運命、あるいは絶望5


 促されるまま乗り込もうとして、けれどそこで思い留まる。今の私の出で立ちは、全身とまではいかなくとも、広範囲に渡って濡れてしまっている状態だ。このまま助手席に座ってしまったら、座席シートまで濡れてしまうのは容易く想像できる。それは後部座席に乗ったところで同じだけど、この有様で彼の隣に居座るのは躊躇いがあった。
 迷いの果てに、後ろの座席に目を向ける。足を向けようとした時、「こら」と私をたしなめる声が聞こえた。

「なんでそっち? 助手席でいいよ」
「……雨で濡れてるので」
「コンビニでタオル2枚買っておいた。1枚座席に敷いて、残りの一枚で体拭くといいよ。あ、お仕事お疲れ様。ホットコーヒーも買ってきたから一緒に飲も?」
「………」

 口を挟む暇もなく論破されてちょっと焦る。なんて用意周到な人だろうと思った。裏口からここまで距離は遠くないとはいえ、この雨風の中で外に出ようものなら、あっという間に濡れてしまうことを、この人は既に想定していたんだろう。しかも温かい飲み物まで用意しているなんて、さすがとしか言いようがない。
 彼らしい細やかな気配りには感謝しているけれど、ここまで尽くされるとさすがに誘いを断りきれない。そんな私の迷いすら想定済みだったんだろう。

 やっぱりこの人は、偶然この近くを通ったのではなく、私に会いに来てくれたんだ。でも突然来られても私を困らせるかもしれないし、誘いを断られる可能性も考えた。だから事前にタオルなり飲み物なり購入して、わざわざ店の前で待っていてくれたんだ。そこまでしてくれた人を追い払える程の冷徹さは、私にはないから。孝之さんは、そんな私の隙を見事についた。

 そうだ。孝之さんは少し、計算高いところがある。それが悪い方向に働くことはないけれど、心の中まで見透かされているような感覚が少し苦手だった。
 頭がキレる上に心の機敏に聡いとなれば、未熟な私では到底この人にかないっこない。基本的に優しいこの人が、ただの優しい男だけじゃないことを改めて実感する。

「……何から何まですみません」

 謝罪の言葉を述べながら車内に乗り込む。助手席のドアが閉まるところを確認した彼は、ほっとしたような安堵の表情を見せた。

「ほら、冷めないうちにコーヒーどうぞ。カフェオレ好きだったよね?」
「ありがとうございます。いただきます」

 丁重にお礼を言ってから口をつける。カフェオレの熱さとコクのある味わいが、身体の芯までじんわりと温めてくれる。外は変わらず豪雨で荒れているのに対して、車内はほのぼのとした空気に包まれていた。



 孝之さんとは、友人と2人で行った高級ホテルのカクテルバーで知り合った。初対面の私達に躊躇なく話しかけてきた孝之さん自身も、友人と2人で飲みに来ていた様子だった。
 最初は彼らに警戒心を抱いていたけれど、孝之さん達は場馴れしているのか、紳士的な振る舞いと穏やかな会話で私達を和ませてくれる。私の友人は孝之さんの友人と相性が良かったようで、2人は意気投合し、私の存在そっちのけで盛り上がっていた。
 そうなると自然に、私は孝之さんと2人きりになる流れになってしまう訳で。

 ……これは後で知ったことだけど、実はこれこそが演出で。本当は孝之さんが、私と話したいが為に自分の友人を誘い出し、私と2人きりで話せる機会を作ってくれたらしい。
 爽やかな顔立ちが目を引く孝之さんは、それでいて清潔感もあり、年相応の渋さも兼ね備えている。そんな人が、どうして私を気にかけてくれたのかは定かじゃないけれど、この時の私は珍しく気分が舞い上がっていて、そんな疑問を抱く余裕はなかった。

 東京タワーをバックに夜景が一望できる店内は、スタイリッシュでレトロなムードが漂っている。お洒落な音楽が流れる空間で、手元には甘くて美味しいオリジナルカクテル、そして隣には、紳士的で上品な男が微笑んでいる。まるで映画のワンシーンのようなシチュエーションに酔ってしまった私は、夢見心地のままお酒を飲みすぎてしまったようで。これが裏目に出た。
 ……情けないことに酔い潰れた挙げ句、目が覚めたらホテルの一室にいた。

 照明の光が頼りなく照らす客室は薄暗くて。
 私は一糸纏わぬ姿で、男の腕に抱かれていた。
 床には脱ぎ散らかした衣服の残骸、そして隣には、静かに寝息をたてている孝之さんの姿がある。この状況を見れば、自分の身に何が起きたのかはもはや明白だ。酔いも一気に覚める勢いで、さあっと血の気が引いた。
 よりにもよって私は、その日初めて出会った男と一夜の過ちを犯してしまったんだ。

mae表紙tugi



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