縋りつく2


 なんとか上手く事を運べてホッとする。本音を言えばこんな奴、家どころか部屋の中にだって入れたくはない相手だけど、秋山の気を引くためには自分の懐に入れてしまうのが一番だ。信頼を得るにはこの方法が手っ取り早いから我慢した。
 それに、リビングで話し込んでいる最中に母親が帰ってきたら厄介だ。前の会社での話、ましてや上司の話なんて母親に聞かれたくはないし、中途半端に会話を中断させなくてはならなくなる。それだけは避けたい。こんな話を長引かせるつもりはないから。

 でも、ここで問題がひとつ発生する。私の部屋は2階にあって、そして私は捻挫でこの様だ。1人で階段を上れそうにないなら、どうしても秋山の手を借りなければならなくなる。

「吉岡」

 秋山が静かに靴を脱ぎ、当たり前のように私の腕を取って肩に手を回す。手助けしてくれようとしてる意思は伝わってくるけれど、心の内を見透かされたみたいで複雑な気分になる。でも、ここでこの手を払ってしまったら全てが台無しだ。精神的に弱ってるこの男に優しさを見せてあげて、後々思いっきり突き放してやるんだから。ここで冷たくあしらう訳にはいかない。

「……ありがとう」

 素直にお礼の言葉を口にすれば、秋山は一瞬驚いたように目を見開く。そしてすぐ真顔に戻り、2階に続く階段を見上げた。

 内心、舌打ちする。無意識に声が低くなってしまった。こんなにも心の籠っていないお礼があっていいものだろうか。今だけ優しさを振りかざすといっても、大っぴらに優しくするのはやっぱり私には難しかったようだ。
 実際には大嫌いな相手なのだから、嫌悪感を悟られずに振る舞うなんて大層なこと、私にはできない。どこにでもいる普通の女なのに、男を上手く騙す技量なんて持ち合わせていない。そもそも『ありがとう』なんて、心から思って出た言葉じゃないし。

 溢れ出しそうな恨み言を押し殺し、ゆっくりとした足取りで階段を上っていく。トン、と右足を段に乗せるだけで、鈍い痛みが足首を襲って顔をしかめた。
 なんとか耐え抜いて最上段まで上りきり、はあ、と疲労の息を漏らす。不意に視線を感じて顔を上げれば、秋山が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
 思いのほか力強い瞳が、私の瞳とぶつかり合う。

「……っ」

 まずい、と思った。こいつと視線が絡んだ瞬間、ぶわっと嫌悪感が溢れて顔に出そうになった。
 慌てて顔を背けたけれど、聡い秋山には感付かれてしまったかもしれない。焦燥感に駆られて、勢いついでに口を開く。

「……あんまりジロジロ見ないでよ。恥ずかしいじゃない」

 なんて可愛くない言い方だろう。こういう場合、どう言えば男が喜んでくれるような言い回しができるのかもわからない。秋山の顔も見れなかったから、コイツが今、どんな表情を浮かべているのかもわからなかった。

「……部屋、そこだから」
「……ああ、うん」

 遠慮がちにドアノブを捻れば、キィ、と軋む音と共に、目の前の視界がゆっくり開けていく。家具もインテリアも白黒で統一させた部屋は、私が言うのも変だけど、女の子らしい部屋とは言い難い空間だ。
 孝之さんよりも他の男を招き入れることになるなんて予想すらしていなかったな、と自嘲気味な笑みが漏れる。ベッドまで歩み寄り、秋山が恐る恐るといった感じで私をベッドへ座らせた。すぐにその場にしゃがみこみ、包帯が巻かれた私の右足に秋山の視線が落ちる。

「悪い、ちょっと触るから。……やっぱり腫れてるな」
「明日からバイトなんだけど、行くの無理っぽいかな」
「……俺のせいだ。本当に悪い」
「……だから秋山のせいじゃないから」
「……」
「……」

 ぎこちない会話から、徐々に沈黙が長くなる。互いに相容れない相手との会話が長続きするはずもなく、ただただストレスが溜まるだけの不毛なやり取りにしか思えない。
 いつ母親が帰ってくるかもわからないから、さっさと本題に入ろうと私は会話を切り出した。

「……あの上司と何があったの?」

 秋山にとっては恐らく、聞かれたくない話のはず。
 でも聞かなければ、話が始まらない。

「……吉岡はあの上司のこと、どう思ってる?」
「人間のクズだと思ってるよ」

 そこは嘘をつくつもりはなかったし庇うつもりもなかった。私自身も相当なクズだから人のことは言えないけれど、あの糞上司に比べたら幾分かマシな自信がある。秋山も納得できる部分があるのか、私の言い分に否定することはなかった。

「……そう思う程、あの上司との関係が悪かったんだな。俺が気付かなかっただけで」
「そうね。アンタは仲良かったみたいだけど」
「……あの頃は、な。今は……恨んでる」

 秋山の暗く淀んだ瞳に、憎悪の炎が揺らめく瞬間を私は見逃さなかった。

mae表紙tugi



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