ふざけんなよ 電車から降りた後、私達の間に会話はなかった。 だけど手はずっと繋がれたままで、私は彼に引っ張られる形で彼の隣を歩いている。 ちらりと盗み見した友永先生は、黒ジャケットのポケットに片手を突っ込んだまま、相変わらず感情の見えない顔つきで、視線を地面に落としていた。 暗く影を落とした表情。 こんな顔をする人だとは思わなかった。 今朝まで見ていた彼は、誰の前でも朗らかに笑う人だったのだから。 その裏で何を考えていたかなんて、知りたくも無い。 彼の歩く速度に合わせて歩を進める。 道中もずっと、この状況から何とか逃げ出す方法がないかと模索していた。 コンビニに寄りたいと行って逃げる案も考えたけれど、すぐに無理だと判断した。 どうしたってこの人は、この繋がれた手を離してくれないだろうから。 ゆっくりとした歩調で辿っていけば、徐々に人気のない閑散とした道が開けていく。街灯も少なく、周囲は薄暗くて視界が悪い。こんな場所で襲われたら、きっとひとたまりも無い。急に不安に駆られた私の手を、彼がぎゅっと強く握ってきた。 今の私の心情を悟ったのか、それとも私が逃げないように強く握りこんだのかはわからないけれど、もし前者だったとしても何の慰めにもならないなと思った。 私がこの後、彼にされるであろう事を考えたら、尚更だ。 彼に連れてこられたのは、何の変哲も無い普通のマンションだった。 ぽつぽつと部屋の明かりが灯され、住人たちの微かな生活音が漏れている。老朽化してる訳では無いけれど、何のセキュリティも防音対策もされていない、ありふれた感が滲み出ている造りだった。 彼の足は真っ直ぐエレベーターへ向かう。 手を繋がれている私の足も、彼の後を追う。 けれどいざ扉の前に立つと、足がすくんで動かない。歩みを止めた私に、彼は訝しげな視線を送ってきた。 乗らないの? そう目で訴えているのがわかる。 此処まで来ても尚、私の心は踏ん切りがつかないままだった。 それはそうだろう。好きでもない人に抱かれるんだよ? どう覚悟を決めろって言うんだ。 彼を拒みたい気持ちが俄然強くて、私は最後に無駄な抵抗を試みようとする。 「……あの、やっぱりやめませんか。こんな事絶対に、お互いの為になりません」 「それで? 帰りたいって?」 「……はい」 「ここまで来ておいて、今更そんな事言うんだ?」 「………」 この人を拒む方法ならいくらでもあった。本気で嫌なら、大声で叫んで周囲に助けを求めることも出来た。どこかに逃げ込んだり、無理やり手を振り解いて帰ってもよかった。 でも、結局私は何もしなかった。一人でのこのこと電車に乗って、彼の手に引かれてこのマンションに来た。 それが現状。 今更だ、なんて罵られるのは、相手の立場からすれば当然の話だ。 彼に抱かれたいなんて思ってない。 それでも彼を拒めなかったのは、私が体面を汚したくないからだ。 こんな事で逃げ出したり取り乱すのは格好悪い、出来るだけ穏便に済ませたい、面倒事は避けて通りたい、話し合えばわかってもらえる。 だって私達は、常識ある大人だから。 そう、思いたかった。 私はいつも、人からよく見られたいってそう思っている。男に媚びへつらってるって言われても、仕方ないのかもしれない。 でも───誰だって、そうじゃないの? 誰だって、人からよく見られたい。 だから愛想を振りまくし、親切の受け売りだってする。それが男だろうと同性だろうと関係ない。 人ってそういう生き物じゃないの? その時、グイと強く手を引かれた。 自分の考えに耽っていた私は何の抵抗も出来ないまま、エレベーターの中に閉じ込められてしまった。 扉が閉まると同時に彼の腕に囚われる。後頭部に添えられた手に引かれて、顔の向きを変えられた。 そのまま、強引に唇を塞がれる。 「……んっ」 彼の胸に手を置いたところで、何の抵抗にもならない。 いつ、どこの階でエレベーターが止まって誰が入ってくるかもわからない、そんな所で私達は、息継ぎする暇も無いくらい互いの唇を貪っていた。 違う。こんな事したいわけじゃない。 これは手を繋がれているから抵抗できないだけで、彼を拒めないのはそのせいで、だから。 「……っ、は……」 「……あんた、まだ逃げる気?」 「……離し、」 「逃げて、どうすんの? このまま帰って、俺の告白も無かったことにして、明日もいつも通りに過ごすつもりなんだ?」 「………」 「───ふざけんなよ」 至近距離で睨まれて、息が詰まる。 冷たい眼差しの奥にあるのは、私に対する怒り。ひやりと悪寒が走った。 ポン、と軽快な機械音が鳴った。 同時にエレベーターの扉が開いて、彼の手が私の手を握り締めて歩き出す。 「っ、友永先生、まって」 制止の声を掛けても彼は止まらなかった。 