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窓際のキミ


 夕方の教室。自主練習を終えて戻ってくると、いつも寝ている奴が居た。初めは何とも思っていなかった。けれど最近になって、誰かと話している所すら知らないことに気が付いた。


 窓際のキミ



 誰かと話している所すら知らない、と言うか、あいつ自身誰とも話していないのだ。これは次の日に度々観察して気付いたこと。このクラスに友達が居ないだけかと考えていたが、休み時間に教室から抜け出すことも無い。ではその時間に何をしているのかと言えば、ただ窓の外を眺めているだけ。窓際の自分の席で、腕を枕にして伏せたまま、窓の外を眺めていた。こちらからの角度では顔は見えないから、実は眠っていたのかも知れないが。

(……変な奴)

 ただやる気が無いだけのシカマルと違って、どこかぼんやりとしていて危なっかしい。外での演習の時だって、教師の話を聞きもせずに、周りの景色にばかり目を向けていた。まるで人間に興味が無いようだ。ふと思ったりした。しかし勉学や忍術を疎かにしている訳でもなく、成績はどうやら悪くない。今まで呼び出されたり怒鳴られたりしている所は見た事が無いからだ。

 これまでの事を総合すると、要するによく分からない奴だ。他の誰とも違う異質を放っているのに、目立たない、変な奴だ。その変な奴が、何故か気になった。




 今日も一人で黙々と修業して、ずっと見ていやがった暇人にも程がある女子たちを素通りする。「カッコ良かったよ」「お疲れさま!」「一緒に帰ろー」と色々言われる中、ズンズンと前に進む。教室の窓からも所々視線を感じた。そんなに暇か、お前らは。
 こうしていると、つくづく心構えが違い過ぎると思う。こっちはお前らほど暇ではないし、余裕もない。構うな鬱陶しい。

 いつも通りやり過ごして、教室まで戻ってきた。やはり窓際のいつもの席で、伏せたまま窓の方を向いている。今は一体何を見ているのだろう。特に面白いものなんて思い付かない。毎日毎日、よく飽きずに同じ景色を見ていられるものだ。いや、それとも今は眠っているのだろうか。
 まっすぐ横の、二列分空けて離れた席で荷物をまとめながら、じっと見ていた。

「……おい」
「…………」

 気になり過ぎて、声を掛けた。しかし反応は無い。今この教室には二人きりだから、起きていたなら分かったはずだ。それでも一応他の人に声を掛けたと誤解されている可能性は残っているので、今度は固有名詞付きで呼ぶ。苗字も名前も知らなかったから、昨日席順名簿を見て覚えた単語だ。

「おい、桜庭」

 そう言うと、窓際のそいつの体が一瞬ビクッと揺れた。名簿には苗字しか載っていなかったから、苗字呼びだ。
 そいつはおずおずと上体を持ち上げ、おずおずとこちらを見る。怪訝にその様子を見ていると、少し乱れた長めの髪をちょいちょいと直しながら口を開いた。

「…………えと……聞き間違い……?」
「んなわけねえだろ」
「……そうですよね。二人しか居ないし……」

 初めて聞いたような気がするその声は、やや小さくて聞き取り難い。他人と話すのが苦手というか、慣れていないような。普段、本当に誰とも話していないのだろうか。家でくらい話すだろうに。

「……それで、……何かご用でも……?」

 言われて気付いた、なんで話し掛けたんだ。何も考えていなかった。ただ気になったから声を掛けただけで、理由なんか特に無い。

「……別に。帰らないのか、お前」

 適当に誤魔化して、話を続ける。窓際の女はいつの間にかまた体を伏せて、こちらを見上げるように目を向けている。よっぽどその姿勢が好きなのか、癖なのか、授業中だってずっとこれだ。特に失礼だとかは思わなかったが、喋り難くないのかとは思う。

「……ん、……別に、帰っても帰らなくても、怒られないし……」
「……」
「暇だし……どっちにしても一人だし……」

 さっきちらっと考えた、「家でも誰とも話してないのか」という疑問は、どうやら晴れたようだ。両親や他の家族が皆長い任務に出ているか、亡くなったかして、居ないらしい。様子から見て、当然後者の方が確率は高い。

