彼女も知らない、彼女の正体 - 速水side



 ───榛原《はいば》経済研究所、

 なんて呼び名は、表向きの社名だ。

 じゃあ裏の呼び名は何かと訊かれても、答えようがない。もともと実在していた組織の名は、既に破棄されてしまったから呼びようがなく、俺が知る由もない。
 榛原は例えるなら、監獄だ。
 "ある"特殊な事情を抱えた子供達が高校を卒業すると共に集められ、半永久的に監視される場所。
 俺も、ありさも。

 そして───
 きっと何の事情も知らないであろう、天使さんも。



・・・



 榛原の4階は、調査課のテリトリーになっている。足を運ぶ機会の多い資料室と書庫室、逆に利用する機会がないまま放置されている、第3会議室。その隣合わせに小会議室が存在する。
 俺はそのうちのひとつ、文書資料室へと足を踏み入れた。

 受付窓口へと赴き、小窓を軽く叩く。
 髪をひとつに束ねた小柄な女性が、ノック音に気づいて顔を上げた。
 俺の姿を見て、表情を綻ばせる。

「速水くん、お疲れ様。話は聞いてるよ。はいこれ、文書閲覧申請書。必要事項を記入してね」
「はい。佐藤さんも、いつもお疲れ様です」

 そう挨拶を交わせば、彼女は控えめに笑う。

「毎度入室する度に書いてもらって悪いね。面倒だと思うけど、手続き上、どうしても本人の直筆が必要だから」
「重要文書も多いですからね。盗難や不正防止の為にも必要なことですよ」
「そう言ってもらえると助かるよ。誰とは言わないけど、いちいち文句を言う奴もいるからさ。……はい、芹澤専務からの許可書も確認したよ」
「……その、『いちいち文句を言う奴』って間違いなく、うちの部署ですよね」

 俺の一言に、佐藤さんが軽く吹き出した。
 何かと信用できない人間が多い榛原の中で、彼女は唯一、信頼できる側の人間だ。

「はは(笑)。ま、あの部署は癖の強い人間が多いからね。じゃあ、今所持してる物は全部、こちらで預からせてもらうよ」
「お願いします」

 文書資料室の入室は、制限が厳しい。
 事前に申請書が必要で、個人情報や閲覧目的を記載する必要がある。また、上司からの許可書が無ければ、入室することもできない。情報を商品として扱う榛原の性質上、これは仕方のないことだ。
 入室の際は携帯はおろか、メモ帳やボールペンなどの持ち込みも一切禁止、ネームプレートも受付担当へ一時的に預けるなど、とにかく規制が徹底している。

「定時も近いので、20分程度で戻ります」
「はいよ。……速水くん」
「はい」
「……仁くん、奥で待ってるよ」
「……わかりました」

 仁、という名前が出た途端、それまで和やかだった空気がぴりっと張り詰めた。
 それだけ、この人物の名が榛原の人間にとって驚異で、厄介な存在だという証拠でもある。
 そしてそれは、俺にとっても。






 佐藤さんから受け取ったIDカードを、入口前のセンサーにかざす。ピッ、と聞き慣れた機械音が鳴って、静かに扉が開いた。

 ゆっくりと歩を進めていく。
 空調が効いている室内はやや肌寒い。
 磨き上げられた床タイルが光沢に輝き、洗練された空間を生み出している。
 アクリル本棚に納められたファイルはレザー素材で統一され、重厚感を漂わせていた。

「はーやみ」

 息を吐くにも緊張を伴うような、そんな静寂な空間を切り裂いた呑気な声。
 途端に気分が重くなる。

「……仁」
「おー久々」

 目を向けた先に、声の主はいた。
 ラフな無造作感を表現したパーマ頭の男が、サングラスを外しながら手を振っている。唇は笑みを作っているものの、目は笑っていない。鋭い眼光が俺を射抜き、肩に力が入った。

「……関係者以外の立ち入りは禁止だけど」
「いや俺もバリバリ関係者だからな」
「ここの社員じゃないだろ」
「榛原と提携してる病院に勤務してるじゃん」
「……いきなり呼び出して何の用?」

 埒が明かないので本題に入れば、男は面白くなさそうに眉をひそめた。





 ───優月 仁《ゆづきじん》。
 それが男の名前。
 俺とありさより2つ上の、高校の先輩にあたる。

 と言っても、別段親しいわけではない。
 男の素性もはっきりとはわからない。
 それだけに危険を孕んだ人物であることは否定できない。

 周囲に視線を巡らせ、人気がないことを確認した仁は、今度は厳しい顔を俺に向けた。

「お前、榛原の研究所から"マナ"を奪っただろ」

 ……やっぱりその話か、と内心舌打ちする。

「奪ったけど。それが何?」
「何じゃねえよ。それは榛原のもんだ。返せ」
「断る」
「あ?」
「あのマナは榛原のものじゃない。ありさのものだ。榛原の連中に奪われたから俺が奪い返した。これ以上の説明が必要ある?」

 至極全うな理由を口にしたつもりだった。
 案の定、仁は目を丸くしている。

「はあ? あれ、お前のヒヨっ子のかよ。それ早く言えよな。無駄足だったじゃねえか」
「……奪い返しに来たんじゃないの?」
「そのつもりだったけど、ヒヨっ子のものだって言うなら別にいらね。俺は俺のマナ持ってるし」
「あ、そう。なら帰れば」

