なんだよ、あれ


 正直言うと、彼女───
 葉月 栞は、俺の苦手とするタイプの女性だった。

 持ち前の明るさと、生徒や教師関係なく、誰とでも分け隔てなく接する親しみやすさを併せ持つ彼女は、どこまでも自由な人だった。
 基本的に親しい友人知人以外とは深く接しない、というより接し方がわからなくて敬遠してしまう俺とは全く逆で、彼女は誰とでもすぐに打ち解けて仲良くなれる。養護教諭の適正スキルがあるとすれば、彼女は余裕でその合格ラインを超えるだろう。

 あの着任挨拶以来、葉月先生の人柄に惹かれたのは生徒だけではない。俺以外にも新たに赴任した教師は数人いるわけで、彼らもすぐ、彼女と打ち解けていた。
 他の教員達も彼女をとても好いていて、はたから見ても人気者だというのはすぐにわかる。
 更に言えば葉月先生はまだ27歳で、目鼻立ちクッキリの整った顔立ちをしていた。

 若くて美人の保健医。
 その肩書きだけでも十分、人気に拍車を掛ける材料になり得る。

 ただ───

 俺自身は、彼女にも、彼女の人気振りにも、全く興味はなかった。



 葉月先生はどこか、友人の千春に似ている。
 見た目の良さと親しみやすいキャラのお陰で、男女問わず人気があった千春とは、高校1年の時に知り合った同級生だ。
 たまたま同じクラスで、席が隣同士だったから仲良くなれただけで、接点が無ければきっと関わることも無かった。
 千春の事も、当初は生理的に苦手だと敬遠していたから。

 千春や葉月先生のような人と俺とでは、タイプが全くと言っていいほど真逆だ。
 常にマイペースな自分は気分の浮き沈みが殆ど無く、周りが楽しそうに賑わっていても、どれだけ盛り上がっていても、そのノリについていけない。テンションの違う人間と一緒の空間にいるのは居心地が悪く、苦痛でしかなかった。

 それでも千春と仲良くなれたのは、アイツが男だったからだ。だから次第に打ち解けて、友達と呼べる間柄になれた。
 けど、葉月先生は女で、異性だ。

 別に男女差別する気なんて全く無いけれど、それでも同性と異性とでは、接し方がまるで変わってくる。距離のとり方も違ってくる。
 俺は千春と違って女子と話をしない奴だったから、自分と真逆なタイプの子と話すことはおろか、近づこうとすらしなかった。
 なのにどういうわけか、俺が今まで付き合ってきた子は俺が苦手とするタイプの女の子が多い。

「苦手意識を抱くって事は、それだけ相手を意識してるって事になるんじゃないの?」

 昔、千春からそう言われたことがある。
 言われてみれば、そうなのかもしれない。
 苦手だと思いながらも、自分には無い部分に、どこかで心惹かれていたのかもしれない。それでも、長続きはしなかったけれど。

 葉月先生の事も、そういう意味ではずっと気になる存在ではあった。

 けど結局は、それだけだ。
 内向的な自分とは全く違うタイプだから少し気になっただけで、その人柄の良さに羨望や嫉みを抱いていた訳じゃない。ましてや恋愛感情なんて、無いに等しい。
 俺にとって葉月 栞という人は、眼中の無い人物ではないけれど、興味を抱くほどでもない。その程度でしかなかった。



・・・



「痛い。葉月ちゃん痛い。オレ怪我人なんだけど!」
「こんな擦り傷程度で何言ってんの」

 たまたま保健室に用事があって赴いた際に聞こえてきた会話。からりと引き戸を引けば、ひとりの男子生徒と葉月先生が、楽しそうに会話を繰り広げている。
 彼女の手には絆創膏。
 体育の授業で怪我をした生徒を手当てしているようだった。

「はい、手当て終わり! 用が済んだらさっさと授業に戻る!」
「葉月ちゃん、もうちょいオレに優しくして! そんなにガサツな性格だから男ができな、」
「やかましい! 大きなお世話!」

 ぱしんと威勢のいい音が鳴り響くと同時に、いてっ、と生徒が大げさに背中を丸めて蹲った。

 保健室には、様々な用件を抱えた生徒が日々やってくる。怪我をした子、悩み相談に来る子、はたまた授業をサボりたいが為に来る生徒。単純に葉月先生とお喋りがしたいから、という生徒も多い。

