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「快適なんだけど、同じくらい寂しい」

 碧が保健室へ通うようになって半月。碧の口から弱音が出た。
 俺でさえ、教室に碧が居ないことに違和感や後ろめたさと同時に、寂しさも感じていた。ひとり集団から離れて小部屋で過ごしている碧なら尚更そうだろう。
 季節が冬に近付き、日暮れが早まってきている。街灯も点き始めている薄暗い道を並んで下校しながら、俯き加減に吐露された言葉。足元に落ちていたらドリブルされていただろう。

「…………」
「あ、ごめん。こんなこと言っても困らせちゃうだけだよね」

 どう返事をすべきか思案していると、碧が謝った。別に謝られるほど困ってはいないので、それには首を振っておく。感じたことを伝えるのは悪いことじゃない。

「いや。構わない」
「……でも、言ってどうにかなるものじゃないのに」

 半月。まだたったの半月だ。
 碧の右手から包帯が取れ、傷痕ももう消えた。しかしほとぼりが冷めたと言うには早く、保健室登校をやめる時期ではない。かと言って「サスケくんが一緒に保健室登校するのは違うし……」と碧の言うとおり、それは選択肢としては無い。小部屋で碧と二人きり、なんて、現実がどうであれ憶測でどんな妄想をされるかわかったものじゃない。

「(あらぬ想像で勝手に怒って勝手に暴れだしそうだ)」
「サスケくんは、ちゃんと授業を受けたいもんね」
「ああ……そうだな」

 碧の言葉に頷く。
 “授業”とは、受動的に受けられる学習だ。自分からあれこれ調べずとも、時間割に沿って様々な知識やわざを授かることができる。
 それに比べて“自習”は能動的な学習で、どうしても『得たい知識』へ片寄ってしまい、幅広い知識や経験を得ることは難しくなる。碧の場合は医療忍術という『得たい知識』や成りたいものがはっきりしているからいいだろう。しかし俺の場合は、どんな知識や技能がいざというときに役立つか、現時点ではわからない。
 認識していないものを『知ろう』とすることは難しく、だから受動的な学習であるアカデミーでの授業は、できるだけ受けておきたい。0を1にすることはできなくとも、1を10や100にするのは俺の努力次第だ。

「はあぁ……等身大サスケくん人形でもあれば、寂しくないかな」
「なんだそれはやめろ」

 どうすべきか考えていると聞こえた碧の発言に、反射的に拒否を示した。碧は時々突飛なことを言い出す。
 俺の姿をした人形を碧が自室に置いたり保健室に持ち込む様子を想像すると、その異常な光景に寒気がした。絶対にやめてくれ。

「小さくてもダメ?」
「なんで本当にする前提なんだ」
「だってぇ……」

 思わず全力で拒否したが、碧のほうは冗談半分本気半分といったところ。しょんぼりと弱った様子に、強く言いすぎたかと胸を痛める。
 人形はダメだが、前々から少し考えていたことがある。具体的には夏休み中から。
 どうすれば碧を守れるか。どうすれば碧にこれ以上寂しい思いをさせずに済むか。導きだした解決策のひとつ。その鍵。

「……碧」
「はい……」
「今度、渡したいものがある」
「?」

 もっと強く叱られるとでも思っていたのか、俺の話題転換に不思議そうな視線を向けた。「サスケくん人形?」「それは違う」。頼む、人形から離れてくれ。
 角を曲がり、碧の家が目に入る。今日はここまで、の目印で、明日まで会えない、に襲われる。

「悪いがまだ手元になくてな。週末までには用意する」
「……それが何かは教えてくれないの?」

 ついさっき、ほんのさっきまでは、決心が付いていなかったことだ。それもあってか堂々と宣言することができない。このあとこの足のまま、用意するから堪忍な。

「楽しみにしていていい。きっと喜ぶ」
「それって、“ジェネリックサスケくん”よりも良いもの?」
「ジェネ、……なんだ?」

 聞き慣れない言葉を聞き返す。造語であることしかわからない。

「ジェネリック医薬品っていう、特許の切れた薬と同じ効果で安く作られたものがあるんだけど、ここでは“後発品”とか“代替の”とか、そういうニュアンスかな。元々は違う意味の言葉で、特許持ち医薬品の逆の“一般的な”医薬品って意味なんだけど……まあとにかくさっきあたしが言ったジェネリックサスケくんっていうのは、サスケくん人形のことだよ」

