快楽地獄1 「……は、頭沸いてんの?」 その言葉が指す意味がわからないほど子供じゃない。身の毛がよだつほどの嫌悪感が全身を駆け巡り、掴まれた手を思いきり振りほどいた。 不快感を露にした表情で睨みつけても、秋山は涼しげな顔で私を見下ろしているだけ。数分前まで私に抱いていた怒りの色は失せ、それでいて余裕に満ちた笑みは温度がなく、冷淡だ。目が、全然笑っていない。 「……っ、」 背筋が凍りつくような視線に息を飲む。頭の中で警鐘が鳴り、身の危険を察知して反射的に逃げようとした。けれどその場を逃げ切るには、秋山との距離が近すぎる。すぐに肩を掴まれ、私の身体はいとも簡単にベッドに放り投げられた。 「きゃ……っ!?」 柔らかなマットレスに飛ばされた衝撃で、ベッドが弾みをつけて浮き沈みする。ショルダーバッグが床に滑り落ち、中身が派手に飛び出した。 すぐさま肘を立てて起き上がろうとしたけれど、秋山が私に覆い被さってきたお陰で阻まれてしまう。 「ちょっとやだッ、何する気!?」 「お前バカなの? 男と女がラブホに来たら、やることなんてひとつしかねーだろ」 おぞましい事を淡々と告げ、秋山が私の手首を捕まえようとする。それを、必死で避けた。この手に掴まれたら絶対に逃げられない。その先に待つ最悪な末路が脳裏を掠め、必死に捕らわれまいと抵抗した。 馬乗りになっている男の下で、がむしゃらに手足をバタつかせて暴れまくって。秋山の胸板も乱暴に叩いて、退いてくれるのを期待する。けれど秋山は物怖じすらしてくれなくて、抱いた期待はあっさりと打ち破られた。 「お、なんだこれ。面白そうな物あるじゃん」 死に物狂いで抵抗している私の不格好な様を、愉んでいるかのような軽い口調だった。捕らえた獲物に逃げられる可能性なんて1ミリも感じていないんだろう。その余裕の面を崩さないまま、秋山が手を伸ばした先はヘッドボードだった。 カチャカチャと、金属ベルトの摩擦音が枕元で響く。全身に緊張が走り抜けた。その音には聞き覚えがあったからだ。 ラブホのベッドの、ヘッドボートに取り付けられているもの。金属音。秋山の言う「面白そう」な物。そこから連想できる物はひとつしかない。 ───拘束具、だ。 「っ、何考えてんの!? どいてよ!!」 「退けって言われて退くバカがどこの世界にいんだよ。つーか痛えな、大人しくしろっての」 「あっ……!」 どんなに大暴れしても無駄だった。ゆったりとした口調とは裏腹に、荒々しいまでの勢いで両手首を捕らえられた。そのまま頭上に腕を回され、ひとまとめに掴まれる。ベリッ、とマジックテープを剥がす音が聞こえ、ひやりとした素材の布が両手首に巻き付いた。 カフスで縛られ、脚は秋山の重みでうまく動けず、完全に動きを封じられた私にはもう、成す術がない。泣き叫ぶことしか、できない。 「やだ離してっ!! 離せよ糞野郎ッ!!」 「うるせえな。キチガイみたいな声出してんじゃねーよ」 「アンタ自分が何やろうとしてるのかわかってんの!? 犯罪よこれ!」 「犯罪、ねえ。法外まがいなことしてた奴に言われたくねーわ」 「っ……、」 ───違う。私がバカだった。状況を説明しろと秋山に言われ、何の警戒心も抱かずノコノコとラブホに来てしまった己の愚かさを恨む。枕営業の現場を目撃されたことで、軽くパニック状態に陥ってしまったとしても迂闊すぎた。 こんな事態を招くことになるなんて、いくらなんでも想定できる訳がなかったけれど、それでも冷静ささえ失っていなければ、一緒の職場で働いている男とラブホに入るなんて絶対にしなかった。事情を説明するだけなら、場所はラブホじゃなくてもいいのだから。 ……けれど何を言っても、どれだけ後悔しても、もう遅い。 「安心しろ、痛め付けることはしねーよ。それは俺の趣味じゃねえから。……ただ、」 意味ありげに言葉を止め、秋山の指がワイシャツの第一ボタンを外す。ゆっくりとネクタイを緩め、いやらしく唇の端を吊り上げた。 「───失神するまで、何度もイかせてやるよ。だから、すぐ意識飛ばすなよ? つまんねぇから、さ」 トップページ |