大事だった 心は嫌でも、身体は彼を拒んでいなかった。 その事実が、私を深く失望させる。 受け入れ難い現実に打ちのめされている間も、彼の手先は悪戯に私の身体を弄んでいた。 滲み出る蜜を指先で掬い取って、茂みに隠された蕾に塗りつけられる。 身体の震えが止まらない。 自然と内股に力が入ってしまう。 「───っん、ふ……っ」 力みすぎている私の様子に気付いたのか、身を屈めてきた彼の唇が私のものと重なった。今まで私の中に入ることはなかった彼の舌が、今度こそ口内に割り込んでくる。 歯列も舌も上顎も、余すことなく弄ばれる。耐えきれず溢れだした唾液が、唇の端から零れ落ちた。 ねっとりとした口付けはまるで恋人に施すそれと変わらない甘やかさを纏っていて、徐々に力が抜けていく。 その間も指先は変わらず愛撫を続けていて、円を描くように撫でる動きに腰が揺れた。 「っ、ぁ……」 離れた唇同士の間に銀糸が伝う。 目が合って、彼の手が下着から抜けていく。 そのまま膝裏へと伸ばされた腕が、ぐいと私の身体を持ち上げた。 「っえ」 「ベッド行くぞ」 軽々と私を抱き上げて、友永先生の足が背後にあるベッドを振り返る。彼を拒絶する気力さえ残っていない私の体は、あっけなく毛布の敷かれた場所へと放り投げられた。 ベッドが揺れて、彼もそのまま乗り上げてくる。両手首を掴まれて、成す術も無く組み敷かれた私の体は、自分でも驚くほど大人しかった。 全力で拒みたい気持ちなんてもう残っていない。諦めの境地に入っているのかもしれない。 「……なんで」 それでも、問わずにはいられなかった。 「なんで、こんなこと」 彼のやってる事はもう滅茶苦茶だ。 交際を望んでいる訳でもなく、体だけを求めている訳でもなく、なのに、どうしてこんなにも私に執着しているのかわからない。 特別な感情を抱いているのはわかるけど、それが恋愛と呼べるものなのか、それとも─── 嫌悪、なのだろうか。 「私……なにか、貴方に嫌われるようなこと、したんですか?」 月明かりの中、黒く冷えた眼差しと対峙する。 「だから、怒ってるんですか? こんな仕打ちをするのは私の事が嫌いだから、」 「別に」 途中で言葉を遮られ、彼の眉間に皺が寄る。 これ以上ないくらいの不機嫌さを露にし、私を見下ろしてくる。 「ただの、嫌がらせ」 冷えた声が落ちた。 「………いや……がらせ?」 告げられた一言に、一瞬気が遠くなる。 保健室で、強引なキスをされた。 押し倒されて、乱暴されそうになった。 何度も辱めの言葉を浴びせられた。 今、彼は自分の部屋で私を抱こうとしてる。 全部。ぜんぶ─── 私に対しての、嫌がらせ……。 「……ふざけないで」 さっきまで燻っていた熱は冷えて、冷静さを取り戻していた心が怒りで染まっていく。軽蔑の言葉が口から零れ落ちた。 何か理由があるのだと思ってた。 彼が何を考えて、私にこんな酷いことをするのか。それは多分、私に何か原因があるのだと、そう思ってた。 それがここ最近の話なのか、それとも10年前なのかはわからないけれど、私は、私の意識していないところで、きっと彼にとって酷く理不尽な事をしてしまったのだと。この人だって、保健室でそう発言していたから。 知らなくてはいけない事だと思った。 無視してはいけない事だとも思った。 知らなきゃ、謝る事だって出来ない。 話してくれれば、彼との関係だって修復できるかもしれない。 そう思ってたのに。 「私のこと、なんだと思ってるんですか」 怒りで声が震える。 悔しさで目頭が熱くなる。 泣き喚きたくなる衝動を、懸命に堪えた。 ただの嫌がらせだと、彼は言った。 そんな、そんな幼稚すぎる理由で、私は辱めを受けてたっていうの。 「……私は」 「………」 「貴方の言いなりになんか、絶対にならない」 「………」 「……私は、貴方が思ってるような、そんな」 彼は何も言わない。 睨み付けるように見上げて、声を張り上げた。 「媚びてなんかない! 男好きなんかじゃない! 貴方の勝手な都合で私を振り回さないで!」 「………」 「……迷惑です」 言い切って、息を吐く 頭が痛い。 怒りで血が上ってるせいかもしれない。 こめかみからガンガンと波打つ痛みに耐え切れず、目を瞑る。 その直後。 ───彼の手のひらが、私の唇を覆った。 「あんたは」 声を荒げてしまった私とは対照的に、降り注いだ声はとても静かだった。 私の上に跨がったまま、彼が口を開く。 喋ることを封じられた私は、ただ彼の言葉を聞くことしか出来ない。 「……あんたはいつも、『自分が』ばっかりだな」 落とされた一言は静かな怒りを湛えている。 不穏な空気を感じ取った胸が、ざわりと震えた。 「あの高校に赴任して、あんたに会って」 「……?」 「初めて好きになった子にまた再会できて、馬鹿みたいに浮かれてた俺の気持ちが、あんたにわかんの?」 