邪魔なんだよ


 眠気で舟を漕いでしまいそうな状態を、眉間を抑えたり叩いたりして何とかやり過ごしているうちに、放課後を迎えていた。

 とっくに終礼も終わった夕暮れの校舎。
 廊下を歩いていても、人の気配はほぼ感じられない。
 残っている生徒がいない事を確認してから、音楽準備室の鍵を閉めた。

 夕方から始まる職員会議の為、職員室へと急いで向かっていた最中。
 今は使われていない空き教室から、見覚えのある後ろ姿が見えた。

「………?」

 僅かに開いているドア。
 中から、微かに聞こえる話し声。
 それは確かに、葉月先生と友永先生のものだった。

 会話の内容までは耳に届かない。
 けれど、どこか緊張で張り詰めたような空気を感じ取って、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
 あの空気は何だろう。
 今朝はあんなに楽しそうに話をしていたくせに。

 この時俺が取るべき選択は、見なかった振りをするべき、だったのかもしれない。
 けれどどうしても2人の様子が気になって、聞き耳を立てるかのように、入口に立ち尽くしてしまった。
 そっと中を覗いても、会話は聞き取れない。
 葉月先生は入口側に背を向けていて、彼女の表情も窺い知れない。

 ……もしかして今、居合わせてはいけない場面に、自分は立ち入ってしまったのか。
 その場面が一体何なのか、微妙な雰囲気を纏った2人の様子を見れば、自ずと答えは見えてくる。

 友永先生も彼女に想いを寄せているんじゃないかと思い始めたのは、何も、ここ最近気付いた話ではない。
 それほどまでに、普段から2人は仲がいい。
 そして昨日と今朝の、友永先生のあの態度が、俺に対する宣戦布告のようなものだったとしたら。

「───早瀬先生?」

 俺の気配に気付いた友永先生に呼ばれ、肩が跳ねる。
 驚いて背後を振り向いた葉月先生の頬は、ほんのりと朱がさしていた。
 そんな顔を見せられたら、胸に湧き起こった不安要素が現実味を帯びてくる。

「あ、あの。違いますよ早瀬先生、これは、その」

 今度は顔を青くして、しどろもどろに口を開く。
 慌てて弁解を始めようとする彼女に対して、友永先生は困ったような笑みを浮かべているだけで何も喋らない。
 けれどその表情は余裕があって、先を越されたかもしれない事に対しての苛立ちと、彼女を取られるかもしれないという焦りが俺の中に生まれた。

 彼女に想いを告げないと決めていたのに、こんな苛立ちや焦りを抱くこと自体間違っている。
 動揺を隠しきれないでいる俺に、友永先生の声が静かに響いた。

「早瀬先生。悪いんですが、ここで見た事は忘れてください」
「……いや、今ここを通りかかっただけで、何も見てませんけど」

 嘘じゃない。
 使われていない筈の教室から話し声が聞こえたら、誰だって気になって立ち止まるだろう。
 中で何をしていたかなんて、俺は知らない。

「ほ、ほんとですか?」
「……はい」
「そ、そうですか」

 ほっとしたように胸を撫で下ろす葉月先生に、どう声を掛ければいいか迷う。けれど先に、友永先生が彼女に声をかけた。

「葉月先生、そろそろ行かないと。理事長が待ってるんでしょ?」
「……あ! そうでした!」

 思い出したように声をあげて、友永先生に一礼をした葉月先生は、慌てて教室を出て行ってしまう。

 静けさを取り戻した教室に、紅の影が落ちる。
 その微妙な空気に耐えられなくて俺も教室を出ようとしたけれど、それを阻むかのように、男の一言が空気を裂いた。

「彼女に告白してた」
「……え」
「って、思った?」
「………」
「ここで俺達が何してたのかは、彼女の名誉の為に何も言えないけど。少なくとも色恋的な話ではないから。安心していいよ」

 そういう言い方をするという事は、この人も、俺が葉月先生に想いを寄せている事に気付いてるということになる。

「……俺には、関係ないので」

 だからって、この人に胸の内を告白する義理はない。
 そう返事を返して、その場を立ち去ろうとしたけれど。

「お前さ、妬いてるだろ」
「……誰が」
「お前が、俺に。葉月先生と仲いいから」
「……っ」

 見透かされている。
 苛立ちは更に募って、振り向いて男を見据えた。
 ひとつの机に寄りかかり、友永先生は腕組をしたまま唇の端に笑みを浮かべている。
 何も答えない俺に、声を押し殺して笑う。

