運命、あるいは絶望3


「前の会社で吉岡さんが不正をしちゃったのは、上司からのパワハラがプレッシャーになって、精神的に追い詰められたからでしょ? 上司がしっかりマネジメント出来ていれば、吉岡さんは不正しようなんて思わなかったはず」
「……そう、ですね。そうだと思います」

 七瀬さんの言う通りだ。自分の利益の為に枕をしてたのなら、もっと以前から手を染めていたに違いない。多額の費用を払ってまでセミナーに足を運んだり、毎日残業してアポ電をかけ続けるなんて苦労はしなかった。
 あんな殺伐とした職場でなければ、あんな上司でなければ、不正の誘いなんて絶対に断っていたはずだ。私にだって、それなりに正義とプライドは持ち併せているんだから。
 そして七瀬さんの言葉を借りれば、上司から的確なマネジメントを受けた記憶は一切ない。数字だけに着目し、目標を達成する為のプロセスを考えたマネジメントを怠った挙げ句、部下を追い詰めて不正までさせてしまった上司の責任は重い。

「吉岡さんは、今の職場をどう思う? 楽しい?」
「……楽しいです。七瀬さんも早坂さんもいい人だし、他のスタッフ達も優しくて。仕事自体も面白いし、職場の雰囲気もアットホームな感じが気に入ってます」
「でしょ。自分のためにズルしようなんて、今の職場にいれば全然思えないでしょ?」
「はい」
「私もそんな劣悪な環境で仕事させたくないし、そもそも部下に不正させてしまうような真似、私がさせません。吉岡さんを追い出すつもりもないから安心してね」
「……でも、またあの人達が店に来たらと思うと不安です」

 理由はどうあれ、自分の意思で不正をした事実は変えられない。それが何年経とうとも消えることはない。今の職場を離れたくはないけれど、私の過去が明るみに出て悪影響が出るのであれば、今後の身の振り方を考えなきゃいけない。後ろ指をさされながら生きていくのも嫌だけど、職場の人達に迷惑をかけてしまう方がよっぽど胸が痛む。
 けれど七瀬さんは、そんな私の心配事を一瞬で払い除けた。

「それが原因で売上が低迷したとしても、一時的なものでしょ。数年前に別の会社で起こした問題を、今さら彫り上げられてもね、って感じ。それが従業員を解雇する理由にはならないよ。もちろん、この店で同じ過ちを犯したのなら話は別だけど」
「………」
「それに、もし枕やってたことが周りにバレたとしても、吉岡さんを咎める人は、うちの職場には誰もいない。どうしてかわかる?」
「いえ……どうしてですか?」

 投げ掛けられた問い掛けは、自分には到底理解できないことだった。
 私を咎める人がいないなんて、どうして断言できるのか。前の会社で枕営業をした挙げ句に解雇された、そんな人が同じ職場で働いているなんて知ったら、誰だって不快に思うのは当然なのに。

「吉岡さんだけじゃないのよ」
「……え?」

 予想外の一言に、箸を持つ手が止まる。

「うちの職場にいるスタッフの中にはね、前の職場で不当な扱いを受けて辞めた子達もたくさんいる。上司からのパワハラとか、セクハラ被害が大半。精神的に病んでしまって自主退職した子達が、今はここで頑張ってくれてる。吉岡さんもそんな人達のうちの1人、ってこと」
「……そう、なんですか?」

 七瀬さんの話に大きな衝撃を受けた。自分だけがパワハラの被害者のように感じていたけれど、私と同じ痛みを抱えた人達は多く存在していて、そして、こんな間近にいたのだと初めて知った。
 どんなに世間がコンプライアンスに厳しい目を向けていても、上司からのパワハラやセクハラの被害が消えることはない。その手のニュースは常日頃からテレビやネットで報道されていて、世間を騒がせては注目を浴びている。中には、裁判沙汰になる例だってあるくらいだ。
 私だけ、ではないのだ。

「みんなね、最初はやっぱり不安がるの。上司や会社の人間が店に来たらどうしよう、って。そりゃ怖いよね、顔も見たくない相手だもの。ましてやセクハラ上司だったらマジで最悪だよ。ストーカーに発展する可能性だってあるんだから」

 確かに。パワハラなら極端な話、辞めてしまえば上司とも会社とも繋がりは消える。けれどセクハラ被害の場合は違う。離職したとしても、偶然の再会から関係が繋がってしまう事だってあるんだ。

「だからね、みんな吉岡さんを偏見な目で見たりしない。過去に同じ痛みを味わって、苦しんでいた仲間を排除しようとする人は、うちの職場にはいないよ。それに、何かあったとしても私が全力で吉岡さんを守るから! 任せて!」

 自信に満ち溢れた笑顔と、力強い言葉に圧倒されたのは言うまでもなかった。上司として部下を守るなんて、今まで言われたことはなかったから。迷いなく言い切れる七瀬さんの言葉に、どれだけの人達が救われたんだろうと思うと胸が熱くなる。
 そして同時に確信した。前の職場で失敗したとしても、この職場でなら大丈夫だと。そう思わせられるだけの説得力と頼もしさが彼女にはあった。
 七瀬さんは私と同じ年のはずなのに、これほどまでに存在感の違いがある。でも妬む気持ちは全く湧き起こらなくて、むしろ憧れに近い感情を抱いた。きっと職場の人達も、こんな感情を彼女に抱いているんだろう。

 成果至上主義の会社は結局、数字しか見ない。
 過剰なノルマや残業なんて、今の時代に合っていないと思うけど、それでもいまだに、そんな組織体制で成り立っている企業は多い。そんな会社が不正の温床になっている現実を、七瀬さんも重く感じているんだろう。
 だからこそ、「数字」よりも「人」を見ている七瀬さんは、誰もが認める理想の上司に他ならなかった。

mae表紙tugi



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