運命、あるいは絶望2


「おはよー! 早いね吉岡さん!」

 爽やかな笑顔を披露しながら、七瀬さんは手元に置いてあったお菓子を引き寄せた。
 食べる? と差し出された小箱から、1本のスティック菓子が飛び出している。迷わず手に取って口に咥えれば、甘いような酸っぱいような、何とも言えない微妙な味覚が口内に広がった。

「……七瀬さん、このお菓子好きなんですか?」
「ううん、全然」
「なんで買ったんですか(笑)」
「これ、期間限定の新商品なの。冒険してみたんだけど超マズかった」
「……失敗しましたね」
「あとで早坂クンに押し付けちゃおうね」

 茶目っ気たっぷりに言われて笑みが浮かぶ。
 朗らかに笑っているこの人は、わたしの上司にあたる七瀬さん。
 このインテリアショップのサブマネで、そして早坂さんも、七瀬さんと同じポジションに身を置いている男性社員だ。

 この店舗は数年前から店長が不在らしく、七瀬さんが代理という形で店長業務もこなしている。26歳という若さで複数の役職を兼務しているんだから、相当仕事ができる人なんだろう。
 入社僅か2年目でサブマネに昇進したらしいけど、これは滅多にある事じゃないと早坂さんが言っていた。それだけに、七瀬さんが本部からの期待を多く背負っている人だというのがわかる。

 ただ、七瀬さんの持ち前の明るさや親しみやすさからは、その手腕っぷりはあまり感じられない。もちろん悪い意味ではなく、いい意味で。話しやすく、相談もしやすい上司がいる職場というのは、それだけで人間関係も円満になる傾向が強い。それは、七瀬さんの人柄の良さが職場環境に影響しているからだ。
 スタッフを適当に扱ったりしないし、もちろん顧客と同じくらい、従業員も大事にしてくれる。ただ上から指示を出すだけじゃなく、現場で働く私達の心労に寄り添い、常に体調にも気遣ってくれる。そんな七瀬さんだから、スタッフ全員にとても慕われていた。

 明朗快活って、彼女の為にある言葉なんじゃないかと思う。この店舗で働き始めてから2年が経つけれど、彼女が不満や愚痴を溢している場面を見たことがほとんど無い。常に笑顔を絶やさず、誰にでも分け隔てなく接する姿は、私が今まで見てきた上司の姿とはまるで欠け離れていた。
 上司としての在り方や部下への接し方は、人それぞれに考え方が違うのだろうけど、少なくとも私は、七瀬さんの方が好ましく感じる。

 他人への関心が薄い私だけど、七瀬さんの人柄にはすごく惹かれるし、惚れ込んでいる自覚がある。
 ただ、彼女を慕うのは別の理由があった。
 それは2年前、私が上司から受けたパワハラと自分が犯した罪を、七瀬さんには全て明かしている事が、彼女に心を許せている一番の理由だった。



 この店舗に勤め始めて半年が経った頃だと思う。前の会社の人間が、たまたま来店してきたのがキッカケだった。
 相手は買い物がてらショップに立ち寄っただけで、ここで働いている私を見ても特に反応はなく、トラブルになることはなかった。お互い部署が違ったこともあって、向こうは私の顔を知らなかったんだろう。
 とはいえ、こんな偶然が今後も起きない可能性なんてない。運悪く見知った人間が来店して、影であれこれ言われて変な噂でも立てられたら、七瀬さんやスタッフ全員に迷惑がかかる。店の評価や売上にまで影響してしまうのも避けたい。
 もしもの事があった時、他人の口から漏れるくらいなら自分の口から先に伝えよう、そう思い、七瀬さんに過去を明かすことにした。






「頑張ってたんだね、吉岡さん」

 居酒屋の個室を予約し、七瀬さんには勤務後に付き添ってもらった。
 重苦しい空気が漂う中、私の話を静かに聞いてくれた七瀬さんは、不正を働いていた私を責めることはしない。嫌な顔も一切せず、途中で口を挟むこともせず、私が全て吐き出すまで耳を傾けてくれた。

 過去に過ちを犯した私を、これからも変わらず雇ってくれるのか。一番の不安はそれだった。もし私が七瀬さんの立場なら、解雇するまではいかなくとも、その人を見る目はがらりと変わってしまうだろう。信頼関係に亀裂が走るくらいなら、最悪、店を辞めることも視野に入れておくべきかもしれないと私は考えていた。
 でも七瀬さんははっきりと、「クビはありえません」と拒否を示した。

mae表紙tugi



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