止まらない加速 「ご心配をお掛け致しましたっ、本日から復帰します!」 高らかに復帰宣言をすれば、周りから拍手が沸き起こる。例の事件から1週間後、久々の出勤となった朝のミーティング時。スタッフ全員の前で深々と謝罪をすれば、「おかえりなさい!」と晴れやかに返されて笑顔が浮かんだ。 私の突然すぎる休職は、やはり職場の人達をざわつかせてしまったようで、『大丈夫なの?』と心配する声が上がっていたみたいだ。それを早坂から聞いた時、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それはそうだろう。余計な心配を掛けてしまった上に、本来私がやるべき業務を、スタッフがやらなければならなくなったのだから。 たとえ怪我の原因が私になかったとしても、そんなことは職場の人達には関係ない。私が休んだ分、みんなの負担が増えた。それだけが事実だ。 責められても文句なんて言えないし、むしろ全力で謝罪するつもりで朝礼ミーティングに臨んだけれど、誰一人として私を責めたりなんてしなかった。むしろ温かく出迎え入れてくれたことが、申し訳ないけれど、やっぱり嬉しい。この慣れ親しんだ空気に触れて、やっと戻るべき場所に戻ってこれた。そんな気分になる。 この店舗に勤めてから7年間、病欠で休んだことなんてほとんど無い。1週間もの連休は初めての経験で、しかも、まだ完治していないから無理に体を動かすこともできない。こんな私が職場復帰しても逆に迷惑かも、なんて迷いもあったけど、やっぱり来てよかったと改めて思い直した。みんなの顔を見れただけで、塞ぎ込んでいた心が軽くなったから。心の拠り所は早坂だけじゃない、この場所にもあったんだ。 「もう、心配したんですよ! 階段から落ちて骨折したって聞いたときは冷や汗出ましたもん!」 スタッフの1人が息巻くように私に言う。元彼と喧嘩して殴られた際に骨折した、なんて当然言えるわけがないので、ありきたりな理由をでっちあげてスタッフ全員に伝えておいた。伝えたのはかなえちゃんと早坂だ。 そのかなえちゃんは、本日シフト休み。 朝、LINEで「またジンギスカン食べたいです」ってメッセージが届いていた。 それは私じゃなくて、早坂に言った方が早く実現できるんじゃないかと思うんだけどな。 「まだ治ってないんですよね? 出勤しても大丈夫なんですか?」 「鎮痛剤が効いてるから大丈夫。しばらく事務所ヒッキーになるけど、売り場以外の仕事は全部私に回してね〜」 緩く告げて、隣に立つ早坂に視線を送る。前日の売上成果をミーティングで伝えるのは早坂の担当だ。その後は私が1人1人に指示を出して、開店準備に取り掛かるのがいつもの流れ。今日は指示を出す余裕もなかったから、ミーティング自体はあっさりと終わった。 スタッフ達が開店準備に追われる中、私は早坂と事務所に戻って一息つく。椅子に力なく座れば、心配そうに顔を覗き込んできた。 「大丈夫か? しんどかったら早退していいぞ」 「へーきへーき。それより私が不在の間、色んな仕事押し付けちゃってごめんね。早坂こそ疲れてるでしょ? 大丈夫?」 「俺も平気だって」 苦笑交じりに言われて、私も笑みを浮かべる。 パソコンデスクの上には書類が1枚置いてあって、1週間分の売上数値を記録したデータが記載されていた。 早坂が事前に作って印刷してくれたのだろう。私が一目見てわかるように、統計をグラフ化して作成してくれたらしい。本当にいい仕事してくれるなあ、なんて思いながら、数値を細かく眺めていく。 「みんな、頑張ってくれてたんだね。売上の数値、全然落ちてないじゃん」 「ああ。売り場の乱れも少ないし、クレームも発生してない。レジのミスもほとんどないし、全員優秀だった」 「もしや私、この店にいらない感じ?」 「いや、七瀬はこの店に必要だよ。……俺にとっても」 その一言に深い意味はなかったのかもしれない。けれど、不覚にもドキッとして頬が熱くなった。早坂の言葉ひとつひとつに過剰反応してしまっていたたまれなくなる。 これはスルーすべきなのか茶化すべきなのか迷っている最中、コンコン、とノック音が響いた。 「……あの、七瀬さん。ちょっといいですか?」 事務所の扉がゆっくり開く。控えめに顔を覗きこんできた人物は、恐る恐るといった感じで室内に足を踏み入れた。 