どうでもいい ・・・ 「……何してるんですか、早瀬先生」 帰り支度を整えていた最中、目に入ったもの。 斜め向かいの席、黒いプラスチック製のごみ箱をドン、と机の上に置いて、がさごそと中身を漁っている後輩の姿があった。 酷く思い詰めた表情で、ごみと格闘している。しまいには箱を逆さまにして、そこら辺に中身をぶちまけた。 ……何してんだコイツ。 「……友永先生」 「はい」 「飴、好きですか」 ……似たような問いかけを受けたな、さっきも。 「嫌いではないです」 「何味でもいけますか」 「変な味のものは無理ですよ」 「備長炭味なんですが」 「無理です」 なんだそれ。炭って。 「そんな味あるんですか?」 「あります。弟がよく買ってくるので」 「弟さんいるんですか」 「はい。2つ下の」 「弟さんも教職員ですか?」 「いえ、刑事です」 「刑事!?」 驚いた。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったから。 「もしかして警視庁ですか」 「一応」 「へえ……いや、驚きました」 弟が警視庁に勤めているって、なかなか凄いことなんじゃないだろうか。 驚きを隠せないでいる俺の向かい側で、相変わらずゴミと格闘を続けている早瀬先生の動きが、その途端、ぴたりと止まった。 「……あった」 ゴミの山から取り出したのは、あめ玉がたくさん詰まった小さな袋。透明なビニールでひとつずつ包装されたソレは、真っ黒に染まっていた。 ……不味そうだな。 「あー……よかった」 「そんなに大事なものなんですか」 「間違って捨てたなんて知れたら殺されます」 「え、弟さんに?」 「いえ、幼馴染みに」 弟カンケーねえのかよ。 早瀬は今年の春、音楽教諭としてこの高校に赴任してきた。 2つ下の後輩にあたるが、俺はわりとコイツが気に入ってる。向こうが俺をどう思っているかは知らないけど。 早瀬は基本的に、自ら喋る事がない。 だから周りの人間からは、大人しく消極的な男だと思われているだろう。 けどこれは周りに合わせて作っているだけで、本来はかなり癖の強い奴だ。教員同士の飲み会で話す度に思うが、本来の性格はかなりマイペースで天然な奴。素でボケる事が多い。個人的に付き合ったら、かなり面白い奴なんだろうなとは思ってる。あと、意外だが音楽の趣味が合う。 そしてもうひとつ、早瀬を特別視している理由がひとつある。 「あれ? 珍しい組み合わせですね」 あの後、自分の持ち場へと戻った葉月先生が職員室に入ってくる。白衣を着ていないという事は、彼女も寮へと帰るのだろう。 「そうですか? わりと話しますよ」 葉月先生と一緒に話をしていても、早瀬はその会話に混じってこない。散乱したゴミを片した後、さっさと帰り支度を整えて職員室から出ようとする。 「じゃあ、お先に失礼します」 「あ、お疲れ様ですー」 「お疲れ様です」 軽く頭を下げて出て行った早瀬の背中を見ながら、葉月先生が問いかけてくる。 「彼、急ぎの用事ですかね?」 「幼馴染に殺されるそうです」 「なんですかそれ」 「さあ」 彼女はふうん、とそっけない返事しかしなかった。 そっけないと言えば早瀬の態度もそうだが、あれがアイツの通常運転だし、表情自体は無愛想ではないから、さほど嫌な感じはしない。 けどそれ以前に、早瀬はどこか葉月先生を苦手としている節があった。 彼女と一緒にいる時の早瀬は、普段の穏やかな雰囲気が一変して冷めた空気に変わる。表情も強張って、彼女とあまり視線を合わせようとしない。 逆に葉月先生が居なくなれば、余分な力が肩から抜けて、表情も和らいでいる。 勿論、それを顔や態度に露骨に出すことはしないが、影の落ちた目を見ればわかる。 目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。