急転直下の出来事です。2


「え? 大丈夫?」

 加奈ちゃんが不安そうな顔をしてる。
 手を軽く振って、大丈夫だと主張した。

「ちょっと寝不足なだけ。ねえ加奈ちゃん、同棲する前、挨拶に行った?」
「両親に?」
「うん」
「勿論、行ったよ。学生同士だったしね」
「反対されなかった?」

 同棲前の両親への挨拶は、絶対じゃない。本人達の任意であって、挨拶をしないカップルも多いと聞いたことがある。
 でも卯月さんは、私との将来のことを真剣に考えてくれていて、結婚を望んでいるからこそ、ちゃんと親に報告して認めて貰いたいんだって言ってくれた。

 同棲の話を持ちかけられたあの日以降、卯月さんから伝わってくる、結婚前提で付き合いたいっていう強い意思。
 出会ってまだ1年と少ししか経ってないし、結婚という2文字に実感が湧いていないのも事実。
 でも、家族がほしいって言ってくれた卯月さんの願いを、私が叶えてあげたいって図々しくも思ってしまったら拒絶なんてできるわけがなかった。

 お父さんとお母さんには、既に卯月さんのことを報告済み。真面目で誠実な人だよって伝えたら、早く会ってみたいって嬉しそうに言ってくれた。
 スマホ越しに聞こえたその声は期待に満ち溢れていて、私達の同棲を反対する意思はないみたい。でも、卯月さんのご両親は私達の同棲をどう思ってるんだろう。それが一番の不安事だ。

 私の両親への挨拶が済めば、今度は私が、卯月さんのご両親へ挨拶に伺うことになる。正直、怖い。年齢や交際期間の短さを引き合いに出されて、同棲どころか交際すら反対されたらどうしようと思うと不安になる。
 私はまだ学生だし、どう挨拶すればいいのかもわからないし、色んな疑問と不安が脳内をぐるぐると回っている。堂々巡りだ。
 こういう時、身近に経験者がいてくれると相談もしやすいし、色んな話を聞ける機会があるのはありがたかった。そういう意味でも、加奈ちゃんは私の頼れる友人の一人だ。

「最初はね、いい顔されなかったよ。私も彼も大学生だから精神的に未熟だし、経済的にも厳しいのに生活していけるのかって責められたもん。でも、同棲したい意思がやっぱり強かったから、何とか説得させたけど」
「……そっか、そうだよね。学生同士なら親は心配するよね……」
「私の経験から言わせてもらえば、挨拶は行った方がいいと思う。結婚前提なら尚更。同棲の許可が貰えたら、今度は互いの両親が協力的になってくれるし。困った時は助けてくれるよ」
「うんうん」
「でも、奈々は反対される心配ないんじゃない? 彼氏、ちゃんと働いてるんでしょ?」
「……うん、でも……」

 私は現時点で内定を取れていない。
 卯月さんのご両親から見れば、息子が結婚するかもしれない相手がニートって印象悪いよね……?

「それと奈々。いつまで同棲するのか、期限も決めておいた方がいいよ」
「同棲の、期限?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、加奈ちゃんが力強く頷く。

「結婚前提での同棲なら、いつ頃結婚したいのか、明確な時期を決めないと。いつまでもズルズル同棲を続けることになったら大変だよ。婚期が長引くし、彼氏にとって「彼女」が「母親代わり」になっちゃうから、結婚したい意思が薄れちゃうんだって」
「え、え……それは困る……」
「でしょ? 私達もね、結婚資金をどれくらい貯めるか、目標金額を決めてるの。そこまで貯めたら結婚するって決めて、それで互いの両親に同棲の許可貰えたんだ」
「そう、なんだ……」

 加奈ちゃんの話を聞いて、安心するどころかますます不安が膨れ上がってしまった。だって加奈ちゃんには、結婚への明確な意思と覚悟がある。卒業後に働ける場所もある。私にはそれがない。
 最初の頃は素直に同棲を喜んでいたけれど、日が経つにつれて脳内を占める、同棲に対する不安と恐れ。卯月さんのご両親に嫌われたらどうしようとか、ちゃんと大学卒業後に働けるのかな、お金の遣り繰りとか出来るのかな、とか色んなことを考えてしまう。

「……ほんとに、同棲したら結婚できるのかな」

 卯月さんを疑ってるわけじゃない。
 好きな人との結婚に憧れだってある。
 でも私、本当にいいの? 社会人として働く未来すら見えていないのに、結婚や同棲のことまで考えていいの?
 卯月さんと同じ覚悟、できてるの?

