誰が敵で、誰が味方か - 速水side 「……一卵性、双生児……」 軽く衝撃を受けた。 と言っても、さほど大きな驚きではない。 2人の関係性は昔から知っていたし、ありさもこの事は知っている。 けど、事実関係を数字ではっきり証明されると、改めて実感が湧いてきた。天使さんとありさが、本当に、血の繋がった姉妹だということを。 ……ただ、天使さんはこの事実を知らない。 「……勝手に二卵性かと思ってた」 「で、実際どうなんだよ。似てるか?」 「……似てるね。身長も足のサイズもほぼ一緒、好みの食べ物も場所も趣味も大体一緒。でも、性格は全然違う。多分、それぞれ育ってきた家庭環境が影響してると思うけど」 「家庭環境ねえ……、顔は?」 「2人とも化粧してるし、特にありさはカラコンも入れてるから、パッと見は双子だとわからない。でも、似てるよ。化粧を落とした顔は、一瞬迷うくらいには似てる」 「へえ? お前、天使ちゃんのすっぴん顔、見たことあんのな?」 「………」 今、わざと聞いたな。 確信を突いた質問に、はあ、とため息をつく。 すっぴんなんて、プライベートでしか晒さないであろう彼女の素顔を知っている人間は、極わずかだ。俺はもう、何度も見てる。 天使さんとの仲は隠しているつもりだったけど、仁は既にお見通しのようだ。 今までの会話から察するに、仁は天使さんの顔を知らないようにも聞こえる。彼女にはまだ、会ったことがないのかもしれない。 それなのに、天使さんのDNAを鑑定し、彼女自身のことも調べ、俺と彼女の関係も知っている。 「……仁」 「あん?」 「鑑定を依頼したのは、ありさだよね?」 そうじゃなきゃ、おかしい。 「ご名答。なんでわかった?」 「DNA鑑定書を読めばわかる。採取したサンプルは、口内の粘液だ。今は綿棒で口腔内の細胞を採取するのが主流だし、それが出来るのは本人か、彼女に触れられるほど親しい間柄の人間しかいない。天使さんは3年前から両親の元を離れてるし、親が採取できるはずもない。だとしたら、考えられる相手は俺か、ありさしかいないよ」 本人に全く気づかれずに、口内の粘液を綿棒で採取するなんて、彼女が眠っている時くらいしかできない。 そして、それが出来る人間は限られている。 ありさと天使さんは、互いの家を行き来して寝泊まりする事もあるくらい仲がいい。ありさであれば、採取可能だ。 「採取が唾液とは限らねーだろ。髪の毛とか、爪の可能性もある」 「無理だよ。5本指全ての爪が必要になるし、体毛も、最低5本以上は必要だ。大体、髪の毛なんてどうやって取るの? 本人に許可貰って、5本以上も引っこ抜いてもらう気? 服についた髪の毛があったとしても、それが絶対に本人のものだとは限らないし」 「じゃあ口内の粘液だとして、別の男が採取した可能性もゼロじゃねーけどな?」 「……可能性の話で言えば、ゼロではないね」 別の男。はたまた、ありさ以外の友人。 ゼロではない。けど、果てしなくゼロに近い。 赤の他人が、他人のDNA鑑定を依頼するはずがない。 「仁、まどろっこしい話はやめよう。どうしてありさが天使さんのDNA鑑定を依頼したのか、その話をしよう」 「んなもん、双子の可能性をはっきりしたかったんだろ」 「天使さんが双子の姉だって、ありさは昔から知ってたよ。疑っている風には見えなかった。一卵性か二卵性か、気にしてる様子もなかった。ありさに、鑑定の意思があったとは思えない」 「ふーん。で?」 「あと、もうひとつ」 手にしていた封筒を、仁の前に突き返す。この青封筒には見覚えがあった。 しかも社内ではなく、榛原の研究所で。 つまりこの『遺伝子鑑定研究所』は、榛原と提携しているDNA鑑定会社ということになる。 封筒の中に入っていたのは4枚。 残りの1枚は、DNAや遺伝子鑑定とは全く別物の鑑定書類───"マナ"に関係するものが入っていた。 その紙切れを手に取って、文面を眺める。 『M.A.P感染症───【陽性】』 たった数文字。 この一文が、全てを物語っていた。 ……やっと。 やっと、ここまで辿り着いた。 "黒幕"の正体を、掴んだ。 「仁、本当の依頼主は誰?」 「………」 「ありさを裏で操っている人間が、榛原の中にいるよね?」 ありさに、鑑定の意思はなかった。 そのありさを影でそそのかし、ありさの手で直接、天使さんの口内から粘液の採取をさせた。そして鑑定を依頼させた。さも、ありさ自身が鑑定を望んでいたかのように、仕組んだ。 依頼主は恐らく、天使さんと親しい間柄の人間じゃない。だから、ありさに頼み込んだのだろう。 ありさが何故、依頼主に協力したのか。 その理由はわからない。 けど依頼主の意図は、最後の4枚目で理解できた。 この鑑定結果で得をする人物が、榛原の中にいるんだ。 「操ってる、なんて人聞き悪ぃな。依頼した人間と利害が一致したから、お前のヒヨっ子が協力したんだろ。じゃなきゃ、ヒヨっ子がタダで引き受けたりしねーよ、こんな案件」 「……それは、仁にとっても、だろ」 鑑定を引き受けた仁も、依頼主から見れば立派な協力者だ。 「つーかお前、既にそこまでわかってんなら、依頼主が誰なのかも予想ついてんじゃねぇの?」 