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 先日サスケくんに雷雨のなかをご足労いただいてしまったことを、ずっと引きずっている。サスケくんは柔軟を手伝うだけでチャラで良いと言ってくれたけど、絶対にそんなわけはない。
 朝寒さで目覚めるような季節に冷たい雨に打たれることが、どんなに体力を奪うか。前も見えない豪雨のしかも雷が落ちるなかを出歩くことが、どんなに危険か。アカデミーを挟んで逆方向同士にある家から家へ移動するのが、どんなに面倒か。天候ひとつでフラッシュバックに泣きじゃくる女を慰めなくてはならないのが、どんなに迷惑か。
 諸々ひっくるめて土下座で済まないご迷惑を掛けてしまった。もう二度とそんなご面倒をお掛けしないためにも合鍵を破棄してほしいと申し伝えるも軽く聞き流されてしまい、私は一体どうしたらこの罪を清算できるのかと困り果てていた。

「……お肉屋さんの……グラム百両の……」

 保健室の小部屋で、勉強も絵も手につかず頭を悩ませる。
 グラム百両のお肉を買ったところで、どう料理すればいいのか。お弁当のおかずとして完成から半日も経ってから召し上がっていただくのでは、折角の味が落ちてしまわないか。そもそもそんな高い食材を私なんかが扱って良いものか。なんなら調理済みのものを買って差し上げるほうが総合的に美味しいのではなかろうか。

「…………でもサスケくんって、そういう即物的なものはあんまり喜ばないような……気がする……」

 だけど金銭や物品以上に感謝を示せるものってなんだろう。気持ちを込めたものといえばすでに、お弁当を毎日丹精込めて作っているつもりだ。それ以上って? なにをどうすれば?

「かくなる上は……召し使いか奴隷か」
「……嫌なことを考えてるな」
「えっ、サスケくん? あれ?」
「もう昼だぞ」

 呆れ顔で扉付近に立つサスケくんの両手には飲み物がふたつ。言われてみれば壁の向こうの廊下はやや騒がしく、生徒たちが思い思いに教室から出歩いている気配がする。
 そんなに長く物思いしていたつもりはなかったけれど、半日もひとつのことをぐだぐだと考えていたらしく、己の鈍さ、思考力の低さ、決定意思の弱さにぐわんと眩暈がした。

「(サスケくんならきっと、即日即断してることだろうに……)」
「何を考えてるか知らないが、考えなくていいことで悩んでることだけは解るな」

 奴隷ってなんだ、と呆れを通り越して怒りを含んだ声音で、吐き捨てるように言う。

「俺はもう十分以上に返してもらっている。それ以上うだうだ対価について考えるなら、今後は弁当も断って完全無償でお前の世話をしよう」
「! そ、それは困る……」
「なんなら今日の弁当もお前が自分でふたつとも食うといい」

 私が召し使いだの奴隷だのと血迷ったことを考えていたのが余程気に入らなかったのか、私を待たずに踵を返してしまった。
 サスケくんの背中が扉の死角に消えてしまうのを見て、一拍遅れて大慌て。えっえっえっ待って、置いて行かないで。少し離れたところに置いていた鞄に手を突っ込み、お弁当箱の包みをふたつ引っ張り出して、低い机にすねをぶつけながらサスケくんの後を追った。
 保険医さんへの挨拶も忘れて保健室の出口へ向かえば、開け放されたままの扉からサスケくんが出ていくところだった。廊下に出て小走りで追うけれど、距離が詰まるのに時間がかかる。それだけサスケくんが早歩きしているってことだ。

「ごめ、ん……ごめんなさい!」
「……」

 とにかく謝らなくちゃ、と焦って背中に声を投げ掛ける。するとサスケくんは四、五歩かけて立ち止まった。このくらいでは止まってくれないと思っていたから少し意外に思っていると、サスケくんは俯いて、ふぅぅぅ、と長く深いため息を吐いた。

「……俺が怒った理由を解って、謝ってるのか?」
「お、おおむね……」

 とっくにチャラだと言ってくれていることで、いつまでも『返し足りない』『迷惑をかけた』と背負い込んでいるのを鬱陶しがっている、のだと思う。召し使いや奴隷になったところで私では世話をかけるばかりでとても役に立たないから必要ないと怒っているのでは、さすがにない。サスケくんは、こんな私をサスケくん自身と対等に考えてくれるような聖人だから。
 サスケくんは俯き気味のまま、斜め後ろの私を肩越しに睨み上げた。
 ギクリ。サスケくんから、こんなにはっきりと『私向け』の怒りを感じるのはたぶん初めてで、ひやりというかぞくりというか、とにかく背中がざわざわ粟立ち、早く取り繕いたいとか早く機嫌をなおしてほしいとか嫌いになられてしまうのを恐れる焦燥感に駆られ、だけど言葉はうまく紡げず、ただただどもった。