 用件は終わった。
 なら、ここに長居は無用だ。
 この男は苦手だ。素性が把握できない上に、秘密主義者だから自らを語ることがない。神出鬼没で度々俺の前に現れては、常に余裕ぶった態度で人を翻弄する。
 何の目的があって、俺に近づいてくるのかはわからない。けど、得体の知れない狂気をこの男は発している。隙を見せれば裏をかかれる、そんな予感がしていた。

 早く、この場から立ち去ってくれないかな。

 それに今日は金曜で、この後は天使さんと、渋谷駅で会う約束を交わしている。社内ではまともに話すこともできない彼女に、やっと今日、触れられる。そう思っただけで、高揚感が胸を満たしていくのを感じた。

「なーに笑ってんだよ」
「……え」
「鼻の下伸びてんぞ」

 ほくそ笑む仁から、さっと視線を逸らす。
 この男に、心の内は読まれたくない。
 ただでさえ胡散臭い輩なのに、彼女の存在を知られでもしたら、それは弱味を握られたのも同然だ。

「話はもう終わったんだよね? 俺は部署に戻るから、仁も早く勤務先に戻りなよ」

 ボロが出る前に、こっちから先に立ち去ろう。
 そう思ったけれど。

「速水お前、年いくつ?」

 踵を返そうとしていた足が止まる。振り向いた先には、サングラスを掛け直した仁の姿がある。
 瞳を見れば、相手の思惑を暴くことができるかもしれないのに、サングラスに隠れてしまっては、それも叶わない。

「なに、いきなり」
「いや深い意味はないけど」
「21だけど」
「まだ21なのか。誕生日いつだっけ」
「そんなこと聞いてどうするの」
「バラの花束を贈ってやるよ。22本がいいか? それとも100本か」
「1本もいらない」
「そう邪険にすんなって。で、いつ?」
「……来月で22だけど」
「へぇー、来月なのか。速水の方が年下なんだな」
「……は? 誰のこと、」
「お前より3ヶ月分、年上なんだな。天使ひよりちゃんは」

 耳を疑った。
 目を見開く俺に、男は満足そうに笑みを浮かべる。
 天使さんのことを、仁は知らないと思っていただけに衝撃だった。

 なんで知って────
 そう言い掛けて、言葉を止める。

 この男が、天使さんのことをどの程度まで知っているのかはわからない。名前だけ知ってる、程度かもしれない。カマを掛けて、俺から情報を引き出そうとしている可能性もある。
 どちらにしても、ここで焦って墓穴を掘るわけにはいかない。

「………天使さん、って?」
「知ってるだろ、お前」
「……知ってたとして、その子と俺に何の関係がある?」
「あくまでとぼける気かよ。あの子の正体───いや……片割れ、と言った方がわかりやすいか?」
「………」

 ……やっぱり、さっさと立ち去ればよかった。
 そう後悔したところで、後の祭り。
 よくよく考えれば、高校の先輩でもある仁が、2つ下の後輩である俺の年齢を知らないはずがないんだ。まともな判断力すら失っていた。

 天使さんの誕生日を知っていたり、わざと『片割れ』と名指しするあたり、仁は天使さんの事を相当調べ尽くしている。
 知った上で、俺に問いかけてきたんだ。

「なに、鳩が豆鉄砲くらったような顔してんだよ。俺があの子を知らないとでも思った? んなわけねーだろ、俺はそこまで無能じゃねえ。俺を誰だと思ってんだよ」
「ボンクラニート」
「てめえ」

 病院に勤務してるっつったろ、そう悪態つきながら仁は封筒を差し出してきた。
 A3サイズほどの大きさがある、青い封筒。見覚えのある色だ。

「……遺伝子鑑定研究所」
「この中に、お前が知りたい情報が入ってる。天使ひよりの事もな」

 意味深な言葉を残し、仁が視線を落とす。
 中身を見るかどうかの判断は、俺に委ねられた。

 差し向けられた封筒を受け取れば、既に封が切られている。先に鑑定結果を確認した人間がいる、ということだ。

「……俺、こんなの頼んでないけど」
「そりゃそうだろ。依頼主は別の人間だし」
「………」

 天使さんのDNA鑑定を、密かに依頼した人物。

「誰?」
「さあ? 誰だと思う?」
「またそうやって誤魔化すんだ」
「おあいこだろ。お前だってさっき、平然としらばっくれたじゃねえか」
「……仁と話してると疲れるね」

 嫌味ったらしく告げたところで、この男には通じない。仁との会話は、いつもこんな調子だ。
 のらりくらりと交わされることが大半で、会話がろくに進まない。無駄な労力に時間を割くよりも、今は手元の封筒を優先させることにした。

 中に入っていたのは4枚の書類。
 DNA鑑定結果は、そのうちの3枚だ。
 文面には事細かに、解析結果の数値が記載されている。担当者の名前とサイン、鑑定日時なども詳細に記帳されていた。

 そして、最後の英文に目が止まる。





『STATISTICS:
 Monozygotic Twin Likelihood:1064257180』
 Probability:99.99%』



「……やっぱり」

 ───片割れ、なのか。








『鑑定結果:


 天使ひより(A/以下、Aと略す)
 及び、谷口ありさ(B/以下、Bと略す)


 DNA分析によると、AとBの人物が同一の遺伝子を共有している可能性が1064257180倍であり、









 鑑定の結果、一卵性双生児(一卵性双子)である確率が99.99%に相当します』


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