好きです



「───あなたの事が好きです」

 突如落とされたその告白を、ちゃんと耳は律儀に拾っていた。

 夕闇で赤く染まる廊下。
 ゆっくりと歩いていた彼の、その数歩先を歩いていた自分。
 歩みを止めて振り返れば、至極、真面目な顔をした彼がいた。
 窓の隙間から流れ込む風が、彼の前髪を静かに揺らす。覗く視線は逸れることなく、真っ直ぐに私を捉えていた。
 逃げることも拒むことも許さない。
 そう言っているかのような。

「俺と付き合ってもらえませんか」

 次に続いた告白に、途端に胸がざわめき始める。
 けれどそれは甘い高鳴りなんかではなく、不快感を伴うものだった。

 体が強張る。
 頭の奥で警鐘が鳴り続ける。
 彼の言葉を聞いてはいけないと思った。

 ───はぐらかしてしまおうか。

 その言葉の意味を知る前に。
 その重さを、思い知らされる前に。

「……あはは。早瀬先生、冗談にしては笑えないですよー」

 ぎこちない笑顔で答えて、振り切るように背を向ける。前を向く直前に見えた彼の表情に、罪悪感にも似た感情が押し寄せてきた。
 切なそうに歪むその顔を直視できない。彼の告白が嘘でも冗談でもないことが、その表情から読み取れたからだ。
 でも、卑怯でズルい自分はそれに答えることができない。応える気もなかった。

 ───男女交際の禁止。

 それが、この高校における絶対の鉄則なのだから。

「……急ぎましょう。職員会議に遅れます」
「待ってください」

 一方的に話を遮断して歩き出そうとした時、思いのほか強く、腕を引かれた。
 そのお陰で足が止まり、身動きが取れなくなる。加減はしているだろうけど、彼に掴まれた腕が痛い。
 離してくれる気配も感じなくて、仕方なく振り返る。もう一度彼と向き直った。

「……あの。腕、離してください」
「嫌です。離したら葉月先生、逃げるじゃないですか」
「逃げませんよ」
「なら、校則を盾にしてごまかそうとしないでください」
「………」

 図星をつかれて、思わず押し黙る。
 咄嗟に言い返そうとした言い訳も、結局言葉にならず喉の奥に飲まれていく。
 ここで何も言えなかったのは、彼の言う事が正しかったからだ。
 こうして自分の想いを告げて、私と向き合おうとしている人に対して、校則を盾にして返答を濁すのは失礼な事。
 なら私は、それに応えなければならない。
 たとえそれが、彼を傷つける結果になったとしても。

「早瀬先生のお気持ちは、嬉しく思います」
「………」
「ですが、私はこの高校の養護教諭です。当校の教員である以上、校則には従います」
「………」
「あなたの気持ちには応えられません」

 そう、拒否の言葉を紡いだけれど。

「……テンプレみたいな模範解答ですね」
「え……」

 皮肉めいた口調に、体が強張る。

「俺は教師としての答えなんて聞いてません」
「……それは」
「貴女自身がどう思ってるか知りたいんです」
「………」

 再び言葉を詰まらせてしまう。



 ……できることならば彼を傷つけたくはない。傷つける事はしたくない。
 何故なら彼は、同じ職場で働く仲間だから。
 そして、ひとつ下の後輩でもあるから。
 誰だって、職場環境における人間関係は良好を保っておきたいものだ。社内恋愛ほど面倒なことはない。避けて通りたい道であることに違いはない。
 それに私だって、今まで築き上げてきた教師としてのプライドがある。ひとつの選択の過ちが、人生を台無しにしてしまう事だってあるんだ。こんなところで、全てを失う訳にはいかなかった。

 そんな思いに駆られて教師としての返答を告げてしまったけれど、彼は私の考えなど、いとも簡単に見抜いてしまった。校則を盾にするな、と。
 私自身の答えを口にしない限り、彼の視線も腕を掴む力も、緩むことはない。

「……私は」

 少しばかりの躊躇の後。

「……貴方の事を、異性としては見れません」
「そう、ですか」
「……すみません」

 渦巻く罪悪感に苛まれながら、拒否と謝罪の言葉を紡ぐ。彼の目を見て返事をするだけの勇気はなくて、つい顔を逸らしてしまった。
 沈黙が続いた後、ゆっくりと腕を解放される。彼に握られていた部分だけが、じんわりと熱を持っていた。

 顔色を窺うようにそっと見上げてみれば、視線の先にいた彼は、普段と何も変わらない態度を貫いている。穏やかな笑みを浮かべたまま、私を見つめていた彼の様子に安堵した。

 納得してくれた。
 諦めてくれたんだと、そう解釈した時。

「なら、今から俺のこと、恋愛対象として意識してください」

 ……予想斜め上の返事を返されて、目を見開く。

mae表紙tugi

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