「……ここに居た方が色々見られるし……まだ楽しいかな」

 そう言って、にへらと笑う。まるで笑い慣れていない。どこかぎこちないその表情。少し痛々しく見えた。

「さっきだって、サスケ君の……、っと……」
「……? 俺の、何だよ?」
「ええと……修業してるとことか、見てたし……」

 後になるほど声はすぼみ、どんどん聞こえなくなった。

 なんだ、こいつも見てたのか。

 あっさり受け入れながら、照れながら言った彼女を見ていると、少し照れた。こちらを見るのをやめて、前を向いて俯き加減に頭を置いている。

「……ごめんね、なんか、誰かと喋るの久しぶりだったから、浮ついちゃって、あたしばっかり……」
「……別に。構わねえよ」
「そかな。ありがと……」
「……」
「……そういう訳だから…………うん……」

 何となく、会話が終わってしまいそうだったから、手近な席に座った。まだ少し話していたいと思った。どうしてだか。
 鞄も机の上に置けば、そのドサリという音に、窓際の席の少女が頭をこちらに向けた。

「……帰らないの?」
「…………する事も無いしな」
「……ふうん」

 不思議そうな顔をしてはいたが、特に尋ねてはこない。他の奴ならしつこく「どうして、どうして」と聞いてくるだろうから、このやや遠慮されている感じが少し新鮮で気持ち良かった。他には居ない、珍しい奴だと思う。

「……誰かに声掛けられるなんて滅多にないから……さっき反応できなくてごめんね」
「……気にしてない」
「しかも、さ……ましてやあの『サスケ君』に話し掛けられるなんて、夢にも思わなくて……」
「……」

 周りの人間には興味が無いようだったのに、俺のことは知っていたのか。
 授業中に誰かが開け放したままの窓から風が入ってくる。反対側の窓へ向かう間に、少しだけ髪を揺らしていった。夕焼けが少し眩しく、教室は照らされてオレンジ色になっている。

 他人への興味の有無で言えば、人のことは言えない俺だ。それでもコイツの興味の無さはそれどころではない感じがする。他の人間(特に生徒)を、同じ言語を操るだけのただの物体としか見ていないようだった。(少しオーバーかもしれないが)

「……なあ」
「…………」
「……おい」
「あ、はい」

 ぼんやりしていたのか、また声を掛けても反応が無かった。ちゃんと意識していなければ、話し掛けられていると思えないのだろうか。

「ごめんなさい、また……」
「それは良い。で、お前、隣の席の奴の名前……言えるか?」
「え、……えー、と……。……何だっけ……」
「……」

 考えるような素振りはしたが、全く覚えていないようだった。クラスの、他の誰でも良いからと要求を替えても、出てこない。名前を覚えているのは、どうやら俺のものだけ、らしい。

「……どうして俺の名だけは覚えてるんだ?」

 ストレート過ぎただろうこの問いに、少女は長い髪に隠れがちの顔をキョトンとさせる。それから少し考えて、倒れた体を起こした。でも顔はこちらを見ずに、前向きに俯いている。

「……サスケ君は、……憧れだから……」
「……」

 やっぱり声が小さくて、聞き取り難い。音を拾うために、耳を傾けるのに尽力する。

「そうでなくても、多分名前くらいは覚えてたと思うけど……」
「……何で」
「“何で”って、……目立つもん、良い意味で」

 顔は俯いたまま、やはり照れたように話す。こちらも、褒められているのもあり、釣られて照れる。

「あと、そう、ナルト君もちょっと、憧れる」
「……何であんな奴まで」
「二人とも、形は違うけど、……頑張ってるから……」
「……」
「うん、……頑張ってる人は、憧れるなぁ……」

 こいつが見ているのは、見た目や性格ではなく、行動。真逆のタイプであるナルトに、俺と同様の尊敬を抱くなんて、そうできることではない。アイツと同列に置かれるのは癪ではあるが。

「……あたしは、何も頑張れてないから……」
「……」

 日が殆ど沈んでしまい、辺りが徐々に暗くなる。窓際も同じく暗くなったが、こいつの声まで暗くなったのは視覚的錯覚ではないだろう。
 起こしていた上体を再び伏せ、窓に顔を向ける。暗くなり始めているのに、まだ帰らないつもりなのだろうか。

「……そもそもお前、頑張りたいと思うこと、あるのか?」
「え、……それは考えもしなかった……」
「……ウスラトンカチ」
「あ、はは……」

 へらりと乾いた笑いを零しながら、こちらを向いた。腕の上で横に倒れた頭。余計不自然な笑顔に見えた。

「……その笑い方、やめろ」
「え? ……だめかな」
「……何となく、気持ち悪い」
「…………」

 ショックだったのか、少し黙った後に組んだ両腕に顔をうずめた。そんなつもりではなかった俺は、柄にもなく少し焦った。焦ったが、こういう時に一体どう声を掛ければ良いのか分からない。

