自習時間は夢の中 写真立ての前に置いていた米と水を取り換え、それに向かって朝の挨拶をする。最早日課になったその一連の行動の中に感情は少ない。それが済むと自分の食事を作り、食べ、昨日の内に用意した鞄を持ち家を出る。昨日も父親(と言っても義理)は帰って来なかった。正直帰って来られても怖いだけだから別に構わないし、お金だってまだ有るから大丈夫だ。 「……行ってきます」 家の中に向かってそれだけ告げる。勿論誰も聞いちゃいない。もし聞いているとしても、写真の中に居る父さんと母さんだけだ。 自習時間は夢の中 学校にはいつも一番に着く。誰も居ない教室に足を踏み入れるのは何回しても寂しい。窓際のいつもの席に座って、鞄を机の横に置く。一番後ろの席だから、一番高くて見晴らしが良い。すっかり癖になった姿勢になって、窓の方に向いた。その内猫背まで癖になりそう。 窓の外を眺めてぼーっとしていると眠くなってきた。すると教室のドアが開いて誰かが入って来た。いつものタイミング。きっとサスケ君だ。 「……」 「……」 昨日のあれは、きっと一度だけの気紛れ。もう一度、なんて期待はこれっぽっちもしていない。 入って来た人の方は見ないまま、襲い来る睡魔に抗わずに瞼を閉じた。サスケ君は朝来るといつも何かしらの本や巻物を読んでいたから、そろそろ何かを取り出す音でもするだろう。窓の外から雀の鳴き声が聞こえる。今日も平和だ。 「……寝てんのか……?」 「……!」 ……他には誰も居ないはず。いや、まさか。そんなはずないよ、私にじゃないよね。 「……」 「……寝てんのか……」 ふっ、と息を吐く音がして、それから鞄を漁る音がした。少しして紙を捲る音がするようになってから、恐る恐る首を動かしてみた。二列開けた真っ直ぐ隣に、いつものようにサスケ君が居る。何かの忍術の書を読んでいるらしい。いつも真面目だな、と思う。するとサスケ君の目がこっちを向いて、目が合った。 「……起こしたか?」 「……えと、……ごめんなさい、反応できなかっただけで……」 「……」 ぼそぼそと答えると、ほっとしたように本に目を戻した。これで良かったのかな……。 ところで何か用事があったわけじゃないんだろうか。気にはなるけどもう一度話しかける勇気なんて雀の涙ほども無い。だから始めから話し掛けようなんて考えもしない。頭をまた窓の方に向けた。 数分すればぽつぽつと人が来始めて、次第に教室内が騒がしくなっていく。サスケ君はいつの間にか女の子たちに囲まれているが、大変そうだなと思うのも飽きるくらい毎日のことだ。それでも大変そうだと思うのは、中心に居るサスケ君の顔が少々迷惑そうに歪んでいるからだろう。女子たちの高い声がきゃあきゃあと響く度に少し耳が痛くなる。多分、私はあんな声は一生出さないだろうな。 「静かにしろー。ホームルーム始めるぞー!」 教室に入って来た先生が声を張り上げてそう言うと、ざわついていた教室が少しだけ静まって、皆が自分の席に戻り始める。六割方寝ていた頭を叩き起こして、伏せていた体を起き上がらせる。欠伸をする口を手で押さえながら先生の方をぼんやりと見た。まだ眠い。 教室に居る生徒たちがなかなか静まらないが、何でなのかようやく分かった。担任が休みのようだ。 「今日はイルカ先生がお休みなので、時間の空いている先生たちで交替で授業をすることになった」 他の人たちは、全部の授業が自習になると思っていたらしく、ブーイングが所々で飛び出る。その数名を叱った後、しかし、と先生は続ける。 「一時間目の授業は空いてらっしゃる先生が居ないので、自習だ」 やったー! などと歓声が飛ぶ。隣同士でひそひそと喜ぶ者たちも居る。先生は教室で自習か、演習場が空いているから使っても良いとだけ言うと、急いで教室を出た。本当に暇ではないようだ。 「サッスケくーん!」 「何して過ごすの?」 先生が出て行くのとほぼ同時に、さっきまでサスケ君の周りに居た女の子が数人戻ってきた。