「早織さん? いいよいいよ、どうしたの?」 「あ、えっと……」 何故か彼女は迷う素振りを見せた後、早坂にチラリと視線をずらす。その視線に気づいた早坂が静かに席を立ち、「売り場の様子見てくるわ」と事務的な一言を残して出ていった。早織さんに気を使ったのだろうけど、早坂がいなくなっても彼女の表情は強張ったままだ。 「……早坂マネに聞かれちゃマズイ話?」 ひそりと告げれば、早織さんは弱々しく首を振る。 「そういうわけじゃないんですが……早坂さんには、ちょっと渡しずらくて」 「渡すって、何を?」 「えっと、これ……」 彼女から差し出したものは、1通の茶封筒。 差出人の記載はなく、消印の表記もない。 「なにこれ?」 「私にもわかりません。早坂さんに渡してほしいってお客さんに頼まれました」 「お客さん……?」 「はい。スーツを着た、背の高い男の人です。昨日の閉店時間間際に来店されて、これを頼まれました。結構イケメンな人だったんですけど……あ、名刺も一緒に貰いました」 おずおずと出された名刺を受け取る。 そこに記載されていた名前と会社名を目にした途端、ドクッと心臓が大きく波打った。 「……青木、さん」 名刺に表記されていたのは、私がよく知る人物の名前。やっぱりあの人、ここにも来てたんだ。 そりゃそうか、私が部屋に戻っていないとわかれば、職場に足を運ぶのも納得できる。 でも、「早坂に渡してほしい」って何だろう。 私宛てじゃないことに不安がよぎる。 「これ、早坂に渡してほしいって頼まれたんだよね? なのにどうして私に渡すの?」 「それが……。その人、お店に来た時、七瀬さんが出勤してるか訊いてきたんです」 「……え」 その一言に緊張が走る。 あの人が私を探している、その事実に悪寒が走ったのは一瞬のこと。 「七瀬さんが店にいるのか訊いておいて、早坂さんに封筒を渡してほしいって……変じゃないですか? すごく違和感があって」 「そう、だね」 「それにあの人、機嫌が悪そうっていうか……顔は笑ってたけど目が全然笑ってなくて。ちょっと怖いな……って」 「……なるほど」 「受け取らない方がいいのかなって迷ったんですけど、怖くて断れなくて……」 申し訳なさそうに早織さんは頭を垂れた。 でも私には彼女を責められない。早織さんはきっと、青木さんからの封筒を受け取るべきか迷ったんだ。お客さんからの差し出し物は、基本的には受け取ってはいけない決まりがあるから。 余程親しい知人の場合は別だけど、早織さんにとって青木さんは初対面の人だし、私の知人だなんて当然知らない。なら、会社の規則に従う義務がある。 けど、それすら躊躇うほど青木さんの気迫が凄かったのかもしれない。怖くて断れなかったと言うほどなのだから。 「あの、七瀬さんの知ってる人ですか……?」 「うん、まあ一応。ごめんね、怖い思いさせたね」 「いえ、そんな」 「これは私が預かっておくね。ちゃんと早坂に渡しておくから大丈夫だよ」 「はい、お願いします」 ほっと胸を撫で下ろしながら早織さんは踵を返す。1人取り残された事務所内で、私は重いため息を吐いた。 眼前にかざして封筒を見つめてみれば、蛍光灯に照らされて中身がうっすらと透けて見える。1枚の紙切れが丁寧に折り畳んである状態で収まっていた。 何が書いてあるんだろう。気になる。 嫌な予感しかしないけど。 「……どうしよう。渡してもいいのかな」 早坂が私と同じ職場で働く人間だということを、青木さんは既に気づいてる。知っていた上で早坂に封筒を託すなんて、絶対良くないことが書いているに違いない。早坂に渡す前に拝見した方がいいかもしれない───そう思った時、あることに気付いた。 ……この封筒、重みがある。 紙切れだけじゃない、まだ何か入ってる。 けど、光にかざしても何も見えない。 軽く振ってみれば、カシャカシャと小さな摩擦音が聞こえた。 「なに……?」 やっぱり中身を確かめようと思い直す。ハサミを手に取り、丁寧に封を切ってから逆さまにひっくり返した。 紙切れと共に中から出てきたのは─── 「……やっ……なにこれ……ッ」 喉の奥から悲鳴じみた声が出る。 机の上にバラバラと零れ落ちたのは、無数に切り離されたカッターの刃、だった。 トップページ |