誰にでもいい顔する奴ってどうなの


 私は彼───
 早瀬 優《はやせすぐる》という人物が苦手だった。

 と言っても別段、何かをされたという訳じゃない。不快な気分を味わされた訳でもない。
 あえて言うなら、彼の笑顔があまり好きではなかった。

 私より1年遅れてこの高校に赴任してきた彼は、周りの教師から非常に受けがよかった。
 何に対しても、誰に対しても対等に接して、頼み事も相談事も返事ひとつで快く受け入れる。そんな彼の低姿勢は、年輩教師から見ても扱いやすい後輩だったのだろう。
 生徒や保護者からの評価も良く、態度も控えめで謙虚な姿勢を崩さない。自らの意見を主張せず、基本的に周りに合わせるタイプ。
 何より、常に穏やかな笑みを浮かべて人と接する彼に、安心感を抱く人は多い。

 けれど私は、わざと顔に貼り付けたような笑顔が不気味でならなかった。
 温度を感じないのだ。
 どんなに優しげに微笑んでいても、瞳の奥は冷徹で何の感情も篭っていない。上辺だけを取り繕った博愛主義者、そんな印象だった。

 彼の態度が悪いわけでもないし、そのスタイルが間違っているとも思わない。
 ただ私が生理的に好かないだけ。
 それだけだ。



・・・



「早瀬先生、ちょっといいかしら」

 職員会議の後、帰り支度を整えていた時に聞こえた会話に手が止まる。横目で見れば、髪をひとつに束ねた年輩の女性教諭が彼に話しかけていた。

「この書類を校舎の伝言板に貼っておいてほしいの。私、所用で忙しくて。お願いできるかしら?」
「構いませんよ。他に出来ることは無いですか?」
「あら、他にも? それじゃあ──……」

 早瀬先生の言葉に彼女は表情を変え、態度を一変させる。機嫌良く要望を押し付ける女性教諭に対して、早瀬先生は特に何も言わない。上面がいいだけの笑顔を浮かべている姿に、心底嫌気が差した。

 彼女はおそらく、早瀬先生のその言葉を内心、望んでいたんだろう。
 彼自身もそう悟ったから、あえて口にした。己の印象を悪いものにしない為に。
 これで早瀬先生の株が、彼女の中でまたひとつ上がった事だろう。

 人の良さそうな笑顔を貼り付けている彼を傍目に見て、思う。

 ───誰にでも『いい顔』する奴ってどうなの?

 そんな事をひとりごちる。
 ……わたし、性格悪いかな。

「………生、葉月先生!」
「……へ!? はいっ!」

 呼ばれたことに驚いて声が裏返ってしまった。自分の考えに耽っていて、無意識のうちに周りの音を遮断していたらしい。
 勢いよく顔を上げれば、1つ上の先輩でもある教師───友永 淳《ともながじゅん》先生が顔を覗き込んでいた。

 その近さに、どきりと心臓が音を立てる。
 不意に脳裏を掠めたのは、先程の一件。
 反射的に後退りしてしまった私に、友永先生は不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げた。

「大丈夫ですか?」
「……え?」
「ぼんやりとしてますけど」

 ……そんなに私、変だったかな。
 慌てて笑顔を取り繕う。

「あ、あー大丈夫です! お腹が空いてるだけですので」
「顔色もあまり良くない気が」
「お腹が空きすぎると顔が土色に変色するんです、私」

 適当な理由を挙げれば、友永先生は可笑しそうに噴き出した。

「はは。葉月先生は面白いなー」
「やーそれしか取り柄がなくて」
「いや、生徒達も葉月先生のような方が保健の先生で嬉しいだろうね。気さくで話しやすいから、俺のクラスでも人気です」
「そんなに褒めちゃだめですよ。調子乗っちゃいますから」
「そこは、乗って良いと思いますよ」

 私のふざけた発言に、友永先生も屈託なく笑う。他の教師達の中で、彼とは一番歳が近い。
 何よりこの人は、私がこの高校に勤務したばかりの頃から幾度となく世話になった、敬愛している先輩でもあった。

 底抜けに明るくて、多くの生徒から慕われている。更に彼は29歳と男性教諭の中でも若く、女生徒からは特に人気が高い。
 キリッと整えられたクールな眉に、パッチリとした瞳は目力があり、力強いインパクトを与える。鼻筋もスッと通っていて、それでいて小顔。顔全体のパーツバランスが黄金比率といっても過言ではない。
 短めのショートレイヤーは派手さはないが、パッと見はオシャレに見えるし、誰の目から見ても好印象だ。

 気さくで親しみやすい部分も多く、彼とは普段からも、こうしてよく話す仲だったりする。
 彼自身、年輩教師の前では丁寧な口調と態度ではあるけれど、私のような後輩教師には、その場の状況に応じてフランクに接してくれる。くだらない話にも軽快に笑ってくれる、一緒にいて楽しい人だった。

 そんな彼と、隣同士の席で和気藹々と話していた時───
 不意に感じた、ピリッと刺すような視線。目を向ければ、そこにいたのは早瀬先生だった。
 何の感情も含んでいないような眼差しを受けて、一瞬、体が強張る。
 けど、彼はすぐに私から視線を逸らした。
 女性教諭から渡された紙を手に、そのまま職員室を出ていってしまう。

