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 日が昇る前なのに目が覚めてしまう。そのいつもの現象にうんざりしながらうっすらと瞼を持ち上げると、掛け布団に埋まった視界。体感では早朝だけど確認のために布団を退け、保安球の橙色の灯りに頼りなく照らされた壁を見る。時計の短針は三に近い位置。
 チャリ。微かに耳に届いた金属音に、胸元を探る。細い紐と、その先に繋がれた塊。革製カバーの感触を指先で確認して、そのままぎゅっと手のなかに握りこんだ。

(……サスケくん)

 サスケくんの住む部屋の鍵。
 四六時中身につけておくために、首から提げられるようにした。クナイでも切れないワイヤーを柔らかい革で被覆した紐。滑らかな手触りに加工された長方形の革製キーカバー。そのふたつを金属のリングが繋いでいる。
 鍵はカバーで完全に覆われているので、ともすれば単なるアクセサリーにも見える。アクセサリーみたいにいつでも肌身離さず身につけるのだから、むしろこれはアクセサリーだと主張してもいい。アクセサリー兼、御守り兼、鍵。

「ふえへ……」

 思わずだらしない笑い声がもれた。半分夢の中とはいえ、それにしてもへらへらしていた。サスケくんには聞かせられない。
 嘘じゃないし、夢じゃない。たしかに私の手の中にサスケくんの鍵がある。
 鍵。御守り。宝物。いや秘宝。
 すでに全然鍵として使う気がないことが自分でも解る。こんなの絶対気軽に使えない。使ったからといって無くなってしまうわけでもないのに、もう全然使う気がない。だってこうやって身につけているだけでこんなに、こんなにもパワーをもらってしまっている。パワーストーンさながらだ。

「(……パワーストーン詐欺ってこうやってできるのかな)」

 この鍵そのものには、当然なんの力も宿っていない。だけど元の持ち主を信仰していると、それだけでこんなに嬉しくなってしまって、いろんなものから守ってもらえているような気がしてくる。サスケくんが悪い人だったら、そのへんの石ころを高値で売り付けてきて、私はそれを喜んで買っていたかもしれない。

「(サスケくんがいい人でよかったなぁ……)」

 バカなことを考えていたら目が覚めてきてしまったので、再度眠るためにごろんと寝返りを打った。すると今度は枕元に置いたうさぎのぬいぐるみが目に入って、また口元がにやにやと弛んでしまう。
 ああダメ、幸せすぎる。サスケくんにいろいろ貰いすぎてるなぁ、私。
 これでサスケくんと過ごす夢でも見られたら最高なんだけど、そんなに上手くはいかないだろう。それができるなら毎日そうしているし、なんなら毎日チャレンジはしているし、成功はしていないし。眠っている自分の脳みそをコントロールするのって難しいね。



 アカデミーが休みで、ひとりで家で過ごす。窓を開けていると肌寒いから、換気が済むとぴったりと閉めた。雲が広がる怪しい空模様だ。
 昨日一日はずっと胸元に提げた鍵を意識して、保健室でひとりでも全然寂しくなかったかわりに、ほとんど勉強が手につかなかった。まあそれは今日もなんですけど。明日も明後日もそうなるのではという懸念はあるけど、別段問題もない気がしている。
 机に向かってスケッチブックを開く。ちょっとサスケくんのことばかりを考えすぎて紙の上がサスケくんだらけになってしまっているけど、それも別に問題ない。ページをケチって絵を描いた裏面も使ったから裏こすりした前のページが真っ黒になったりもしたけど別にいい。
 なんたって幸せなのだ。今も服の内側、胸元で大人しく揺れている御守りがここに在るだけで、私に幸福が訪れる。もちろんその反面申し訳なさや畏れや恐縮などのマイナス方面の感情もあるのだけど、サスケくんに大事なものを貰ったという事実が一番強くて、その他をあっさり隅っこに押しやってしまう。

