嫌われてしまえばいい


(友永side)




 ───10年後にあの人と再会できるなんて思ってもいなかった。それが正直な感想。

 けれど舞い上がった気持ちは、すぐに地の底へ落ちることになる。相手が何も覚えていなかったからだ。
 とはいえ、もう10年前の話だ。
 落ち込んでいないといえば嘘になるけど、忘れられても仕方ないと思っていた。当時は別に親しいと呼べるような仲でもなかったから。
 更に彼女は今も昔も変わらず人気者で、近づこうにも近づけない女の子だった。本人は全く気付いていないだろうけど。
 そして男女交際禁止という校則を律儀に守っていた10年前の自分は、秘めた想いを打ち明ける事も出来ないまま、高校を卒業してしまった。
 たとえ打ち明けたとしても、何度か話をした程度でしかない俺達が付き合える可能性なんて、ほぼ皆無だったけれど。
 本当に、一方的な俺の片想いだった。

 ただこれは、高校の頃の話だ。

 大学に行けば普通に彼女は出来たし、社会人になっても恋人がいた時期はあった。10年前の初恋をいつまでも引きずっている訳じゃない。
 たとえ10年後に再会したからといって、別に何かが変わる訳でもなく、変えるつもりもない。

 好きだったのはあくまでも、昔の話。
 これからは同じ道を志す教職員として、彼女と接すればいいだけだ、と。

 そう思ってた。



・・・



「……葉月先生ってお付き合いしてる方とかいるんですかねー」

 同僚でもある三田村先生の、そのか弱い囁きが聞こえてきたのは、日も暮れてきた夕方のこと。
 コーヒードリッパーに湯を注ぎながら、独り言とも思えるその呟きに淡々と答える。

「その手の話は本人から聞いたことがないですね」

 多分この人は、俺が葉月先生と仲がいいのを見て、わざわざ俺の隣にまで来てそうぼやいたのだろう。嫉妬とか妬みではなく、単なる探り。

「うーん……そうか」
「気になるんですか?」
「いやそんな、変な意味じゃないですよ。ただそう思っただけで」
「まあ、あの人に好意を寄せている方はたくさんいそうですよね」
「ですよねー……」

 はあ、と隣から溜め息が聞こえた。
 重い沈黙が落ちる。
 ……めっちゃ気にしてんじゃんか。

「さりげなくアピールしてみては?」
「え」
「個人的に仲良くなりたいと、伝えてみてはどうですか? 連絡先を書いたメモを渡してみるとか」
「え、えー……あからさま過ぎないですかね」
「直接口で伝えるよりは簡単かと思いますけど。ちなみにこれ、俺が大学生の時に付き合ってた彼女にやった方法です」
「それで交際に発展したんですか?」
「メールのやり取りを半年くらい続けた後に」
「メールか……」
「まあ、頑張って」

 ぽん、と肩を軽く叩いてその場を後にする。
 最後に盗み見た三田村先生は、何やら考え込んでいる様子だった。

 気の弱そうな人だから、「直接伝えるよりはメールで」と助言をしておいた。成功談も添えて、より確実性の高い話に変えてみた。
 実際、当時の彼女とは、そんなメールのやり取りなんてしていない。作り話だ。

 俺の助言を彼が実践してくれるかどうかはわからないけど、あの様子なら、恐らく日を置いてから葉月先生に近づこうとするだろう。
 彼には頑張ってもらわなければならない。
 頑張って口説いて───そして、盛大に彼女から嫌われてしまえばいい。







 10年後に再会した彼女は、少し雰囲気が変わっていた。

 社交的で明るい人柄は変わらず。
 ただどことなく、人と壁を作ってる風に見える。
 特に異性に対しては、その傾向が顕著だ。

 あの人は、自分に好意を寄せる男を何故か嫌う。
 意識的に遠ざけようとする気持ちはわからなくはないが、何も嫌うことはないだろうに。
 けど、俺にとっては好都合だった。
 10年後に再び再熱してしまった想いを自覚しても、彼女にそれを告げようとは思わなかった。
 言ったら最後、徹底的に避けられるだろう事は目に見えている。周りの連中と同じ風に扱われるのは不愉快だ。