「……まあ、予想だけならついてる」 多分───"あの人"だ。 けど、証拠がない。 「まあ……けど、知ったところで何もできねーだろ、お前は」 「……どういう意味?」 「お前さ、どっちを守りたいの」 突然の話題転換に目を丸くする。 急に何の話かと顔を上げれば、仁は険しい表情で俺を見据えてきた。 「ヒヨっ子を守りたいなら、天使ひよりは切り捨てろ。お前には荷が重すぎる」 「……何の話? というか、そんなこと仁に言われる筋合いないんだけど」 「青二才の糞餓鬼がナマ言ってんじゃねえよ。2人の人間を同時に守れるはずないだろ。お前はヒヨっ子を絶対に見捨てられない、ならヒヨっ子だけ守ってろ。何の知恵も力も無いくせに、いっちょ前にヒーロー気取りとか寒いんだよ」 「……仁」 「なんだよ」 「なに1人で逆ギレしてんの」 「………」 「俺と天使さんを引き離したい理由は何?」 仁の主張は、真意が読めない。 守れないから捨てろ、なんて、どうしたらそんな思考回路に至るのかがわからない。切り捨てる必要がどこにある。 大体今は、DNA鑑定の話をしていたはずだ。 仁と俺は然程、親しくはない。 天使さんという人間を、仁は恐らく知らない。 そんな奴から何を言われても心は揺れ動かないし、むしろ不信感だけが募った。 この忠告の裏に、俺が気付いていない悪企みがあるんじゃないか、って。そう思えてならない。 「何か企んでるの? 天使さんを傷付けるつもりなら許さないよ」 「はあ? 責任転嫁すんな。企んだのはお前だろ」 その一言に、思考が止まる。 すぐに反論できなかった。 「お前───いや、お前ら、か。自分達のしたことわかってる? 天使ひよりの気を引くために、お前らはあの子に何したよ。言えないよな? 罪の意識があるから」 「………」 「それでよく、『許さない』なんて軽々と口に出せたな? ビックリだわ、どんだけツラの皮厚いんだよ。傷つけてんのはそっちだろ。こっちに振るな、気色悪ぃ」 「………っ」 心を抉る言葉が、容赦なく突き刺さる。 サングラスに隠れた仁の瞳が、侮蔑に満ちているのが見えなくてもわかった。 何も言えず唇を噛む俺を一笑して、カツリと仁の靴が鳴る。 すれ違いざま、悔し紛れに言葉を吐く。 「……俺が、天使さんを切り捨てたら」 仁の足が背後で止まる。 『───速水くん……』 遠くから聞こえてくる、彼女の声。 縋るように見上げる瞳が、声が、切なげに揺れていて。 今にも壊れそうな儚い姿を、もう何度も目にしてきた。 そんな彼女を必死に想って、手を伸ばして、やっとの思いで握り返してくれた手を、 もし俺が手離してしまったら。 「俺があの子を捨てたら、誰が天使さんを守ってくれるんだよ」 天使さんを取り巻く環境は異常だ。 榛原には沢山の人間の思惑が絡み合っていて、二重にも三重にも、罠が張り巡らされている。天使さんは今、その渦中にいる。 その事に、本人は気付いていない。 あの部署での理不尽な扱いも、自分のせいだと思い込んでいる。 俺があの子を手離したら、誰からも相手にされない彼女を罠に嵌める人間が、必ず出てくる。 そして、仁の言う通り。 この劣悪な環境を引き起こした原因は、俺にもあるんだ。 「誰があの子を守るって、んなもん俺が知るか。少なくとも、その役目はお前じゃない。そのへんの男に譲れ」 「……それこそ、嫌だ」 「ガキかよ」 馬鹿にしたように吐き捨てられ、仁がこの場から立ち去っていく。靴の音が完全に消えて、緊張の糸が切れたように力が抜けた。 足元がふらついて、壁にトン、と背中をつく。苛立ちを露にするように、頭をかきむしった。 お陰で髪型が崩れたけれど、そんなこと気にもならない。 「……はあ」 重い溜め息が漏れた。 仁の言い分を前に、何も言い返すことが出来なかったことが腹立たしい。反論できなかったのは仁の言う通り、「罪の意識」があったからだ。 仁は間違ったことを何ひとつ言っていない。 2人の人間を同時に守れるはずがないことも、俺がありさを手離せないことも、ありさを守るなら、天使さんの存在が負荷になることも。 天使さんがあの部署で傷つけられているのも全部、自分達が招いた結果だということも。 それでも譲れないものがある。 彼女への想いは本物で、彼女を手離すつもりなんか毛頭ない。他の男に譲るなんて、論外だ。 「……守りたいと思って、何が悪いんだよ」 ありさも、天使さんも、榛原の罪が生み出した被害者だ。 なのに誰も、彼女達を守らない。守ろうとすらしない。そればかりか、自分の損得の為に利用しようとする輩までいる始末だ。 法も誰も守ってくれないなら、俺が守るしかない。 誰が敵で、誰が味方なのかもわからない状況で、誰かに頼ることも当然できない。 はなから頼る気もない。それでいい。 今までずっと、自分の存在意義もわからず、存在価値すら見出だせず、劣等感に苛まれながら無気力に過ごしてきた自分が、皮肉にも、この榛原で生きる意味を見つけた。 守りたい人ができて、守りたいものを理解した。 彼女達を見捨てることは、自分自身の存在を否定することになる。 卑怯だろうが、罪だろうが、何がなんでも守りきる。 たとえ、自分の手を汚すことになったとしても。 トップページ |