「サスケくんは、今頃修業でもしてるのかな」

 それともたまには、お家でゆっくり過ごしているだろうか。あるいは生活に必要なものの買い出しに行ったり、強くなるのに必要な知識を得るために図書館に行ったりしているだろうか。
 そんな風に空想しながら窓へ目を向けると、パタパタと雨粒が窓ガラスにぶつかり始めた。
 ほんのさっきまでは曇っていてもそれなりに明るかったのに、分厚い雨雲が空を覆ってどんよりと暗くなっている。時計を見るとまだ昼過ぎなのに、もう夕方を過ぎてしまったのかと錯覚してしまうほどだ。

「…………カミナリ、来そう……」

 雨のせいでぐんぐん下がりはじめた気温に、ふるりと肩を震わせる。
 通り雨であることを祈りながらそろりとベッドへ移動して、身を守るように布団にくるまる。窓に背を向けて亀のように身を縮め防御体勢をとる。動けなくなる前にこうしておくことが大事だ。
 カミナリが現れる前に眠って意識を飛ばしてしまうのが最大の回避方法だけど、あまり近くに落ちるとその音で目を覚ましてしまう。豪雨だけで済みますように、と念じながらシャツ越しに御守りを握りしめた。





 アカデミーが休みで、天気予報で雨が降ると聞いたので外での修業を控えて家に居る。
 床に座って両足を広げて伸ばし、片方の爪先を掴む。反対側の脇を天井へ向けるように上体を足へ倒し、脇と背中の筋、太ももの裏、ふくらはぎが伸びるのをしっかり意識する。
 そうして自室で柔軟トレーニングをしていると、にわかにバタバタと雨が降り始めた。黒い雲が広がる空から、バケツをひっくり返したような激しい雨が降っている。

「…………」

 経験則として、こういう雨のときはよく雷が鳴る。立ち上がってベランダへ近付き、空を覗き込むと計ったように稲光が走った。地上へはまだ放電しておらず、雲のなかでゴロゴロと暴れている音だけがする。しかし落ちるのも時間の問題だろう。
 教本が積まれたベッドサイドの棚の、天面の端に置いている黒革のキーケース。俺の家の鍵と碧の家の鍵が収まっているそれを手に取り、窓の戸締まりを確認して自室を出た。こんなに早く出番が来るとは。
 試しに玄関扉を開ける。ザバザバと滝のように降る雨が、屋根付き廊下と手すり壁を挟んでいるにも関わらず玄関に居る俺の足元まで飛んできた。一旦扉を閉めて洗面所へ寄り、タオルをひっ掴む。すぐに戻ってサンダルにさっと足を入れ、気休めの傘を取り、外に出て施錠する。次までに雨合羽を用意しておこう。
 黒雲のなかで唸りを響かせる雷。碧にもこの音は届いているだろう。豪雨でろくに前も見えないが、すでに怯えているだろう碧の元へ馳せ参じてやらねばという使命感の前では、足を止める言い訳にもならない。
 吹き込む雨を防ぐように、まだ屋根下だが傘を開く。早足で廊下と階段を抜け、碧の家へ向かって風雨の中を突き進んだ。





 ゴロゴロロと雷の唸り声が遠くから響くのを、布団ごと耳を塞いで聞こえないようにする。かろうじて雲のなかだけで留まっているらしくて、雷が落ちた時にする激しい破裂音はしてこない。
 それでも徐々に手先が震え始めている。音や光はきっかけに過ぎない。心臓の脈打ちが強くて上半身が揺れる。呼吸が荒れるのを抑えるように吸うのも吐くのも大きくなる。

「だいじょうぶ……だいじょうぶ……」

 囁き声で自分に言い聞かせる。今アイツは居ないんだから、大丈夫。大丈夫。
 ぎゅうっと眉間に力がこもる。両手は耳を塞ぐ仕事に忙しくて、粟立つ肌を慰めることもできない。思い出すな。他のことを考えろ。そうたとえばサスケくんのこと、とか。