 休み時間や昼休憩中、保健室の前を通る度に、室内からは彼女と生徒達の楽しそうな笑い声がいつも聞こえていた。
 けど、まさか授業中までこんな状態だとは思っていなかった。
 この保健室は、いつも賑やかだ。

「失礼します」
「あ、早瀬先生じゃないですか」
「どうも」

 軽く挨拶すれば、さっきまで蹲っていた生徒が急に立ち上がり、嬉々として俺を振り向いた。

「はやせん! いいとこに来た! 聞いてくれよ、葉月ちゃんがさー」
「早瀬先生、聞かなくていいですよ。……というか、その「はやせん」って何。なに、そのおせんべいみたいな呼び方」
「え。早瀬先生だから、略して「はやせん」。ちなみに考案者はオレ。呼びやすくて良くない? 良くない?」
「んー、4点」
「それ何点中の4点!?」
「………」

 ……目の前で素人のコントを見せられている気分だ。








「───それで、どうされましたか?」

 生徒が渋々、体育の授業に戻った後。
 葉月先生が先に会話を切り出してくれたのをきっかけに、手に持っていた1枚の書類を差し出した。
 その用紙を覗き込んだ彼女の瞳が、驚きで見開いていく。

「これ、赴任した先生方の歓迎会のご案内ですよね?」
「はい、参加名簿です。参加できるかどうか、一人一人聞いて回ってる途中で」
「ええっ。早瀬先生がやらなくても、私がやったのに」
「いえ、手が空いてたので構いません」

 そう笑いかければ、彼女が申し訳なさそうに目を伏せた。

「すみません、わざわざ。ありがとうございます」
「いえ、暇だったので。気になさらないでください」

 そう告げながら、偽の笑顔を貼り付ける。
 愛想笑いも、そろそろ様になってきた。



 学生時代の俺は、愛想がなくて無表情、いつも何を考えてるかわからない、そんな風に周りから見られていた。
 ただ単に他人との接し方がわからなかっただけで、仲のいい友人以外とは出来るだけ距離を取っていたのが、誤解を招く原因になっていたようだ。
 別に無愛想キャラを気取っていたわけじゃない。それでも他人から見れば、俺の印象は最悪だっただろう。
 逆に面白がって突っかかってきたのは、千春ぐらいだ。

 けれど社会に出れば、そんな無愛想な態度を表に出すわけにはいかない。
 無理やりでもいいから笑っとけ、そう俺に助言したのは千春だった。

 むやみやたらと笑顔を振りまけばいい話ではないけれど、他人と良好な関係を築く為に、笑顔を作ることは必要不可欠だ。
 たとえそれが愛想笑いだったとしても。

 そしてもうひとつ。
 相手の考えを先読みする。
 相手が内心望んでいる事を自ら実行すれば、周りは自然と、俺に好感を持ってくれるようになった。
 これも、千春の入れ知恵だけど。

 目の前で朗らかに笑っているこの人だって、参加名簿の作成なんて面倒だと、内心思っていたんじゃないだろうか。
 誰かがやってくれればいいのにと、実はそう思っていたんじゃないだろうか。
 俺は心が読めるわけじゃないから彼女の心の内なんてわからないが、大抵の人間は、自分がラクしていたいと思ってる生き物だ。
 たとえこの人が、そんな堕落に近い感情を抱いていなかったとしても、彼女がやろうとしていた仕事を俺がやってあげても、マイナスな印象は無いはずだ。

 好意を寄せていた訳じゃない。
 彼女はあくまで、仕事仲間だから。
 仲良くしようと思ってるのも、仕事上、仕方なくだ。

 プライベートではあまり関わりたくない。
 ……疲れそうだし。

「葉月先生は歓迎会の参加、どうされますか?」
「18日、でしたっけ?」
「はい。18日の土曜の夜ですね」
「あー……」

 そこで曖昧に言葉を濁された。

「ごめんなさい。私、その日は予定が入っちゃってます」
「そうなんですか」
「ええ。実家に帰る予定だったので」
「では、不参加にしておきますね」
「すみません、新しい先生方の歓迎会なのに行けなくて」
「大丈夫ですよ。強制参加じゃないし、不参加の方も結構多いので」
「それはそれで、問題ですよね」
「仕方ないと思います。週末ですし、家庭持ちの方なら尚更、家族を優先したい人もいるだろうし」