どくんと、心臓が音を立てる。 「なのに、10年前の事も俺の事も、あんた全然覚えてないし」 「………」 「落胆した俺の気持ちとか……少しでも考えてくれたのかよ」 そう言われると何も言えない。 私だけ何も覚えていない事実に、申し訳なさを感じた気持ちは確かにあった。 だけど、もう10年前の話だ。それを今盛り返されても、私にはどうしようもない。思い出せと言われても、人の記憶なんてあやふやで限界があるのに無理な話だ。思い出せないものは思い出せないんだから仕方ない。 私が覚えていない事に腹を立てているのだとしても、それを理由に、彼の言う「嫌がらせ」を受ける筋合いなんてない筈だ。 この人は、私に交際を望んでいる訳じゃない。 恋人の地位を求めてるわけでもなく、体だけの関係を求めてるわけでもない。 性的支配なのか虐待なのか、その類の嫌がらせをしたいだけ─── そんな馬鹿げた話があるだろうか。 怒りを通り越して呆れてしまう。 「……もう、10年も前のことだ。忘れられても仕方ないって思ったよ」 そんな私の心情に応える様に告げられた言葉に、息を飲む。 彼の瞳の奥に潜むのは、私に対する失望だ。 蔑みにも似た負の感情が浮かんでいる。 「仕方ないって何度も思ったけど、そう簡単に割り切れなかった」 「………」 「俺の事なんか綺麗さっぱり忘れて、他の奴らに愛想振り撒いてるあんたを見て、その時俺がどう思ったかなんて知らないだろ」 重い溜息を漏らして、彼は瞳を閉じた。胸の奥から沸き起こる怒りを、懸命に堪えてるようにも見える。 恨み言を延々と聞かされてるような心境に陥って、私は身をすくめた。 彼に対して、少なからず罪悪感はある。 けど、だからって彼がこんな事をしてもいい理由にはならない。 それを反論したくても、私の口を塞ぐ手のひらがそれを許してくれない。 「あんたにとっては簡単に忘れられるくらい、どうでもいい過去だったんだろうけど」 「………」 「俺にとっては……大事だった」 その一言がどれほど重いものなのか、計り知れない。 ───不意に、保健室で彼と交わした何気ない会話が頭を過ぎった。 友永先生も同じ母校出身だなんて、私は今まで知らなかった。彼は一度も、その事を教えてくれなかった。 『教えてくださってもよかったのに』 だから私は、そう言った。 あの時。 あの時彼は、なんて答えたんだっけ……? 「っあ……!」 手を離した彼が、上着を脱ぎ捨てた。 乱雑にベッド下に放り投げて、今度は私の服に手を掛ける。 「あ、や、やだ待って!」 「うるせえよ。抱かれに来たんだろ。さっさと脚開けよ」 デニムの中に侵入してきた手が、無理やり引っ張って剥ぎ取ろうとする。必死に押さえようとしても、所詮男の力に女の私が敵う訳がなかった。 ひやりと冷たい空気に両足が晒される。咄嗟に閉じても、彼の手が両膝を掴んで無理やり暴かれてしまう。 かちゃりと金属音が響いて、それが何の音かを悟った私の身体が瞬時に強張った。 ベルトのバックルを外した彼が下も脱ぎ捨てて、私の両足の間に身を寄せてくる。 「……っ」 覚悟して、此処に来たつもりだった。 それが自分の意図しない形だったとしても。 だけど、彼が私を抱こうとしてる理由を聞かされた今、とてもじゃないけれど身を任せる気にはなれない。こんな最低な事をする人なんかに負けたくない。抱かれたくない。そう思うのに、体は彼の重みで動けない。 シーツの上に押さえ付けてくる手首が痛い。 乱れる心音と波打つ頭痛に顔をしかめる。 冷えた眼差しを直視できなくて、私は硬く瞳を閉じた。 「……人のこと散々振り回してんのはどっちだよ」 か細い呟きが耳に届く。 薄く瞳を開ければ、私の上に覆い被さったまま、友永先生は更に体重を掛けてきた。 抵抗らしい抵抗もろくに出来ないまま、私の身体は彼自身を受け入れようとする。 唯一動かせる首を懸命に振って拒否を示そうとしても、それがこの人の行為を止める手立てになりはしない。 「……これだけ溺れさせておいて」 「……あ…」 「こんなに夢中にさせておいて」 「……や……やめ、」 「自分は関係ない、覚えてないから知らない、迷惑だ……って、それで言い逃げしようなんて」 「……っ」 「俺が逃がすわけねえだろ」 絶対的な意思を持った言葉を放って、彼が私の中に入ってくる。 頭の中が絶望に染まる。 腹の奥から全身に広がっていく痛みと、僅かばかりの甘い快楽が、思考も理性も全部飲み込んでいく。 その後のことは、よく覚えていない。 ……どうして、こんな風になってしまったんだろう。 何がいけなかったんだろう。 私の何が、間違っていたんだろう。 私はただ、あの高校で。 あの場所で。 生徒達と触れ合う日々を、大切にしたかっただけなのに─── トップページ |