 淡々としたリズムで流れ出る、多分に余分な情報を含んだ説明を聞いて、呆れながら「俺はいつから薬になった」とこぼした。人形への本気度がそれなりに高いな、これは。
 すると碧は、俺の言葉にはっとしたように口を開け瞠目し、それから両方を弓なりにひしゃげさせた。

「そうだね! サスケくんはお薬でもあるかも」
「、」
「すぐ効くよく効くちゃんと効く、胃にも心にもやさしいお薬だね」

 テレビで流れる広告のような謳い文句をすらすらと口走りながら、興奮したように頬を赤らめている。
 俺はその表情の変わりように、思わず胸を跳ねさせてしまった。なにをそんなに嬉しそうに。碧の喜ぶポイントは、俺にはいまいちわからない。
 不意打ち的に高ぶった感情を抑え込むように、しかめた顔を碧から逸らした。それが照れ隠しであることは碧の目にも明らかなようで、なおもにこにことこちらを覗き込んでくる。

「常備薬として、やっぱりジェネリックサスケくんは作ってみようかなぁ」
「やめろって、俺が耐えかねる」
「ええ、ダメ……?」
「やるなら一生隠してくれ」
「む、むずかしそう……」

 碧の家の門扉前で足を止め、真剣に悩んだ様子の碧に苦笑い。お前はなかなか頑固だな。
 足が根を張る前に、と強く意識して、別れの言葉を紡ぎ出す。

「……じゃあ、また明日な」
「あ、うん……明日ね」

 俺が別れを切り出すと、あからさまに声のトーンが落ち顔を曇らせる碧。ついさっきまではしゃいでいたから、今日は余計に落差が大きい。俺が渡す予定のものが、碧のその寂しさを少しでも紛らわせることのできるものであれば良いが。
 いくらでも別れを惜しんでしまいそうだから、さっと踵をかえして碧に背を向けた。離れていく間、その背中にずっと視線を感じる。碧の視界から消えるまではゆっくりと歩いて、角を曲がるとすぐに走り出した。
 これから預けて、いつ仕上がるだろうか。失くしたことも複数必要になったこともないからわからない。何日も掛からなければいいが。





 昨日と同じように、放課後の修業時間も終えて、薄暗い夕闇のなかをサスケくんと歩く。
 今日も一日、昼休み以外はひとりで保健室の個室で過ごした。昨日の思いつきであるサスケくん人形の必要性をひしひしと感じ、材料費がいくらとか、製作の手ほどきが載った本が本屋のどこにあるかとか、それらを揃えたところで納得できる出来の人形を作り上げることができるのかとか、うだうだと考え続けてしまって勉強にも身が入らなかった。
 サスケくんが何かを“渡したい”と言っていたけど、昼休みにも修業中にもその話は出なかった。週末までに、と言っていたから遅くても明日。というかたぶん明日だろう。用意しないといけないという話だったし、用意ができてるならもう渡されてるはず。なかったということは明日なんだ。『渡したいもの』の内容によっては必要なくなる可能性があるから、ジェネリックサスケくん計画は明日まで保留で我慢しなくちゃ。

 帰路を辿りながら『渡したいもの』の話を切り出して良いものか、はかりかねてもじもじと肩に掛けた鞄の紐をいじる。昨日は話してくれなかったもんな。渡すまでは内緒なのかもしれないし、サスケくんのことだから秘密にしているのにも何かしらの理由があるのかもしれないし……。
 そわそわとサスケくんをうかがっていると、見かねたのか話を振ってくれる。

「昨日言った“渡したいもの”だが、実は今すでに渡せる状態だ」
「、そうなの?」
「ああ。思いの外すぐに準備ができてな」

 斜めがけ鞄を軽くポンと叩いたから、たぶんそこに入れてあるんだろう。
 十中八九明日だと思っていたものが突然今日ということになって、勝手に慌てた。今日はそれが何なのかだけ聞けたら、と思っていたのにもう貰えるの!? この後!?

「こ、こころのじゅんびが……」
「準備?」
「あ、あしただと、おもってたから」
「ああ……予定外のことに弱いなお前は」

 だって明日だと思ってたんだもん。
 なんなら改めて明日渡してもらおうか、なんて考えもよぎったけれど、それはさすがに馬鹿すぎるのでその案は端へ追いやる。だけど、どうしよう緊張してきた。

「お前の家に着いたら渡す」
「道端ではダメな理由が……?」
「……落とされても困るしな」
「落としませんっ」

 サスケくんから貰ったものを落とすなんてこと絶対にしません! という気持ちはあるものの、言いきったあとで、でも自分の間抜けさならあり得るかもしれないと思い直して、自信のなくなった声音で繰り返す。

