[←] [→] 54「急にすごく寒い」 この間の雷雨から、急激に気温が下がった。数日経った今日も変わらぬ気候で、このまま本格的に冬へと移り変わるのだろう。 立冬間近の日、すっかり暗い道を街灯を頼りに歩く。陽の明かりがなくとも正確に的を射る修業をしたかったとはいえ、少しばかり長く居残ってしまった。 隣を歩く碧が冷えた手をすり合わせている様子が視界端に映る。男よりは女のほうが体温が高いと聞きかじったことがあるが、所詮は平均値。個人差の前ではあてにならない。 「お前は体温が低いからな」 「うん……サスケくんだって体温が高いほうとは思えないけど、それでもあたしのほうがいつも手が冷たいもんね」 肩からずり落ちた鞄の紐をかけ直しながら、碧が言う。 手を繋いだとき。共寝をしたとき。碧のほうが熱いと感じたことは、発熱時以外にはなかった。 この末端冷え性のせいで寒い季節の朝晩は辛い、と碧が小さくぼやく。手足が冷えてなかなか寝つけず、朝も布団から出られない。 碧の部屋を思い返してみるも、扇風機くらいしか冷暖房器具を見た記憶はない。食卓にはエアコンがあったが、点けていたことはないのでもしかすると故障しているのかもしれない。 ストーブや電気毛布をどこかにしまいこんでいるだけなら良いが、今までの傾向から見るにそもそも所持してすらいないのだろう、というのが俺の予想だ。 「寒さをしのぐ手段はあるのか?」 「んんと、ボトルにぬるま湯を入れるくらいかなぁ」 「ちゃんとした湯たんぽは」 「……ないです」 これだ。俺の弁当の食材に高い肉を入れるくらいなら、湯たんぽのひとつくらい買っておけ。 俺がため息まじりにそう言うと、バレていないとでも思っていたのか、しどろもどろ「なんで、なんのこと、」と下手くそな誤魔化しの言葉をこぼした。普通に味で気付くだろ阿呆。 嘘の下手な悪い口を、片手で両頬から潰してやる。 「ごぶぇんらふぁい」 「ったく、もう少し自分を大切にしろ」 そう言いながら解放してやれば、しかし納得いかなさそうに唸り声をもらす。 「うううん…………」 「なんだ、足りないか」 「いやっ、あの、だいじょぶです!」 まだ仕置きが足りないのかともう一度片手を持ち上げてやれば、ぶんぶんと首を振って遠慮した。残念だ。 下げたついでに、癖のように手をズボンのポケットに入れる。夜風が少し冷たい。 「サスケくんのひゃくまんぶんのいちくらいはいたわってるから……」 「聞こえてるぞ」 「う、足りませんかこれで」 「俺への半分くらいでちょうどいい」 「うへぁ、すぐに貯金が底をつきそう」 「俺へ向けている分を半分持っていけという話だ」 「うーん……もったいないや」 こういう類いの押し問答も、今までに何回やったかわからない。一向に改善される兆しがなく、碧が自分をないがしろにするので、仕方なく俺が碧を大切にしすぎる方向へ折れているのだが、それが俺への神聖視を助長している気がする。 だがこの頑固者の思い込みを是正するのには、かなり長い時間が必要そうだ。一年そこらで治るとも到底思えず、俺が今とれるのは対処療法ばかり。 「とりあえず、俺の使い古しでよけりゃ手袋くらいならやれるものがあったはずだ」 「えっ、?」 家のどこかに仕舞いこんだ防寒具。去年からは暑さ寒さでパフォーマンスを落とさない訓練のために、手がかじかもうが鼻が赤くなろうが手袋マフラーその他防寒具は使わずにいる。虫干しくらいはしているが、それでも数年前に買ったものだから、多少ボロくはなっているだろう。 「いやいや、貰えないよ、サスケくんのお古なんて」 「じゃあ新しく買ってやる」 「わーっ! ダメです! それはもっとダメ!」 「なんでだよ」 「あ、あたしにお金を使うなんて……特別な日でもないのに……」 特別な日ならいいのか。 大慌てでプレゼントを拒否されるが、何か理由があれば受け入れやすいのだと情報を得る。誕生日やクリスマスなら比較的抵抗なく甘やかされてくれるということ。 良いことを聞いた。そう思いながら、口では手袋の話を続ける。 「そもそも使わなくなったものだ。