「サスケくん……」

 左手をサボらせて、首から提げたキーケースを服の上から握る。そういえばサスケくんには、この家の鍵を渡してある。
 “たとえば雷雨の日に”、と用途を挙げてくれていた。だけどいや、まさか、こんなゴウゴウと雨音が全方向から聞こえてくるような天候なのに、わざわざこんなところまで来てくれるなんてこと。
 そろりと窓のほうへ顔を向ければ、音に違わずすごい量の雨がビシャビシャと窓ガラスに吹き付けている。向かいの家の形すらまともに見えないほどの雨量で、傘なんて差したところで大して役に立たないだろう。
 そのとき、稲光が目に入った。ヒュッと呼吸が詰まる。続いて聞こえるはずの音に身を強張らせてしまい、窓から視線を逸らすのがやっとだった。だけど聞こえたのは落雷の音ではなかった。

 ピンポーン

 玄関チャイムの音が、バタバタガタガタという風雨の音にまぎれてわずかに届く。この家に訪問してくる人間は大別して三種。新聞などの勧誘か、義父とその部下か、サスケくん。
 鳴らして三秒後、門の開閉する音と、傘をバサバサと振る音がして、それから鍵を閉めているはずの玄関扉が開けて閉められる音がした。

「さ、……」

 サスケくん。
 まさか、こんな、遭難しそうな雨のなか、私が雷を怖がってひとり震えているだろうからって、わざわざ、
 たまらなくなって、布団を捨ててふらふらと部屋を出た。左手は服の上からサスケくんの鍵を握ったままで、へろへろと階段を下りて玄関に振り返る。
 サスケくん。サスケくんが居る。

「ええ……なんでぇ……」
「碧、大丈夫か」

 びしょ濡れになったらしい両足を、自分で持ってきたらしいタオルで律儀に拭いている、サスケくん。

 “たとえば雷雨の日に”
 あんなの、私がサスケくんの家の鍵を一方的にもらってしまうことに対する、ある種の打ち消しのための方便くらいに思っていたのに。私がサスケくんの家の鍵を使わないのと同じように、ただ持っているだけでほとんど使うことはないだろうと思っていたのに。思って、いたのに。
 左手で服ごと鍵を握ったまま、ぼろぼろと両目から溢れだした涙を右手でこする。

「サスケくんなんで居るのぉ……」
「! その言い草は……いやいい」

 まだ少し濡れたままの足で、廊下に薄く足跡をつけながらサスケくんがそばに来る。シャツの袖も肩まで濡れ、少しだけど肩が上下するくらい息が上がっている。急いで来てくれたんだ。

「こんな雨のなか来るとは思わなかったか」
「う゛ん……」
「放っておくわけないだろ」

 涙が止まらない。怖いからじゃなくて、安心したから。
 サスケくんが慰めるようにそっと抱き寄せてくれたとき、とうとう落雷が轟いた。だけど私はすでにサスケくんの優しさに包まれていたから、ひとりの時ほど怖くなかった。

「廊下じゃ寒いだろう。部屋に戻るか?」
「う゛ん……」

 サスケくんが右手を差し出してくれたから、鍵を握っていた左手をほどいてそちらへ縋った。私の神様。





 握った碧の手を引いて、先導するように階段を上がる。
 首に紐が掛かっているのが見え、それが襟から内側へ入り、碧は胸元を服ごと握っていた。段差を上がるごとに時々小さな金属音がするから、昨日と同じように俺の家の鍵をそこに提げているのだろう。外へ出るわけでもないのに。
 碧に受け取らせるために方便のように言っただけの、『お守り』としての使い方がメインになっているらしい。それ自体には何の力も宿っていないはずだが、碧がよすがにできるのならそれに越したことはない。
 開け放たれたままの碧の部屋の扉を抜けたと同時に、また雷が鳴り響いた。握った碧の手がびくりと震えたから振り返って様子を見る。

「碧」
「、だ、だいじょうぶ……いつもより、ぜんぜん」

 たとえ碧の感覚としてはそうであっても、俺の目には無理をしているようにしか見えない。俺を安心させたくて笑おうとしたのだろうが、引きつってぎこちなく頬が震えている。
 だがその強がりを尊重して、否定せず受け止める。