やっぱり迷惑そうなサスケ君の表情が、見えていないんだろうか。私はもう一度寝てしまおうと体を伏せる。しかし教室内はこれ以上ないくらいぎゃあぎゃあわーわーとうるさくなってきた。これでは眠れない。眠い目を擦りながら、仕方なく立ち上がり、教室を出て行こうとした。 その時聞こえた。 「……やっぱ桜庭って気持ち悪いよな」 「だよな。何考えてっか全然分かんねえし、誰とも喋らねえもんな」 「呪いでも持ってんじゃねえの?」 「ぎゃはは、最高!」 「……」 低レベルだなあ。なんて幼稚な悪口。ガキっぽいのは、これだから。 きっとわざと聞こえるように言ったんだろう。それを聞こえなかったように無視して、ドアを抜けた。あんなの相手にするだけ無駄だ。そんなことより、静かな場所を探そう。演習場は今はどこも使ってないんだったよね。 スタスタと教室を後にして、欠伸を零した。 演習場の近くには小さな林がある。本当に誰も居なくて、自然の音しか聞こえない静かな場所だ。やった、と思わず口から出、しかし聞いている人なんか居ない。独り言なんて誰にも聞かれたくないし、良かった。 「どの辺で寝ようかな……」 誰にも聞かれないなら、といっそ堂々と独り言を言う。涼しい木陰の木の根元か、それとも木の上で誰にも邪魔されないようにするか。誰かに起こされるのは癪だから、木の上にしよう。さっさと決めて、チャクラを少し使って手近な木に飛び乗る。結構高い。見晴らしも良くて、なかなか良い感じだ。 「……いー天気……」 快晴とまではいかないが、充分な晴れ。緩く吹く風が気持ち良くて、横で揺れる木の葉と一体になりたいくらいだ。適当に伸びた長い髪が少し揺れる。 座ってしばらくするとうとうととし始めて、このままでは危ないなと思って木の幹に凭れるように座り直した。 「……あ、れ……?」 一瞬、寝ぼけ眼で見間違えたのかと思った。ごしごしと目を擦って何度か瞬きしても、思い違いではないらしい。 下の方できょろきょろしながらこっちに近付いてくるのは、何故かサスケ君だ。周りにはさっきの女の子たちは居ない。お陰で私の昼寝場所は静かなままだ。誰か探してるのかな、と頭の端で思いながらも、眠気に負けて(元から反抗する気は無いけど)、もう一度目を閉じた。 「……寝てやがる……」 「……」 ……え……? まさか、違うとは思うんだけど……。 驚きの余り目を開けて、下に居るサスケ君の方を見た。すると再び目が合って、恥ずかしくて直ぐ逸らした。サスケ君はそれを訝しげに見ると、跳び上がって他の木の枝、枝と跳び移り、近くまで来た。まだ寝ぼけている頭のままでここを動くのは危険、と考える前にサスケ君が辿り着いたものだから、今度は驚きと恥ずかしさと恐れ多い気持ちで慌ててしまい、危うく一瞬バランスを崩した。 「な、なんでここに……っ」 「……騒がしいのは苦手でな」 「え、えっと、そうじゃなくて、……なんであたしの近くに……」 俯いてしまって顔を上げられない。目の前に座ったサスケ君の顔は見えない。焦るがしかし、一方のサスケ君は落ち着いたもので、こちらの態度に呆れたように溜息を吐いた。 「知り合いの近くに行って何か悪いのかよ」 「……え」 その言葉をそのまま鵜呑みにできなくて、一度周りを見回した。他に誰か、私以外の誰かが近くに居るのかも、と思ったから。 「…………誰が?」 「……はァ……。お前だ、お前。他に誰が居るんだ」 「……あ、はは……」 こんな高い木の上に他の誰かなんて当然居るはずもない。心底呆れたと言わんばかりの溜息と表情。恥ずかしさと気まずさと居た堪れなさで、思わず出来損ないの笑いが零れる。それを見るとサスケ君は何とも微妙な顔をして、少し考えるような素振りをした。 「ぁ、ごめん……嫌いなんだっけ、この笑い……」 「そういうわけじゃねえけど……。昨日はもっと綺麗に笑えてたこともあったんだがな」 「え……?」 