「……、……」
「……のね、……」
「……?」

 色々考えを巡らせていると、窓の方から小さく小さく声が聞こえた。このままではどうしても聞き取れないので、荷物を放ったまま、彼女の隣の席まで移動する。
 何を言おうとしているのか、どれほど傷付けてしまったのか、心配が襲う。

「……あたし、……とうさんと二人で暮らしてるんだけどね、」
「……ああ」
「……とうさん、どこかで危ない仕事してるらしくて、……全然帰ってこないんだ……」
「……」

 てっきり居ないものだと思っていたこいつの親は、居ないも同然の状態らしい。腕と机で遮られ囲まれた空間で、僅かに響いてから聞こえる。哀しい響きを含んで届くその声は、実に弱々しい。

「……時々、お金を置きに帰ってくるんだけど、……絶対、すごく機嫌が悪いの」
「……」
「……怒られたくなくて、……叩かれたくなくて、……頑張って笑うんだけど、ダメで……」
「……」
「……サスケ君の言うとおり、……あたし、笑うの下手だから……余計怒らせちゃって……」

 ガタ、と立ち上がって、一瞬何かしようと思って、やめる。
 何も出来ない、と思ったから。

 音に驚いて、腕から少しだけ目を覗かせ、こちらを見ている。その目が少し潤んでいたから、窓とは反対側に体を向け、もう一度座った。

「……悪い。……そんな、泣かせるつもりはなかったんだ」
「えっ、あ、ごめん、勝手に泣いてるだけだよ、サスケ君のせいじゃ……」

 後ろから慌てたような声がして、肩越しにそれをちらりと見た。体を起こし、服の袖で目の辺りを擦って、涙を取り去っている。見間違いではなく、やはり本当に泣いていたのかと思うと、胸が痛い。

「だから、あたしなんかのせいで、そんな顔しないで欲しい……です」
「……」
「……サスケ君には、……堂々としてて欲しいから……」

 ……今まで、こんなにも純粋に憧憬されることはあったろうか。外見や態度しか見ない奴らの言葉なんかよりずっと、すんなり中に入ってくる。
 そしてその願いを、聞いてやらなければならない、聞いてやりたい、と思う。

 日がすっかり沈み、外はもう街灯が点くほど暗くなった。教室は蛍光灯によって白く照らされている。座ったまま窓の方へ向き直り、そいつの顔を真っ直ぐに見る。

「……桜庭」
「……はい?」
「お前の名前……まだ知らないから、教えてくれ」
「……! ……それって、喜んで良いのか悪いのか……」

 少し困ったように言いながらもやはり嬉しいらしく、少々不自然ながらも微笑する。それに小さく含み笑いをしながら軽く謝った。

「……悪ぃ」
「ううん。……でも、何で?」
「……知りたいと思っただけだ」
「……」

 向かいの女の視線が僅かに下がる。困ったように照れて、何故だかこちらを見ていられなくなったらしい。答えをくれるのを待ちながら、少し赤くなっている耳や頬を見ていた。

「…………碧……です……」

 おずおずと、小さく聞こえた固有名詞。しっかと耳に入れ、数回頭の中で繰り返される。こいつにピッタリだとも相応しくないとも思わなかったが、まだ良く知らないのだから仕方ない。

「……“碧”、か」
「なんか……恥ずかしいな、名前で呼ばれるの……」
「……」

 普段、ほとんど誰からも呼ばれていないのだから、悲しい言葉だ。
 照れて赤くなった頬に自分で触れながら、嬉しそうに微かに笑む。その笑みは偽りのものではなく、さっきまでの不快は感じなかった。むしろ、その笑みの純粋さに目を奪われ、心惹かれた。

「…………」
「……えっと、……」
「……帰るか」
「え、うん?」

 少しの間、満足いくまでその様子を見てから、立ち上がる。言葉の意味を解さない内に釣られて立ち上がった窓際の少女は、一瞬後に焦った。

「えっ、あ、“帰る”って……まさか、その……」
「……もう暗いからな。送ってやる」
「…………」

 ぽかんとして立ち尽くす。怪訝に見れば、慌てて断り始めた。

「ぇええっ、そんな、滅相もないです! ホント、いつもこんな時間だから平気だし、その、えっと、サスケ君と一緒に帰るなんてそんな、ダメだよっ!」
「……」

 時々言葉に困りながら、断りの言葉を何度も重ねる。下を向いて顔を真っ赤にしながらまくし立てているため、こちらの少し呆れた顔は見ていない。妙に自分を下げた物言いをするやつだな。

