いらない


 細い通りを抜け、大通りへと足を向ける。少し蒸し暑さの残る空気は、肌にじめじめとした汗を滲ませ、不快感をもたらす。
 友永先生からの理不尽な扱いに加え、体のダルさも相まって、度重なる苛立ちが募りに募っていた。

 雨が降る前に寮に戻りたいと思いながら、歩道橋へと進む。ちょうど真上に差し掛かった頃、背後から誰かが駆けてくる音が聞こえた。

「───葉月先生!」

 聞き覚えのある声だった。
 同時に、聞きたくない主の声でもあったけれど。
 歩みを止めて振り返れば、そこには予想通りの人物が息を切らしながら立っていた。

「こ、んにちは」
「……何のご用ですか」

 挨拶にも答えず、冷めた視線を彼に向ける。
 私の憮然とした態度に気付く様子もなく、早瀬先生は肩で息をしながら、目を細めて私と向かい合った。
 あまり感情を表に出さない彼にしては珍しく、焦ったような顔つきをしている。私の姿を見つけて、慌ててここまで走ってきたという感じだろうか。来なくていいのに。

「用というか、偶然姿を見つけたので」
「どうしてここに」
「あ……友人宅の帰りで」
「また友人ですか。ご友人たくさんいるんですね」
「……え」

 皮肉めいた言い草に、さすがに彼も異変を感じ取ったようだった。

「あの……どうかしましたか?」
「別に。じゃあ帰りますので」
「え、あの」

 これ以上、この人と話す必要はないと判断して踵を返す。
 けれど相手も怯まなかった。
 「あの」と控えめな声で私を制止に掛かる。
 今度は何だと振り向いた瞬間、冷たい水の滴が頬を弾いた。
 思わず空を見上げる。

「……うわ、最悪……」

 暗雲立ち込める空からは、遂に雨が降り注ぎ始めた。まだ小降り程度だけど、いつ本格的に降り始めてもおかしくない。
 雨が降る前に帰ろうと思っていたのに、この様子じゃ、結局濡れたまま寮へ戻る羽目になりそうだ。
 この人に引き止められていなければ、今頃タクシーを拾って岐路につけていたのかもしれないのに。本当についてない。迷惑この上なかった。

 たとえこの人に声をかけられなかったとしても、すぐにタクシーを拾える可能性も、すぐに帰ることが出来た可能性だって絶対じゃない。
 ただ、この苛立ちを何かにぶつけたかっただけ。誰かのせいにしたくて、仕方なかっただけ。私のやってることは、完全に八つ当たりだ。
 けれど今の私に、自身の愚かさを省みる余裕なんて全くなくて、そればかりか、あらゆる要素を全て何かに、誰かに押し付けたかった。

 そしてその『何か』に適した人物が、今、私の目の前にいる。

「まだ私に用があるんですか? もう帰りたいんですけど」

 そう告げれば、彷徨うような視線を向けられる。一体何に躊躇しているのか知らないけど、人を引き留めておいて何も話しだそうとしない彼の様子に、更に苛立ちが募っていく。
 にわか雨が降り出したお陰か、空気が急激に冷え込んできたし、吹きつける風もひやりと冷たい。これ以上、雨風に晒されるのは勘弁したいところ。
 もう無視して帰ろうかと思った矢先、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ彼が慌てたように何かを取り出した。
 手のひらに収まるぐらいの平らな箱。シンプルな包装紙でラッピングされ、その上部分に小さなリボンがついている。
 彼は黙ったまま、私に差し出してきた。

「……なんですか?」
「……今日」
「?」
「誕生日ですよね」
「……あー」

 忘れてた。

「だから、これ」
「………」
「来週渡そうと思ってたけど、今会えたから」
「………」
「そんなに高価なものじゃない、けど」
「………」
「先日のお詫びもかねて……」

 私を見やる彼の表情は、少し気まずそうで。
 つまりこの贈り物は、私への誕生日プレゼントという事なんだろう。
 けれど、込み上げてくるのは嬉しさなんかじゃなく、相手に対する不快感と嫌悪感ばかり。ぽつり、ぽつりと降り注ぐ雨に濡れて、ラッピングに雫の模様がついていく。

「……それで?」
「……え?」
「とりあえず何かあげれば機嫌良くなるだろ、って?」

 私の言葉に、彼は言葉を失っていた。
 その発言を否定しようと首を振る。

「違います。俺は、」
「こんな物で釣って、懐柔しようとしてるんですか? それで、貴方がした事を私が全部許すと思ってるんですか? 人のこと馬鹿にするのも大概にしてください」
「話、聞いてください」
「聞きません。下手な言い訳なんて聞いたところで、時間の無駄ですから」
「待ってください、それは」
「だから聞かないって言ってるでしょ!?」

 堪らず声を張り上げてしまった。
 思いのほか大きな声が出てしまった。
 早瀬先生も、驚きで目を見開いている。

 ずっとずっと耐えていた我慢の糸が、とうとう限界を超えてぷつりと切れた。理性の箍が外れてしまった心は、醜い感情で染まっていく。
 目の前の男に、憎悪に近いものまで抱いた。

「……は、誕生日プレゼント?」

 口の端が上がる。
 私宛てに用意されたその箱を一瞥した。

「───いらないわよ、こんなものっ!!」

 思いきり彼の手を振り払う。パンッ、と乾いた音と同時に、彼の手の中にあった小さな箱が宙を舞った。
 私の手によって吹き飛ばされたそれは、歩道橋の手すりを超えて、真下の車道へとまっ逆さまに落ちていった。

mae表紙tugi

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