変われないから


 今は、の部分に俺は突っ込まなかった。
 香坂さんも特に言及する訳でもなく、もくもくとグラタンを食している。
 千春に至っては、普通だった。
 あえて無言を貫いているようにも見える。

 この2人は、あまり自分の事を話さない。
 千春とは高校以来の付き合いだけど、幼少時の事を一切話したがらない。幼い頃の家庭環境が最悪だったらしいというのは、千春の古い友人から聞いた話だ。
 その最悪の内容までは知らない。
 俺も追及しなかった。
 千春が頑なに過去を隠すのは、単純に話したくない、知られたくないからだろう。
 だから聞かない。
 そこまで無粋な人間にもなりたくなかった。

 香坂さんは、千春の過去を知っているようだった。おそらく千春が彼女に話したんだろう。
 誰にも明かさなかった暗い過去を、元教え子でもある香坂さんにだけに明かしたのは、ただ好意を寄せていたからという理由だけじゃなくて、何か、香坂さんの事情に通じるものがあったのかもしれない。
 彼女自身も、どこか後ろめたい事情を持っているように見えたから。

 香坂さんは千春のことを、憧れの教師以上に慕っている。
 その理由もおそらく、香坂さんの後ろめたい事情の背景に、千春が関わっているんじゃないかと俺は思ってる。
 千春は困っている人を絶対に見捨てない。
 その正義感が、香坂さんを救ったんじゃないかと。

「ちなみに香坂さん、誕生日いつ?」
「わたし、4月です」
「じゃあ千春と一緒だ」
「はい!」

 たったそれだけの事で、こんなにも嬉しそうに笑う。本当に千春のことが好きなんだと一目でわかる。

「何か貰った?」
「とっても素敵なプレゼントを頂きました」
「参考までに、何貰ったの?」
「この子です!」

 そう言って香坂さんはそれに抱きついた。

「世界のスーパーミラクルアイドル、にゃん汰先生です!」
「………」

 思わず黙ってしまったのには訳がある。
 2人掛けソファーの横に置いてあるのは、やたらと大きいぬいぐるみ。想定で1メートルはありそうなその置物は、ふっくらとした丸みを帯びたフォルムにふわふわの毛並みで覆われた、見た目はそこそこ愛らしい姿形をしている。規格外の大きさのせいで、圧迫感は半端ないけれど。

 久々に千春のマンションに遊びに来た時、これを見て何事かと思った。
 少女趣味に走ったのかと思いきや、千春がこの子にあげたものだったらしい。
 全国的にも有名なアニメキャラクターなのは知っていたけれど、アニメなんて見ないから詳しいことは知らない。

 ぬいぐるみに、ぎゅうぎゅうと抱きついている香坂さんを見て、次に千春に視線を移す。
 香坂さん……いや、ぬいぐるみに向けるその視線が、若干冷ややかに見えたのは気のせいだろうか。

「……あれで参考になる?」

 乾いた笑みを浮かべながら千春が言う。

「……あまりならない、かも」
「だよねー」

 あっさりと認めた。
 香坂さんは相当お気に入りみたいだけど、千春はあのキャラクターがあまり好きじゃないように見える。じゃあなんでアレを、あの子の誕生日にあげたのかという疑問が残るけど。
 そんな俺の心の声を敏感に察知した千春が、箸を置いて主張した。

「まあ、相手が一番喜ぶものをあげるのがベストだよね」

 答えになっているのかなっていないのか、イマイチわからない返答を下される。
 ぬいぐるみにハグしてた香坂さんも気が済んだのか、テーブルに戻ってきて再びスプーンを手に取った。

「……千春くんの台詞じゃないけど、相手の方が貰って嬉しいものがあれば、それをあげてみるのが一番かもしれません」
「……うん」

 2人が言いたいことはわかる。
 けど、俺が何をあげても、あの人は受け取らない気がする。
 嫌われている、という点もそうだけど、個人的に渡された男からの贈り物を、あの人が素直に受け取るとは思えないから。
 けど最悪、受け取ってもらえなくてもいい。
 突き返されてもいいから、ちゃんと話をしたかった。



 数日前に地下鉄のホームで会って以来、彼女から話しかけられることがなくなった。
 校舎内では顔を見合わせれば挨拶もするし、必要であれば仕事の話も勿論する。でも、それ以上の事は何も話さない。今までのように、他愛ない会話で盛り上がることもない。
 俺に対しての嫌悪感を露骨に表に出したりはしないが、その瞳からは侮蔑の色がありありと滲み出ている。あの目を向けられながら話をするのは、さすがに辛い。想いを寄せている人だから、余計に。
 加えて、彼女の右手に巻かれた包帯を見る度に胸が痛んで、話しかける事すら躊躇してしまう有様だった。
 でも、いつまでも逃げてばかりじゃ、俺は変われないから。

「好きな人からなら、何貰っても嬉しいですけどね」

 不意にそんな、惚けとも呼べる言葉が届く。
 照れくさそうに笑う香坂さんの姿に、つい笑みが零れた。

「キーホルダーでも?」
「空き缶のプルタブでも嬉しいです」
「……それ、ゴミだよね」
「う」

 俺の突っ込みに一瞬言葉を詰まらせて、コホンと仕切り直しをするかのように咳払いをする。

「でも、本当ですよ。高価な花束より、道端に咲いてるタンポポの方が私は嬉しいです」
「結局は、何かあげたいっていう気持ちなんだろうね」
「うんうん」

 形あるものを誰かに贈る。
 そこに込められているのは、喜んでもらいたいという気持ち。
 言葉以外にも、コミュニケーションのツールはたくさんある。それはプレゼントだったり、音だったり、様々だ。

 それまで黙って俺と香坂さんの会話を聞いていた千春が、そこで突然立ち上がった。
 ……何だ?

「今からタンポポ摘みに行ってくる」
「まってまってまって、ちはるくん待って」

 わりと本気モード全開で玄関先へ向かおうとしている千春に、香坂さんが慌ててしがみつく。がっしりと足に腕を巻きつけて、ズルズルと床に這いつくばってヤツの進行を止めようと必死だ。
 まるでコントのような光景を見届けながら、俺もスプーンに手を伸ばした、その時。

「……けほっ」

 急に乾いた咳が出た。

 喉に、妙な違和感を感じる。
 またいつもの咳喘息かと思い、そこで吸入薬が切れていたことに気付いた。
 週末って、病院やってたかな。

「優さん、風邪?」
「あ、ううん。ちょっとむせただけ」

 心配そうに眉を寄せる香坂さんに、何でもないよと手を振った。







 それが、喘息の大発作を起こす前兆だったことに気付くこともなく。

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