「あたしなんかが隣に居て良いはずないし、それに、えっと、あたしなんかがサスケ君に親切にされても他の人が……」
「おい、もう良いか? 帰るぞ、早くしろ」
「えっ……!? ちょっ、と、待って、話聞いてまし、た……?」

 意見を無視して帰る用意を進める。その後ろで、断り切ろうとしていたから、無視されたことに焦っている。

「早くしろよ」
「だから、待ってって……」
「別に俺は大したことをしているつもりはないし、お前が隣に居て悪いこともない、それに周りなんかどうでも良いんだよ」
「、……」

 僅かに怒気を込めて言えば、少し怖じたようにしゅんとした。言い過ぎたとは思わない。こいつが引き過ぎているだけだ。卑屈というか、自分自身の価値を自ら下げているのだ。

「……でも、……あたしなんか……」
「“なんか”じゃねえ。いい加減にしろ」
「え、……」
「お前は、お前が思ってるほど低くねえと思うがな」
「……」

 俯いて、困ったような悩んだような顔をして、言葉を受ける。そこに喜びや嬉しさの色は無く、ただ純粋に戸惑っているようだった。

「……分かったなら、帰るぞ、碧」
「……! ……う、ん……」

 小さくなった声で返事をして、のろのろと準備をする。こちらも鞄を肩に掛け、それが終わるのを気長に待つ。途中、見回りに来た教師が「早く帰れよ」と一言言って去っていった。
 日が沈み、気温が下がり始めていたので少し涼しく感じる。ようやく支度を整えた碧を、教室のドア付近で待つ。

「……ごめんなさい、待たせちゃって……」
「別に」
「……」

 申し訳なさそうに小さくなって、俯き加減で近くへ来る。それへ、気にしていないという素振りを見せながら、ドアを出た。

 廊下を抜け、校庭を通り、門を過ぎるときも、ずっとこいつは俺の二歩ほど後ろを歩いていた。歩くのが速過ぎたのかと思って一度遅くしてみたが、そうではないらしい。二歩分も後ろに居られると視界に入らなくて、ちゃんと居るか時々心配になる。どうやら気配もなるべく薄くしているな。

「……どっちだ」
「えっ、と……こっち……なんだけど……」
「……」

 門を出て数歩、止まって尋ねてみた。いつも通って帰る道とは真逆の方向だ。街灯に点々と照らされる道を見て、指された方へ歩き出す。それにまた渋るように申し訳なさそうに、俯いて小声。

「……サスケ君の家って、確か逆……だったよね」
「ああ」
「だから……良いよ、本当に……。……悪いし……」
「お前な……」

 本当にどこまでも遠慮するやつだな……。
 半ば呆れて、言い掛けたままの言葉を放置して、そのまま歩みを進める。一瞬立ち止まっていたため、後ろに居た碧も慌てて付いて来る。いつも他の女たちにされている事とは逆で、ここまで遠慮されたことはなくて、少々困る。どうしたらこんなに消極的になるんだ、同じ女なのに。

 時々道を尋ねながらいくらか進み、ほとんど会話の無いまま歩く。相変わらず約二歩分後ろを歩くそいつ。何だか調子が狂う。女ってのは、うるさくてウザイほど積極的なやつばかりだから、真逆のこいつは不思議だ。こういうやつも居るんだな。

「……どっちだ」
「……こっち、です……」
「……」

 時々敬語が出るのも珍しい。しかし、同年の俺にそれはおかしいだろ。近寄り難い雰囲気を作っているつもりは今はないが、そんなに距離を取られてはやり難い。憧れの対象とは、ともすれば遠い存在なのか。俺の場合は、遠いなどと思っている暇はないのだが、昔は(本当は今も)遠く感じていた。

「…………」
「……」

 不意に足を止める。それに咄嗟に反応できずに、少し後ろに居た碧は止まり切れずに軽くぶつかった。

「ぁっ、ご、ごめんなさい……っ」
「……」
「……えっ、と……? ……どうしたの……?」

 いつまでも進み始めない俺を訝しく思ったか、こちらの顔を窺うように覗く。そのためには、どうしてもいくらか前に来なければならなかった。その位置に来たことを目の端に捉え、首を回して碧を見据える。突然見られて驚いたのか、首を少し縮めてしまった。

「そこだ」
「へ?」
「その位置に居ろ」
「ぇ、……?」

 こちらの唐突な物言いに付いて来れないで、その顔には疑問が浮かんでいる。発せられる声も間抜けなもので、思わず小さく息を吐いた。

「……だから、歩く時はこの位置だ。さっきから視界に入ってねえんだよ」
「ぇ、それは……邪魔かな、と思って……たんだけど……」

 この反論に、今度は思い切り溜息を吐く。おどおどして俯く碧に、軽く腕組みをして困る。どうにもやり難い。こいつの性格、どうにかならないのか?

