だってほっとけないから


『封筒見た?』
『怪我してない? 大丈夫?』

 ……あの封筒を受け取った後に送られてきた、青木さんからのメッセージ。彼は確信犯でもあり、愉快犯でもあった。

 最初に私の所在を訊いた後、早坂を名指しして封筒を託したのもわざとだ。青木さんは私に封筒の中身を見てほしかった、だから早坂の名を出して私の気を引かせた。カッターの刃を見て「早坂に危害を加えるかもしれない」と、私にそう思わせる為に。
 そして早坂にとっては、牽制の意味も含まれている。「これ以上私に近づくな」という、彼なりの警告のつもりなんだろう。
 だからって、こんな危険なものを無関係の人間に託すなんてどうかしてる。もし早織さんが怪我でもしたらどう責任を取るつもりだったんだろう。
 ……いや、責任を取るつもりなんてはなから無いんだろう、あの人は。

 どっちにしても、事態はかなり悪化した。

 女に容赦なく力を振るう暴力性と、カッターの刃を封筒に仕込む残虐さを目の当りにした今、いつまでもあの人から逃げ続けるわけにはいかない。早く私からアクションを起こさないと、痺れを切らしたあの人が何をしでかすかわからない。いくら私と別れたくないからといって、こんな事が許されていいはずがないんだ。

 ……ちゃんと会って、話をつけなきゃ。



・・・



「うわぁ、昭和的なやり方過ぎて草」

 とは、例の封筒を見たかなえちゃんの一言だ。

 客足も鈍ってきた閉店前、彼女には事前に連絡をして店の事務所まで来てもらった。せっかくの休日なのに足を運んでもらって申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、事態は急を要することだ。
 もちろんこの場には、早坂の姿もある。例の封筒も見ても、やっぱり動揺すらしていない。

「2人とも落ち着いてるね……」
「だってこんなの、いい年した大人がやることじゃないですよ。頭んなか小学生のままで止まってるんじゃないですか?」
「同感だな。靴の中に画鋲入れて平然と笑ってるガキと同じだろ」

 呆れ返った様子で、早坂はゴミ箱に封筒を捨てた。机の上に散らばっているカッターの刃も、ひとつずつ手に取って紙袋に入れている。
 その表情に動揺している様子はなく、私がどんなに怯えていても、当事者達が平然としているから不思議と冷静になってくる。

「でも、今の青木さんは普通じゃない。何をするかわからないよ」

 あの日、青木さんが対峙したのは早坂だけじゃない。一緒に助けに来てくれたかなえちゃんの姿も見ている。この子にまで危害を加えるとは思えないけれど、事態が事態なだけに、私だけの問題にしてはおけない。それに2人には、私が決意したことも話さなきゃいけないから。

「あのね。私、青木さんに会ってくる」
「え!?」

 かなえちゃんが目を剥いて驚愕の声を上げた。

「だから、私から青木さんに連絡するつもり」
「え、え!? 本気ですか!?」
「本気も本気。このままだとあの人、今度は何するかわからないし。いずれは話し合わなきゃいけなかった事だし、早いにこしたことはないよ」

 そう主張しても、かなえちゃんは険しい表情を保ったまま。あんな人は相手にしないで放っておくべきだと主張したいのだろう。
 私だって、できることならばあの人のことは忘れたい。でも、昨日のようなメールが毎日、何十件も送りつけられるなんて耐えられない。ましてや私のせいで、周りの人達が傷つけられる姿なんて絶対に見たくない。

 青木さんは多分、私に無視されている現状に苛立っているはず。だから、私から彼に連絡をすることで彼の気は収まるかもしれない。まずは周りの人達を巻き込まないために動かなきゃ。

「事態が良くならないなら、青木と会うのもひとつの選択肢だとは俺も思う」
「うん」
「今日連絡するとして、どこで話し合うかは決めてるのか?」
「それはまだ……青木さんの意見を聞かないと。下手に反論するのは、ちょっと怖いし」
「いや、七瀬が場所指定した方がいい。それで向こうが従ってくれないなら警察に訴える、くらいの強気な態度じゃないと、向こうが図に乗るだけだぞ」
「………」
「今度こそ完全に決別したいんだろ?」
「うん」
「俺もアイツに言いたいことがある」

 その口ぶりからして、青木さんとの話し合いの場に自分も立ち会うつもりなんだろう。場合によっては青木さんに会う、昨日の夜もそう言っていたから。かなえちゃんも、早坂が一緒に行くと聞いて安堵の息を漏らしている。

