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 大雨、強風。それだけならいい。
 ゴロゴロゴロ、と遠くから轟音が届く。あれが雲間から落ちるのも時間の問題。私の体はすでに強ばっていた。

「今日の課外授業では、災害訓練を行う」

 先生の声がするが、窓に当たる激しい雨音と風の音でいつもほどはっきり聞こえない。そんなことより雷の様子が気になっていて、完全に外を向いて、先生の話も頭に入ってこない。
 登校してきた時間帯には、まだ雨も降っておらず怪しい曇り空なだけだった。それが二時間でこんなどしゃ降りでびゅうびゅうの雷雨になるなんて。お弁当作りに夢中で天気予報は全然見ておらず、登校しながら空を見上げて危険を感じていた。これなら引き返して休むべきだった。

「災害時にお前たちにやってもらうのは、一般人の避難誘導だ。今日は強い風雨の中へ出て、実際の避難の難しさを体感しながら、避難ルートを確認していくぞ」

 ゴロゴロゴロ。まだ雲の中で暴れるに留まっている雷が、今にも落ちてやると威嚇している。昼間だというのに日が落ちたかと思うほど暗く、心境としては今すぐどこかへ逃げ出して、明るくて雨も雷もないところへ行きたい。
 それなのに先生は、こんな天候のただ中へ行くと言う。机に伏しながら組んだ両腕に、ぎゅっと力が入る。

「碧」
「……」
「碧、」
「! はい」

 隣のサスケくんに小突きながら声をかけられて、伏せていた体を起こしながら振り向く。心配そうにこちらを見ていて、そりゃまあそうだよね心配かけてるよね。

「体調不良で休むか?」
「んんん……確かに体調はすこぶる悪いけど……」

 休んだところで怖いものは怖いし、サスケくんと離れてひとりで居るほうが怖い。だからといってサスケくんを巻き込んで一緒にサボるのはどう考えてもヘイトを爆買いしてしまうし、無理して参加したとしても途中で足がすくんでにっちもさっちもいかなくなる可能性が高い。どうしたものか、誰か助けてほしい。

「自習……そうだ自習しよう」

 休むのではなく勉強していればサボるよりは印象が悪くないし、何かしていることで多少は気が紛れるかもしれない。それにイルカ先生ならこちらの状態を鑑みてくれるだろうし、よきに計らってくれるだろう。
 先生は、雨具を取りに倉庫へ向かえという指示で教室からみんなが出ていくのを、壇上で見守っている。それへ最後の最後になるように見計らって話しかけに行く。サスケくんも後ろから付いてきてくれる。

「あの……」
「どうした? ……顔色が悪いな」
「はい……それで」

 窓の外をちらちらと見ながら、教室に残って自習したい旨を話し、実際に行きたくない理由はぼかす。先生は、隣で腕を組んで聞いているサスケくんに目配せをして、何かを確認する。

「できれば俺も残ってやりたい」
「でも、それは恨みを買うから……」
「それも分かるが、そんなものは今さらだろう」
「でも……」

 一応授業であるのには違いないし、サスケくんをサボらせてしまうのは本意ではない。怖いけど、今まではたしかにひとりで乗り越えてきたことなのだ。
 私たちのやり取りを聞いて、イルカ先生も腕を組んで唸る。

「うーん、どうしても雷雨のなかに行けない理由があるんだな」
「それは……」
「そうだ」

 私が答えあぐねていると、サスケくんが力強く肯定した。うううん、情けないからあんまり肯定したくないのだけど。

「分かった。そこまで言うなら許可しよう。自習は何をしているつもりだ?」
「ええと、医療忍術の本をみていようかと……」
「医療? そうか、やりたいことがあるならそれを優先しなさい」

 イルカ先生はニコッと笑って、私に向かって手を伸ばす。

「っ!」

 ビクリと身を引き、かばうように両手を顔の前に上げた。
 やってこない手の感触に、反射的に閉じていた目をそろりと開け、背の高いイルカ先生を見上げる。案の定驚いた表情で、私を見下ろしている。