「んなわけねえだろ。こっちから送ると言っておいて、邪魔だなんて思わねえよ」
「……そ、かな……」
「そうなんだよ。そんなやつはただの身勝手だ」
「……」

 少し反省したような面持ちで居る碧に、「行くぞ」と言って歩き出す。慌てたように顔を上げて、小走りで遠慮がちに横に並んだ。しかし放っておけば徐々に視界から外れてしまうので、時々真横の地面を指し示した。

 そうこうする間に、ようやく送り届ける役目を終えたようだ。元々三人以上で暮らしていたなら普通の大きさだが、普段一人で居るならそれなりには大きく感じそうな家。何故だか玄関灯と窓から見える部屋は電気が点けられている。それを不思議に思い、口を開く。

「誰か居るのか?」
「え、ううん……。……真っ暗だと、寂しいし、怖いから、だよ……」
「……」
「もったいないけど、ね……点いてるだけで、ちょっと安心するから……」

 少し不自然な苦笑を滲ませ、僅かに恥じながら言った。
 学校で見る限りでは、ただぼんやりとして何も考えていないようにすら見えた。しかしそんなわけはやはりなくて、それなりに物事を感じ、思っているのだ。

「……え、と……今日は、ありがと……」
「ああ……」
「……その、……ありがとう……。あ、だめだね、言葉が足りないや……」
「……」

 二度も同じ言葉を繰り返し、他の言葉を探している。玄関先でうんうんと悩むそいつを見ていると、呆れの混じった小さな笑いが零れた。それに気付いた碧は驚いたように少し目を大きくして、その後泳がせた。

「……珍しいもの見ちゃった……」
「……そうかよ」
「笑った顔なんて……初めて見たよ」
「……」

 そう言った碧の方も、嬉しそうに薄っすらと笑っていた。玄関灯に照らされて、頬に赤みが差しているのも分かった。直後、初めての感情が芽生えた。

(……『可愛い』?)

 今まで他人をそう評価したことなんて無かった。犬や猫にすら思わなかったその形容を、今日初めて話した相手に思うなんて不思議だ。失礼かもしれないが、こいつの容姿は「酷い」とまではいかないが、決して良い方でもない。言うなれば「普通」、「陳腐」、または「月並」なのだ。至って平凡である。

(……『可愛い』……。……分かんねぇ)

 知らず知らず眉間に皺が寄る。それを見て俺が怒っているとでも思ったのか、急に謝ってきた。

「ご、ごめん……、何か失礼なこと言ったかな……」
「あ、いや、……なんでもねえよ」

 むしろこちらの思考の方が失礼だったように思う。
 そこで、いつまでも立ち話をしてしまっていたことに気付き、そろそろ帰ろうかと碧から視線を外した。夜風も涼しくて、夏に向かい始めて暑くなってきた気温を緩やかに下げてくれている。ゆるゆると吹く風に髪が微かに揺れる。

「……じゃあ、俺は帰る」
「あ、うんっ。ホントに今日は、ありがとう……」
「……別に」
「……ホントに、嬉しかった、から、……その、……じゃあね」
「……ああ」

 顔を赤らめて懸命に感謝を伝えてくる。それにまた少し「可愛い」と思い、軽く動悸がした。

 踵を返して背を向けて、自分の家へと歩き出す。

(……そういや、明日も普通にいつも通り、学校に行けば会えるんだよな)

 何となく今日会って今日で終わり、のような思い込みをしていたから、妙に嬉しくなった。明日もいつも通り姿を見られるだけなのに、それだけのことで。

 変な感じだ。妙に浮かれている。こんな気分は初めてだ。これは一体、何なんだ。

「……どうでも良いか」

 一つ、はっきりしてることが有る。

 もう一度、いや、もっと、笑っている顔を見たい。

 これだけ有れば、充分理由になっている気がした。



(20070815)


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