宗三さんのいかり
次郎さんとの酒盛りが終わり、寝てしまった次郎さんを岩融さんに頼んで広間に敷いた布団に寝かせ、片付けをしてお風呂に入り、やっと私は部屋でふう、と一息ついた。
お気に入りのお茶を冷やしたもの。それを片手にうちわで自分を仰ぐ。
コップの中のからんと氷が揺れた
窓の外を眺める。
時刻は夜中、そよそよと生温い風が私の頬を撫でて、草木の匂いが鼻腔を掠めて、
ー春が、終わるなあ。
そう、ぼんやりと思った。
私が審神者に就任してやっと数ヶ月。早いもので、そろそろ夏の景趣に変わる時期のようだ。
審神者の好きにできる景趣は、前にも少し話したかもしれないが、私は自動的に変わるように設定している。
四季を、感じたかったから。
本当はそれだけじゃなく。
きっと彼らには、季節ごとに色々な記憶があるのだろうと思った。
春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の。
桜が血で染まり、身体が焼けるような暑さと、紅葉の枯れてゆく様を見て、凍える日々を過ごしたのだと。
楽しい記憶の倍、辛い記憶がこびり付いているんじゃないかと。
早く塗り替えていきたいと思った。
桜はお弁当を持って。
可愛い花弁を眺めながら唐揚げを食べるものだ。
夏にはスイカ割りに海にプール、水遊びが楽しい時期である。
秋は実りの時期でもあるから、美味しいものが目白押し。冬にはコタツとストーブで、温泉にゆっくり浸かるのもオツかもしれない。
四季は、そうあるべきだと私は思う。
少しでも早く多くの人と対話をして、少しでも早く楽にしてあげなければならない。
凍える冬が、来る前に。
ゴクゴクと冷たいお茶を飲んで、口を拭う。
そんな決意を新たにしていると、人の気配を感じた。
襖に目をやると控えめに閉じられた襖が静かにゆっくりと開く。
見覚えのある、桃色の髪の毛、
「…どうか致しましたか?宗三さん」
そこに立っていたのは、次郎さんが来る前にここで話していた宗三さんだった。
宗三さんは、ばつが悪そうな、気まずそうな表情で部屋へと入る。
すすすす、音もなく、声も出さずに私の前へと歩み寄ると、ちょこんと横に座った。
「貴方は、僕のことを、どう思いますか?」
少しの沈黙の後、意を決した様子で彼は口を開く。
突然の質問に、驚くしかできない。
…どう、思っているか。そんな事あまり考えたこともなかった。
つい目を見開いてしまうけど、俯いて畳を見て、私の方を見ない彼に、つい私は崩していた足を正して向き合った。
…なにか、意を決してここに来てくれた雰囲気を感じたのだ。
それならば、わたしも誠意をもって答えなければいけない。
うーん、でも、宗三さん、かあ。
基本的には和食がお好き、だけどこの間出したペペロンチーノもお気に召したようだった。
割と長谷部さんと喧嘩をすることが多い。ひらりひらりと長谷部さんのお説教を避ける様は見てみて見事だし、気持ちがいい。
小夜さんは兎に角お兄ちゃん二人が大好き。そしてお兄ちゃん二人も兄弟が大好きだ。
あとどうやら、飾られることに抵抗があるらしい。
わたしにはセンスがなくて宗三さんを飾ることなんて出来ないけれど。
宗三さん。思い返しても、わたしにはない飄々さと優しさを持っている人だなあ、と思う。
「弟さん思いの、方だと思います。
小夜さんもそれに応えるように宗三さんと江雪さんの事を信頼していますし、大好きなのが伝わってきます。
一度懐を許した方にはとことん甘い方なのかな、とも。愛情が深いからこそ、私がそれに応えられているのかはまだ自信がありませんが、これから頑張ります。
…こんな、感じですかね?」
宗三さんは、我が本丸の中でも割とスキンシップの多い方で、よく私の背中や肩にもたれては目を閉じている。
なんだか落ち着く、との事だったのでそれが信頼から来る行為だと信じているが、イマイチどう返せばいいのかわからなかったりはする。