捨てるのも使わないのも、“もったいない”だろ」 「……そ、そうなの?」 「ああ。押し入れのどのあたりに仕舞ったんだったか……」 長らく使っていないものであるとやや大袈裟にアピールしてやれば、碧の気持ちが『大人しく受け取ろうかな』に傾いてくるのが目に見える。迷ったように困り声をもらしてはいるものの、さっきのような強い拒否の態度は薄れている。 「ともかく、探して明日持ってくる。要る要らないの返事は見てからでいい」 「んー……わかった。そうする」 この場では一旦返答を保留させることに成功した。これで明日、現物を無理矢理押しつけることもできる。 両手に息を吹きかけて温めているのを見るに、今もそれなりに冷えているのだろう。困っているのは確かなのだから、明日ぎりぎりで多少の抵抗を見せたとしても、最終的にはなあなあで受け取らせることができるだろう。 碧のその寒そうな仕草を見て、俺はそれほど寒く感じていないのにと疑問をかける。 「そんなに冷えてるのか?」 「うん……触る?」 「ん」 そうは言っても大したことはないだろう、と軽い気持ちで、ズボンのポケットに突っ込んでいた右手を歩きながら差し出す。しかし、碧の細い指がそろりと触れると、思ってもみない温度差にビクリと肩が揺れた。げっ。なんだこれは。クナイか手裏剣にでも触れたのかと思うほど冷たい。 一瞬、使い古しだと騙して新しくてあたたかい手袋を買ってやろうかと思ったくらいには、ひどい冷えだ。ちゃんと燃焼してるのか、いやそもそも燃焼するためのエネルギーをまともに食っていないのか。 俺がすべきは、防寒具を与えることではなくて、ちゃんと飯を食わせることだったかもしれない。 碧の冷たい手をしっかり握りなおして、ポケットでぬくもっていた俺の手の温度を分ける。 俺が眉を寄せて黙って歩くから、碧もつい黙ってしまったらしく、結局あと少し碧の家までをそのままで過ごした。 サスケくんのお古の手袋。薄手で、はめても動かしやすいけれど防寒には心許ない、黒い手袋。 こんなものでも無いよりはマシだろう。そう言ってお昼休みに手渡された。 使い古して元より余計に薄くなっているだろうその手袋は、たしかに『捨てる勿体ない』より『私に下げ渡す勿体ない』で済ませる物だな、と感じて素直に受け取れた。 午後はそのままそれをはめて過ごして、ペンは滑るし参考書は滑るし辞書も滑るしでまともに勉強ができなかったけど、両手はいつもよりちょっと温かかった。 放課後、保健室にサスケくんが迎えに来てくれる。これからいつものようにサスケくんが修業をするのを、いつものようにそばで見学するのだ。 「もう着けてるのか」 荷物をまとめる私の手元を見てそう言ったサスケくんはちょっと呆れ気味。まだ室内なのに、という言外の疑問に気付かず、素直に「うん、勉強はしにくかったけど」と答えると、ますます呆れられてしまった。 「…………勉強中は外しておけよ」 「でも、あったかかったよ」 どうやらこれから修業の見学をするにあたって、ついさっきはめたのだと思っていたらしい。違うのずっとはめてたの。 滑ってやりにくいだろ、と言い当てられてしまい、それは確かにそうだったので、苦笑いで誤魔化しておく。滑りにくい革製のグローブとかなら、むしろ補助になるんだろうけどね。 「家に着いたら外せよ。手は洗え。料理中も危ないから着けるな」 「流石にそこまでは……。あ、でもこれサスケくんが着けてた手袋なんだよね……」 「……家に着いたら外せよ! においも嗅ぐな!」 手袋をはめた両手で鼻を覆って嗅いでみたけど、防虫剤のにおいしかしなかった。うーん、残念。 サスケくんの手袋の効果で、両手だけでも浄化されてくれるといいな。 サスケくんにとって必要ないものを譲り受けただけだけど、『サスケくんが使っていた物』というのが何より大きい。私がこみ上げる嬉しさにうふふと笑い声を漏らす間、サスケくんは呆れたような困ったような顔をして、念押しのように「風呂に入るときも外せよ」と言った。どうしようかな。 (220723) [←] [→] [絵文字で感想を伝える!(匿名メッセージも可)] [感想を届ける!] |