確信1 - 佐倉side



・・・


「本当にごめんね。アイツらうるさくて」

 鈴木と内海を追い払った後、天使さんと1階の休憩スペースに移動した。話があるんだけど、なんてベタな誘いについてきてくれた天使さんは、拾い集めた書類をテーブルの上で整えながら、俺に低く頭を下げる。

「私の方こそ、迷惑を掛けてしまってすみませんでした」

 丁寧な謝罪を口にした後、彼女はポケットから財布を取り出して自販機へ向かう。なにか飲むのかな、なんて思いながら、その華奢な後ろ姿を見届けた。
 掛け時計を見上げれば、午後の勤務が始まるまであと10分と迫っている。例の、部署異動の話をするには少々時間が足りない。この僅かな時間でどう話を切り出そうかと考え込む俺の元に、再び天使さんが戻ってきた。その手には見慣れた缶コーヒーが3本握られている。

「あの、これ。お手伝いしてくれたお礼です」

 なんて言いながら、3本まとめて差し出してきたから驚いた。

「……え!? いやいや、いいってそんなの! お礼される程のことじゃないから!」

 焦って大袈裟に両手を振る。3本のうち2本は内海と鈴木の分なんだろうけど、素直に受け取るわけにはいかない。俺が全力で拒否を示せば、天使さんも困ったように眉を下げて、それでも差し出した手を引っ込める様子はない。

 例えばあの場に現れたのが俺じゃなくても、誰だってあんな場面に立ち会えば手伝いくらいはするだろう。人として当たり前の事をしたまでで、お礼を言われるような事はしていない。ましてやお金を払ってまで奢って貰う程の事でもない。
 そう主張したけれど、天使さんは頷かなかった。じっと俺を見つめた後、ふわりと柔らかく微笑んだ。

「……手伝ってくれて嬉しかった、ので」

 はい、ともう一度差し出された缶コーヒーを見つめる。感謝の気持ちを目に見える形で表現した、彼女なりの誠意なんだろう。困った。これは、内海と鈴木が勘違いしかねない。
 天使さんは男心をわかっていない、と思う。手伝ってくれて嬉しかった、なんて、頬染めしながら男に言ってはいけないのに。野郎なんて単純な生き物だから、そういう一言にハマりやすいんだ。この子は俺に気があるんじゃないかって勝手に勘違いして、一方的に舞い上がる悲しい生き物なんだ。男の性だ。

「いや、うん……なんか、ありがとう。逆に申し訳ない気持ちになってきた」

 素直に受け取りつつも、ここまですることないのにな、という気持ちは依然としてあって。でもそれ以上に、嬉しい気持ちも芽生えていた。彼女への好感度がまたひとつ、上がったように思う。
 ……本当になんで、こんな良い子が社内イジメなんかに遭っているんだろう。もしかしてこの謙虚さが、逆に仇になっているんだろうか。人の好意を妬ましく思う心の狭い人間もいるからな……俺も人の事は言えないけれど。

 天使さんとは部署も違うし、今まで関わることもなかったから、彼女があの部署で受けた嫌がらせがどれ程のものなのかはわからない。心の痛みも全部わかってあげられない。けれど、このままでいい筈がないって事くらいは俺でもわかる。でも、天使さんもそう思っているとは限らない。
 ……そうだ。部署異動を勧める前に、まず彼女の胸の内を探らなきゃいけない。今の部署から離れたいと思っているのならば問題ないけれど、もし居続けたいと思っているのなら無理強いはできない。強引な勧誘は彼女の為にならないから。

 ……さて、どう話し始めたらいいものか。
 思い悩む俺の思考を遮るように、ふわりと一陣の風が舞った。

 休憩スペースでも、一部の窓が開いている箇所がある。就業時間以外は換気しているのだろう。その隙間から入り込んだ風が、天使さんの綺麗な黒髪をなびかせた。
 柔らかな風に吹かれて、さらさらな髪がふわりとなびく様子は映画のワンシーンのように美しくて。その光景に惹かれて、彼女から目が離せなかった。