抱きしめ返すのも凭れ返すのも違うような気がして。
私の言葉を聞いた宗三さんは、ふう、と溜息を吐いて、私へと視線を移した。
やっと目が合う。
瞳の中は不安げに揺れていた。
「……僕は、貴方に嫌われたくないんです。
でも。
どうしても言わなければならないと思い一人で来ました」
不安そうに彼は膝に置かれた私の手を握る。
その力はとても強くて、骨が軋むけど、そういうことなら。
負けじと私はその手を握り返した。
「私は皆さんが大好きです。
宗三さんも勿論大好きです。
嫌われることはあれど、嫌うことなんてあり得ませんよ。
それはどんな事をされても、しても。です。」
へら、と笑うと彼は言葉を詰まらせて、
「……あるじ、
お小夜は、ああ言っていましたが、僕は正直、……許していません。」
俯きながら小さくそう呟いた彼の言葉。
私は少し驚いて、ピクリと指先を動かす。
ーああ、そうか、これを言いに来てくれたのか。
間髪入れずに小夜さんが言ったから消えてしまった言葉。
小夜さんがしっかりと寝静まった後に。絶対に聞かれることのない時間帯に、こうしてわざわざ言いに来てくれた。
宗三さんは続ける。
「彼がした行いは、仲間としてするべきではなかった行為です。してはいけなかった。
操られていた、とか、そう言う簡単な話ではないのです。」
堰を切った宗三さんの言葉は止まらない。
それはどんどん溢れて、どんどん声も大きくなる。怒声、にも近い。
「…だってそうでしょう?弟を踏みつけられ、あんな、あんな状態にした者を、僕は、無条件で許せる程…っ!
お小夜は、長い間刀解された方が楽だと思える苦渋を舐めて、僕達は、それを眺めるしかできなかった!
我等の畏怖と怨念は、そう簡単には消えないのだと、僕は思います
…だって、大事な、大切な、お小夜に、また、何かあったらと思うと…っ!」
それは、叫びにも似ていた。
「…僕は許さなくてはならないのですか?
彼を、無条件で?
そんなの嫌です、だって謝罪も何もない、彼は何をしたのですか?僕達から奪うだけで、何もしてもらっていないのです
…兄様も、お小夜も。無条件で許したとしても、僕は、僕は許せない、
そんな僕を、貴方は嫌うでしょうか」
「嫌いません。」
不安げに揺れた瞳はいつしか濡れていて、必死に伝えられた言葉を拾いながら、私は自分の言葉を返した。
それは真実で、揺るぎないものだ。
私の中で変わることのないもの。
「絶対に嫌いません。
それが宗三さんの想いで、願いなんだとしたら、私はそれを受け入れます。
小夜さんが大切だからこそ生まれた感情を否定することなんて、私には出来ません。」
「…だから大丈夫。
どうか顔を上げてください。宗三さんのお気持ちは、充分に受け取りました。」
ぽろぽろと宗三さんの目から綺麗に流れる涙を、いつも袖口に入れている布で拭う。
その動作に更に涙が増えたような気がしたけれど、私は言葉を止めない。
「…でも、どうか拒絶をしないで欲しいのです。
自分の気持ちに嘘をつかなくていい。憎いなら憎いままで構いません。
ただ、拒絶をして知ろうとする事をやめないで欲しいのです。
それは、宗三さんにとってもきっと、良くないことですから。」
「もう、宗三さんと江雪さんだけじゃないんです。お小夜さんをお守りできるのは。
お小夜さんは絶対にあんな思いをしませ
ん。それは私が約束します。」
「……っ!」
突然、更に突然だった。
俯きながら泣いていたはずの宗三さんは、飛びかかるように私に抱き着いた。
ぐずぐずと鼻をすする音がする。衝撃で背中を強打してじくじくと痛むけれど、今はそれどころじゃない。
私は、宗三さんの背中をそっとさすった。
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