「あ、う、……」
「……」

 私の情けない姿を見て、サスケくんはまたため息を吐いた。きらいにならないで。お弁当の包みを握る指が震える。

「俺でさえ半分も解ってねえのに、お前に“おおむね”も解るもんかよ」

 私に聞かせる気のなさそうな声量で呟いて、こちらを睨むのをやめた。
 緊張でいつの間にか止まっていた呼吸が再開して、渇いた喉に無理矢理唾液を流し込んだ。指で握るだけでは滑り落としてしまいそうだからふたつのお弁当箱を重ねて抱き抱えたけど、不安を誤魔化すために何かを抱き締めたかったのだと気付く。
 きらわれてしまったかも。
 そう過ったときに、視界の端に肌色が映った。前を向いていたはずなのに、俯いていたようで、それはサスケくんが後ろ向きに差し出した右手だった。

「……悪い。八つ当たりだった」

 バツが悪そうな、サスケくんにしては小さい声。やつあたり?
 両手でお弁当箱を抱えているからサスケくんの手を取れずにいると、「碧、」と呼ばれて顔を上げる。するとサスケくんはたぶんぎょっとして、慌てたように二歩詰めた。

「泣いて、るのか」
「……あ、」

 目縁にたまった水分が視界を悪くしている。それをどかせるように瞬きすれば、表面張力でこらえていた雫がこぼれ落ちた。
 落ちた涙を追うようにまた俯いて、だけど確かめておきたい、聞かずにはいられないことを問うために、目を泳がせながらも上目にサスケくんを窺って、声を絞り出す。

「……きらわれちゃって、……ない……?」
「……」

 喉が引きつるように苦しくて、言葉が途切れ途切れになる。
 それだけ言って、また俯く。視界から切れる直前に、サスケくんが眉根をぎゅっと寄せたのが見えて、それから、戻ろう、と言った。屋上に行くのではなく保健室へ。一秒でも早く話をするために、衆目のある廊下から離れるために。
 来た道を戻るため、振り向きを促すように肩に手を添えられる。その手が優しくて、きらわれたのではなかったのだとほっとして、涙はむしろ溢れてきた。両手が塞がっているから受け止めることも拭くこともできないで、落ちた雫は抱えたお弁当箱の包みに染み込んでいった。



 保健室の小部屋に出戻って、L字ソファの別の辺にそれぞれ座る。座ってしばらく、お弁当を広げもせず、お茶にも口を付けず、サスケくんは気まずそうに言葉を探していた。
 膝に肘を預けて、前屈みに両手を組んで、落ち着きがなさそうに指をもぞもぞさせている。

「……碧」

 呼ばれて、だけどサスケくんの指に向いている視線を上げることができない。顔を見られない。
 正直情けなさでいっぱいで、タオルでも布団でもなんでもいいから、頭から被って隠れてしまいたかった。サスケくんに気を遣わせている。今までもずっとそうだったけど、改めて情けない。私はサスケくんに頼りすぎている。
 自分に自信がなくて、輪郭が不安定で、こうやって簡単に崩れてしまう。心がくしゃくしゃになってしまう。そしてその気持ちの捌け口として『泣く』という身体反応になってしまうのもとても不本意で、サスケくんの心の負担を増やしてしまうだけだとわかっているだけに、自分の弱さが恨めしかった。

「お前が、不安になりやすいやつだと知っていたのに、あんな態度を取ってしまったこと……すまなかった」

 サスケくんに、謝らせてしまった。
 わたしなんかのために、サスケくんを、こんなふうに、

 首を横に振る。涙で喉が詰まって喋ることができない。

「……ただ俺も、どうしてあんなに腹が立ったのか……。その理由を考えているんだが、……話しながら整理させてくれ」

 まず大前提として、と枕詞を置き、ひと息吸って、サスケくんは言った。

「俺はお前を嫌いになってない。腹は立ったが、それだけだ」

 怒る、イコール、嫌いになる、ではない。
 私の中の図式を否定して、打ち消す。

「むしろ、おそらく毎度のことだが、俺がお前を思うからこそ湧いた怒りだと……そう思う」

 サスケくんに怒られること自体は、初めてではない。私がサスケくんに何かしらの心配をかけてしまったときとか、卑下しすぎてしまったとき。今回も、分類するなら『卑下』のほうだと思う。

「最初に“弁当作りをやめさせるぞ”とおどした時にはまだ、お前のいつもの言動にいつも通り、またかと思っただけだった」

 思い出しながら、思いつくままを口に出すようにサスケくんは話す。私が話せない分だけ饒舌で、それをもらさず聞き取るために耳を傾ける。

「ただ『奴隷』は、あまりにも卑屈がすぎる。いつものことではあるが、いつも以上にイラッとした、というのが正直なところだ」
「……」
「俺がお前を、たとえお前に懇願されたとしてもお前を奴隷然として扱う可能性があると、ほんの僅かでもお前が思っていることに、とにかく腹が立った」

 包み隠さずこんこんと紡がれるサスケくんの言葉に、本当に思ったことを思ったまま直接口に出しているんだろうなと、ひしひしと感じる。
 普段ならもう少し言葉を選んで私を傷付けないように時間をかけて話すけれど、今日はいやにストレートだ。包み隠さず話すほうが効果的だと考えたからだろうか。それとも昼休みという時間制限のせいだろうか。