「たぶん落としません……」
「はは、それは理由の一割もないんだが、一応な」
「一割もないの」

 サスケくん笑った。
 サスケくんが笑ってくれるのは嬉しいんだけど、大体私が変なリアクションを取ってしまった時なので喜びきれない。サスケくんの笑いのツボは謎だ。

「学校のやつらに知られたくもない」
「……もしかして、すごく大切なもの?」
「ん、まあ、そうだな。そうとも言える」

 『渡したいもの』そのものや話題さえ学校で出さなかったのは、万が一にも誰かに見られたり聞かれたりしないため。だとすれば他の誰にも秘密にしておきたいほど大切なもの、とか、私がそれを持っていることが誰かに知られるとまずいもの、とか、そういうことになる。

「はああ、そんなすごいもの貰っても大丈夫かな……」
「……お前なら、恐縮してしばらく使わないだろうな」
「つ、使えるものなの?」
「ああ」

 サスケくんは、肯定しながらまた小さく笑った。当て物ゲームじみてきたな、と。そんなつもりはなかったけれど、サスケくんが道端では答えを教えてくれないのでそうなっている。
 私が持っていることを他人に知られるのはまずくて、大事なもので、使えるもの。あと、たぶん私が喜ぶであろうもので、且つ恐縮してしまうもの。

「サスケくんに関わりのあるもの……?」
「ああ」
「サスケくんの持ち物としても大事なもの?」
「最悪無くてもなんとかなるが、他人の手に渡ると面倒だ」
「うむむ……金銭的価値のあるもの?」
「場合による」
「んんん? お店で買えるもの?」
「……店で準備はしたが、買ったと表現するかは微妙だな」
「えっ、じゃあ……作った?」
「そうだな」
「サスケくんの手作り?」
「いいや」
「じゃあお店の人が作ってるから……使うものだしたぶん食べ物じゃない、大事な……盗られると困る、けど高くない……既製品じゃない……」

 問答で得たヒントを元にうんうんと頭を捻る。最後の角を曲がったからもうすぐ家に着く。考えずとも間もなく答えを貰うことができるけど、ここまで来たなら自力でたどり着きたい。
 私が懸命に答えを求めるのが面白いのか、サスケくんは楽しそうに口角を上げている。

「思い付いても、口には出すなよ」
「え、あ、万が一ね、うん」
「あそこに着いたら答え合わせだ」
「待って……まだ、もうちょっと……」

 私が時間稼ぎに歩みを遅めてみても、サスケくんの速さは変わらない。そうしてできた一瞬の遅れを大股の二歩で詰めて、その作戦は諦める。
 推理の材料は、たぶん出揃ってる。あとは私が答えに行き着くかどうかだけ。私の頭の回転がもっと早ければ、もしかしたらもうわかっていたかも。ああもう玄関門も目前だ。

「あたしが遠慮しちゃうもの……サスケくん関連……」
「開けるぞ、門」
「大事で……既製品じゃない……お店で作る……」
「開けてくれ、鍵」

 サスケくんに言われて、だけどまだ考えながらごそごそと鞄を探る。あれ、鍵どこ……あ、あった、鍵、

「鍵……」

 ジャリ、と差し込み、ひねると、カコンと、錠が開く音。
 鍵、かぁ。お店で作れるし、合鍵を作るっていうと商品をただ買うって感じじゃないね。もちろん大事で、他人に盗られると困るし、でも自分が家に入る分には解錠術(ピッキング)でなんとかならないこともないか。それ自体は高価じゃないけど、家に金目のものがあると価値が高くなるとも言える。それでサスケくん関連っていうと、サスケくんの家の鍵、みたいな。確かにそれは恐縮して使えない、かも……。
 バタン。二人ともが玄関土間に入って、サスケくんが扉を閉めた。これで確実に秘密が守られる状態になった。

「さて、答え合わせだ」

 明かりを点けっぱなしだから薄明るい玄関。サスケくんは楽しそうに言って斜め掛け鞄を開け、奥の方へ手を入れる。チャリ、と金属同士が軽くぶつかる音がして、サスケくんの手が引き抜かれる。握った手を私の前で仰向けに開いて、ふたつ、同じ鍵のうち、ひとつを私に差し出した。