 ……でも。

「早坂、ごめん。私、ひとりで会いに行く」
「……え」

 掠れた声を発したのは、早坂ではなくかなえちゃんだった。信じられない、と言いたそうな顔で私を凝視している。
 本当は、ひとりであの人に会うのは怖い。誰かが一緒に来てくれた方が安心するし、それが早坂ならすごく心強い。実際、話し合いの場には早坂に来てもらおうとうっすら思っていたんだ。
 ……昨日までは。

「さっきも言ったけど、今の青木さんは普通じゃない。こんな封筒を直接手渡しで預けに来るなんて正気の沙汰じゃないよ。ただの悪戯とも思えないし、早坂と一緒に行こうものなら、あの人が逆上しかねない。何かあってからじゃ遅いんだよ」
「でも、ただの脅しかもしれないじゃないですか! そこまで七瀬さんが1人で責任負う必要あるんですか?」

 かなえちゃんの言い分もわかる。心配してくれているのも、痛いほど伝わってくる。確かにこの封筒は単なる脅しかもしれないけれど、こんな事態にまで発展させてしまった責任は私にある。
 あの人から逃げ続けて、話し合う機会を放棄した私に責任がないはずがない。全部、自分で蒔いた種だ。

「じゃ、じゃあ、私が一緒に行きます!」
「ダメ。危ないよ」
「でもっ、またあんな目にあったら」
「………」

 ……あの日の事を思うと胸が痛い。青木さんに対する恐怖と同じくらい、かなえちゃんへの罪悪感も残ってる。まだ19歳の彼女に惨い場面を見せてしまった、大人の男に対する恐怖を植え付けてしまったことに対する負い目があったから。

「大丈夫だよ! あの人は私と会うのが目的のはずだから、今度は人のいる場所で落ち合うつもり。2人きりにならないように気を付けるから、心配しないで」

 それは咄嗟についた嘘だ。恐らく彼と2人きりで会うことになるだろうとは思ってる。人のいる場所での話し合いを、青木さんが承諾してくれるとは思えなかったから。
 2人きりになることが危険だとわかっていても、私にはどうすることもできない。下手に逆らったら、再び暴力を受けるかもしれない、周りの人間を傷つけるかもしれない。この封筒はそう思わせるためのもので、私にそう思わせた時点で、あの人の思惑に嵌まってる。もう青木さんに逆らうことは許されないんだろう。
 でも、それをかなえちゃんに直接伝えるわけにはいかない。だから嘘をついた。

 早坂は、何も言わなかった。
 私の主張に口を挟むこともしない。
 ただ黙って耳を傾けている。

「……七瀬さんはさっき、『何かあってからじゃ遅い』って言いましたよね」
「……うん」
「その言葉、そっくり返しますよ」
「……」
「何かあってからじゃ……遅いんですよ」

 苦痛に歪むかなえちゃんの表情は、あの日、私を助けられなかった後悔の念を滲ませている。だけど、かなえちゃんがそこまで悔やむ理由は無いんだ。あの暴力だって元はと言えば、2人の忠告を聞かずに青木さんに歯向かった私が招いた事故なんだから。自業自得だ。

「心配してくれてありがとう、でも本当に大丈夫だから」
「七瀬さん……っ」

 恐怖を押し殺して、極めて明るく振る舞う。
 これ以上、この話を長引かせたくなくて。

「それにほら! もしかなえちゃんに来て貰って、あの人が逆上したらそれこそ危険だし。痛い思いをするのは私ひとりで十分、」

 そこまで口走って、ハッとして言葉を止める。一瞬で表情が凍りついたかなえちゃんに、酷い後悔が押し寄せた。
 今のは完全に失言だ。純粋に私を心配してくれているかなえちゃんに、「また暴力を受けるのは私だけでいい」なんて無神経な言葉を放ってしまった。
 謝らなきゃ、咄嗟にそう思った瞬間、


 ───パンッ!

 左頬に、鋭い痛みが走った。

 一瞬何が起こったのかわからなくて、唖然としながらかなえちゃんを見つめる。今にも零れ落ちそうなほど瞳に涙を溜めて、彼女は私を睨みつけていた。振りかざした手のひらは、怒りで小さく震えている。

「……かなえちゃ、」
「いい加減にしろよこのわからずや!!」

 狭い事務所に、悲痛な叫び声が響き渡る。
 じんわりと熱を持ち始めた左頬は、痛み自体は酷くはない。
 なのに青木さんに受けた暴力よりも、かなえちゃんから受けた平手打ちの方が数百倍、心が痛んだ。

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