偽りと本音1 「……え」 もうすぐ終わる、予言のようなその発言に困惑した。 「……どういうこと? 本当に青木さんと会うつもりなの?」 恐ろしい予想が口を突いて出る。昨日、早坂は言ってた。時と場合によってはあの人に会う、と。 私の問いかけに早坂は否定しなかった。頷くこともしなかったけど、深く仄暗い瞳が肯定だと応えていた。 「……何考えてるの? もうすぐ終わるってなに?」 「もうすぐは、もうすぐだ。2、3日ってとこか」 「そんなこと訊いてるんじゃない! 私の知らないところで何やってるの!?」 焦りが生まれる。この時ほど自分の無知っぷりを呪ったことはない。早坂は言ってたじゃないか、もう部外者面したくないって。 あの一言に救われたような気持ちになって、言葉の裏にある意図を全く読んでいなかった。今まで傍観者でいてくれた早坂が傍観することをやめたということは、事態を改善するために動くかもしれないって、よく考えればわかることなのに。 「ねえ、何かしようとしてるならやめて? 私の為に、早坂が危険な橋を渡る必要ないんだから」 それだけは絶対に阻止しないと。 でも早坂は難しい表情を保ったままで。 「……随分と庇うんだな」 「は?」 「青木のこと」 「……はあ!?」 思わず素っ頓狂な声が出た。開いた口が塞がらない。早坂の為に「やめて」って言ってるのに、どこをどう解釈したら青木さんを庇ってるように聞こえたのか謎だ。 「庇うわけないでしょ! 誰があんな人っ、」 勢い付いて叫んでしまって後悔する。つい感情的になって声を荒げてしまったことを恥じた。なにをムキになっているんだ、これじゃあ庇ってるって疑われても仕方ない。 「すげー嫌ってんな」 「……嫌いよ、あんな人」 「そんなに嫌いなら、もう情けをかける必要もないだろ。七瀬がそこまで平和的な解決に固執する理由がわからない」 「情けなんてかけてない。青木さんのことだって、本当はどうでもいい。でも、青木さんの奥さんは? 子供は? あの人達は関係ないでしょ?」 「じゃあ、七瀬はアイツの妻と子供を庇ってるわけだ」 「………」 その言い方がわざとらしくて顔をしかめる。庇ってるつもりなんて全くないし、青木さんのことも庇うつもりはない。ただ私達の過ちのせいで、関係のない人達まで傷つけてしまう未来だけは避けたかった。私達が別れればそれで済む話なのだから、あえて泥沼化させる必要はない。 ……結果的に、別れ話が拗れてしまったから泥沼化しているけれど。それはともかく。 「早坂」 気を引き締めて、彼と向き直る。しっかりしなきゃ、怖いなんて言ってる場合じゃないし言える立場でもない。これは私と青木さんの問題、他の人を巻き込んでいいはずがない。 もうすぐ終わる、私にそう告げた早坂が裏で何かをしていることはもう明白だ。それが何なのかはわからないけれど、ストレートに止めてと言ってもきっと止めてはくれないだろう。だから、ちゃんと説明しなきゃいけない。どうして私が誰にも頼らず、穏便なやり方で解決させたいのか。早坂が納得してくれるまで、慎重に言葉を選びながら明かす必要があった。 ……本当は言いたくないことだけど。 私が一番触れてほしくない、醜い部分だから。 でも早坂は多分、私のそういう卑しい部分も見せないと納得してくれない気がする。 「早坂さ、私が青木さんのこと話したときに言ってくれたよね。『知らなかったとしても、不倫は不倫だ』って」 「……ああ、言った」 「私もそう思う。不倫をしてしまった事実は変わらないし、知らなかったで済ませていい話でもない。間違いを犯した者として、責任は取らなきゃいけないと思ってる」 「………」 「……って言うのは建前で」 「………」 「不倫してた、なんて誰にも言いたくない。誰にも迷惑かけないで解決したい。誰にも頼りたくない」 「……七瀬、」 「……人に頼るのは、すごく嫌なの」 私ね、嫌いなの。 弱音を吐く自分が。 人に頼る自分が。 思えば小学生の頃からだ。人見知りしない社交的な性格のお陰か、周りから頼られることが多かった。学級委員や生徒会の役員に任命されることも多かった。そうなると当然、期待される機会が増えてくる。 その期待に応えようとすると、みんな喜んでくれるし褒めてくれる。いつの間にかみんなの中で、私のイメージが勝手に作り上げられていた。「しっかり者」とか「頼りになる子」、とか。 それが苦しかった訳じゃない。 むしろ頼られるのは嬉しかった。 自分の存在価値を認められたような気がしたから。 けれど良いことばかりじゃなかった。 いつも人から頼られて、相談に乗ってあげて、愚痴を聞いてあげて、励ましてあげて、感謝されて褒められて、そんな風に頼られている自分に酔って、 そこから、抜け出せなくなった。 人に弱点を見せられなくなった。 弱音を吐けなくなった。 私がネガティブな発言をするこで、聞かされている方は迷惑してるんじゃないか、嫌がられるんじゃないかと考えただけで何も言えなくなる。今更人に頼るなんて罪悪感を覚えてしまう。そればかりか、格好悪いとすら思えてしまった。 部下に対して強く意見を言えないのも叱れないのも、結局はそれが原因で嫌われるのが怖いから。だから言ったんだ、人の為に正論を貫ける早坂の方が、臆病な私より上司に向いてるって。 青木さんのことだってそうだ。別れ話が半年以上も拗れている時点で、誰かに頼るべきだって早坂に言われて納得してた。でもそれは出来ない。不倫なんてしてた、なんて人に知られたら私の印象が穢れてしまう。幻滅されてしまったら、今まで培ってきた信頼や期待が全部壊れてしまうことを恐れたんだ。 弱い自分に意味がない 弱い自分に価値はない 人に弱いところを見せたくないから、無理に笑って誤魔化そうとする。素直に甘えられないから、人に心配してもらうことで安心を補おうとする。自分は優秀な人間だと見せたいから、全部一人の力で完結しようとする。私は、そういう人間だ。今更、この生き方を変えられるはずがない。 トップページ |