 別に言う必要は無い。
 交際を望んでいるわけじゃない。
 ただ彼女にとって俺が一番近い男で、一番親しい仲で、一番敬愛している存在。
 この立ち位置だけは、誰にも譲る気はなかった。



・・・



「……葉月先生、どうされました?」

 自分の机に戻れば、そこに居たのは見慣れた背中。声を掛ければ、彼女は何やら困り果てた様子で俺の方を振り向いた。
 養護教諭という立場上、保健室に篭っている事が多い彼女が職員室にいる。会議がある訳でもないのに、放課後に此処へ来るのは珍しい。

「……友永先生」
「はい」
「クッキー食べれますか?」
「……はい?」

 何ともおかしな質問だ。好きかどうかを問われるのならばともかく、食べれるか、など。
 何事かと彼女の手元に視線を落とせば、そこには愛らしいラッピングで包装された菓子袋がいくつか抱えられている。焼きたての香ばしい匂いが仄かに漂っていた。

「2年生の子達から貰ったんですが」
「大量ですね」
「家庭科の授業で作ったそうです」
「クッキーを?」
「マフィンもあります」
「へえ、すごいな」
「こんなに沢山どうしようかと」
「クッキーは日持ちするし、何も今日全て頂かなくてもいいのでは?」
「それは、そうなんですが、その」

 気まずそうな表情を浮かべながら、彼女の視線は包みに落ちる。僅かに開いている中身からは、こんがりと焼き上がった菓子達が詰まっていた。
 所々に見える焦げ茶の物体は、チョコだろうか。

「チョコクッキーですか」
「はい……それで困ってて」
「そういえば苦手でしたね、チョコ」

 確か10年前も、そんな事を言っていた。

「友永先生は、甘いもの平気ですか?」
「平気ですけど、それは元々、生徒達が葉月先生へあげたものですから。俺が貰うわけには」
「ですよね……どうしましょう」
「今ここに残っている教員に配るのは……やっぱり失礼になるか」
「え……」

 随分と意地の悪い提案をしてしまった。
 そう伝えれば彼女が嫌がるだろうとわかっていながらの、この発言だ。

 職員室内を見渡せば、今この場に残っている人のほとんどが、男性教員ばかり。
 案の定、葉月先生の表情は僅かながら嫌悪感が滲んでいた。
 けど、これは俺や、俺の提案に向けたものじゃない。異性である男性教員に差し入れする事に対して、酷く抵抗感があるのだろう。
 10年も会わないうちに、随分とあざとい性格になったものだと、ある意味感心する。

 まだ高校生だった頃の彼女は、恋愛事に興味を抱いていたわりには、色恋に関しては相当鈍かった。あれでは自分が当時モテていた事も、全く気づいていなかっただろう。
 けれど10年後、今目の前にいる女性は、自分が人から好まれる性格だという事を少なからず理解しているようだった。

 生徒からのお裾分けとはいえ、女性から差し入れを貰って嬉しくない男はいない。
 だから抵抗があるのだろう。
 興味もない男から下手に好意を持たれても、彼女にとっては面倒だからだ。

「葉月先生、教員寮を借りてますよね?」
「? はい」
「でしたら、女性教員の方にお裾分けされたらどうですか?」
「……あ、そっか、そうですね! そうします」

 パッと明るい表情に変わる。
 同性には抵抗がないようだ。

「あ、でも俺にも内緒で少しください」
「ふふ、いいですよ」

 朗らかに笑う。
 他の男相手にやらないだろう事をわざと要求して、周りの奴らと線引きをするあたり、自分も相当ズルい性格だとは思う。

 彼女と話をしている時に感じる、周りの視線。
 羨望の眼差しを他の奴らから受けるのは気分がよかった。
 この人から一番信頼を得ているのは、一番近い距離にいるのは自分だと、そう実感できたから。

 所詮彼女にとって、俺はそれ以上でも以下でもない、ただそれだけの存在だと、この時はまだ気付いていなかったけれど。

mae表紙tugi

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