「そうか」

 ゆるく手を引いて、部屋の中央で抱き寄せる。ベッドへ座るように誘導することもできたが、あそこがいい避難場所には思えない。少なくとも俺には。
 小さく細い、脆そうな身体。碧を抱きしめるといつも、その儚さにぎくりとする。
 右手は碧と繋いだまま。背中に回した左手に長い髪が触れる。冷たい雨の中を走ってきた俺よりも体温が低く、それを少しでも温めるため摩擦熱を起こすように背をさする。また少し身長に差ができたような気がして碧を見るが、碧が縮こまっているから正確には測れそうにない。

「ごめんねサスケくん……」
「なにがだ」

 肩口で、大きめに呼吸する音が聞こえる。揺れる涙声が小さく謝罪を告げたから、何のことかと問い返す。

「……雨で寒いのに……」
「このくらいの気候で動けなくて、忍者になんてなれるかよ」
「…………うん」

 そういう問題でないことはわかっていて、わざとずれた答えを返す。しかし碧はそれでやや納得したらしくて、独り言のように「それもそうだ」と呟いたのが聞こえた。それでいいのか。
 雨音が少しましになっている気がして、窓の外の様子を確認するために顔を上げる。さっきまで黒雲でかなり暗くなっていたが、一部明るくなり始めている場所もある。雷や雨を吐き出して、雨雲が弱り始めているのだろうか。唸るようなゴロゴロという音も頻度が減っている。

「今回はかなり短く済みそうだな」
「……ほんと?」
「ああ。明るくなってきた」

 俺の言葉を聞いて、碧も外の様子を窺う。背中を撫でていた左手をゆるめて碧を解放し、しかし右手はまだ碧の手を握ったまま、一緒に一歩窓へ近付く。

「ほんとだ……」

 良いことのはずだが、碧は依然浮かない顔。俺が帰ってしまうことを案じているのかと思って声をかける。

「心配するな。落ち着くまで居る」
「……」

 それでも碧は俯いて、小さく首を横に振った。

「ううん、サスケくんの時間、奪っちゃうから……雷が止んだらすぐに帰って大丈夫だよ」

 さっきよりはかなりはっきりした口調で、俺に帰るよう促す。
 豪雨のなか、傘を差してもそれなりに濡れて、碧の家まで様子を見に来た。それを気に病んでいることは明らかで、申し訳なさを体全体から漂わせている。
 雷雨と見るや飛んで来たこと自体、過保護と言われればそうなのだろう。しかし俺は知っているのだ、碧が雷に怯える理由を。雷の向こうの何に怯えているのかを。

「……碧」
「、」

 碧の杞憂を払拭するように、もう一度抱き寄せる。遠くで小さく雷の唸り声がした。握ったままの右手も包むように握り直す。

「なら後で、俺の修業に付き合ってくれ」
「!」
「といっても、部屋の中でできることだけどな」

 自室でしていた柔軟トレーニング。実際のところ補助があると助かる。
 碧には、ただ“気にするな”と言うよりも、対価を与えてやるほうが良いらしいことが最近わかった。貰うばかりでは恐縮して心を痛めてしまうそうだ。無償で受け取ってくれるほうが対価を考えずに済むので楽なのだが、碧の特性であると割り切って対策していく。

「それでチャラだ」
「…………そんなのでいいの?」
「ああ。その程度のことだ」

 そう言ってやれば、また大きく呼吸をし始める。そして、俺が一方的に握っているだけだった碧の手が、俺の手を弱く握り返した。
 ようやく、雨のなかここまで来た目的を達せられた気がする。
 鼻をすする音がしたから、碧が再び涙を流しているのであろうことを察する。それを宥めるようにそっと頭を撫でてやりながら、雷雨が完全に去るのを待つ。

 守らせてくれ、俺に。お前はそれに甘えるだけでいい。

 知らず、顔つきが険しくなる。俺に対してすら手放しで甘えることのできない碧の、その背景を思うと胸が苦しくて。痛くて。
 汚いなんて、資格がないだなんて、そんなことは思わなくていい。思わなくて、いいんだ、碧。



(210822)


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