対峙3


「なにそれ、開き直りかよ。反省の色もナシか。お前、自分が何やらかしたのかわかってんの? あのな、どれだけ社内の人間が真面目に働いても、誰か1人が不正行為をしていただけで、会社の信頼が地に落ちるんだよ。お前のせいで、社員全員が迷惑被るんだって理解してないのか? ……はっ、理解できるわけねえか。こんな汚ねえこと平気でやってるような奴だもんな」

 秋山の言い分は至極最もで、そして、私の心を容赦なく抉った。

 平気じゃない、平気なわけがないじゃない。痛みが全然なかったわけじゃない。誰が好き好んで、こんな最低なことを進んでやろうと思うんだ。

 私だってそれなりに努力してきた。たくさんの研修を受けたし、営業の成功の秘訣を綴った書物やレポートも読み漁った。高額な受講料を払ってまで、有名人のセミナーにも足を運んだ。それでも全く成績は上がらなかった。手応えすら感じなかった。
 自分の何がいけないのか、自分でもよくわからないのだから数字が上がる筈がない。そんな私の無様な有り様を、上司は鼻で笑った。給料泥棒だと、大声で部署全員の前で罵ったんだ。
 上司なら、何を言っても許されるの? 部下の失敗を罵るだけじゃなくて、どうして失敗続きなのか、要因を教えてくれたり探ってくれてもいいんじゃないの? そう思う私が甘いの?
 それを訴えたところで、あの上司が聞き入れてくれるはずがない。結局私は頭を下げることしかできなくて、上司からの圧に耐え続けなきゃいけない日常は、徐々に心を蝕んでいく。そんな逼迫した日々の中で、「成功できる方法」が目の前に転がってきたら、たとえそれが汚い行為であっても手を伸ばしてしまうのは人間の性じゃないの?

「……秋山にはわかんないよ。成功してる奴に、私みたいな奴の気持ちなんか」

 よせばいいのに、つい歯向かってしまった。
 案の定、秋山が突っかかってくる。

「はあ? ふざけんなよ。人が何にも努力してないみたいに」
「違うの? 努力努力って言うけど、顔だけで優遇されてる部分もあるって自覚してるでしょ? いいよね、顔がいい奴は。クライアントも女だけに絞れば、すぐに契約取れそうだもの。簡単だよね」
「……お前マジでいい加減にしろよ」

 怒りを鎮めた低い声が、心地いいBGMが流れる室内を震わせる。その気迫に一瞬怯んだけれど、失言を撤回するつもりはなかった。

 私だってわかってるよ、顔だけで優遇されるほど営業は甘くないってことくらい。成績トップのこの男が、今でも研修やセミナーに自ら参加していることも知ってる。秋山の成功は、人に見えない努力が伴っているからこその結果だ。
 私も秋山も同じくらいの努力をしていたなら、この歴然とした成績の差は何なんだろう。それは多分、営業のセンスだ。他にも細かい要因はあるだろうけど、もともと私に営業職は向いていなかったんだろう。
 それでも、成績を上げたかった。数字だけで人の評価を決めつけて見下すアイツらを見返してやりたかった。たとえ手を汚すことになってもだ。結果として、それは成功したのかもしれない。
 でも、犯した罪は消えない。不貞行為に対する罪悪感は薄れても、完全に消えたわけじゃない。元々のセンスと努力でトップまで上り詰めた秋山の存在感は、そんな私の心の闇を簡単に覆い尽くした。

 秋山を見る度に惨めな思いに駆られた。悔しい、羨ましい、負けたくない、なんでコイツばっかり優遇されるの、なんで私ばっかりこんな目に遭うの。胸の奥から生まれる言葉は、卑屈や妬みばかりの尖ったもの。あまりにも私と正反対すぎる秋山に頭を下げるなんて、たとえ私が悪くても絶対に嫌だった。

「……前から、お前は枕やってんじゃねえかって疑ってた」
「……え」

 衝撃的な一言に顔をあげる。社内の誰にもバレていないと、そう思っていた私に放たれたその一言に目を見開く。秋山は険しい表情を保ったまま口を開いた。

「確かに吉岡の成績は上がったよ。でも、変な上がり方なのが気になった。ある日を境に急激に営業成績が上がるなんて、普通に考えてもあり得ない。それに、数字に波がある。わかるか? 枕やってる奴の成績には特徴があるんだよ。顧客が長続きしないから、瞬間的に数字が上がってもすぐに失速する。それで満足してるなら、お前、本物の屑だぞ」
「………」

 それで満足するはずがないじゃない。満足してるなら、こんなに苦しんでいない。何もかもわかったような口振りに腹が立った。

「いいよな、後先考えずに身体売って契約取れる女は。クライアントも男だけに絞れば、セックスしただけですぐに契約取れるもんな。簡単で羨ましいわ」

 これ以上無いほどの、嫌味。
 私は重いため息をついた。
 もういいや。何を言われても、どう蔑まれてもいい。これ以上話しても、互いにいがみ合うだけでこの会話は進展しない。疲れるだけだ。
 既に口を開く気力もなくて、秋山の嫌味に反応することもなく帰り身支度を整える。テーブルに置いたままのショルダーバッグを手に取った。

「どこ行くんだよ」
「帰る。私疲れてるの。さっさと帰って休みたい」
「馬鹿にしてんのか? 話はまだ終わってねえだろ」
「これ以上何を話すの? 安心してよ、逃げたりなんてしないから。明日もちゃんと出社するし、枕営業してたことも上司に話すつもり。辞表を出して、それ以降は会社に来ないよ」

 枕やってることを隠すつもりはなかった。身体を売っていたという事実を自ら明かすことに抵抗感がないわけじゃないけれど、隠したところで秋山が上層部に報告するだろうし。腹を括るしかない。
 それに、辞表を出したところですぐに申請が受理される訳じゃない。実際に退職できるまで1ヶ月は掛かる。正直あの会社に行くのも辛かったんだ、不貞行為が要因での退職なら、すぐに自宅謹慎になる。会社に行かなくてもいいのなら、それはそれで好都合だ。
 そう開き直って財布を取り出す。1万円札を取り出して、テーブルの上に置いた。

「これ、ホテル代。お釣りは要らない。もし足りなかったら明日教えて。不足分払うから」

 それだけ言って立ち去ろうと思った。
 けれどドアは開かない。当然だ、ラブホは一度入室してしまえば自動的に鍵が締まる。自動精算機で清算してしまえば扉は開くけど、その場合は秋山と一緒に退出しなければならなくなる。
 でも、それは嫌。これ以上コイツと一緒にいたくない。ならフロントに電話して解錠を頼むしかない。

 面倒だと思いながらも室内に戻り、サイドテーブルまで歩き直す。受話器を持ち上げようとした時、秋山の手が私の手首を強く掴んだ。

「……なによ」

 止められたことに苛ついて、秋山を睨み返す。
 見上げた先にあった男の顔は、漆黒の瞳を細めながら薄ら笑いを浮かべていた。

 瞬間、ゾク……と悪寒が走る。
 嫌な予感がした。

「帰んなよ。せっかくラブホにいんだからさ。最後に楽しもうぜ」

 ヒヤリとした感覚が、心臓から全身へと波紋を拡げた。

mae表紙tugi



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