「か、ぎ……」
「どうだ、合ってたか?」

 合鍵。

 理解すると同時に勢いよく一歩後ずさりして、下がりすぎて段差に躓いて尻餅を突いた。

「、大丈夫か碧」
「ま、ま、待って、そんなの、そんなの受け取れない!」

 打ち付けた腰の痛みなどどうでもよく、とにかくぶんぶんと首を横に振った。
 合鍵を渡すというのは、つまりサスケくんの家への出入りの自由を許す行為に他ならない。住まいという最重要の個人領域へ、逐一許可を得ずとも、なんなら同伴がなくとも侵入を許す、許可証そのもの。

「……嫌だったか?」
「ち、がう、そうじゃなくて、」
「なら、受け取ってくれ」

 私が否定を示すために振った手を取って、硬く小さなものをひとつ握らせた。その手をそっと引き戻しておそるおそる開くと、そこには確かに鍵。私の家のものとは形の違う鍵があった。

 どうしよう。どうしよう。とんでもないものを受け取ってしまった。
 サスケくんをそろりと見上げてみたけど、返却を受け付けてはくれなさそう。こんなに大事なもの、私が持っていていいはずがないのに。

「お前のことだから、余程のことがなければ使わないだろうが」

 激しく何度も頷く。

「お守りだと思って持っていろ」
「……おまもり」
「いざとなれば、いつでも俺の元へ駆け込めるようにな」

 御守り。なんて力強い響きだろう。
 改めて、手のひらの上の小さな金属へ視線を落とす。通行手形であり、サスケくんの加護の証でもある。大変なことだ。サスケくんに、そんなに許されていいのだろうか?

「……大事に、する。ぜったい、ぜったいに大事にする」
「そうしてくれ」

 決して失くさないように。決して奪われてしまわないように。大事に大事に、四六時中身につけておかなければ。そうすることが唯一、これを授けてくれたサスケくんに対する誠意だ。

 この後すぐにでも、鍵屋さんか雑貨屋さんへ行って保護カバーや革紐かチェーンの類いを用意しなければならない。こんな大事なものを裸のまま鞄やポケットに入れておくことは、とてもできない。
 真剣にそんなことを考えていると、頭に軽い衝撃。ぽふぽふと数回優しく叩かれた後、私が首を上げるのに合わせて滑るように撫で去っていく。

「そんなに深刻そうにするな」
「でも、大事なものだから」
「失くしたらまた作ってやる」
「……へ、」
「そりゃ、学校連中に奪われた場合はいろいろと面倒だがな」

 こ、こんなとんでもなくすごい物をおかわり自由だなんて、サスケくんはおかしくなってしまったんだろうか?
 上がりかまちに座ったままサスケくんの様子を窺うように見上げると、少しだけ困ったようにしている。

「そこまで重く捉えるとは思わなかった」
「や、だって合鍵だよ。極論サスケくんの家に二十四時間いつでも出入りできる権利だよ。これはすごいものだよ」
「お前は適切な使用しかしない」

 むしろ必要なときですらまともに使わないおそれがある、というサスケくんの言葉は全く否定できないけれど、だからといって軽く扱っていい理由にはならないと思う。

「とにかく、もっと単純に喜んでくれたらいい」
「……喜んではいます」
「お前のは違うだろ。なんというか、崇めるような感じじゃないか」

 尊い者を崇めて何がいけないのか。その気持ちが顔に出ていたのか、サスケくんに額を軽く小突かれた。だめなの……。

「大事な“御守り”を、大事に身につけておこうって思ってただけだよ」
「……嬉しいか?」
「……おそれ多いです」

 私の言葉を聞いて、サスケくんは笑いと呆れがまじったような息を吐き出した。正直に言いすぎたかもしれない。

「ところで、だ」

 話を切り換えるようにサスケくんが前置きする。

「できればお前の家の合鍵を、俺に渡しておいてくれないか」
「えっ……えっ?」

 なんで? 必要かなぁ?
 サスケくんが私のように寂しさの限界を迎えて家に押しかけてくる様子は想像がつかず、ただ疑問符が飛び交う。ここに来ても良いことなんかほとんどないはずだ。お弁当のおかずの余りはなるべく自分で消費したいし、娯楽も特にないし、基本的に嫌な思い出しかないし。と、それは自分の事情だった。