ひとつの扉の前に辿り着き、彼の手に強引に引かれて部屋の中に放り込まれる。 足がもつれて、その場に膝をついてしまった私の背後で、扉が閉まる音が虚しく響いた。 すぐに二の腕を掴まれて立たされる。 玄関の壁に体を強く押し付けられて、彼の膝が足を割る。 月明かりに照らされた彼の瞳と視線が合ったのは一瞬のことで、思考はすぐに、唇に押し付けられた熱で遮断された。 触れているだけのキス。 なのに、どうしてか身体は熱を帯びていく。 こめかみに指先を差し込まれて、私の髪をゆっくりと梳く彼の仕草は、まるで甘やかされている錯覚を私に呼び起こさせた。 私の唇と触れ合わせながら、彼は甘く囁く。 「……無かったことになんか、させない」 その呟きに、もう怒りが含まれている感じはしない。そればかりか、どこか艶めいた響きを纏って私の心を揺さぶっていく。 そうしてまた唇が塞がれた。 その間も彼の両手はせわしなく動いていて、身体のラインを確かめるように、腰回りを撫でていく。まるで身体を重ねる前の合図のように感じて、期待に肌が粟立つ。 戸惑いが生まれる。 嫌だいやだと心は叫んでいるのに、身体は全然言うことを聞いてくれない。 本能はあっさりと理性をねじ伏せて、私の中にある女を呼び覚ましていく。 抱かれたくなんて無いのに。 恋愛なんてしたくないのに。 この人のことなんて、ちっとも好きなんかじゃないのに。 徐々に深みを増していくキスに、全身から力が抜けていく。もつれあうように部屋の中へと移動して、ベッドの手前で床に押し倒された。 直後、背中に鈍い痛みが走る。 フローリングの冷たい温度が、身体の熱を奪っていく。 覆い被さってきた彼の唇が、再び重なり合う。 「ん……っ」 夢中になってキスに応える。頑なに拒絶してた癖に、彼のキスひとつで私は虜になってしまう。乱暴な口調とは裏腹に、彼から施される口付けはやっぱりどこか優しくて。 けど、それも一瞬のこと。彼の指先が服の中に忍び込んだ途端、恐怖で身体が強張った。 背中を這い回る手がブラのホックを外して、服ごとたくし上げていく。月明かりに晒された胸の突起に、彼が唇を寄せた。 「……あっ」 甘い刺激が全身を駆け巡る。 思わず腰が跳ねた。 湿った音を響かせて、絶え間なく与えられる愛撫に思考は徐々に薄れていく。 このままじゃ本当に流されてしまう。 抱かれてしまう。溺れてしまう。 頭ではわかっていても、身体は素直に反応を示して私から理性を奪っていく。 冷静な判断力なんて、もう無いに等しい。 「ん、ぁ……」 「気持ちいいんだ?」 「ちが、う」 「嘘つけよ。声出てんじゃん」 触れてほしくない事を指摘されて、羞恥に顔が染まる。感じてる声なんて出したくなくて唇を噛み締めるけど、その度に強い刺激に曝されて失敗する。否定したところで、私の口からは甘い吐息しか出てこなくて、彼の手は足の付け根に忍び込んだ。 僅かに残された理性を総動員して彼の胸を押し返すけれど、私の必死な抵抗も彼はものともしない。 「も、やだ、無理だから……やめ、」 「なに今更純情ぶってんだよ。男好きの癖に」 「だから、ちがうっ……」 「こんな所までのこのこついて来て、全然説得力ないんだけど」 馬鹿にしたような声が落ちる。 でも、彼の言う事は悔しいけれど最もだ。何も反論もできない自分が恨めしい。 今、こんな事態に陥っている原因は全部この人のせいだと、完全に責めることはできない。しっかりと拒絶できなかった私にだって責任はある。 ちゃんと拒んだところで彼が私を解放してくれたとは思えないけれど、それでも、私は拒絶しなければならなかった。その意思を貫かなきゃいけなかった。制止の声を掛けたくらいじゃ彼は止まらないだろうって、私はちゃんと気付いていたはずなのに。 でも、だからってこんな事を受け入れるつもりなんて全くない。こんな、ちょっと優しいキスされたからって絆されちゃだめだ。 今度こそ、ちゃんと拒もう。 そう思い直した私に何かを感じ取ったのか、彼の手が性急に動き始めた。 強引にズボンの中へと忍び込んだ手が、下着に触れる。驚きでひゅ、と喉が鳴った。 「あっ……!」 指先が敏感な場所を撫でて、刺激が背筋から駆け巡る。少し痛いくらいに摩られて、たまらず悲鳴をあげた。 「気持ちいいって言えよ」 「きもちよくなんか、ない、やめてっ」 「へえ。そのわりには、」 中途半端に言葉を切った彼の口角が歪む。 嫌な予感がして必死に身を捩ろうとするけれど、私の上に圧し掛かる重みが邪魔をする。 下半身をまさぐる指先が、下着の中に滑り込もうとする。 咄嗟に両足を閉じても、もう遅い。 「濡れてるけど?」 直接触れられた箇所から微かに聞こえた水音。 鈍器で頭を殴られたような衝撃が襲う。 嘘。うそだ、なんで濡れるの。 嫌なのに。 トップページ |