 淡々と答えながらも、内心、安堵していた。

 この人は、来ないのか。
 ……数人の男性教諭は残念がるだろうな。

「用件はそれだけなので、これで失礼します」
「はい、お疲れ様です」

 彼女に背を向けて、扉へと足を向ける。
 引き戸に手を掛けた時、背後からギッ、と椅子の軋む音が聞こえた。

「早瀬先生」

 凛とした声が、耳に届く。
 消毒液の匂いが篭る室内に、ぺたぺたと、スリッパで歩を進める音が床を鳴らす。

「はい、何で───」

 何ですか、と言おうとした言葉が途切れた。


 ───ふに。


 後ろから近づいてくる気配に振り向いた直後、頬に圧迫感を覚えた。
 俺に向かって伸ばされた人差し指が、無遠慮に人の頬をむに、と押している。
 一瞬、何が起こっているのか、わからなかった。

「…………、は?」
「ふふ、引っ掛かったー」
「………」

 至近距離に迫っている彼女の顔。
 まるで悪戯が成功した子供のように、無邪気に笑っていて。
 その笑顔に、不覚にも見惚れてしまった。

 ………可愛い、と。
 思ってしまった。

「びっくりしました?」
「……驚きました。これなんですか?」
「や、特に意味は無いです」
「………」
「どんな顔するかなーと思って」
「……はあ」

 呆けている俺の目の前では、相変わらず彼女の笑顔が広がっている。
 動揺を隠すように、ふいと視線を逸らした。
 そのまま引き戸を引く。

「……じゃあ、職員室に戻るので」
「はーいお疲れ様ですー」

 ひらひらと、軽く手を振りながら応える彼女をまともに見ることも出来ず、その場を離れた。
 誰もいない廊下は静まり返っていて、自分の足音だけがやけに大きく鳴り響く。生徒達の楽しそうなざわめきが遠くから聞こえてきて、そういえば体育の授業中だったな、と思い至った。

 参加名簿の用紙に視線を落とし、まだ返事を貰っていない人は誰だったかと、思考を巡らせる。

 巡らせようと、した。

「……くそ」

 苛立ちとともに零れた一言。
 他の事に意識を向けようと思っても駄目だった。脳裏に浮かぶのは、さっき見た彼女の笑顔。



 ………なんだ、あれ。

 なんだよ、あれ。



 苦手だと思って壁を作ってきたつもりだったのに、彼女は易々と、一瞬でその壁を乗り越えてきてしまった。
 油断した、としか言いようが無かった。
 不意に触れられた指の感触がいまだに頬に残っていて、乙女かと自分に突っ込みたくなる。もやもやとした感情が、胸の中を渦巻いていた。
 不快感とは違う。
 嫌悪感でもない。
 だからといって恋煩いとか、そんな類のものでもない。
 あるのは、彼女に対する危機感だけ。

 ───あの人に隙を見せたら駄目だ。

 隙を見せたら、全て持っていかれる。
 意識したら、どんどんハマっていく。
 そんな予感めいたものを感じて、否定するように首を振った。

 あんな、低レベルな悪戯に安易に引っ掛かった挙句、そんな彼女に心奪われたなんて認めたくない。認めるわけにはいかなかった。
 自分はそんなに単純な人間じゃない。
 あんなの、俺以外のヤツにもやっているだろうと思うし。
 だから、別に気にする事じゃない。
 向こうだってあんなこと、気にすらしていない筈だ。

 そうは思っても、ふわっと微笑んだあの笑みだけは自分の中から消すことは出来なかった。
 脳裏に焼き付いて、一向に離れないあの笑顔だけは。


『苦手意識を抱くって事は、それだけ相手を意識してるって事じゃないの?』


 いつの日か、千春が言った言葉が蘇る。

 苦手ゆえに意識して。
 結果的に交際へと繋がって。
 けどタイプが正反対なんだから、相性が噛み合わないのは当然の話で。
 そうして相手を傷付けて、破局する。

 痛みしか残らなかった過去の経験。
 同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかった。

 彼女を過剰に意識し始めている自分を、頑なに否定する。
 あんな程度の事で気持ちが傾く訳が無いという子供じみた意地と、過去の後悔から来る決意ゆえに。
 こんな事をグダグダと考えている時点で、もう既に彼女へと気持ちが傾きかけている事に心のどこかで気付いていたけれど、自覚するのが嫌で、そんな気持ちに蓋をした。

mae表紙tugi

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