そうなの? それよりもサスケ君の口から出た「綺麗」という単語が自分に向けられたものだということが、何より恥ずかしくて、俯いた。頬が熱い。 「さっきのは作ったもんだろ。笑うってのは、そもそも意識してやることじゃない」 「……そうだけど」 自然に笑顔になれることなんて、ないもの。だから無理して作ってきた。あまり自然に笑ったことがないから、作ったそれは当然不自然だろうとは思うけど。 サスケ君は「笑った」って言うけど、気のせいとか目の錯覚だったんじゃないか、と思う。だって私は、「綺麗」なんかじゃないから。 「……別に、……笑えなくたって、良いよ」 「……どうしてだ」 「……困らないもん。それなりには生きていけるよ。……喜ぶ人も、居ないし……」 「……」 私が笑って喜んでくれた父さんと母さんはもう居ないし、義父さんはチラリとも興味を示さないだろう。教師が生徒一人一人の笑顔にまで気を配るなんてことはないし、友達も居ない。 私に本当の笑顔なんて、必要ないんだから。 俯いたままだったからしばらくの間気付けなかったけど、空気がどことなく気まずい。よく分からないけど怒られているような気がして、ますます俯いた。こういう空気は、怖いから嫌い。 「……だったら、」 「……?」 「……は、違うか。 ……俺はお前の笑顔、見たい」 「………………ぇえええ!!?」 反応が遅れたのは、怒られているような気がしていたのにそんなことを言われたから。 突然間近で大声を出したからか、サスケ君は一瞬身を縮めて耳を塞いだ。しかし間に合わなかったのか、何度か耳を押さえたり放したりしている。 「ご、ごめ……」 「お前……そんなでかい声出せるんだな」 苦笑するサスケ君だけど、私は恥ずかしさから今すぐ逃げ出したかった。サスケ君は座り直して、今度は苦笑とは違う珍しい微笑を浮かべる。人が少ないからだろうか、サスケ君は教室で見る時とは少し違う気がした。 「明るくなれるなら、その方が良いけどな」 「……ちょっと無理かな」 「諦め早いな、おい」 「あは、」 「! ……」 「……?」 サスケ君が驚いたような顔になったから、どうしたのだろうと思った。するとサスケ君はゆるゆると破顔して、すっと手を持ち上げる。それに一瞬体を強張らせたものの、やってきた感覚は優しいもので、惚けた。 撫でられている。 「……は、ぇ……?」 「笑えてんじゃねえかよ」 「……」 わらって、た? そんなはずは、ないと思うんだけど……。 でもサスケ君が嘘を吐くなんて思えなくて、よく分からないけどなんだかとても恥ずかしくなった。そうだ、何故か今サスケ君に撫でられているのだ。恥ずかしくないわけがない。一体どういう経緯でこうなったんだっけか、とか、混乱する頭で考えたって埒が明かない。 遠い遠い存在だったはずのあのサスケ君が私の頭を撫でる、なんて、夢にも思わなかったことなのに。どうして今現実に起こっているんだろう。 そんなことをふわふわと考えていたら、サスケ君がぱっと手を離した。 「あ、悪ぃっ」 「え、あ、うん……」 破顔するのも焦るのも珍しいけれど、照れているのもやはり珍しい。やっぱり今のサスケ君は、いつもと少し違う気がする。 それから少しすると、一時間目終了を告げるチャイムが鳴った。何となく恥ずかしくなる空気だったのが打破され、ようやく金縛りが解けたような気分になった。 先に教室に戻ったサスケ君の背を見たまま、まるで夢の中に居たかのような現実に、再び惚けた。 そっか。 サスケ君は喜んでくれるんだ。 こんなに嬉しいことって無い。 こんなに嬉しいことだなんて思わなかった。 たかが私なんかの笑顔一つで、サスケ君が喜んでくれるなら、……笑えるようになりたい。不自然じゃない、自然な笑顔を、作れるようになりたい。 ……変わりたい。 そう、初めて思った。 (20070817) [←] [→] [絵文字で感想を伝える!(匿名メッセージも可)] [感想を届ける!] |