 顔の近くに手が近付いた、だけ。
 それでこんなに怯えてしまうのは、雷が鳴ってるからだ。雷が、私の体を不自由にさせる。

「……。サスケ、お前は適当に抜け出して早めに戻ってやれ」
「ああ」

 何かを察して、私に触れずに引っ込んだ手。ほっとして、用件が済んだので一歩下がる。
 ゴロゴロゴロゴロ。少しずつ近付く轟。また身が強ばる。恐怖がやってくる。

「碧」
「、はい」
「なるべくすぐ抜けてくる。それまで待っていろ」
「ううんと……ありがとう」

 真剣に私を案じるサスケくんの表情を見て、遠慮して断ろうかと思っていた言葉は引っ込んでしまった。サスケくん優しいなぁ。申し訳ないなぁ。

 教室を出ていくサスケくんとイルカ先生を見送って、自分の席へ戻るべく段差を上がっていく。
 チカチカッ。雲間から雷光が、落ちはせずとも暴れてあふれ出た。ガラガラゴロゴロ。ああ、やっぱりサスケくんに付いていくんだったか。ひとりになって、急に不安になる。
 ちゃんと自習の体裁を取るために、医療の本を鞄から引っ張り出す。耳栓や、頭を覆えるタオルを、持ってくるんだったなぁ。




 ピカッ。バリバリッ!ガラゴロドドオン。

「ひぃぃぅ……」

 机の下、鞄を置いていた場所に避難している。たとえ耳栓をしていようがお構い無しに響いてくるであろう爆音。この避難もあまり意味がなく、逃げ場がない。
 膝に医療の本を乗せて、両手で耳を塞ぎ目も閉じる。それでも否応なしに呼び起こされる記憶。振り払いたくて首を振る。いやだ、思い出したくない、来ないで、来ないで、

 暗闇の中。稲光。長身の、細長い男。歯を剥いて、にんまり笑う顔。
 抵抗すれば殴られて。顔を背ければ殴られて。殴られて。殴られて。私が諦めると、からだを触って、触って、さわって。目を閉じて歯を食いしばって堪えていると、無理矢理に目を開けさせて、無理矢理に見せつけて。

「っ、」

 おぞけがして、耳を塞いでいた両手で自分の体を抱き締めた。バリッガラゴロドン。また近くに雷が落ちた。

 動けない。逃げられない。息が詰まって、苦しい。

 速くなる呼吸。震える体。まとわりつく不快感。
 あいつの手が、手が、手がわたしに触れる。わたしに触れて、えぐって、うがって、

 黒い、よどみが、湧き上がる。



「碧、」

 遠い残響のように声がした。

「碧、どこだ!」

 今度はもう少しはっきりと。

「碧、……こんなところに」

 そろりと目を開けて見えたのは、心配そうなサスケくんの顔。
 ぼろぼろぼろ、と両目から涙が落ちる。緊張が解けた。安堵した。サスケくんだ。

「う、ああ、サスケぐ……!」

 窓際のほうから回り込んでそばに来てくれたから、膝から本を落としながら、体をねじって手を伸ばす。サスケくんはそれをしっかりと握ってくれ、命綱のように私を悪夢から引き上げてくれる。

「すまない、待たせた」

 流れ出る涙を止めることもできず、わんわん泣きながらすがり付く。机の下から這い出るときに机や椅子に体をぶつけたけれど、そんな痛みなんてどうでもいい。サスケくん。サスケくん。
 びしょびしょの雨具の中から両腕を伸ばして私を抱き留めてくれる。また雷が落ちて轟音も響いたけれど、さっきまでほど怖くない。ごめんねぇサスケくん、きたなくてごめんね、情けなくてごめんなさい。

 光だ。さっきまであんなに暗かったのに。サスケくんが居てくれるだけでこんなにも明るい。光だ。黒く濁ったよどみが引いていく。光だ。光だ。
 嗚咽しながら、震える手でサスケくんのシャツをぎゅうっと握る。うっすらと汗のにおいがして、急いで戻ってくれたことを知る。サスケくんは優しい。その優しさに、こんなにも甘えているのが申し訳ない。

「ごめ、んなさ、」
「なんで謝る。謝らなくていい」

 なだめるように優しく頭を撫でてくれる。あたたかい手のひら。



 しばらくぐずぐずと泣き続けて、ようやく体の震えも収まってきた頃。廊下から遠めに何人かの足音と声がし始めた。

「……大丈夫か?」
「うん……なんとか」

 鼻をすすりながらちらりと窓の外を見ると、相変わらず昼間とは思えないほどの暗さではあるものの、雨の勢いは少しましになって、雷も鳴りを潜めている。これが一時的なものだとしても、ひとまず平気なふりをすることはできそうだ。