「……あ」

 だから、不意に見えてしまった。
 白い首筋によく映える、赤い跡。
 それを目にした瞬間、どくんっと心臓が嫌な音を立てた。

 咄嗟に視線を逸らしてしまう。見てはいけなかったものを見てしまったような罪悪感と羞恥心に駆られて気が動転してしまった。
 そんな俺の異変に彼女は気づいていないようで、乱れた髪を手ぐしで整えながら、窓の向こう側を見つめていた。

 急に居たたまれない気分に苛まれる。
 俺は、何をこんなに動揺してるんだろう。
 首筋に残る赤い印が何なのか、考えられる要素はたくさんある。衣服の擦れやストレスから湿疹が出てしまうこともあるし、外部要因なら虫刺されの可能性もある。だから、別に動揺することでも何でもない、はずだ。
 そう思うのに、胸騒ぎが止まらない。
 普段は髪を纏めている彼女が、珍しく髪を下ろしている、その理由が首筋の跡を隠すためだったとしたら、その跡を見られたくない、人に知られたくない理由があるということだ。
 そうなると、思い当たる可能性はひとつしか思い浮かばない。

 あれってまさか、アレなのか。
 キスマーク、とか。

「それで佐倉くん、話って」
「え……っ、あ、うん、」

 天使さんの視線がぶつかり、焦って声が上擦ってしまう。意識しないように努めても、無意識に視線が彼女の首筋に見入ってしまう。その視線の意味に気付いたのか、彼女がはっとしたような顔つきに変わった。
 反射的に片手で跡を隠してしまったけれど、その咄嗟の仕草で首筋の印が何なのかは、もう明白だ。

「……っ」

 天使さんは何も言わない。首筋を隠したまま気恥ずかしそうに俯いている。俺も彼女も黙り込んだまま、重苦しい空気が漂い始めた。

 まずい。
 このままだと時間が無駄に過ぎていくだけだ。
 この気まずい雰囲気を打破するべく、俺は慌てて口を開いた。

「あの、あれだよね。秋になると蚊が増えるから」

 俺のフォローの下手さよ。

「そ、そうですね……油断してたら、刺されちゃいました」

 俺の嘘に乗る形で、彼女も話を合わせてくれる。俺もそうだけど、天使さんも嘘をつくのは得意じゃないんだろう。顔が強張ってるし目もふよふよと泳いでいる。あからさまに動揺しているのが一目瞭然だ。

 キスマークを誤魔化す為に、虫刺されだと主張するのはよくある定番の言い訳だ。けど、キスマークと虫刺されの違いは案外わかりやすい。赤く色づいている場所の範囲や位置、色の濃さ、腫れの具合、そして跡の数。首筋に複数の跡がまばらに浮き上がっているのは、虫に刺されたというには少し不自然だから。人工的につけた跡だと言われた方が、まだ納得できる。
 天使さんの首筋にある跡はひとつだけだったけど、彼女の狼狽っぷりから、それがキスマークだと気づいてしまった。

 なんていうか、衝撃だった。
 天使さんに、彼氏がいるという事実が信じられなくて。

 意外だと言ったら失礼だけど、彼女から男の存在なんて微塵も感じなかったし、彼女の状況を知れば、色恋的な話題にまで意識が向かなかった。
 でも、考えれば別に不思議な話でもない。天使さんは見た目も可愛いし性格も悪くないし、その控えめな内面に惹かれる人だっていると思う。男に媚びたり簡単に遊ぶような子じゃないし、普通に彼氏がいてもおかしくはない。

 けれど、相手の男が気になる。
 人の目に見える場所にキスマークをつけるとか、かなり独占欲の強い男なんじゃないだろうか。だってこれ、わざとつけた跡だろ。

 天使さん、大丈夫なのかな……とか余計な心配をしてしまう。その相手が社外の人間ならまだしも、もし社内の人間、ましてや同じ部署の男だったら相当問題があるし、









『もし俺がモテてたら、今ごろ清楚系の彼女がいるはずだから』
『いないの?』
『いないの。速水は?』

『……さあ。ご想像にお任せするよ』




 不意に。
 あの日の、アイツの言葉が脳裏をよぎった。

mae表紙tugi

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