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幸せそうで良かったな


 人里離れた目立たぬ場所に、隠すようにある出入り口。その穴蔵は全面石造りで、ひやりとした空気を壁燭台のろうそくが薄暗く照らしている。蛇の装飾が、柱や扉、燭台にも施されており、この隠れ家の主の不気味さを表している。
 そんな恐ろしげな場所の一室から、すすり泣く女の声が響く。

「サスケくん……ぐすっ、サスケくんんんぅ……」

 電灯で明るく照らされた部屋の、綺麗な白いベッド。廊下の雰囲気とは一転、室内に不気味さは一切ない。病室然とした小綺麗な部屋には、治療や診察に必要な器具や薬棚、机や椅子が一通り置かれている。壁が石造りであることを除けば、一般的な病院と変わりない。

「ったく、ぐずぐず泣いてるくらいなら、さっさと呼び戻しちまえよ!」
「でもぉ、“離れてたって大丈夫(キリッ)”って言った矢先だよ……カッコ悪くてできないよぉ……」

 赤髪の女が、ベッドですすり泣く女を叱りつける。ぐだぐだと言い訳を並べる小柄な女に、呆れたようにため息を吐いた。

「理由なんざいくらでもテキトーにつけて、早く呼んじまえ。そんでとっとと泣き止め! くだらねー意地で腹の子に負担かけてんじゃねー。大体、妊娠中の妻をほったらかして旅なんかしてるほうがおかしいんだからな」
「うう……正論攻撃やめてください……」
「なんでアンタがダメージ受けてんだ」

 香燐の刺々しい言葉の連打は、見事なコンボとして碧に決まる。短い黒髪の頭を両手で抱えてガードしているが、それによるダメージ軽減は特にない。

「私の中にはサスケくんの魂も入ってるから、サスケくんへの攻撃は私にもダメージが通るの……」
「(なに言ってんだこいつ)」
「でも魂の欠片だけじゃ寂しいよぉ本人にも会いたいよぉううううストレスがすごい」
「そりゃ妊娠初期のホルモンバランス変化によるもんだ。溜め込んだってしょーがねえから、さっさと本人を召還しろ」

 手厳しくはっきりとした物言いで、問題を解決に導くアドバイスを与えられる。しかし碧は「まだ別れてひと月も経ってないのに……」「情けないしカッコ悪いし合わせる顔がないよ……」と言い訳を並べるばかりで、自分でサスケを呼びつけようとはしない。
 香燐はイラついた様子で腰に両手をあて、ベッドに座る碧を上から睨み付ける。

「いい加減うぜえな! いいからフクロウを喚び出せ! そいつならサスケと連絡が取れるんだろうが!」
「でも……サスケくんに迷惑かけちゃうし、100%連絡が取れるわけじゃないし……」
「碧〜……! 今すぐフクロウを出さねえと、その腹かっさばくぞ……!」
「ヤダー! ごめんなさいー!」

 とうとうイラつきが頂点に達した香燐が、般若顔で脅しをかけた。
 そうして半ば無理矢理に連絡手段を確保して、香燐は部屋を出ていった。小脇に抱えられたフクロウは驚いてキョロキョロと首を回していた。
 碧は申し訳なさと期待と不安と情けなさと嬉しさに、そわそわとベッドから降りた。サスケに会えるかもしれない、だけど自分の寂しさのためにサスケの仕事を邪魔してしまうかもしれない、サスケに無駄な心配をかけるかもしれないし、手間と時間を取らせてしまう。
 スリッパの音を立てながらしばらく落ちつきなく部屋をうろうろしていたが、やがて顔色を青くして部屋を出た。つわりの時期はまだ終わりそうにない。





 数日後、香燐から連絡を受けたサスケがアジトへやって来た。
 呼び戻された理由は『碧が甘いものを欲しがっているから』。サスケは、(俺に頼むとむしろ時間がかかるのに、わざわざ俺宛で頼んだということは碧に何かあったのでは)と内心焦っている。

「おせーんだよ」

 訪れたサスケを、あらかじめチャクラを感知していた香燐が出迎える。それへ向かって、サスケはマントの内側から紙袋を手渡した。

「頼まれていたものだ」
「お、カステラとはいい趣味してんじゃねーか。碧の好みを知り尽くしてやがるな」
「で」

 本題はなんだ、と切り込む。サスケの深刻そうな無表情に、香燐は同じく深刻な顔をして言う。

「碧のやつがな……アンタに会いたがっている」
「………………そうか」

 大した問題ではなくて心底安心した、と同時に香燐のからかいに気付き、ため息しながら眉をひそめた。しかしながら、つい半月前に快く送り出してくれた彼女が、理由を付けてでも呼び戻さなければならないほど寂しがっているのなら、あるいは本当に深刻かもしれない。
 そう思い直して真面目ったらしい顔をしたサスケを見て、ただ茶化したかっただけの香燐は気付く。この夫婦、さてはバカップルだな。

