×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

[]      [
42


 雨の日が続いて数日後の晴れた日、屋上でお弁当を食べた後、階段掃除をすることにした。雨が降っていると階段で食べるしかなく、やっぱり埃っぽくて申し訳なかった。
 数日ぶりの晴れのため、サスケくんは残りの昼休み時間を修業に充てたいそう。

「……」
「大丈夫だよ。何かあればすぐに逃げるから」

 サスケくんは私を一人にするのを心配そうにしていたけれど、私がもう一度「大丈夫」と送り出せば、校庭の隅の修業場へと向かった。

 夏休みが明けてからというもの、良くない感情を向けられる頻度が高くなっている。今日も何度か視線が刺さるのを感じた。ほとんどサスケくんと一緒に居るお陰かこちらへ届くほどの陰口は少ないけれど、敵意を持つ人間が近くに居ることには違いないので、サスケくんが心配するのも無理はない。
 昨日、教室を離れた隙に筆箱の鉛筆が折られていた。サスケくんと仲良くなる前から傘を盗まれたりはしていたので、持ち物を損壊されるのは、腹は立つけど慣れているので大したことではない。でも、折れた鉛筆をうっかり目の前で取り出してしまって、サスケくんにストレスを与えてしまったことは申し訳なかった。

「掃除用具は……用具室にあるんだっけ」

 荷物を置くために一旦教室に寄る。静かに息を潜めて後ろの扉から入り、一番後ろの窓際の席へ行く。椅子の足元に置いている鞄を極力物音がしないように開けて、空のお弁当箱やボトルを仕舞う。またこそこそと教室を出て、廊下に出ると小走りで用具室へ向かう。
 気配を殺せば、みんな案外気付かないものだ。元々影が薄いのもあるし、今は授業中でも実戦中でもない。平時には、少し静かに動くだけで人目を盗めるものなんだな。これはいい気付きだ。


 連絡通路を渡り、別棟二階の用具室へ入る。ここも、屋上前の階段ほどではないにしても、少し埃っぽい。開放窓から差し込む日の光が、宙を舞う埃を白く照らして浮かび上がらせる。あまり吸わないようにきゅっと口を閉じて、呼吸を浅くした。
 訓練用の人形やサンドバッグ、ボール、マット、跳び箱などは、授業で使うので見覚えがある。他にはゴム製の訓練用クナイや手裏剣、忍刀もまとめて置かれている。
 肝心の掃除用具は、傘立てのような金属の枠棚に立てられていた。ほうき、ちりとり、ぞうきんとバケツを取る。ほうきは同じ向きに毛が流れるようにクセがついていて使いにくそうだし、ちりとりも歪んでいて細かい砂は下をくぐってしまいそう。信頼できそうなのはぞうきんとバケツだけか。
 廊下に戻り、近くの水道でバケツに水を入れる。片手にほうきとちりとり、片手にぞうきんを掛けたバケツを持って、連絡通路を渡り、本校舎の屋上へ向かって階段を上がっていく。掃除用具がガチャガチャと音を立てるのが嫌で、なるべく揺らしてしまわないようにぎゅっと強く握った。


「……ふう」

 屋上扉の前に着いて、やれやれと荷物を下ろす。換気のために鉄扉を開け放して、ついでに明かりも取り入れる。おかげで埃がよりはっきり見えるようになって、視覚情報でむせた。
 マスクが欲しいなぁと思いながら、掃除の手順を考える。見えている埃の塊をさっさとほうきで集めたい気持ちもあるけれど、そんなことをすると床の埃がさらに舞って、空気中の埃の量が増えてしまう。じゃあ適当に水を撒いて、埃が飛ばないようにしたいところだけど、どうしようかな。ぞうきんを水に浸してぼたぼたと水を落とすのはやりすぎだし、手で掬ってちまちま撒くのも面倒くさい。

「あ、そうだ」

 手すりに立て掛けていたほうきを手に取り、バケツの水に突っ込んだ。ぽたぽたと滴る水を撒くように、下り階段を見下ろしながら、柄を持って軽く振る。うんうん、多すぎず少なすぎず、いい感じだ。
 扉前の踊り場にも同じようにしてほうきで水滴を撒き、そのまま濡れた『穂』で埃を掃き集める。穂が濡れているから細かい埃もそこへくっつき、普通にするよりも埃が舞わない。私にしてはかなりの名案だったのではなかろうか。
 この調子で綺麗にしていこう、と奥から順に掃いていると、誰かの足音が近付いてくるのが聞こえた。サスケくんは修業に行ったはずで、ここは私が昼休みに居る場所だから知っている人は近寄らない。だけど階段を上がる足音はどんどんこちらへ近付いていて、なんとなく嫌だなぁと思いながら、階段に背を向けてほうきを動かし続けていた。

「あ、」
「……」

 やってきた人は、声からしてたぶん男の子。私はそちらを見ないようにしながら掃除を続ける。どうせまた、暴言を吐きながら去っていくだろう。
 だけど踊り場で立ち止まった気配は何をするでもなくそこに居続ける。居心地が悪いから早く立ち去って欲しい、と思いながら、ちらりとだけ階段下に目を向けた。

「! あっ、えーと……」
「……」

 男の子は私の視線にたじろいで、だけど去らない。うーん、と困りながらまた足元に俯いて、ほうきで埃を集める。これもしかして、ちりとり一回分じゃ捨てきれないんじゃないかな。