「要る……?」
「……そうだな、たとえば雷雨の日に」

 あっそれは必要かもしれない。
 雷が鳴るとひとりで出歩くなんてとてもできないので、いくら合鍵を持っていたとしても自分からサスケくんの家に避難しに行くのは難しい。向かおうとして道すがらで動けなくなったりしたら目もあてられない。
 以前授業中にひとりで教室に残ってにっちもさっちもいかなくなってしまったことを思うと、緊急時用として合鍵を所持しておいていただくのは大変助かる。大変助かるなぁ。
 とはいえ、本当に雷雨になったときには雨が激しすぎて、サスケくんの家からはそれなりに遠いこんなところまで来ること自体、面倒この上ないはずだ。そうしてご足労をお掛けした上、泣きじゃくる私をなだめたり慰めたりと酷く手間のかかることをしなくてはならない。それはあまりにも申し訳ない。
 たぶん、サスケくんから貰うばかりでは気負いすぎるだろうと慮って、お返しに同じものを渡せってことなんだろう。万一にでも使ってくれると大変助かりますけどね。気が向いたときにでもね。

「……えと、お渡ししておいていいですか」
「ああ」

 予備の鍵は家のどこかにあったはずだけど、今から探すとサスケくんをお待たせしてしまう。それは忍びないので、今日のうちに探しておいて明日渡すようにしよう。
 そう決めて、座ったままサスケくんを見上げて言う。

「準備、しておくね」
「ああ。じゃあ……また明日な」

 また今日も、サスケくんが別れの挨拶をした。
 確かにすべき話は終わったし、そろそろお腹が空く時間だ。だからサスケくんが帰ってしまうのはごく自然なことなんだけど。
 寂しさがどっとこみ上げる。

「うん……」

 なんとか肯定の返事をしたけれど、かなり小さい声になってしまった。
 サスケくんがドアノブに手を掛けるのを、行かないでと願いながら見つめる。サスケくんはいつもお別れのあとは振り返らない。毎日いろいろと忙しいのだと思う。ああ、さみしいなぁ……。

「……スケくん、」

 勇気を振り絞るようにして、声を出した。
 サスケくんが振り返るのを、気まずさに俯いてしまったから足の動きで見る。やっぱり呼び止めるんじゃなかった、という後悔と、どう言い訳をしたものか、と焦る気持ちで、膝の上でサスケくんの鍵を握った手に力がこもる。

「あの…………」
「……どうした」
「……れいぞうこ、が」
「……」
「また、冷蔵庫がいっぱいなので、……食べていってくれないかな……」

 冷蔵庫の空き容量に余裕がないのは嘘ではない。だけどそれをサスケくんにお願いする気持ちは嘘だ。今でも『余り物』をサスケくんに食べさせてしまうことには抵抗がある。サスケくんもそのことは知っているはずなので、私の提案が建前であることも解ってしまっただろう。
 そこまで考えて、はっと思い出す。いや、私このあとサスケくんの鍵を大事に持ち歩くためのあれそれを買いに行かなくてはならないのに、サスケくんを引き留めてどうするのだ。バカだな、何も考えてない。

「あ、ごめん、ええと、用事があるんだった、」
「用事?」
「鍵入れとか、首から提げる紐とか……」
「ああ……。それなら俺も必要だな」
「え、あ、そっか」

 なら一緒に行くか。
 サスケくんがそう言ったのを聞いて、ガバッと勢い良く立ち上がった。その手がありました!

「ふは、」
「え、な、なんで笑うの」
「いや、悪い……つい」

 サスケくんは立ち上がった私を見て、吹き出したみたいに笑った。それから顔をそらせて左腕で顔を隠すようにしてまだ笑っている。
 今日はまだサスケくんと一緒に居られる、と思ってすごく喜んでしまったのが、どうやら面白かったらしい。サスケくんのツボはどうなってるの。打ち付けた腰の痛みを思い出したので軽くさする。

「(急に嬉しそうにしたから、あんまりかわいくて)」
「んんん……えっと、私の家の鍵はまだお渡しできないので、私が持ってるのを見本に使ってくれていいよ」
「ああ、そうする」

 二人とも玄関先に鞄を置いて、財布や鍵など必要なものだけを持ってドアを開ける。もうすっかり日が沈んで暗くなってしまったのに、まだもう少しサスケくんと一緒に居られるんだ。
 そして目先の寂しさが解消されたことに浮かれて忘れかけているけど、サスケくんの家の合鍵を貰ってしまったんだよね。いつでもサスケくんの家に入ってもいい、いつでもサスケくんを頼ってもいい、いつでもサスケくんに会いに行ってもいい。それを許された証。
 お店に向かって歩くあいだ、絶対に失くさないように鍵を握りしめた右手を胸の前に置いていたら、サスケくんに気付かれてまたちょっと笑われてしまった。街灯の明かりではよく見えなかったけどたぶん嬉しそうで、私もそれにつられるようにして、笑われて恥ずかしい気持ちを上書きして嬉しくなった。

 えっご飯も食べていくの? やったやった。



(210723)


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