「葉月先生はやめとけ。恋愛事に興味ないよ、あの人は」
「関係ないので」
「それとここは男女交際禁止。恋愛する場所じゃない。ちゃんとわかってるか?」
「だから、関係ありませんから」
「あのさ」

 男の口角が歪む。
 さっきまで笑みを湛えていた表情は一瞬で消え失せて、冷えた瞳は不機嫌さを滲ませていた。

「関係ないって言うなら、あの人の前で思わせぶりな態度すんのやめろよ。邪魔なんだよ、お前」
「………な」

 発言の意味より、その豹変振りに驚く。
 こんな攻撃的な態度は初めて見るから、思わず言葉を失った。

「さっきから自分は関係ないの一点張りだけど。そんな臆病者に、あの人が落ちるとか思ってんのか?」
「……アンタに関係ないだろ」

 無性に腹が立った。
 この人の言う事は最もだけど、だからってこんな侮辱的な扱いを受ける筋合いはない、はずだ。

「関係ある。彼女に惹かれてるのが自分だけだと思ってんなよ」
「………」
「意味、わかるよな?」

 冷えた眼差しが突き刺さる。
 自分も彼女を好いているのだと、暗にそう告げられているのがわかった。
 つまりこれは、相手からの宣戦布告。
 けれど友永先生が放った告白は、さほど自分に衝撃を与えるものではなかった。

 この人も葉月先生に好意を寄せているのは薄々感じてたし、その一方で葉月先生は、この人に特別な感情を抱いているようには見えなかったから。
 けどそれだって、絶対の確信はない。
 今はなんとも思っていなくとも、いずれはそうなる可能性だってある。

 余裕に満ちた男の態度は自信に溢れていて、その自信が、葉月先生が俺に惹かれるはずがないという確信から来る余裕の表れだったとしたら、それは酷く癪だと思った。

 多分、この時の自分はもう頭に血が上っていたのだと思う。
 彼女を傷付けないために気持ちを明かさない、そう決めていたのに。
 この人に対して嫉妬や妬みのような黒い感情が渦巻いて、ずっと保っていたギリギリの虚勢が崩れていくのがわかった。

「もう一度言うけど、葉月先生はやめとけ。今のお前じゃ、あの人は無理だ」

 寄り掛かっていた机から体を起こした友永先生が、そのまま教室を出て行こうとする。
 その腕を、反射的に掴んでいた。

「……なんだよ」
「アンタからあの人を引き離そうなんて思ってないけど」

 静かに腕を離す。

「……あの人が俺の方を向いたら、それは仕方ないと思いませんか」

 そう告げれば、瞬時に男の纏う空気が変わる。
 向けられた黒い瞳がすっと冷えていくのに対して、口角は可笑しそうに釣り上がっていた。

「へえ。認めたな」
「譲る気ありませんから」
「譲るも何も、あの人はお前のものじゃないだろ」
「そうなるように努力はするつもりですけど」
「たいそうな自信だな。まあ頑張れば。万が一の奇跡があれば、いい返事がもらえるかもしれないし?」
「………」
「まああの校則がある以上、無駄だと思うけど」
「そんなの諦める理由にならない」
「別に俺は諦めろとは言ってない。無駄だって言っただけだろ」
「……さっきから何が言いたいんですか」

 ………なにか、変だ。

 妙な違和感が拭えないのは、この人の意図がわからなかったから。

 あの人が好きだと俺に宣告しておきながら、自ら動こうとする意志が見えない。普通であれば、想いを伝えたいと願って告白を考えるものだと思うけれど、この男からはそんな素振りも見えない。この人の本性を目のあたりにした今、例の校則を律儀に守ろうとしている風にも見えなかった。

 この人のしている事は、まるで挑発だ。
 遠回しな言い方をして、逆上した俺があの人に想いを打ち明けるよう、わざと仕掛けているように感じる。

 だとしたら、何で。
 どうして恋敵になるかもしれない男に、牽制する訳でもなく、逆に告白を促すような発言をするのか。

 真意を知りたくて相手を見据えるけれど、俺の視線の意味に気付いたのか、避けるかのようにひらひらと手を振られた。

「話はもう終わっただろ。俺は先に戻るからな。会議に遅れるなよ」

 そう言い残して今度こそ教室を出ていった男の背中を、ただ見つめることしかできなかった。










「……頼むぜ早瀬。いい起爆剤になってくれよ」

 数歩先で、男がそう呟いているのも知らずに。

mae表紙tugi

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