「……っ、う」

 呼吸が浅くなると同時に胃液が込み上げてくる。口の中が酸味でいっぱいになって、顔をしかめながらその場にしゃがみこんだ。
 両手で口元を抑えてる私を、加奈ちゃんが驚いた様子で座り込む。

「え、奈々? どした?」
「……ごめ、ちょっと気持ち悪い」
「大丈夫?」

 加奈ちゃんが背中をゆっくりさすってくれて、吐き気が少しずつ薄れていく。もう2ヶ月前からこんな不安定な状態が続いている。いい加減、疲れてきた。

「奈々? 顔色悪いよ」
「うん……」
「さっき寝不足って言ってたけど、本当にそれだけ? 吐き気を催すって普通じゃないよ」
「………」
「ちゃんとご飯食べてる?」
「……あんまり」
「食欲ないの?」
「うん……吐きそうになるの」
「熱は?」
「多分ないと思うけど……」
「風邪じゃないってこと?」
「風邪って感じはしないかなあ……」

 ずっと感じている不調は、倦怠感と食欲不振。
 空腹感はあるんだけど、食べ物の匂いがやけに鼻について、胃が締め付けられるような痛みに襲われる。そして何より苦痛なのは、眠気だった。
 夜寝ても眠りが浅いせいで、1時間おきに目が覚めてしまう。朝起きたら体も脳も疲れてるような状態で、そしてその反動が昼間にやってくる。強烈な睡魔に気力も集中力も削がれてしまう。

「病院に行った?」
「ううん、行ってない……」
「行きなよ。変な病気だったらどうするの」
「大丈夫だよ、多分精神的なものだから……」

 大学を休まなきゃいけないような酷い状態でもないし、不調の原因もわかってる。
 だから、きっと。
 内定さえ貰えればこの症状は治まる。治まるはず、なんだ。

「体調悪いって言っても、酷くないから大丈夫だよ。胃がちょっと苦しいのと眠気だけだから」
「……眠気?」

 私の返答に、加奈ちゃんが神妙な顔つきに変わった。

「……ねえ奈々、変なこと聞いていい?」
「うん?」
「ちゃんと生理きてる?」
「生理?……えっとね、3月はきたかな……?」
「3月って……アンタ今、6月よ」
「そう、だね」

 4月は、どうだったかな。記憶が曖昧であまり覚えていない。でも、5月からは確実にきていない。
 でも、ストレスや情緒不安定な状態が原因でホルモンバランスが崩れるのはよく聞く話だ。そのせいで生理が遅くなるって話も。
 だから、あまり気にしていなかった。

「それが何?」
「……ねえ。奈々の彼氏って、ちゃんと避妊してくれてる?」
「へ、なに急に。そりゃ勿論………え、ちょっと待って」

 そこまで言いかけて、加奈ちゃんの言おうとしていることに気づいて焦る。

「い、いや、ちゃんと避妊してるよ。そのへんはしっかりしてるもん」
「でも、その症状ってなんか……つわりみたい」
「待って待って待って」

 そんなの、冗談でも笑えない。

「考えすぎだよ! 絶対ありえないし」
「でもつわりって、匂いに敏感になるってよく聞くじゃん? 食べ物の匂いが鼻につくって、それじゃないの?」
「違うよ! ほんとに食欲ないだけだもん! 怖いこと言うのやめてよ!」
「でも……妊娠中って、すごく眠くなるって」
「これは寝不足なだけでっ、」
「それに避妊具って、絶対じゃないんだよ?」
「う……」

 それを言われると、私はもう何も言えなくなる。
 望まない妊娠を防ぐために避妊具が存在しているはずなのに、それが絶対じゃないって言われたらどう答えていいのかわからない。避妊に失敗した、という答えしか出てこなくなる。

「ねえ、念の為に妊娠検査薬買っておいた方がいいんじゃない?」
「……で、でも」
「陰性が出れば奈々も安心するでしょ? 内科に行くって選択もできるし。でも、もし陽性だったら大変だよ。すぐに産婦人科に行かないといけないし、妊娠の疑いがあるならちゃんと調べないと。奈々だけの問題じゃないんだから」
「……っ」

 加奈ちゃんの主張は正しい。きっと、そうするべきなんだろうって、頭ではわかってる。でも、気持ちが全然追い付いていかない。まさか自分の不調の原因が、妊娠かもしれないなんて1ミリも想像していなかったから。

 同棲以前に、就活で失敗するかもしれないって時に……どうしてこんな事になるんだろう。
 情けないし、やっぱり素直に喜んであげられない自分が一番醜くて、悲しかった。

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