早瀬にとっては、生理的に受け付けられないタイプの女なんだろう。 周りはそんな早瀬の態度に気付いていない。葉月先生自身も気付いていないかもしれない。 彼女は基本明るく社交的な性格で、大人しい早瀬とは対極にいるような人だ。その上見た目も良いから、存在感もある。 タイプが全く違う葉月先生のことを、早瀬が苦手とするのも何となくわかる気がした。 だから。 だから、早瀬が葉月先生を好きになる事は無いだろうと、どこかで安心していた。 他のボンクラ野郎達のように、彼女に入れ込むことは、コイツに限ってないだろうと。 そう思ってた俺の勝手な願いは、それから程なくして、砕かれることになる。 ・・・ 「……んっ…、や、ぁ……」 唇を離した瞬間、鼻にかかった甘い吐息が彼女から漏れた。 月明かりの下に晒された白い肌が、薄暗い室内に映える。熱を帯びた身体はすっかり汗ばんでいて、濡れた唇は男を誘ってるかのように煽情的で。 「……も、やだぁ……」 涙で濡れた瞳が懇願する。 それが余計に加虐心を煽ることも知らずに。 口では何とでも拒否の言葉を言えるけれど、身体はしっかりと違う反応を示していた。 彼女の中に欲望を吐き出して、それだけでは飽き足らず、何度も抱き寄せては貪り尽くす。抵抗すらも出来ない程に蕩かされた身体は素直に俺を受け入れて、甘い嬌声が狭い空間に響き始めた。 彼女と一番親しいのは自分だと思ってた。 彼女の心に踏み込めるのも、唯一自分だけだと思ってた。 彼女の事を一番理解しているのは、誰よりも何よりも、自分だけだと。 全部、精神的な話だ。 本当は心のどこかで、予感めいたものを感じていたのかもしれない。いつかこの均衡が、必ず崩れることを。 こんな、まるで綱渡りのような危うい信頼関係なんて、いつどんなキッカケで壊れてしまってもおかしくない。 今でこそ恋愛はしないと決めている彼女だって、いずれは恋人ができる。彼女にとっての一番はそいつになって、俺じゃなくなる。当然だ。当然だけど、それを認めるわけにはいかなかった。 あの人にとって一番は自分だと、どうして何の疑問も無くそう思えたのか。何の根拠も無いくせに、たかだが10年前から彼女を知っているというだけで、躊躇いも無くそう思い込んでいた。同じ母校で再び出会えた事に、何か意味があるんじゃないかって勝手に想像してた。 今まで彼女に真実を打ち明けなかったのは、いつか俺の事を思い出してくれるんじゃないかと期待してたからだ。思い出してくれたら、あの人の中で俺という存在が、ただの同僚以上に変わるんじゃないかと願っていたんだ。 けれど、彼女が10年前の事を思い出すことは無かった。 あの人にとって所詮、過去の思い出なんてその程度。俺と関わったことも、ありふれた日常の、すぐに忘れてしまえるような一コマでしかなかったんだ。 赴任先が偶然一緒になっただけで、出会ったことに意味なんてなかった。 好意を寄せるはずが無いと思っていた早瀬が、いつの間にか彼女に惹かれていた。 均衡が崩れるキッカケがあったとしたら、こんな様々な要因が重なってしまった事が原因かもしれない。 でも───もう、いい。 もう、どうでもいい。 過去を思い出さないなら、明かせばいい。 簡単に忘れられるくらいなら、忘れられない程、俺で埋め尽くせばいい。 出会った事に意味が無いのなら、作ればいい。 危うい関係なら、もう壊してしまえばいい。 壊して、傷付けて、もう俺の事しか考えられなくなってしまえばいい。 彼女にとって一番の拠り所は───俺だ。 " 愛と憎しみは紙一重 " 昔からよく耳にする言葉。 こういう事なのかもしれないと、自嘲気味な笑みが漏れた。 離れたら縛り付けるように傷付ける。 彼女に対する執着心を自覚しながらも止められない。 愚かだとわかっていても、繰り返さなければ俺という存在が忘れられてしまいそうで怖かった。 トップページ |