運命、あるいは絶望6


 昨晩のことは、酔いのせいでほぼ覚えていない。それでも微かに記憶に残っている、艶のある吐息と唇の感触、そして男の匂い。それがこの人のものだと理解した瞬間、胸に湧く羞恥心は罪の意識に飲み込まれていく。

 ───最悪だ。これほど自分がだらしない女だとは思わなかった。2年前には顧客の男とたくさん寝ておいて、更正したつもりだったのにまた同じ過ちを繰り返してしまった。
 自らの限界を省みずに酒に溺れ、我を失った挙げ句によく知りもしない男と寝てしまうなんて。あまりの愚行っぷりに、根底にある人の本質は変わらないんだと思い知らされた。

 光煌めく夜景を背景に過ごした時間は本当に素敵だったのに、忘れられない筈の思い出が一瞬にして悪夢に変わってしまった。けれどそう思っていたのは私だけだったようで、目が覚めた孝之さんは申し訳なさそうに笑いながら、私の身体をそっと抱き寄せてきた。

「……ごめん。部屋に運ぶだけのつもりだったけど、酔った君が可愛すぎて我慢できなかった」

 ズルい一言を囁きながら、しなやかな指が素肌の上をゆっくり這う。焦らされているような感覚に意識が掻き乱され、じんわりと熱を帯びていく身体。謝罪の言葉を口にしているわりに、彼の行動は全く反省を伴っていなかった。
 流されちゃダメだと理性にしがみついても、本能は自らの意思とは関係なく、昨晩与えられた快楽を追い求めて疼き出す。おぼろ気に残る彼との情事は、記憶以上に身体がよく覚えていた。

「……責任を取らせてほしい。昨晩のこと、君の中で嫌な思い出のままにしてほしくない」

 一夜どころか、早朝から彼との情事に耽ってしまった私に拒絶する気力なんて残っていない。それ以来、孝之さんと度々会うようになった。
 今思えば、この流れも彼の計算だったんじゃないかと思うことがある。あのカクテルバーに来たのはあの日が初めてだけど、もう二度と訪れる予定のないバーでもあった。友人に誘われたから来ただけで、あんな高級ホテルバーに通い詰める金銭的余裕は私には無い。あの場で仲良くなった人がいても、二度と行く予定のない店で知り合った人と、必要以上に仲良くするつもりはなかった。
 なのに一夜を共に過ごしてしまった事で、無関心のフリは出来なくなった。しかも原因は酔い潰れた私にある。だから余計に、「どうでもいい」扱いをこの人には出来ない。あの一夜がなければ、私の中で彼は「バーでお喋りしただけの人」という薄い印象しか残らなかったはずなのに。

 孝之さんが、私を繋ぎ止める為に抱いたのかはわからない。私の考えすぎかもしれない。酒に酔った女を押し倒すような人には見えないし、そもそも私が酔い潰れなければ、こんな展開にはならなかったのだから。

 責任は取る、そう言ってくれた孝之さんと、成り行き上での交際が始まったのはそれからだ。彼とあのバーで待ち合わせをして、お酒を嗜む仲になった。彼の部屋で宅飲みすることもあるし、その時の雰囲気と流れで身体を重ねることもある。
 けど、彼の部屋に泊まったことは一度もない。
 部屋に誘われれば断れないくせに、その日のうちに自宅に帰るなんて空気読めてないし、無神経だってわかってる。それでも特別な感情を抱いていない人と朝まで過ごす神経は私にはない。
 最低だと思う。身勝手だとも思う。
 それでも孝之さんは、私を諦めてはくれなくて。

「わざわざ、ありがとうございました」

 家の近くで車を停めてもらい、濡れたタオルを抱えながら助手席から降りる。外は小雨程度にまで落ち着いていて、酷かった強風も弱まっていた。今なら傘をさしても大丈夫そうな雰囲気だ。

「何もこんな所で降りなくても。家の前まで送ってあげるのに」
「……母がもう自宅にいるので」

 数分前、母にラインを送ったら想定外の返信が返ってきた。この悪天候のお陰か、予定されていた婦人会が延期になったらしい。だから母親は自宅に帰宅している。

 彼氏ができたことは、母には一切伝えていない。伝えるつもりもなかった。母親は気分がハイになると必ず暴れて物を壊すから。恋人ができたなんて知られた日には、手放しで喜んだ挙げ句、家の中が悲惨な状態になるのは目に見えていた。
 そんな危険性を危惧して断っただけなのに、そんな我が家の事情なんて当然孝之さんは知らない。違う解釈をしたようで、一瞬表情を曇らせて寂しげに笑う。

「……俺は全然いいよ。親御さんに見られても」

 独り言のようなか細い呟きに、私は曖昧に笑うしかない。孝之さんの気持ちもわかるんだ、部屋に泊まってくれないどころか、親にすら紹介してもらえないない恋人なんて、孝之さんにとっても心外だろうって。
 私だって心からこの人を想えたのなら、両親に彼の事を紹介しても構わなかった。でもそうじゃないから困ってる。私の気持ちが彼にないことは、孝之さん自身も気づいているから強く言えないんだろう。

「……親に紹介するのは、まだ恥ずかしいので」

 そう言って誤魔化すしかなかった。
 この人の目を真っ直ぐ見られないのは、やましい気持ちがあるからだ。罪悪感を抱くくらいなら彼の誘いを断ればいいのに、私のしていることは、真剣交際を望んでいる孝之さんに対して誠実じゃない。早くこの場から逃げ出したくて、早々と立ち去ろうとした時。「待って」と、車内から声が届いた。

mae表紙tugi



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