「………」

 ……何よ。感じ悪い。



・・・



 翌日は平穏そのものだった。

 全力で口説くだの何だのと言われ、挙句、強引なキスまでされて、今日もまた何かされるんじゃないかと朝から戦々恐々としていた私は、結局いつもと同じ、穏やかな1日を過ごしている。
 予想に反して、彼からの接触は皆無だった。
 朝礼会議の際に一言挨拶を交わしたくらいで、以降は互いに話すこともなければ視線すら合う事が無い。昨日の、あの熱烈な告白は夢だったんじゃないかと疑うほどの静けさだ。

 ───むしろ夢であってほしい。

 夕食時の賑わいを見せる、学生寮の食堂。
 その一角で、テーブルに頬杖をつきながら溜息を零した。







 名門校として名を馳せるこの高校は、校舎の離れに学生寮と教員寮が隣接している。そして私は、教員寮にお世話になっている身だ。
 学生寮では夕刻の18時から20時まで食堂が開放され、寮住まいの生徒はこの時間内に夕食を済ませるように義務付けられている。
 学生寮と教員寮は隣同士なので、学生寮の食堂にお邪魔して夕食を取ることも何度かあった。

 教員寮に食堂はない。
 各自にあてがわれた個室部屋しか存在しない。
 逆に生徒側の寮は、多目的ホールや自習室などもしっかりと完備されていて、さすがは有名校といったところ。

 文武両道を掲げ、何より生徒の自主性を重んじる自由な校風。偏差値78のハイレベルな難関校。
 一見自由を謳った当校に、不釣合いな校則がひとつだけ存在する。

 それが、生徒も教師も関係なく、


 " 男女の交際を禁ずる "


 と、いうもの。



 男女交際の禁止を掲げている学校は数多くは無いけれど、当校以外にも存在する。俳優の卵やタレント志願者の多い名門校、また女子校にも多いと聞く。
 彼らの将来性を見据えてなのか、それとも名門校としての名を恥ずべきものにしない為なのか。どちらにしても、風紀を乱さない為に男女交際を禁止項目としている場合が多い。

 実はこの高校は、私の母校でもある。
 教師を志した頃から、この母校で教鞭を振るうのが夢だった。
 まあ養護教諭なので、教鞭を執る機会があるのかどうかは別として。

 私が学生だった頃から、この校則は定められていた。
 内密に交際していた学生もいたようだけど、それはあくまでも他人の話で、私自身は校則を破る気はなかった。そんな度胸も無かった。
 危ない橋は渡らないに限る。
 それは大人になった今でも、一貫として変わらない。



 夕食を取ろうと学生寮にお邪魔した訳だけど、あまり空腹を感じない。部屋に戻ろうかな、そう考え直し、乱れてしまった髪型を一度直そうと手を伸ばした。
 後ろで縛っていたゴムを手に引っ掛けて外す。さらりと落ちた髪を再度まとめようとした時、背後から声が掛かった。

「あ、葉月ちゃんだ」

 親しまれた愛称で呼ばれて顔を上げる。
 寮住まいの女生徒達が、私の姿を見つけて周りに集まってきた。

「みんな、これからご飯?」
「うん。あっ、髪おろしてる。かわいー!」
「あはは。ありがと」
「やっぱり雰囲気変わるね」
「そう? もう切ろうかと思ってるんだけどね」
「え、もったいないよ。似合うのにー」

 一気に、場が和やかな雰囲気に満ちる。
 女の子らしい会話を交わしていくうちに、沈みかけていた気分も少しずつ浮上する。

 1人で部屋に篭っていると、昨日の出来事ばかりが頭を過り、心が折れそうになる。
 人気の多い学生寮に来れば気分も紛れるかと思ったけど、やっぱり来て正解だったかな。
 生徒はやっぱり可愛いし、彼らの無邪気な笑顔を見ていると安心する。

 この笑顔を翳らせてはいけない。
 その為に私達教師が規則を守ることは、当然の事だと思った。

 まだ若い彼らに恋愛も交際も規制させるなんて、やっぱり可哀想だと思う気持ちも正直ある。
 けれど彼らも、そういう規律がある事を前提でこの高校に入学してきたのだから、それに関してとやかく言う資格がないのは理解している筈だ。
 それに、まあ。
 古臭い表現であまり好きではないけれど、学生の本分は学業だし。



 彼女達が去った後、どうしようかとひとり考えを巡らせる。ここで夕食をご馳走になってもいいけれど、依然として空腹感はない。
 腕を動かすのも億劫になって、結局髪はそのまま解いたまま放置した。

「髪、いつ切ろうかな……」

 指先に髪をくるくる巻きつけながら考え込んでいた時。
 こつん、とテーブルにコーヒーカップが置かれた。

「ここ、大丈夫ですか」
「ああ、はい。大――……」

 大丈夫です、と。
 そう答えようとして、後が続かなかった。

 どくん、と心臓が大きく波打った。
 血の気も一気に引いていく。
 手先が急激に冷える感覚まで襲ってきて、背中に変な汗が流れたのを感じた。

 同席を求めてきた彼の姿に、言葉が詰まって何も言えない。ただ凝視する事しか出来ない。
 そんな私の様子など意にも介さず、彼はにこやかに微笑んだ。そのまま向かい側の椅子を引いて座る。結果的に、彼と向かい合う形になってしまった。

「………は、やせ、先生……なんで。自宅に帰ったんじゃ……」

 彼は寮住まいじゃない。
 ここに来る事なんて、そうそうない筈なのに。

mae表紙tugi

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