「俺は毎日の弁当で、十分以上に貰っている。ただお前の元へ駆けつけただけのことにいちいちこんなに悩まれてちゃ、はっきり言って面倒だ」
「(すごいはっきり言う……)」
「だいたい俺は、……駆けつけただけだ。それだけだ。なにもできちゃいない」

 私としてはその、『駆けつけてくれた』こと自体が、本当に一番ありがたくて、これ以上なく『私を大事に思ってくれている』ことを態度で表す行動なんだよ。嬉しくて、ほっとして、怖さがやわらぐんだよ。面倒をおかけして申し訳ないなと強く思うけど、どうしようもなく必要な庇護でもあるんだよ。

「できない自分に腹が立って、そんな俺に過剰な感謝をするお前にも腹が立って、……そもそもお前がそんなに卑屈な考えになっちまったのだって元を辿ればお前のせいじゃねえのに」
「……」
「……そうやって色々考えてるうちにイライラがでかくなって、矛先がバラバラのはずの怒りを、目の前に居るお前にまとめてぶつけちまった……。そういうことだ、たぶん」

 話し終えた。一気に長く話したから、吐き出しすぎた息を整えるように大きく吸って、大きく吐いた。
 この部屋の出入口から廊下の途中までの、たったあれだけの短い時間で、サスケくんはこんなにも色々と考えていたんだ。いや、思考の整理は後から追いついたのだから、かなり飛び飛びで『感じた』程度なのかもしれないけど、それでもすごいや。すごくIQが高い怒り方してたんだね。
 サスケくんの話を聞く内にいつの間にか涙は引っ込んでいて、話すこともなんとかできそうだ。軽く鼻をすする。

「……話してくれて、ありがと」
「ああ……」
「おかげで、割と本気で怒らせてしまったんだなということが、よくわかりました……」
「全くだ」

 『腹が立った』という意味合いの言葉をサスケくんが言った回数を数えたら、また凹んでしまいそう。
 たぶんこれからも何度もサスケくんには駆けつけてもらうことになるのに、毎回これでは確かに大変だ。サスケくんの言い分はごもっともで、私の悩みは一蹴されてしかるべき。
 本音で話してくれたからこそ、やっと腑に落ちた。

「昨日もやったように、俺がその場で対価を指定する。それ以上は悩まなくていい」
「うん……そうだよね、ごめんなさい」

 膝に手を置いて、折れるだけ腰を折る。長く伸びた髪が背中からばさばさと前に垂れてみっともない。
 頭を上げるのと同時に、小部屋の扉近くに気配があることに気付く。保険医さんのふくよかな頬っぺたが隠れきれておらず、続けてサスケくんも気付いて視線をやると、そろりとこちらを覗き込んできた。

「どーやら仲直りできたみたいね。おばちゃん、出る幕なかったわ〜」

 私たちの様子がおかしかったから気に掛けてくれていたらしい。保険医さんはお節介焼きなので、こうして私のことも嫌がらずに面倒をみてくれる。だけど優しさというよりは、野次馬的な、首突っ込みたがり的な、好奇心的な感じはある。
 大きな体を揺らして姿を現し、もちもちの顔をにっこりさせる。

「ちゃんと自分たちだけで話して解決できるなんて、立派じゃないの」

 大人同士でさえも難しいことなのに偉い、と気持ちのいい笑顔で褒めてくれる。
 今回の解決はほとんど、サスケくんが包み隠さず感情を吐露してくれたおかげだ。私はただそれを聞いて、全くもってその通りだと反省しただけ。私の口は余計なことしか言わない悪い口だ。

「おばちゃんもこの間旦那とケンカしてねぇ、あの人ったらこっちの言い分なんて聞きやしないで」
「サスケくんお腹空いたよね、お弁当食べよ」
「ああ」
「あらまひどい」

 保険医さんの長話が始まりそうになったから、お弁当を食べるという大事な作業があると大きめの声で遮る。私はともかくサスケくんにとっては、強い身体をつくるための重要事項だ。
 包みを開く間に保険医さんはにこにこと去って、そっと小部屋の扉を閉めて行った。
 再び二人きりになって、お茶を飲みつつサスケくんが言う。

「俺もあんまり話すほうじゃないんだからな。あんなに喋らせるな」
「はい……ごめんね。心が読めたらお手間かけないのに」
「それはどうだかな。俺がどんなにお前に呆れてるか筒抜けになるのは、お前によくないだろ」
「そ、そんなに呆れてる?」

 サスケくんはちょっとだけ笑って冗談だと言ったけど、どうだろう……やや本音っぽい気がする。
 私を大事に思うからこそ、でサスケくんを怒らせてしまった。反省して、もう少しサスケくんの厚意を素直に受け止めよう。それでまた感謝ついでに、ちょっと高めのお肉を買いに行くことをひっそりと決めた。これも怒られそうだなと思いはしつつ。



(220606)


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