太刀さんの正面へと歩みを進め、私は彼に習ってその場に正座をした。
「今日、だけです。貴女にお願いがあって、こうして声を発しています。」
彼は無表情に、それでいて義務的に口を動かす。
まるで私がこうしてこの場所に来る事を分かっていて、それを伝えると心に決めていたような、そんな速さで。
「それはそれは、嬉しいです。私は貴方と話をするために貴方のお部屋に訪れました」
「…世間話をするつもりはありません。
どうか、私のお願いを聞いて欲しいのです。審神者よ。」
「出来うる範囲で叶えます。貴方の望みは、なんですか?」
「私の弟である、次郎太刀を、貴女の配下へと。
そして、私を殺して欲しいのです」
ーころす。
その言葉は刀剣男士にとって、どんな言葉なんだろう。
人間の身体を持ちながら、神である彼らにとって、その言葉はきっと当てはまるものが無い気がする。
例えば、この世に生まれて、様々な経験をして、色々な感情を手に入れて。人間は一から人間らしさ、というものを手に入れていく。
でも彼らの場合は、少しだけ違うんじゃないかとわたしは思う。
彼らは刀として、主人を見届け、それこそ色んな人の人生を見てきた方もきっと多い筈。そんな第三者的立ち位置を終えてから、付喪神としてこの世に顕現し、そして人間に力を貸して下さっている。
人としての人生ではなく、あくまでも刀として、その生を終えることを死というのであれば、彼等は決して殺されることなどあってはいけないんじゃないか、と。
だって我々の勝手で、この世にこうして存在して下さっているんだから。
だから、どんな気持ちで、それを言って、どんな気持ちで、彼はそれを言うに至ったか。それを考えると、なんだか泣きそうな、嫌な、不快な。そんなぐちゃぐちゃな感情が一気に胸の内側に広がった。
ひゅっ、と、変な息をつい吸ってしまった。
そんな私を御構い無しに彼は続ける。
「嬲って、虐げてから、殺して欲しいのです。
目を刳り貫き、喉を削いで、腕を引き千切り、肋骨を折って、内臓を潰し、足を切り落として欲しいのです。」
太郎太刀さんはあくまでも淡々と。私にそれを告げてから、お願いします、と。濡れた鴉の様な髪をさらりと揺らして頭を下げた。
沈黙が走る。私はきっと随分と間抜け面をしていて。到底理解出来なかった。
何故?なんて左文字さんから聞いていた事情を知っていれば大体が理解できる。それでも、彼のやろうとしている贖罪は余りにも、自分勝手であった。
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