「(困った……)」
「あのさ!」
「!」

 突然大きな声を出されたので、驚いてそちらを見た。なんだろう、私に何か用件でもあるのだろうか。私には無いので遠慮してほしい。

「あのー……な、何してんの?」
「……」

 見ての通り掃除なんだけど。それをいちいち口で説明するのが面倒で、無言のまま掃くのを再開する。

「…………」
「ぅ、えっと……こんなとこ掃除って、誰かに頼まれたのか?」

 何のつもりで私に話し掛けてきているのか知らないけど、今は掃除をしたいので放っておいてほしい。屋上の扉の近くへ埃を集めて、ちりとりを取ろうと屈む。そうする間にまた足音が近付いて、流石に背を向けていられない距離になったので、ちりとりは拾わずにそちらを向いた。

「わ、バケツまで用意してんじゃん。本格的だな」
「……」

 今のところ敵意はなさそうに見えるけど、隠し持っている可能性だってある。ほうきを胸の前に構えて、開け放された屋上への出口へ一歩下がる。
 そうして気付く。私が今抱いているのは、『恐怖』だ。

「……」
「あの、さ……なんつーか…………オレも手伝ってやろうか?」

 得体の知れない厚意に、ざわざわと胸の内がざわつく。
 こちらに目を合わせないように、私の胸元や顔の横に視線を動かされる。私は相手との距離を測るためにじっと目に視線を向けて、汗ばみ始めた手をほうきの柄にしがみつかせる。

「いいです、一人でやるので」
「昼休み、もうそんな時間ないしさ。二人でやれば終わるじゃん」
「一人でやります。こっちに来ないで」
「そ、そんなこと言うなよ……」

 私の言葉に、何故かめげない男子。なんなの、何が目的なの。私に絡んでも良いことなんて何もない。そんな善行を積むのは、サスケくんくらいなものだ。

「……やっぱ、まだ怒ってんの?」
「……?」
「でもあん時、ちゃんと謝っただろ」

 何の話をしているのか理解するのに時間が掛かったけど、たぶんこの人は、前に私に陰口を言っていた少年A、B、Cのうちのどれか、だ。『あの時謝った』というのは、サスケくんが激昂したことを切っ掛けに、担任に叱られて仕方なくした謝罪のことだろう。まだ確証はないけれど、ぼんやりと記憶に残る風貌と、教室ですぐ前の席にある気配の記憶とが、彼に重なっていく。
 だったらなおさら、何故彼が私に関わろうとしているのかが理解できない。この人は私を毛嫌いし、蔑み、下に見て、バカにしていた人間だ。
 相手の意図が見えなくて、気味が悪くて、また一歩後退りする。

「だからさ、許してくれよ」
「っ、」
「別に、殴ったわけでもねえじゃん」

 一方的に『寛容』を押し付ける言葉に、熱いものがぶわっと込み上げた。わたしが、無責任で、無自覚で、不躾な、お前たちの言葉にどれだけ傷付いたと、思って、

「ッテェ!」
「あたしの、痛みなんて、知らないくせに!」

 叩き付けたほうきの柄を、竹刀のように構える。怒りで声が震えた。手の震えの原因には恐怖も含まれている。
 呪いだとか、汚物のように、私を罵倒していたくせに。何十ヵ月も私にストレスを投げつけ続けたくせに。私が受けた痛みを想像もせず、反省もしないで、一度謝ったくらいで、その全部を許せなんて。

「あたしが叩いたことは許さなくていい。あたしは、あたしを傷付けた人のことなんか、一生許してやらないから」
「……ん、だと!」
「!」

 相手の怒る顔が見えたから、持っていたほうきを投げつけて身を翻し、屋上へ出た。相手が怯んでいる間に一目散に屋上を走り抜けて、勢いのまま柵を跳び越えた。
 四階分の着地の衝撃を前転でいなして、校舎裏を回って校庭へ向かう。誰かが後を追ってくる様子はない。

 怖かった。怖かった。
 不気味で、得体が知れなくて、怖かった。自分へ向けられる感情がまるで読めなくて、何をされるか分からなくて、怖かった。
 走る疲れではなく緊迫感から、激しく息切れを起こす。

「! 碧?」

 修業場に居るサスケくんが、走って近付くこちらの気配に振り向いた。その姿を見て、胸に迫るような緊張がとけるのを感じる。逃げるために慌てて回転していた両足が、安堵したようにゆるゆると速度を落とした。
 私のただならぬ様子に修業を中断したサスケくんの元へ、ふらふらと歩き寄る。そのまますがるようにサスケくんの手を握った途端、堰を切ったように涙がこぼれ始めた。修業場には他にも人が居るようだったけど、そんなものは目に入らなかった。

「サスケくん……」
「どうしたんだ碧、何があった」
「……ちゃんと、逃げたよ……大丈夫……」

 サスケくん。サスケくんだけだよ。私が信じられるのは、サスケくんだけなんだ。
 私の心の奥につけられた深い傷は、世界のすべてに壁を張ってしまった。その壁にサスケくんが作った扉は、サスケくんにしか開けられないし、サスケくんしか通れない。他の人なんか要らないよ。要らない。

 思い返せば、ただ近寄って話し掛けられただけなのだ。それなのにこんなにも『正常でない反応』をしてしまった。そうして、やっぱり自分は普通でなく、汚れた、傷だらけの、不全な生き物なのだと自覚させられた。同時に、そんな私にこんなにも優しくしてくれるサスケくんは、やっぱり特別で、格別な、聖人なのであると確信が深まる。
 私の手を優しく握り返してくれるサスケくんの手が、私に触れて汚れてしまうのは、本当に申し訳ないなと、思うのだけど。



(190217)


 []      []
絵文字で感想を伝える!(匿名メッセージも可)
[感想を届ける!]