地に堕ちた成功者5 母親の言葉に衝撃を受けた。 2年前、秋山に犯されて私の身体はおかしくなった。急な発熱と喉の激しい痛み、そして意識を失うほどの重篤に陥った。検査を受けても意識不明の原因はわからなくて、結局腑に落ちないまま退院することになったんだ。 まさかあの入院中に、秋山が病室まで来ていたなんて聞いてない。母親は何も教えてくれなかったし、寝耳に水の話だった。 「あ……、じゃあ、2人とも顔見知りなのかしら……?」 母の表情がますます曇る。いかにも今日私達は知り合いました風に見せかけたのに、早くもその嘘が見破られたことに落胆する。 「……前の会社で、一緒に働いてた人」 隠していてもしょうがない。私が秋山の正体を明かせば、母親の表情が瞬時に強張った。困惑に満ちた顔で私と秋山を交互に見つめ、次に発する言葉を探しているように見える。 前の会社で私がどんな扱いを受けていたか。それを不満に思っていた母親にとっては、秋山の存在は正直、気持ちよく迎え入れられない人間のはずだ。私にとっても秋山は思い出したくない過去の人間の一人で、それは母親も同じだろう。 不貞行為を働いた娘を持ったばかりに、余計な心の負担をかけることになってしまったことに罪悪感を抱く。そして目の前に佇む男は、私達が負った心の傷に塩を塗りかねない人物でもある。 一方の秋山は、強張った表情のまま母の顔を見ていた。 「そ……っか。そうなのね。挨拶が遅れてしまってすみません、沙綾の母親です。前の会社ではこの子がお世話になりました」 「……いえ」 ……お世話になってないし、こんな奴に丁寧な挨拶なんかいらないのに。 「あ、そうそう。お母さんね、今ちょうどスーパーに行こうと思ってたの。すぐに帰ってくるから、この方に温かい飲み物でも淹れてあげて?」 は、冗談。なんでこんな奴に、なんて口に出せたらよかったのに。そのまま財布を持って玄関を出て行く母の後ろ姿に、何も言えず見届ける。その間もずっと立ち尽くしている秋山を睨み付けた。 「……どういうことよ」 「………」 「アンタ、あの病院に来てたの?」 あの時、私を診てくれた医師が言っていた。私は意識を取り戻すまで面会謝絶の状態が続いていて、両親しか病室に入ることは許されなかったらしい。 だから秋山が来ても私に会えるはずはなく、意識のなかった私が来客の存在を知る由もない。けれど私が回復した後も、院内で秋山とは一度も接触していない。母親の話では何度も病室まで来ていたらしいけど、にわかには信じられない話だった。 けれど、母親が私に嘘をつくとは思えない。 「何のつもりで病院に来たわけ? 自分が犯した女のところに、わざわざ足を運ぶ意味がわからないんだけど。ていうか、よく顔出せたね。どんな神経してんの。頭おかしいんじゃない?」 「……っ、俺は」 「あー……、わかった。私に訴えられるかもしれないから口封じに来たんだ? 同じ職場の女をレイプしたなんて会社に知れたら、アンタの面目丸潰れだもんね」 「な、違っ、」 「何が違うの? まさか本当に見舞いに来たとかじゃないでしょ? もし私が警察に被害届を出したら、名声に傷が付くことにビビッたんじゃないの? 自分を守ることに必死すぎて笑うわマジで」 畳み掛けるように責め立てれば、秋山は不服そうに眉を歪める。苦渋に満ちた表情を作り、一見苦しげに見える演技に乾いた笑みが漏れた。 そんな傷ついた振りを披露されても、私は絶対に騙されない。あの日、私を犯しながら散々恨み言をぶつけ、笑いながら恥辱の限りを尽くしたコイツの本性を知っているから。そんな人間が、あの日のことを反省するとはとても思えなかった。 私からの冷たい視線を一心に浴びる秋山は、何かを言いたそうに口を開きかけて、でも思い止まったように息を止め、喉の奥に言葉を無理やり飲み込んだ。 どんな言い訳が飛び出してくるのかと思いきや、まさかのダンマリを決められてしまって失笑する。 「言い訳もしないってことは図星だった? そりゃそうよね、今まで築き上げてきたものが、たった一晩の遊びで壊されちゃたまんないよね」 自分で言っておきながら随分な嫌味だな、と思う。酷いことを言ってる自覚はあるけれど、どんなに悪態ついても秋山相手に心が痛むことはない。情けをかけてやるような奴じゃないし、そもそもこの男と会うのも今日限りだ。せめて最後の日くらい、自分の言いたい事を思い切りぶちまけてもいいじゃないかと自分に言い聞かせる。 その時。すっと息を吸い込んで、頭垂れる秋山の姿を横目に捉えた。 「……築き上げてきたものなら、もう……壊れた」 その悲痛な呟きに目を見張る。 悲愴な面持ちで呟く秋山の瞳は、今まで見たことがない程に暗く、淀んでいた。 トップページ |