「そうだ、お前は“風邪ぎみ”ってことになってるからな」
「え、あ、そうなの」
「口裏を合わせるようにな」

 なんでもイルカ先生がそういうことにしたらしくて、それでも私が一人だけ自習を許されたことに嫌な顔をする人は居たらしい。
 泣いたせいで鼻をすすっているのが、いかにも風邪っぴきですという感じで都合がいい。クラスメイトたちが戻る前に、席に座って勉強していた態を取らなくてはならないので、名残惜しくもサスケくんから離れて、机の下に落としたままの本を拾った。

「俺は窓から出て昇降口から他のやつらと合流する。これも脱がなきゃならんしな」

 雨具は通常、玄関口で脱ぐルールになっている。びしょ濡れの雨具から水滴を垂らしながら廊下や教室をうろつくと、床が濡れて滑りやすく危険だからだ。そして実際このあたりの床はそうなっている。
 サスケくんは窓から校庭へ出て行った。追うように見送れば、校門からばらばらと生徒が戻ってきている。各々で街を一周して、教室に集合するようにでも言われたんだろうか。

 サスケくんが校舎に入るのを見届けて、すぐに窓を閉めて席に着く。医療本の適当なページを開いて鉛筆を持ち、いかにも真面目に勉強していた風を装う。
 ガラリと教室のドアが開けられて、はじめに先生が戻ってきた。こちらに目配せしてきたので、会釈をする。ありがとうございました。

「よーし、みんなお疲れさん! カッパで動いて汗もかいたろうから、水分補給もしっかりな」

 続いて少しずつ生徒が教室に入ってきて、自分達の席に向かう。雨具を脱いだサスケくんもそれに紛れて戻ってきて、私の隣に座った。

「どうだった」
「……すごいねサスケくん」

 何をしていたか知らない設定で話しかけてきたサスケくんに、周りに聞こえない程度の声で呟く。
 サスケくんほど目立つ人が、それと気付かせずに人に紛れることができるのは、それだけ人の目を誤魔化す技術が高いってことだ。忍者してるなぁ。

「カッパを着ていても顔と足は濡れたからな。お前は休んで正解だぜ」
「うん、ありがとう」

 口裏合わせの雑談。軽く鼻をすすりながら、サスケくんの心配と優しさのこもった表情を見る。さっきまでは余裕がなかったから全然ちゃんと相手を見ることができていなかったけど、こんな顔で見られていたんだなぁ。サスケくんの愛情を受けていることをひしひしと感じて照れる。

「桜庭」
「、はい」
「お前は後日、放課後にでも同じことを教えるからな」
「分かりました……」

 全員が揃うのを見計らって先生から声をかけられ、それに鼻声で返事をする。なるほどみんなの前で宣言することで、不公平感をなくす狙いなのか。

「じゃあ、チャイムが鳴り次第、昼休憩だ」

 と、先生が言い終わるや否や、チャイムが鳴り響いた。クラスメイトたちは好き好きに移動し始める。
 私も本を鞄にしまって、代わりにお茶のボトルを取り出す。サスケくんは、預けていたお弁当箱二つと、お茶も二つ机に取り出したので、先に出されたお弁当箱二つを抱えるように持つ。今日は私がずっと教室に残っていたからか、無事だったな。

「行くか」
「うん」

 雨が降っているので、屋上前階段だ。掃除をしておいたおかげで前ほど埃っぽくないだろう。
 睨むような視線を背中に受けながら教室を出る。今日のは一際鋭いなぁ。







 あの女
 あの女

 サスケくんが優しいからと、調子に乗っている。
 許さない。許さない。

 一人で居るところを狙って嫌がらせをしてやろうと思ったのに、そこにはすでにサスケくんが居た。何故か泣きじゃくるアイツを抱き締める、サスケくんの顔。あんな、悲しそうな、苦しそうな、苦々しい表情、見たことがなかった。
 あの女が、サスケくんにあんな顔をさせた。
 許さない。許さない。


「ねえアンタ」

 窓際列の真ん中に座る、男子三人組のひとりに声をかける。

「なんだよ」
「ちょっと、話、しない?」

 先生に叱られてからすっかり大人しくなっちゃって。面白くない。もっと、もっと、あんなやつ、傷つけられればいいのに。



(191026)


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