「それで、本人はどこに居る」
「はあー。情けなくて合わせる顔がないっつって、奥に逃げた」

 とはいえ香燐もサスケも、その気になればチャクラを感知して碧の居場所を知ることはできる。しかし碧も感知能力を持っているので、近付けば覚られてさらに逃げられるだろう。

「……アイツは妙に頑固だからな、『会えない』と思えば意地でも逃げ隠れし続けるだろう」
「どうするつもりだ?」
「そうだな……。香燐、力を貸せ」
「?」






「サスケくん、行っちゃったかな」

 地下アジトの奥深くへ隠れていた碧は、サスケのチャクラを感じ取れなくなったのをみてこっそりと姿を現した。自ら会わないよう逃げ隠れたとはいえ、せっかくの機会をみすみす捨ててしまったことを少し、いやかなり後悔している。

「わざわざ来てもらったのに、悪いことしちゃったな……」
「全くだ」
「!?」

 気配もチャクラも感じさせず、サスケがすぐそばに現れた。碧は驚いて声の方角に振り返り、改めてチャクラ感知を試みるも、やはりチャクラは感じられない。

「び、び、びっくりした、なんで、」
「香燐の封印術でチャクラを封じている。こうでもしないと延々と逃げ回るだろう。それはお前の身体に悪い」

 言いながら、マントの内側で複雑な印を組んで、封印術を解除した。常人ならば両手で数分かかる印を、片手で数秒で済ませてしまうサスケの優秀さは語るまでもない。

「そ、そこまでしなくても……」
「することだろう。寂しがってストレスに苦しんでいるお前のためだ」

 背を向けて移動を促しながら、あえてはっきりと理由を説明する。そうでもなければ碧はその答えを、分かっていながら否定して他の答えを探そうとするからだ。ただの時間の無駄である。
 サスケの強い愛情に観念したように、碧はその言葉を胸に入れた。

「たしかに“旅を続ける”とは言ったがな、お前のことをないがしろにし続けるという意味ではない」
「うんん……でも、迷惑かけるつもりは……」
「迷惑だと思うなら、せめて逃げるのはやめろ」
「すみません……」

 反省した様子の碧は、先導するサスケの半歩後ろを歩く。しかし俯く顔は徐々にゆるんで、だらしなくにまにまと笑ってしまうのをなんとか隠そうとしている。

「(サスケくん優しいなぁ大好き……)」
「香燐が茶を用意している。カステラ、食えるか?」
「! カステラ! 食べる!」

 サスケは肩越しに碧の輝く顔を見て、小さく笑った。碧はつわりのせいで食欲がなく、ほとんど点滴で栄養を補っていると香燐から聞いている。それがこれだけ食べたがるのだから、用意した甲斐があるというもの。
 嬉しそうに急ぎ足でサスケを追い越した碧。サスケはそれを呆れたようなあたたかい目で追って、香燐の元へ向かった。






「影分身に簡単な調査を任せた。しばらくここに居る」
「んんっ!? そんな、悪いよ……」

 サスケはマントを外しながら、カステラを頬張る碧にそう告げた。碧がもごもごと慌ててお茶を飲む間に長椅子の左隣に腰掛け、同じく茶を一口。

「いい加減に素直に甘えてろ。バカなやつだな」
「サスケくん……」

 碧がサスケの言葉に、申し訳なさと同時に感激しているのを見て、香燐は思った。サスケも碧相手に苦労しているのだな、と。

「(あんな優しい言葉を、ああもはっきり言うなんてな……。そうでもなきゃあの調子だから仕方ねーんだろうが)」

 決して饒舌に話すほうではない上、全くもって素直ではないはずのサスケが、ここまでストレートに甘やかす言葉を掛けることは、つまりそれだけ特別なことである。少しでもひねくれた伝え方をすれば、それをそのまま受け取ってしまう碧への、最大限の愛情表現でもある。
 たまらず抱きついた碧と、宥めるように頭を撫でるサスケを、香燐は呆れ顔で見る。

「(サスケくん好きぃぃ……!)」
「(やれやれ)」
「(何を見せられてんだ、ウチは)」

 新婚夫婦のなんやかやの一連に巻き込まれ、ほとほと迷惑千万だ。しかし幸せそうな二人の姿に、感慨や悔しさなど複雑な気持ちを抱きながらも、赤い眼鏡の奥の瞳は優しげだ。
 うざいからくっつくなと野次を飛ばしながらも、香燐は胸の内で静かに祝福の言葉を贈った。



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